五七、作戦会議?
「ハア!?」
次の日、これからのことを話し合わなければならないからと集まった執務室で、疑問符たっぷりな叫び声を上げたのは昨日何故か一人だけ仲間外れを喰らっていたらしいオルス。
今初めてアルフレッドから私の前世、前世の私とアブレンの事情について簡単に説明を受けた彼は声を上げたまま固まり、信じられないものを見るような目で、ソファに腰かける私と、私の隣に座る陛下の傍らに立つアルフレッドの顔を交互に見詰めて佇んでいる。
けれど、最初は驚きだったオルスのそれは徐々に不審げな色を帯び、最後には心配そうなものに変化して、そして、恐る恐るという様子でこちらに問いかけてきた。
「お前ら、陛下まで、頭大丈夫か?」
やっぱりそんなふうに言われるのね……。
それは正常な感覚なのだろうし仕方がないと理解しつつも、だからこんなこと明かしたくなかったのよとついのど元まで出かかった溜息を無理やり押し戻して私はぴしゃりと言い放って断言する。
「大丈夫。正常よ」
けれど、勿論それで納得してくれるわけもなくオルスは正に噛みつくように、私に向かって抗議してきた。
「どこが正常だよ。寝言は寝て言え。そして陛下とアルを巻き込むな! 二人だってなんでこんな妄言を信じてるんだよ」
「失礼ね。仕方がないじゃない。これが真実なんだから。世の中にはね、常識では推し量れない不思議なことってあるものなの。貴方はそれを理解できないほど頭が固いの?」
「なに、バカのくせに偉そうに! 大体な、生まれ変わりとか以前にお前がアブレンの王女だったとか絶対に有り得ないだろ」
「なんでよ?」
オルスが短い金髪の頭をガシガシと掻きむしりながら「あー、くそっ」と悪態をついて私を睨みつけてくる。
「だってお前、全然王女らしくないじゃないか。王女っていうのはな、知性と思いやり溢れる、品のある女なんだよ。それなのにお前、そんなの一欠けらも持ち合わせてないだろ。信じられるわけがねえ!」
「なに、それ。失礼ね! そもそも王女とはなんて、そんなの貴方の勝手な偏見だわ。自分の理想を常識にしないでくれる?」
「加えて、お前は美人じゃない」
「だからぁ!」
このオルスの凝り固まった王女観は一体なんなのだろうかとだんだんムキになってきた私は、とうとう座っていたソファから立ち上がり腕を組んでその場に仁王立ちしてオルスを睨みつける。隣にいる陛下が心底、うるさそうに溜息を吐き出したのには敢えて気が付かなかったことにして私は叫んだ。
「前世もこの姿だったわけないでしょう? エリカと違ってねえ、前世の私はそれはそれは美しかったのよ。どんな男も私の足元に跪いたんだから! あの姿で貴方に出会えなくて残念だったわ」
「本当かねえ。お前、死んだの二十だったんだろ? 立派な行き遅れじゃねえか。それとも何か? モテない王女様はその権力で無理やり男たちを跪かせてたのか? 性質悪いな」
「そんなわけないでしょう!? みんな自主的に膝をついたのよ。私が頼まずともね!」
「無言の圧力ってやつか」
「あのねえ」
なんでこんなに馬鹿にされなきゃなんないのよ。まったくもう! 腹が立つ!
そんな怒りに、私がオルスの方へ一歩踏み出そうとした、そのとき、
「いえ、でも本当に美しかったですよ」
それまでしばらく黙っていたアルフレッドが突然、どこか知ったような口調でそう言ったのが聞こえて私は思わず彼の方を振り返った。
「え?」
すると、彼はにっこりと私に微笑みかけてくる。
「艶やかな黒髪に、青い瞳の。北方の血が強いのでしょうか。アブレンの人間にしては色も白くてとても綺麗な顔立ちの姫君でしたね」
「あ、りがとうございます。でも、なんで?」
確かに黒髪に青い瞳だったし色も白かった。けれど、何故ティアの姿をこの人が知っているのだろうか。そんな不思議に戸惑いながら問いかけるとアルフレッドが「それは、」と口を開く。けれど、それは前触れもなく大きく音を立てながらこの執務室の扉が開かれたことと、次いで響いた批難の声によって遮られてしまった。
「アル兄様!! 酷いですわ! わたくしには一度として美しいなんて言ってくださったことないのに、あんまりです!」
突然のその乱入に驚いてそちらの方に目を向けると、よく見知った姿がさっと私の視界を走り抜け、「マリア……」とうんざりした様子でため息を吐き出すアルフレッドの体へ体当たりするように抱き付いた。
え?、……なに、これ?
なんでマリアがアルフレッドに?
何が起こっているのか、状況がいまいちつかめずアルフレッドに抱き付くマリアに目を奪われていると、私の視線に気が付いたらしいマリアは、普段の品行方正な侍女としての顔は何処へやら、その腕にさらに力をこめ、むくれながら「アル様はマリアのものなんですもの」と私に訴えてくる。
いや、でも……、え?
そんなマリアに対してアルフレッドは心底迷惑そうに顔を歪めて、マリアの体を引きはがそうと奮闘していた。
「だから、私は貴女のものではありませんと言っているでしょう。それにあれはそういう意味ではありません」
不愉快そうに訴えるアルフレッドに、けれどマリアはしがみついたまま「ならばよろしいですけれど」とどこか納得していないように言い、一度その腕から体を離す。
そして、にっこりと笑顔を浮かべて、改めるように再び手をアルフレッドの腕に添えた。
「でも、今までずっと我慢していたんですもの。すべてが明らかになった今、もうこちらも隠し事をする必要などありませんし、よろしいでしょう? ついでにエリカ様にもわたくしからアル様をとったら許さないときちんとお伝えする必要がありますし」
「マリア。だから許す許さない以前の問題だと何度言ったら……」
いつも物事を傍観しながら余裕のある笑顔を浮かべているアルフレッドのあからさまに煩わしそうなその姿と、それをものともせず受け流す怖いもの知らずなマリアの態度に、私はひやひやとした焦りを感じて助けを求めるため挙動不審気味に周りに視線を泳がせた。
けれど、同じ光景を見ているはずの陛下もオルスも、まるで見慣れたものを見るようにただそれを眺めているだけだ。
「ね、ねえ、陛下」
これは大丈夫なの? というか何がおこってるの? 取り敢えずそう訊ねようとした、その時、突然後ろから私の耳元で囁くような声が聞こえた。
「大丈夫だよ、姫。二人にとってはこれはいつものことだから」
「ランベール様!」
驚いて振り返るとそこには「遅くなってすまなかったね」とにこやかに笑うランベールが立っている。よくよく考えれば当然だろう。だって、マリアはランベールの迎えに出ていたんだもの。一緒にこの執務室に入って来ていたのだろう。ただ、目の前で起こっている衝撃的な光景のせいで気が付かなかっただけで。
でも、いつものことってどういうことだろうか。そういえば昨日、ランベールがマリアは昔よくお父様と一緒にオードラン邸に訪れていたと言っていたわ。
ということは?
「嬉しいことにね、昔からマリアの夢はアルフレッド君のお嫁さんなんだよ」
ただ少しばかり苦戦していてねと苦笑を浮かべるランベールの言葉を聞きながら、私はああ、と思う。
あらぬ疑いをかけられていた私の周りに置かれていた人間は全て陛下たちの息がかかっていた者たちだったのだ。
当然、それはマリアにも当てはまるわけで。
……。
もういいけど、別に。
それでもやっぱり面白くなくて少しだけ不貞腐れていると、ランベールが「姫」とその腕に抱えた、厚みのなく大きい、何やら布に包まれていて角ばったものをスッと私へ差し出してきた。
「これ、姫も見たいだろうと思って持ってきたんだ。アルフレッド君が以前の君の姿を知っている理由だよ」
「何?」
「開けてみるといい」
取り敢えず両手を広げて受け取ったそれはずっしりと重たい。私はそれをそのまま目の前のローテーブルに置いて、言われた通り布を解いていく。
絵、だろうか? 布越しに硬い額縁のようなものを感じた。
慎重な手つきでその布を剥いでいって、そして現れたのは、
「ティア……」
それは久々に目にする懐かしい元の自分の姿で。
私は呆然とその名を呟いた。
何も知らない過去の自分。無邪気に美しくこちらに笑いかけてくるその姿はなんだかとても眩しくて少しだけ切ない。
そっとその顔の上を手でなぞると口元に複雑な笑みが浮かんだ。
これはいつの物だろう。あの頃、肖像画なんて何枚も描いてもらっていたからよく分からないけれど、
「でも、なんで貴方がこれを持っているの?」
不思議に思って、私は絵に向けていた顔を上げランベールに訊ねた。
それに対してランベールはこともなげに答える。
「君の父君から送られてきたからだよ」
「え? 父上……?」
なんで父上が。でも、そう考えたとき、昨日聞き流したランベールの意味不明な言葉を思い出した。
確か、『もう少しで自分との婚約が正式に決まりそうだった姫が、突然亡くなったと知らされて』とかなんとか。それって……?
まさか。
「まさか、婚約って……」
その有り得ない可能性に青ざめながらランベールに問いかけると、彼はにっこりと私の言葉に頷いた。
「今となってはそんな話もあったというだけのことだけどね」
「そんな……」
ランベールの、嫌な予感通りの返答に「嫌ーー」と呻いた私は、思いっきり頭を抱えてその場にしゃがみこむ。
ちょっと! 父上!!
「姫、その反応はちょっと酷いと思うな」とかいう声が聞こえてくるけどそんなものはどうでもいい。
なんて話を持ちかけてるのよ!
国の為だもの。私の結婚相手は父上が決めてくれていいとは言ったわよ。でもなんでよりによってこいつ? 父上だって知っていたじゃない。私がランベールの軽薄な態度を快く思っていなかったこと。それなのに!
全くもう! 信じられない!
そんな不満と怒りが湧いてくる。
「まあでも、実際のところ僕らは上手くやっていけなかった気がしないでもない。少しだけ、ヘリクスに心酔している姫を手なずけるのも面白そうだと楽しみにもしていたけれどもね」
面白そうって何よ? 手なずけられてたまるものですか!
クスクスと笑いながら言うランベールの言葉に一瞬本気で苛立って、けれどそこでああでも、と私は気が付いてしまった。
「姫?」
反論することもなく、頭を抱えたまま俯いた私を不審に思ったのだろう。ランベールが窺うように呼びかけてくる。
私はそれに対して、頭から手を外してぽつりと零した。
「なんでもないわ。ただ、この件に関して文句を言おうにも、もう父上はこの世にいらっしゃらないんだったわと思っただけよ」
そう。もう何をどうしても父上には何一つ伝えることが出来ない。
「今更言っても仕方のない話ね」
落ち込んだところでどうしようもない。
それに親不孝なことにこの話はティアが死んだことによって流れたのだから文句を言う筋合いすらないのだし。
一つ息を吐き出してゆっくりとした動きで立ち上がる。
いけない。なんだか場の雰囲気をやけにしんみりさせてしまったかもしれない。気が付けば、先ほどまで攻防を繰り広げていたマリアたちも静かにこちらを見ていた。
そこへ、突然、横から顔を覗かせたのはオルス。
「それにしても、これが前世のお前だって?」
オルスはまじまじとティアの顔を眺めて目を細め、そしてその視線を私へと向けてからこれ見よがしに大きくため息を吐き出してくる。
「ちょっと、何よ?」
「いや、お前、とことん可哀そうな奴だなと思って。なんでこれがこうなったんだ? 本当に何もかも失って。さてはお前、よっぽどその前世とやらでの行いが悪かったから罰が当たったか」
「失礼ね! そんなことないわ」
けたけたと可笑しそうな笑い声をあげるオルスに私は少し語気を荒げて否定をした。少なくとも殺された上にこんな地位と容姿に落とされた理由になるほどの大罪を犯した覚えはないもの。
「まったく、このオレが跪く姿を見せられなくて残念でならないな」
「いいもの。そんなの見たかったわけじゃないし」
私は絵を手に取り、厭味ったらしく笑うオルスに「ふんっ」と背を向けてその絵を、つまらなそうにソファに座ってその肘掛けに頬杖をついている陛下の眼前へと差し出した。
「ねえねえ、見て見て。ティア、美人でしょう?」
アルフレッドも、遠回しながらもオルスだって認めたのだからと、自信たっぷりで陛下にそう問いかけてみる。それなのに、陛下は少しだけティアを見てから、「別に」とすぐに視線を外してしまった。
あまりに素っ気ないその反応は期待したものと全く違って嬉しくない。
それにしてもおかしいわ。あんなに誰もに絶賛されたティアが美しくないなんて、この人の美的センスは一体どうなっているの? もしかして自分の顔を鏡で見すぎたか。いや、でも引けを取っているとは思えない。それともなんだかんだでアリス様のような顔が好みなのか。
私がティアの顔を見ながら「むー」と唸っていると、ランベールが可笑しそうな笑い声をあげた。
「気にしなくていいよ、姫。ジェルベはただ気に食わないだけだから」
「ティアの顔が?」
「うーん、そうじゃなくて知らない姫がね、いることが嫌なんだよ。特にそんなに男たちからちやほやされていたなんてこと不愉快でたまらないんだろう。これもまた今更なことなんだけど、上手く割り切れないようだ」
「そんなわけじゃない」
何、勝手なことを言っているとばかりに不機嫌そうな陛下がランベールを睨んでいる。けれど、ランベールはそれを意に介さずそんな陛下を宥めるように微笑みかけた。
「大丈夫だよ。姫は歯牙にもかけていなかったから。残念ながら僕もその一人でね、随分と素っ気なくあしらわれたものだ」
「だから、」
反論の言葉を口にした陛下が、けれど「もういいっ」とランベールから視線を逸らすその姿を見て私はティアの肖像画を胸に抱きしめながら「ふふっ」と声をあげて笑った。
「これはどんな皮肉なのかしらね。もっと生きたかったはずなのに。父上と兄上を悲しませたくなかったのに。でも、ランベール様との婚約も含めて起こらなかった未来はやっぱり要らなかったと思うの。私は、今のこの場所が好きよ」
「はは。まさか四十年越しに振られるとはね。でも、それもそうだね。僕もアンジェのいる今がいいかな」
同時に、たくさんの痛みを抱えてしまったけれど、それでも、と不貞腐れる陛下の前で私たちは笑いあう。
もしかするとこれが最善だったわけではないかもしれないけれど、それは別に惜しくない。訪れなかった未来を想うよりも今の幸せを感じていたい。そして、今を生き、より幸福な未来へとつなげていければいいと思う。だって、結局のところ私たちに出来ることはそれだけなのだから。
兄上にだって、そんな風に思っていただきたい。そして、他国の、たくさんの人々の幸せを奪う戦なんてもう終わりにくださるように。
「頑張らなくっちゃね」
「でも本当にいいのか? 陛下が許可している以上、オレも反対は出来ないけどそれでも」
決意を新たにする私に、先ほどまでのからかうような色を引っ込め心配げな顔をしたオルスがそう訊ねてきて、私はそれに対してふるふると首を左右に振った。
「これが私に出来る唯一のことだもの。そして、私にしか出来ないこと。だから行くのよ」
「だけどな」
「大丈夫。ね?」
食い下がろうとするオルスに、私は笑いかけることでそれを制する。言葉を遮られたオルスは、どこか納得していないようでしばらく黙りこんだ後、それでも観念したように弱く笑った。
「……死ぬなよ。陛下を悲しませたらこのオレが許さないからな」
「うん。わかってる」
オルスの餞別の言葉に私もありがとうと笑い返す。
「それでは、」
いつの間にやらマリアから逃れていたらしいアルフレッドがこちらに一歩を踏み出しサッとローテブルの上に、持っていた筒状に丸められている地図を広げた。
そこに描かれた大陸の形は、私がよく知るものと同じはずなのにアブレンと記された部分は想像していた以上に大きく広がっていて私はわずかに目を瞠る。
「出来る限り安全な故郷帰りとなるように。エリカ嬢、これから私が説明することをよく聞いてくださいね」
皆が心配してくれているようにこれはきっと気の抜けない旅となるだろう。
私はアルフレッドの言葉にしっかりと頷き、身を引き締めて、そしてこれから取るべき行動を決して聞き漏らさぬようその説明に集中した。




