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私の玉の輿計画!  作者: 菊花
本篇
65/101

六五、私の賭けと伸ばした手

コツリ、コツリと足音を響かせながら、兄上がゆっくりと私に近付いてくる。


私はその姿を見つめ戸惑いながら、床に片手をついてそろりと立ち上がり、兄上を待ち受けた。


どうして、兄上が?


呆然と、そんな思いに囚われる。

兄上の背後には、先ほど衛兵に私を捉えるよう命じた若い男が従っていたけれど、彼は階段の途中で足を止めて兄上を見守るようにその場で控えた。

そして、

彼と離れて一人、いよいよ目の前にやって来た兄上は私と向かい合い、ぴたりと足を止める。

兄上から向けられるのは、変わることない冷えた眼差し。

そこから感じ取れるのは、やはり私がティアの生まれ変わりであることに気が付いたとか、そういう生易しい理由による訪問ではないらしいということ。

ならば、何をしに来たのだろう?

私はそれを推し量ろうと、兄上をじっと見返す。

その顔にはよく見ると、昔にはなかったいくつもの小さな傷。私がいなくなってから付いた傷だ。私の知らない兄上。私は、その傷跡にツキリと胸が痛むのを感じて、思わず檻越しに手を伸ばしたくなったけれど、それをなんとか抑え込む。

一瞬落ちた沈黙。

それを破るように、兄上がじっと私を見据えたままその口を重々しく開く。


「扉が、」


石壁に囲まれた地下に低く響いたのは、そんな言葉。


扉?

扉が、なに?


兄上が、私から何かを探ろうとするようにその眼光を鋭くしたのが分かったけれど、何が言いたいのか分からない。

疑問に顔を顰め小さく首を傾げた私に対して、兄上はその言葉の続きを発する。


「扉が動いた形跡があった。どうやってあの部屋に入った?」


落ち着いた、でも険のある声でそんなことを問われて。

部屋の扉……。

あ。

そこで、私はそれが何を意味しているのか漸く思い当たった。

それはつまり、あの地下通路へと続く扉のこと。

よくよく考えてみれば、私はあのとき、肖像画に気をとられて扉をきちんと閉めていなかった気がする。王族の直系しか開けることが出来ないはずのあの扉を。

王家とは何も関係のないはずの、怪しい人間があそこを開け、そして城に侵入したとなれば、これは王家にとっては放っては置けない大問題だ。そして、その扉は位置も含めて、例え忠臣とされる臣下であっても存在を知らせるわけにはいかない。だから、こうやって直々に兄上が確認しに来た、というわけか。


なるほど、ね。

どちらにしろ、私はもうすでに誤魔化すことが困難な状況を作り出してしまっている。

ならば、言い逃れるつもりのない私にとって、これはなんて都合の良い展開なのだろう。逆にこれを証明とすることができるかもしれないのだから。


大丈夫。


私は兄上の問いに、意識して表情を作り、「ああ、そのこと」と、まるで何でもないようにあでやかに笑んだ。


きっと、大丈夫。だから――、


「勿論、お察しのとおりあの秘密の地下通路を使ってよ。前世の私の記憶を頼りに、ね」


兄上が、その言葉に、態度に、不審げに眉を顰める。

私は、そんな兄上を見つめながら、恭しくその場に跪いた。

そして、兄上に向かって、



「お久しぶりです。兄上。私の……、ティアのこと、まだ覚えておいででしょうか?」



そう、告げた。




――これは賭けだ。




どのように振る舞うべきか考えて、私は思った。

どう捉えられることになろうとも、先ずは兄上の気を引くことを優先しなければならない、と。

無難な、当たり障りのないやり方じゃ駄目だわ。きっと興味ひとつ持ってもらえない。

だから、たとえ変な人間に思われてもいい。それで、少しでも振り向いて、話を少しでも聞いてくださるのなら。

それに、

やはり感じとっては貰えなかった(ティア)に気が付いてほしい。

でなければ、私がここに来た意味がないもの。

ティアとしての言葉を、想いを、直接兄上に伝えることも出来ないのなら、多少無理があろうとも当時、ランベールにでも預けていたという名目で大人しく手紙をしたためるか、特使でも遣わせば良かっただけの話だ。

その為にも。


そして、なにより、


『エリカ嬢。いいですか? 貴女は…――――』


あの、別れ際に聞かされたアルフレッドの言葉がよみがえる。

彼が、どうしてあんな事を言ってきたのかは分からないけれど、もし、それに何か彼なりの考えや策があったとするならば。

これで間違ってはいないはずだわ。


さあ、兄上はどう出る?


私は、じっと、兄上の反応を窺う。

すると、案の定、というべきか、「ティア、だと?」と兄上はその顔をあからさまに歪めた。そこから僅かに感じるのは確かな怒り。

だけど、私はその兄上の態度に怯むわけにはいかない。兄上にとって、まだティアは大切な存在であるのだと信じて、しっかりと目を見て少しでも兄上の心に触れることが出来るように、


「ティアの記憶を持ったままね、生まれ変わったの。姿は変わってしまったけれど。ねえ、私のこと、分からない? 兄上」


小首を傾げて、そう問いかけた。

意識するのは、兄上の妹であった頃の自分のしぐさ。

そんな私に対して、

無表情だった兄上は口元に弧を描いて、「ふっ」と小さく声を立てた次の瞬間、


「はははははははははは」


と、盛大に笑い出した。

それはちっともおかしそうでも楽しそうなものでもなく、ただ、声を立てて腹を抱えているだけに見える。まるで狂ったようなそれは、なんだかとても痛々しい、笑い声。

こんな風に笑う兄上なんて見たことがない。けれど、私の言葉がどのように捉えられたのかはわかる。

やはり駄目か。そう悟り、私はゆっくりと立ち上がる。

ひとしきり笑い終えた兄上はそんな私に再び向き直り、そして、その顔にぞっとするくらい冷酷な微笑みを浮かべた。


「また面白い、人の神経を逆なですることをやってくれる。いや、よく私を分かっているとでも言うべきか」


兄上が言っていることの意味がよく分からない。

だけど、私は兄上の発するその言葉一つ一つを決して聞き漏らさないように神経を集中させる。

何処かに、ないだろうか。

綻びのような何か。

私が本当にティアの記憶を本当に有しているのだと理解してもらえるための取っ掛かりとなるような。

どうにかして、分かってもらえるように話を進めなくてはならない。


「確かに、ティアならばあの路を知っているな。私が教え、城から出てみたいと願ったあの子と共に歩いたこともある」

「ええ。とっても楽しかったわ。結局、海を見ることができなかったのは残念だったけれど」

「……」

「でも、私、知っているのよ? 父上の執務室から抜け出す時に兄上ったら、私の目を盗んでこっそりと父上に置手紙をしていたでしょう? でなければ、いくら盗みをした男の子と騒ぎを起こしたといっても、あんなに早く見つかるはずないもの。一度、ちゃんと文句を言おうと思っていたんだったわ」


もう、兄上はそんなこと、忘れてしまっているかもしれないけれど、もしかするとと、そんな昔話を語ってみる。

すると、兄上は口元に指を当て、一つ深く頷いた。

けれど、


「なるほど。流石によく調べている。では、問いを変えるとしよう」


そう言って冷たい微笑みを浮かべたままの兄上は私の方へと一歩詰める。

そして、


「首謀者は誰だ?」


「首謀者?」


「ああ。誰が君に此処へ忍び込み、ティアのふりをして私に擦り寄れと命じた?」


私を問いただすのは鋭い眼差し。

私の中の緊迫感が増すのを感じる。


「……誰も。私は私の意思でここに来たの。それにふりなんかしていないわ。私は本当にティアだもの」

「軽々しくティアの名を語るな。不愉快だ」


私の言葉に被せるように、吐き捨てられたその物言いに、私は思わず口を噤んだ。

分かっていたわ。

私の言葉を信じてもらうのはとても難しいということは。

こうやって冷たくあしらわれることも覚悟していた。それでも少しの希望に賭けようと思った。

けれど、簡単に信じて貰えないどころか、私の想いに反して良くない方に話が向かいだしていることに気が付いて微かな焦りを覚える。

実際のところは兄上の言う“首謀者”はいないとはいえ、私の後ろにはレストアがあるのは確かだ。

此処で、レストアの力が働いていることを知られるわけにはいかない。

後ろにレストアの存在があると分ければ、私の言葉はきっと一層真実味を失う。そして、思い出すのは、オレリアの言葉。


『エリカ。アンタがここで何をしたいのかは知らないけど身の振りよう次第で一歩間違えたらレストアにとっても不利益になる。気をつけなよ』


例え、失敗したとしても、レストアに迷惑をかけ、より危険に曝すわけにはいかない。

だから、なんとか私がティアの生まれ変わりであることだけを主張して、話を逸らさなければ危険だ。

そう思っていたのに、


「そういえば、」


そこで、兄上はまるでなにかに思い当ったとでも言うように呟く。


「先ほど私の元に、レストアがなにやら動いていると報告があったな」


――レストア


気付かれてはならないと思っていたその国名が突然兄上の口から飛び出し、ぴったりと当てられたことで、一瞬だけ、私は無意識に体を強張らせてしまった。

駄目なのに、それを兄上は見逃してくれなかったのかもしれない。「なるほど」と静かな冷たい声音でそう頷く。


「ティアの存在を知っていて、こんなことを考え付くのはさしずめ、ランベールといったところか」

「ちがっ……」

「それでは、彼と同じ海色の瞳をもつ、あれのあの息子も噛んでいるのかな?」

「そうじゃないわっ」


必死に首を左右に振り否定をするけれど、兄上は聞いてくれなくて、酷薄な笑みを浮かべながら捲し立てるように、でも淡々と問いかけてくる。


「適当な人間を使い、こんな真似をして、私が騙され喜ぶとでも思ったか? そんな私を操り、傷つけることが出来ると? 甘く見られたものだな。もう何の関係もない、ティアを切り捨てた人間が、今更なんの権利があってティアを使おうと考える? ティアを軽んじ、侮辱するのも大概にしろ!」


ちょっと待って!! それは何の話なの!? 切り捨てたって何よ?

それに、私たちは兄上を傷つけようだなんて考えてない。

違うのに。そうじゃないのに、なんでそうなるの!? そう、訴えたいのに、兄上の放つ激しい怒りに圧倒されてしまって口を開くことが出来なくて、兄上はそんな私をしり目にすっと階段の方を振り返る。

そして、


「ギード」


その途中に控えていた武官姿の若い男に、そう声をかけた。

ギードと呼ばれた男は「はっ」と素早くこちらに向かってやって来る。


「レストアに向ける兵はどうなっている?」

「出立の準備は着々と、問題なく進んでおります」

「そうか。どうやらあっちに不都合なことを知られているらしい。明朝にでもこれは処刑しておけ。レストアごと早々に潰すぞ」


その兄上の言葉に男はもう一度「はっ」と頷く。

それを聞きながら、私はさぁっと血の気が引くのを感じた。

駄目だ。失敗した!

レストアを巻き込んだ。


兄上はもう私を振り返ることなく、その場から立ち去ろうとする。私は、兄上に向かって檻越しに必死に手を伸ばして叫ぶ。


「待って! 行かないで! 嘘じゃないの! 兄上、お願いだから私の話を聞いて。ねえったらっ!!」


けれど、私の訴えに耳を傾けることなく、コツリコツリと再び足音を響かせながら去って行く兄上はそのまま階段に足をかける。


駄目だ。行ってしまう。

どうしよう。これで終わってしまうのだろうか? 何も伝えられぬまま? 救えぬままに、また私の命と大事なものが失われるの?


そう思うと、悲しみと恐怖が一気に押し寄せてきて、小刻みに体が震えた。

届かぬ声に、感じるのは無力感。

一歩一歩去って行く兄上に、私の足は力を失くしていく。


やっぱり無理だったの? 私には。

――兄上。


これじゃ、私は疫病神だ。

知らず、涙があふれ出す。


その時、

シャラリと何かが小さく私の耳に響いた。

何故か聞き覚えのあるような懐かしいその音は、耳を澄ませば、兄上の足音に合わせるようにシャラリシャラリと響く。

なん、だろうか?

兄上の後姿を視線で追ってみると、兄上の腰のあたりで何かが煌めくのが見えた。よくよく目を凝らしてみる。


あ。

あれは――。

母上の形見であり、ティアのお気に入りだった髪飾り。最期のあの日も身に付けていたもの。


ティアが死んで40年もたつのに、兄上はこうやってまだ身に付けてくれている?


『どんな状況に陥っても信じることを止めては駄目よ』


ふと、アンジェリーナ様のそんな言葉が思い出されて、私は崩れ落ちかけていた足に再び力を込める。

そうだ。まだ終わってない。

兄上が決して信じてくれなくても、私は信じているわ。

だから――。

私は兄上を信じて、その後姿に叫ぶ。


「兄上の嘘吐き!」


そう。嘘吐きだ。

でも、嘘にはさせない。


「約束したのに。私がどこに行っても必ず見守っていてくれるって、もし私がひどい扱いを受けるようなことがあれば、きっと兄上が助けに来てくれるって言ってくれたのに。それを兄上がするの!? 最期のあの日にした約束は嘘だったの!?」


お互いしか知らないはずのあの約束は、例え、兄上がもう無効だと思っていても私にとってはまだ有効よ。

だからお願い!

届いて!!



シャラリ、シャラリと鳴っていた音が、ピタリと止み、驚いたような顔をした兄上がゆっくり振り返る。



『いいですか? 貴女は、無理に何かを繕う必要はありません。どんな時も貴女らしく、思うように振る舞われてくださいね』

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