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私の玉の輿計画!  作者: 菊花
本篇
62/101

六二、アブレン

お城を抜け出して、兄上と二人で密かに城下に繰り出したあの日。


『ねえ、兄上! 早く早くっ』

『ティア、そんなに走ったら危ないよ。ほら、よく前を見て』


浮き立つ心で抜け穴から出た先の小道を駆け抜けて、そうやってたどり着いたのは、頑丈な石畳の敷かれた横幅の広い大きな大きな通り。

その両脇には、木の柱に布の屋根を張って簡単に造られた露店が所狭しと立ち並んでいる。アブレンとあまり仲のよろしくない隣国を通らなければならない陸路はともかくとして、海路に恵まれているアブレンと友好を結ぶ国は多く、アブレンのものだけではない、他国からやって来た商人たちが持ち込んだ様々な品もその露店には多く売られていた。

露店の奥に見えるのは少し暗い色をした石造りの建物群。それらの、切り出されたまま積み上げたみたいなざらついた石壁はアブレンらしく少し荒っぽい見た目だけれど、けれども大らかに、所々に植えられている葉の大きなアブレン特有の植物の緑がそれを調和する。

夏らしいどこまでも澄んだ青い空、力強く照りつける陽の光。


ああ、ここが――。


『ここがハイリアの街ね!?』


足を止め、後ろから来ていた兄上のほうを振り返ってそう訊ねると、兄上はにこりと笑って頷いた。

その肯定に、心が沸き立ってどうしようもなくて。あの時の私は、そこを行き交うたくさんの人々から不思議そうな注目を浴びているのなんて気にも留めず、兄上の手を取って『すごいすごい』とはしゃいだのを今でも覚えている。



そして、


「着いたよ。エリカ。ここがアブレンの首都・ハイリアだ」


まるで、あの日が蘇ったようなその光景が、今、私の目の前に広がっていた。




・・・…………・・・




「……リカ、エリカ、エリカー」


目を瞠り、呆然と佇んでいた私を現実に引き戻したのは、頬を無理に引っ張られる感覚。

地味に痛いその感覚に、一瞬機能を失っていた私の聴覚は音を取り戻し、オレリアに呼びかけられていたことに漸く気が付いた。


「どうしたの? そんな顔して」


“なに?”と問おうと緩慢な動きで視線をやった私に、オレリアは複雑そうに微笑みながらそう訊ねてくる。

そんな顔ってどんな顔だろう? なんだかぼんやりして頭がよく回らない中、頬を引っ張られたまま小さく首を傾げると、オレリアは私の頬を掴む手を緩め、その手をそっと滑らせる。


「泣いてるよ。気づいてなかったでしょ」

「え? ……あ、……」 


オレリアの触れた場所に私も手をやってみると、本当だ。気付かないうちに涙が頬を伝っていた。

あまりにも懐かしくて、帰ってこれたことが嬉しくて、切なくて。

けれど、私はそれを無理やり手の甲で拭う。


「どうしたんだろう……。なん、でもないのよ。気にしないで?」

「そう? でも、いよいよここに近付いてきたころからずっとエリカ変だったじゃない。大丈夫?」


私はその問いに微笑みを浮かべて一つ頷く。

オレリアたちには結局、前世のことを話しはしなかったから、どう説明したらいいのか分からなかった。

ロドリグに、もうすぐハイリアが見えてくるころだと教えられたその時からずっとあった胸のざわつきも、今の、胸を締め付けられるようなこの複雑な想いも。

だから、


「大丈夫よ。やっと着いたんだって思ったら達成感が湧いたのね。きっと」


殊更明るく、そう言い訳をした。

そして「そう」と頷くオレリアを前に私はもう一度頷いて、それから改めて辺りを見回してみる。


「ここがハイリアなのね……」

「……うん」


記憶にあるまま、全く変わらないその街並み。相変わらず沢山の露店が並んでいて人通りもとても多い。

あぁ。

兄上に渡されたお金を握りしめて初めての買い物を体験したのはあの辺だったような気がする。それから成り行きで盗人の男の子を捕まえて、そのせいでお城の兵に見つかって連れ戻されて……。そんな記憶が今までよりも細かく、次から次へと蘇ってくる。

本当に懐かしい。

けれどそんな中、何か違和感を覚えるのは、笑顔を浮かべ、流れるように行き交う人々の中に侵略を進めたことによって新しくアブレンの民となったのであろう肌や髪色の違う人たちを昔と比べて多く見ることが出来るようになったからなのか。

それとも、他国との国交を断絶していることにより露店に並ぶ商品の種類が昔と比べて限られているせいなのか。

けれど……。どうしてかそれだけでは説明がつかないような、そんな不安を覚えるのは何故なのだろう。

そのとき、


「……ねえ、エリカ。これからどうする? アタシ達が命じられてたのはここまでアンタを送ってくることだったけど」


気遣うように訊ねてきたオレリアの言葉に、私は瞳を彷徨わせて少しだけ逡巡した。このままオレリアたちと別れ、兄上の元に向かうべきか。それとも、やはり。

それを考えて、私はオレリアたちへと向きなおる。


「最後に、お願いがあるの。聞いてくれる?」


胸に強く作り上げたのは“覚悟”。

すると、視線を受け止めたオレリアがらしくなく弱く微笑み首を傾げた。


「なに?」

「この都をね、案内してほしいの。ここがどんな場所なのか、真実を確かめておきたいと思うから」


城内に乗り込む前に、兄上がどのようにこの国を治めているのか見ておきたい。

どんな政治が行われ、そしてどんなふうに民が暮らしているのか。他国を侵略し続けていることをこの国の民はどのように捉えているのか。

それに。

あの、旅の途中で立ち寄った無人の街を思い出す。

あのとき、そこに誰一人として人の姿が見えなかった理由も。アブレンに行けばわかるとオレリアが言っていたけれど、私はまだその答えが分からない。

だから、きっと一度ちゃんと見ておいた方がいい。そう思う。

今、私が見ているこの姿が全てではない。そんな気がするから。


「見たいの? 全部」

「ええ。お願いできる?」


どこか気乗りしないような表情を浮かべるオレリアに、私は再度それを問う。

断られれば一人で行くまでだけれど。けれど、


「じゃあ、行こうか」


硬く頷いたオレリアに私は手をとられて、彼女に引かれるまま私たちは並んで歩く。後ろからは、いつものようにロドリグがついて来ていた。


「すごく栄えた都でしょ?」


前を向いて歩くオレリアに静かにそう訊ねられて、初めてここを訪れたことになっている私は何も知らないふりをしてその言葉に「ええ」と短く頷いた。


「でもね、この都は、本当は40年前に一度壊れてるんだって」

「え?」


壊れてる? それはどういう?

疑問符を浮かべながらオレリアを凝視していると、彼女は後ろを向いて、そこにいる父親に確認するように問う。


「そうだよね? 父さん」

「ああ」


返されたのはロドリグらしい短い答え。

けれど、40年前。それが示すことは。


「あ、……」


それは、きっとクレオとルエノ、そしてモスエオラの三国が同時にアブレンに襲い掛かってきたという、父上の死にもつながった戦争によるもの。

けれど、まさかハイリアまでそんな甚大な被害を受けていたなんて。

そんなこと……。

結局、アブレンが三国の襲撃を防いだという話だったけれど、その話からそれがどれほどぎりぎりまで苦戦したのかがわかる。


「戦争って、むごいよね。相手の国々もね、アブレンをつぶすためならって手段を選ばなかったみたいでさ。当時はめちゃくちゃな状態だったって。今となってはその痕跡すら残ってはいないほど元に戻されてるらしいけど」

「元に……?」

「うん。ここの王サマの指示でね。綺麗に復元されたそうだよ。何一つ違わないように、完璧に」

「……そうなの」


オレリアのその言葉に、私は“ああ、だからか”とそこで初めて気が付いた。

だから、ここまで同じなのだと。

普通なら、年月を経て少しくらい変化があっても良いはずなのに、ここにはそれがない。

まるで昔を再現しているようなそんな景色。

それは意識してみればとても奇妙なことだったのに。


「でも、どうして?」


兄上はそんな事を?

そう訊ねるとオレリアは顔を曇らせてそれに答えた。


「ここの王サマは、この都をとても大切にしているからね」


と。



それから私たちはオレリアに誘われるまま、露店で適当な食べ物を買って昼食をとり、街の中をぶらぶらと歩いた。

ここは謂わば私の故郷であるけれど、それでも城下に降りたのなんて結局はあの一回限りだったからやっぱり詳しく知りつくしているわけでもなくて、こうやって歩くとレストアとのいろんな違いを見つけられて、それは前にオレリアが言っていたとおりとても新鮮で面白かった。けれど、そうして色々なところを巡りながら気が付いたこと。

それは、この街の人たちの表情がなんだか冴えないということ。

もしかしたら、昔の私だったら気が付かなかったかもしれない。だけど私は庶民としてずっとレストアの城下で暮らしていたから、その違いをより一層感じ取ることが出来る。

暗く重たくてなんだか張りつめているようなそんな息苦しい空気を。


これは何?

前からこうだったかしら?

でも、私の知っているアブレンの民はもっと明るくて気さくで、そんな人々だったわ。こんな緊張感とは無縁な……。


そこで私は思い至る。

ずっと感じていた、違和感と、この胸を逆撫でられるような妙に落ち着かない嫌な不安の原因はこれではないのだろうか、と。


そして、その原因は――。


その時だった。

遠くの方から低いラッパの音が耳に響いてきたのは。

ざわざわとしていた周りの空気に、さらなる緊張が走ったのを私は確かに感じた。隣にいたオレリアさえも、その顔を気が重そうに顰めている。


「なに?」


私はオレリアにそう訊ねる。すると、オレリアは私を一度見て、ゆるく首を左右に振りそんな私の手を引っぱって歩調を速め進み出した。

行きついたのは街の中央広場。本来そこは市民の憩いの場のはずで、けれど、なぜか今は簡単な鉄の柵で囲われて人が自由に立ち入ることが出来なくなっている。

ここで今からなにか行われるのだろうか。柵の周りにはすでにもう多くの人垣を作っていて、私たちは少し離れた場所に立ちそこを眺める。

それから少しだけ待った頃、柵の向こう側に縄で両手をを縛り上げられた男が一人、アブレンの兵4人に囲まれるようにして引っ立てられてきたのが見えた。

何だろう?

何やら喚き散らすように叫んでいるその男は中央まで引きずられてくると、その場で力ずくに膝をつかされる。それでも、男は押さえ込まれながらも一層声を張り上げる。

力の限り。どこまでも、全ての人々にそれを訴えるように。


「フルトは我々の国だ!」


と。

ああ。

その言葉に、私は無意識にぐっと掌を握りしめた。

フルト。

もしかしなくても、この人は兄上によって国を奪われた人だろうか?

私には関係のないことなのかもしれない。けれど、彼の言葉は深く私の胸を抉ってくる。

とても、痛い。

そして、そんな彼から目を離せずにいる私の視界に飛び込んできたその光景。

駄目……。

そう思ったけれど、私の声はどうしたことか喉に張り付いて何の音も発することが出来ない。

いや……っ!

瞳を見開き、血の気を引かせる私の想いなど到底届いているはずのない男はそのままの体勢で、止めることなくさらに言い募る。


「お前らになど支配されてなるものか!! どんな圧制を受けようとも決して屈したりなどっ……」


そこで、突然遮られたのは男の声と私の視界。


「この先は見るものじゃない」


そんなオレリアの声が耳元に聞こえてきて、私はそのまま広場とは反対方向へと引っ張られて遠ざけられる。

引き摺られるように、けれど導かれるまま私は足を動かした。そうしないときっと正常に意識が保つことが出来なかったから。だってちゃんと分かっているもの。直接見ることを免れた、オレリアによって視界が暗く塞がれたその瞬間、いったい何が行われたのか。

直前、叫ぶ男の後ろからその首へ、太く重そうな剣が、振り下ろされるのがしっかりと見えたから。


それからしばらく三人で無言のまま歩いたころ。

漸く立ち止まったオレリアに倣い私も足を止め、そして俯きながらオレリアとロドリグ、二人に「ねえ」と恐る恐る声をかけた。


「あれは……?」


なんだか重苦しい雰囲気の中、私はそれでもきちんと確かめなければと短く、そして静かに訊ねた。

流れたのはしばしの沈黙。それでもじっと下を向いたままその答えを待っていると、しばらくしてオレリアのものらしいため息が聞こえ、そして、私の腕から手を放した彼女が、一歩後ろに下がったのがわかった。


「別に無差別ってわけじゃないんだ。ただ……」


聞こえてきたのはそんな言葉。

ただ、なんだろう? 一瞬、胸をなでおろした私は、けれどその続きに怯えながら耳を傾ける。


「この国の王サマはね、アブレンの民として生きることを選んだ者には寛容だけど、裏切者には容赦がないんだ。さっきのあの男もそう。誇りを捨てられなくて、アブレンに牙をむこうとした人間はああやって切り捨てられる。見せしめって形でね。独裁っていうのかな。そんな感じ。ずっと、ね」


独裁……。

王族に直接関わる貴族は勿論のこと、どんなに身分の低い庶民の言葉にも耳を傾けることは大切だって、兄上は言っていたのに。


『彼はアブレンを守りたいんだ』


そんなランベールの言葉を思い出す。でも……。


「……じゃあ、あの誰もいなかった町の人たちは……?」


あの時から感じていた嫌な予感。荒らされたようなそんな形跡。残された血痕。

それらが、示すものは。


「町ぐるみでフルトの報復とか、革命とか変なことを企んだんだろうね。でもアブレン側は鼻からそういうのを警戒してて、怪しい動きがないのかちゃんと役人たちが見張ってるし、そこの民と役人が癒着したりしないように定期的に役人を入れ替えてるほどに徹底してる。バレたんだよ。多分ね」

「じゃあ、もしかして、全員?」

「さあ? 今まで見てきた感じではそうだね。どう、かな……」


肯定なのか否定なのか。

あえてオレリアは濁したけれど、けれどそのあとに「残しても、結局今度は残った人間が恨むから」と付け加えられて、私はその答えを悟る。

そして私はそれに「そう」と頷いて、俯けていた顔を上げた。


これが、今のアブレン。兄上の治める国の姿、か。


私はもう一度、改めて周りを眺めみる。

あの兄上が間違っているだなんて、悪者だなんて考えたくもなかったけれど……。


ぐるりと一通り周りを見渡した私は一度、ふぅっと息を吐き出して、それからしっかりとオレリアとロドリグのほうに視線を向けた。そこにあったのは心配気に私を見る二人の姿。

私はそんな二人に対して姿勢をただし、顔ににこりと微笑みを浮かべてみせた。


「オレリア、ロドリグさん。ここまで私を連れてきてくれてどうもありがとう。もう、ここでいいわ」


ここまで案内してもらえたらもう充分。


「会いに、行くの? 会いたい人に」

「ええ」

「終わったら戻ってくる?」

「ううん」

「……そう」


そう頷いたオレリアが、けれど心配そうに口を開く。


「……ねえ、アタシたちも一緒に行こうか? どうやって会うつもりなのかは知らないけどさ、初めて来た場所なのに道なんて分からないでしょ?」

「大丈夫よ。知ってるから」

「……知ってる?」


私がそれに笑顔のままこくりと頷くと、オレリアは「どういうこと?」とそれを問いただしてきて、けれどそれはロドリグに肩ロを掴まれて止められた。オレリアは一瞬私たちに不満そうにしたけれど少しした後、諦めるようにため息を吐き出す。

そして、


「ねえ、エリカ。アンタがここで何をしたいのかは知らないけど身の振りよう次第で一歩間違えたらエリカだって明日にはあそこで八つ裂きだ。レストアにとっても不利益になる。気をつけなよ」


そんな言葉を私にくれて、私は真剣に、また一つ深く頷いた。


オレリアとロドリグ。並んで手を振ってくれる二人に私も手を振って、薄れた記憶を辿りながら町の中を進む。

皮肉にも、と言うべきかあの頃を完璧に再現したという町並みは私にその道を迷わず示してくれた。

大通りを進み、小さな目印を頼りに小道に入る。そこから真っ直ぐに、進み続けてたどり着いたのは小さな寺院の一つ。私はそこに足を踏み入れ、裏手まで周ってひっそりと隅に佇む女神像を見つけた。

私よりも大きな、優しい微笑みを浮かべた女神像。

周りに人影がないことをしっかりと確かめて、私はその女神像の後ろへと回り、その足元にあるはずの、像の製作者名などが記された石版を探した。

あった!

すぐに見つけることが出来たその傍に、私は膝をつき、かかった土などを軽く手で払う。そして、あの時を思い出しながら、意を決してその石版を渾身の力で横に押した。

石同士がすれ合い、低く耳障りな音を立てながら記憶のとおりそこに現れたのは、地下へと続く暗く細い石階段。


よし!


「さあ、行きますか!」


そう一人宣言して気合を入れるため両手で頬を叩いた私は、灯りに火をともしてそれを手に階段に足をかける。

そして、

数段降りたところで内側の取っ手を握りその地下へと続く石版の扉をしっかりと閉ざした。

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