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私の玉の輿計画!  作者: 菊花
本篇
64/101

六四、届かぬ声

アブレン城の内部へと続く秘密の地下通路。

ひんやりとした湿気が身を包み、些細な音までもが大きく反響するその路を、小さな灯りを手に進んだ。手元以外、先も見えぬただただ真っ暗でとても心細い道のり。

レストアのものに負けぬほど、アブレン城だってとても大きい。城下にある小さな寺院から城のほぼ中心まで、距離だって相当あったはずだと思う。

けれど私にとっては、その路の終わりである扉に行きつくまであっという間だったように感じられた。


これから、兄上と再会するのだ。あのお城で。

懐かしい、兄上に。


そう考えると、なんだかとても緊張してしまって黙々と歩いているうちにたどり着いてしまった。

楽しみなのか、それとも不安なのか、はたまた怖いのか。よく分からない複雑な感情。

扉の前で足を止め、胸に渦巻くその感情を吐き出すように一つ息を吐き出す。


その前に、都合よくこの向こう側に兄上がいらっしゃるかが問題ではあるのだけれど。


それでもとにかく、と私は目の前に立ちはだかる一枚の重厚な扉と向き合った。

通路の壁や床と同じく分厚い石で造られた、国王の執務室へ入るためのその扉。それはただの押せば開くようなものではなくて、扉にはまるでパズルのように文字の刻まれたいくつもの石板がはめ込まれていて、これが仕掛けとなり鍵の役目を担っている。文字を正しく並べなければ外側から扉は絶対に開けることが出来ないつくりになっているのだと兄上は仰っていた。

つまり、これはその文字列を知っている、王家の直系のみが開くことを許された扉なのだと。

私は石板に指をなぞらせながら大きめに息を吸い込み一度瞳を伏せる。

そして、王家の直系の人間として、幼いころに父上から教えられた「セリ・デ・レナール」という“守護する者”を意味する特別な言葉を小さく声に出し、それに合わせて手を動かして石板を並べ替えていく。

“アブレンを護れますように。この地を庇護する力を我らにお与えください”

王家のそんな祈りと、存在意義を表した言葉。

とても重たいのは文字の刻まれた一つ一つの石板だけではない。その意味もやはり重たいのだと改めて思う。守り方だって色々あるのだとも。

慎重に、力を加えながらなんとか最後の文字を移動させると、コトリと軽く何かが落ちた音がした。

無事開錠成功、ということだろうか。

よし。

勢いのまま両手で体重の全てをかけながら、力の限り扉を押してみる。

すると、期待どおり重たいそれはぐぅっとゆっくり動き出した。

このまま押し開けていいものか同時に少し怯んでしまったけれど、それでもやはりここで立ち止まるわけにはいかないと、一つ唾を呑みこんで、もう一度腕に力を込める。

僅かだった隙間から次第に見えてくるのは簡素に、けれど品よく装飾された少しばかり薄暗い部屋。

そっと中を窺ってみると、薄暗い部屋を照らすためにアブレンでは日中でも灯されているはずの部屋の灯かりが消えていて、そこに人の気配は、ない。

もしかしなくても空振りな予感に私は微かに肩を落とした。


けれど、ああ。

――此処もまた、あの頃のまま。


私は、辺りをキョロキョロと見回して普段は本棚を装って部屋にあるその扉から静かに一歩を踏み出してみた。

本当に、そのままだ。

なにも変わらない。

調度品一つ一つから壁に飾られた大きな、ティア達一家の寄り添った姿が描かれた肖像画さえも。

私はふらふらと吸い寄せられるようにその肖像画の傍に歩み寄った。

これは、よく覚えている。父上が一番大切にしていた肖像画だ。いつだって明朗快活であった母上が突如病に伏された、その直前に描かれたもの。椅子に腰かけた父上と母上の傍らに、まだ幼さを残した兄上とティアが立っていて、皆、幸せな顔で微笑んでいる。

生前の母上に会えるこの絵は、私にとっても大切だった。だから、父上のお仕事の邪魔にならない時間を選んでよくここを訪れていた。ときには兄上を伴って、何度も。


兄上は、今でもこれを大切にしてくださっているのだろうか。だから、まだここに飾られているのだろうか。そうであれば嬉しい。

あの頃と変わらぬこの部屋で、この頃の兄上と今の兄上はどう変わってしまったというのだろう。


あの、ハイリアの街の光景を思い返せば、少しも変わっていないとは流石に思えはしない。

それでも、

つい期待が膨らんでしまって私はきつく胸を押さえながら、懐かしい姿が描かれたその肖像画に見入っていた。


けれど、


そうだ。こうしている場合じゃなかった! 私は兄上に会いに来たんだったわ。 

当てが外れてこの部屋には居なかった兄上。さっそく再会、とはいかなかった。

これからどうしよう。探す? 待つ? でもその前に、……兄上とどう会ってどう切り出す?

会いたくて、伝えたくて、その一心でここまで来た。

だけど、一番の難問は多分ここだ。

考えたところで答えを見つけることが出来ず、ずっと深く考えることを放棄していたけれど、今はエリカであって不法侵入者でしかない私が、どうやって兄上に話を聞いてもらうことが出来るか。

勢いに任せてしまいたかったけれど、すぐの再会を果たすことが出来なかった私はちゃんと考えなければいけない。

自分がどのように振る舞うべきかを。

どうしたらいい?

そう、頭を巡らせた時だった。


カチャリと、


突然、

音を立ててこの部屋の、廊下と繋がる本来の扉が開く音がした。



私は、反射的にそちらへと振り返る。



すると、そこに現れたのは、


黒の僅かに混ざった白髪を高いところで結い上げた、壮年の男。



――あ。



男も、瞬時に部屋の中の私の存在に気が付いたらしく、その視線を私に向けてくる。

男を見て、

似ている。そう思った。

記憶の中の兄上と、どことなく先ほどまで見入っていた肖像画の中の父上に。兄上が御歳を召していれば……。

けれど、男の醸し出す雰囲気が“もしかして”という思いから遠のかせる。

だって怖いわ。

私に向けられる、細められた視線はまるで鋭い刃物のよう。その青はとても冷たく、氷に触れた時のような痛さで私を突き刺してくる。

いつも私に穏やかな青を向けていた人物とはまるで別人。

私は、自分の体が勝手に恐怖で小刻みに震えるのを感じた。


だけど、


だけど、

やっぱりこの人は――。

そんな思いも捨てきれなくて、


「あ、に、うえ……?」


私は、喉に張り付くような声を僅かに音として確認するように恐る恐るその呼び名を呟く。

目を見開いたまま、瞬き一つ出来ずに彼を凝視する。対する彼も私を見つめたまま、ただお互いと視線を合わせていた。それは一瞬だったのか、それともしばらく時が過ぎていたのか。

立ち込めたのは沈黙。

そんな中、突然、奥からその声はあげられた。


「陛下、お下がりください! お前たち! 何をやっている!! 早くこの不審者を捕えろっ!!」


男の背後にいた若い武官姿の男が、傍らの護衛にそう命じる。

私はそれをぼんやりと聞きながら男に向けられた“陛下”というその敬称を聞いていた。

陛下ということは、……ああ、やっぱり、


これが、兄上――。


兄上なんだ。


そう認識すれば、それまで感じていた恐怖心なんて簡単に凌駕して愛しさが湧き上がる。

「兄上!」と叫んで飛びつきたいような、そんな衝動に駆られかけて。

けれど、

兄上はなんとも素っ気なく私からフイッと目を逸らした。

それはとても呆気ないほどに。

そして一言、「さっさと連れて行け」と私の方に向かって冷ややかにそう命じる。

いつの間に私は取り囲まれていたのだろう。

気が付けば、私の両脇にはすでに衛兵がいて、私はその二人の男によって腕を強く掴まれ捕えられた。


え――?


「ちょ、ちょっと。……やだ、待って」


言わなきゃいけないのに。兄上と話をしに、私はここに来たっていうのに。それなのに、掴まれている腕に力を加えてそれを振り払おうとしても二人の衛兵は私を離してくれなくて、それどころか引き摺るように私を引っ張って行く。

そんな!


「待って。ねぇ、お願いだから! 話をさせて! お願い。少しでいいから」


私は声の限りを尽くして兄上に向かって叫び懇願する。


だけど、部屋から連れ出される私を不愉快そうに一瞥した兄上は、そのまま、私をもう振り返ることもせず、先ほどまで私がいた執務室の奥へと消えて行った。




*-*-*




「だから! 私は国王陛下と話しをしたいの! 少しでいいから拝謁できるようにして頂戴! ちょっと! 聞いてるの!?」


私は連れ込まれたお城の地下である場所で、私の体を無理やり鉄格子のされた牢の中へと押し入れようとする男たちに向かってそう叫んだ。

なんなのよ!? いきなり投獄なんて冗談じゃないわ。私はまだなにも目的を果たしてないのに!

私はこのまま閉じ込められてなるものかと必死に抵抗する。だけど、


「くそっ、暴れるな。全くぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ煩い女だな。少しは黙ってろ」

「っ!」


男の振り上げた拳が、私の頬に落ちて重い痛みが走る。

なんてこと!


「信じられないっ! 暴力振るうなんて最低だわ。何するのよ!?」

「お前が暴れるからだろ。自分が罪人だって自覚しろ。あとで取り調べしてやるから少しは頭を冷やしてろよ」


頬を押さえながら、苦情を言う私に向かって、男の一人が冷たくそう言って、大きな鍵を牢の扉にとりつけてから男たちはさっさと牢に背を向けて階段を上り去って行く。

え? 私は放置?


「ちょっと! 待ちなさいよ!!」


私はその背中に精一杯訴えた。

でもやっぱり二人は聞く耳なんて持ってはくれなくて、私は閉じ込められた地下牢の中で一人座り込む。

ジンジンと頬が痛む。

あの野郎、力加減しなかったな。口元をぬぐうと口の中が切れたのか血が手の甲に付いた。

本当に信じられないわ。こんな殴られ方をしたのなんて、レストアで碌でもない店主に雇われていた子どもの時以来よ。あの時は暴力に耐えかねてすぐに辞めてやったけどね!

……それにしても、

あーー、もう。

“罪人”って。

自分が不審者と見做されるのは分かっていたけれど、まさかこんなに問答無用で捕えられるとは思わなかったわ。少しくらいなら話をさせてもらえると……。


……いいえ。嘘ね。


そこでようやく私は自分の本心にふと思い当って、小さくため息を吐き出して首を左右に振った。

そんなの、嘘だわ。

私は、本当は期待していたんだわ。ランベールのように、兄上もきっと私のことに気が付いてくれるんじゃないかって。

私はもうティアではなくて、姿はエリカに変わってしまったけれど、それでもきっと兄上は私に気が付いてくれるんじゃないかって。会ったその瞬間に理解してくれるんじゃないかと、ずっと期待していたんだ。

だからきっと、再会してどんな言葉をかければいいのかきちんと考えようともしていなかったのだわ。


本当に、私は莫迦ね。


分かっていたことだわ。これが普通のことだし、陛下だって言っていたじゃない。

それなのに、勝手に期待していただけのくせに、裏切られたような気分になって何故だかクスクスと笑いが漏れる。


「さぁて、どうしようかしら」


どちらにしろ、今更それを思い知ったところでもう引き返すことの出来ない場所まで来ている。

私はこれからどうしたらいいのだろう。

さっきの男たちはまた後で取り調べがあるって言っていた。その時に、上手いこと兄上に会えるよう言えればいいのだけれど。でももしそれが通って会えることになったとしてもその時に何をどう話せばいいのか。

確かに、頭を冷やして考えるべきね。

無駄死になんてしたくないわ。

だからといって、適当に言い逃れして身の安全を優先するつもりもない。

だって、私はレストアを救いたい。その為にここに来たのだから。

それに……、兄上だって。

あんなの兄上じゃないわ。あんなにも冷たくてまるで人を寄せ付けようとしないような張り詰めた雰囲気を纏わせて。

見ているだけで涙が溢れ出しそうだった。

このまま、私は兄上を放っては置けないわ。あの、穏やかで誰よりも優しかった兄上をあんなふうにしてしまった原因が、僅かでも私にもあるのなら、このままにだなんて絶対にできない。こんなの悲しすぎるわ。

その為にも、考えなきゃ。一番、良い方法を。


そのまま、膝を抱えて考えていた。


どれくらい経ったのだろう。コツリと、石階段を踏む足音が聞こえて私は膝に埋めていた顔を上げる。

取り調べというものがいよいよ始まるのだろうか。

そう思って振り返った。


だけど、

一歩一歩、足音を響かせながら階段を下りてきていた人物、それは、


あろうことか私をじっと見据えた、兄上だった。

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