五三、闇
恐れと不安を抱きながら待ちに待ったこの日、私はマリアを伴って予めランベール側から指定されていた応接間へと向かった。
なんだか落ち着かなくて、時間よりも少し早めに来たはずだったのだけれど、そこにはもうランベールがいて、彼は部屋に入った私たちを座っていたソファから立ち上がって出迎えてくれた。
「お待たせしてしまって申し訳ありませんでした。オードラン公爵さま」
「いや、なに。僕が早く姫に会いたくてね、少しばかり早めに着きすぎてしまっただけだよ」
取り敢えず頭を下げた私に、ランベールはそう言って甘く笑いかけてくる。
これはまた胡散臭い台詞だこと。
私は思わず顔が歪みそうになるのを必死に堪えながら、あくまで笑顔を張り付けて応えるよう努力した。
けれど、やっぱり完璧には隠しきれていなかったのかもしれない。次の瞬間、ランベールは可笑しそうな笑い声をあげた。
「本心さ。まあ、他に用があったからというのも認めるけれどもね。さあ、どうぞこちらへ」
「……ありがとうございます」
なんだろう。ランベールが手で指した彼の向かいのソファへと歩み寄りながら、なんだか急に、私の心に今まであった不安とはまた別の不安が湧き上がってくるのを感じた。
いつだって女たちに軽い言葉をかけて侍らせている姿しか見たことがないこの男にアブレンのことについて、真面目に話をしてもらうことなんて出来るだろうか。
どうやって聞きだせばいいんだろう。
促されるまま、けれど少し遠慮気味に浅くソファに腰かける。すると、一緒にソファに座りなおしたランベールがその背を深く背もたれに預け、軽く頬杖を突きながら目を細めて眺めるような視線で私を見てきた。
その視線がなんだか居心地悪くて、私は耐えきれずに訊ねた。
「あの、何か?」
「いいや」
ゆるく首を左右に振ったランベールは、口元に笑みを作ってそれに答える。
「ただ、姫とお茶が出来るなんてまるで夢のようだと思ってね」
「まあ、大げさですこと」
「はは。そんなことないさ」
確かに前世の私ならばそう言われてもおかしくなかった。いつもきっぱりばっさりお断りしていたけれど、ティアとお茶をしたいと望む男はたくさんいたもの。
けれど、今はエリカだ。
きっとこれも彼がいつも、誰にでも言っている口説き文句の一つなのだろう。
真面目に相手をするだけ、きっと無駄だ。
ランベールはそんな事を思う私から視線を外し、私の隣に立つマリアへとこれまた柔らかく微笑みかける。
「マリアも久しぶりだね。しばらく見ないうちにまた一段と美しくなったようだ」
「ありがとうございます」
ランベールの言葉に嬉しそうに頬を染めるマリアを見ながら、私はそう言えば、と思い出した。
この二人は知り合いなのだったっけ。建国記念パーティーのときにマリアは自分のお気に入りだと、ランベールはそうキャロルたちに宣言していたもの。
「どうだい? ご家族に変わりはないかな?」
「ええ、お蔭様で皆元気にやっておりますわ」
「そうか。それは良かった。あとでまたゆっくり話をしよう。すまないがマリア、このお茶を入れてくれるかな。蒸らす時間は少し短めで」
「はい。お任せください」
マリアがランベールから差し出されたお茶の葉が入っているらしい缶を受け取って、用意されていたティーポットの方へと向かっていく。
「あの、マリアと公爵さまはどういったお知り合いで?」
「うん? 元々、マリアのお父君であるウェルタン伯爵と僕は友人でね。昔から家族ぐるみで付き合いがあるんだよ。昔はマリアも伯爵と共によくうちに遊びに来てくれたものだ」
「そうなんですか」
そんなこと、一言もマリアは教えてくれなかったのに。
「妻もマリアに会いたがっていたよ。よければ、今度顔を見せてやっておくれ」
「まあ! わたくしも久しぶりにアンジェリーナ様にお会いしたいですわ。是非、伺わせていただきます」
カップを温めるためそこにお湯を注ぎながら嬉しそうにそう答えるマリアに、ランベールは満足そうに笑って頷く。
「それは良かった。アンジェも喜ぶよ。その時は是非姫も一緒に」
「私も、ですか?」
「うん」
「ありがとうございます」
実際のところ、これはただの社交辞令だろうし私がお城から出るのはなかなか難しいことだろうと思いつつ、とりあえずそうお礼を言っておく。
あ、でもランベールの奥さんはオルスが前に少し変わった人だと言っていたし、どんな人か会ってみたいわ。どうにかして陛下を説得できたりしないかしら。でも陛下のことだもの。きっと公式に外出をするとなればその手続きが面倒だから駄目だって言うんだろうな。余計な労力は惜しむもの、あの人。
そんなことを考えているときに、ふわりと漂ってきた香りに私は小さく首を傾げた。
あれ? この匂いは……?
カチャリとマリアがカップを扱う音が聞こえる。
そして、お茶を入れ終わったマリアがランベールと私の前にそれを差し出して来て。
「これは……」
見覚えのある茶色の液体がカップの中で揺れている。
「ありがとう、マリア。じゃあ悪いけれど下がってもらってもいいかな? 姫と二人きりで話したいんだ」
「はい。それでは何かありましたらお呼びくださいね」
ランベールの指示に頷いてマリアが部屋から出て行った音を聞きながらも、そのお茶に釘付けの私にランベールから声がかかった。
「珍しいだろう? 今日のために特別に取り寄せたお茶なんだ。アブレンのほうでよく飲まれているお茶だよ」
「いただいても?」
「勿論だよ。さあどうぞ」
カップにそっと手を伸ばす。
温かいカップを持つ手が小刻みに震えるのをなんとか堪えながら、それをそっと口元に運んだ。
湯気と共に、その熱い液体を一口啜ると口の中に広がる甘い味。
ああ、やっぱり。
「おいしい」
いけない。なんだか涙が出てきそうだ。
懐かしい――。
「それなら良かった。これを飲むのは初めてかな?」
「え、ええ」
「喜んでもらえたのなら嬉しいよ。いつも同じようなお茶ばかりだとつまらないからね。こういう場では色んな国のお茶を姫君たちに飲んでもらっているんだ。そうだ。マリアと二人、我が家に遊びに来てくれた際には姫のご所望のお茶を用意するとしよう。どこかの国の飲みたいお茶などあるかな?」
「あ、いえ。私、外国にはあまり詳しくないものですから」
最近滅んだフルトだけじゃない。義姉上の故郷、クレオだってアブレンに滅ぼされたと聞いた。私には今、どこの国がまだ存在しているのか分からない。
ここで、下手によその国の名を挙げるべきではないだろう。
何も、分からないのだから。
「あの、公爵さま」
「うん?」
「とても珍しいお茶を飲ませてくださってどうもありがとうございます。私、このお茶、とっても気に入ってしまいましたわ」
「どういたしまして」
「ところで、あの……」
私はそこで一度言葉を切って顔を俯けた。
アブレンのことを聞き出すために、どのように会話を運んでいけばいいのかを考える。
自然に、無理のないように出来るだけ多くのことを聞きださないと。
折角のこの機会を絶対に逃すわけにはいかない。
私は大きく息を吸いこみ、スッと背筋を伸ばしてランベールへと視線を向けた。意気込みに強張りそうになる顔をごまかすために柔らかく微笑む。
「こんなに珍しいお茶、どうやって手に入れられたんですか? 確か以前、アブレンは今は何処とも友好を結んでいないと聞いたのですが、それでも貿易は行われているんですか?」
「ふふ。姫はそういったことに興味がおありかな?」
「ええ、まあ。それにまたこのお茶をいただきたいなと思いまして。簡単に手に入るのなら嬉しいのですけれど、さっき公爵さまは“特別に取り寄せた”とおっしゃいましたでしょう? そんなに大変なことなのかと思いましたの」
私がそう言って首を傾げて見せると、ランベールは何やら面白そうにその海色の瞳を細めた。
なんだかこういうところ、やっぱりアルフレッドに似ているかもしれない。
「そうだね。勿論、正当な手段で手に入れた物じゃないよ。アブレンとはここ数十年、正常な貿易は出来ていない状態だ。それでも抜け穴というものはあるんだよ。姫が気に入ったのなら今度まとめてプレゼントするけれどいかがかな?」
「まあ! とても嬉しいです。楽しみにしておりますわ」
笑顔を浮かべながらも、やはり思わしくないらしいアブレンの状況に内心小さくため息を吐く。
なんでこんなことに。
「でも、抜け穴なんてものがあるんですね」
「あることはあるけれど勿論それを使うのは命の危険を伴う行為だからね。その手に通じた限られた者のみにしか無理だよ。僕は彼らにちょっとした伝手があるだけで」
命の、危険……。
あの頃は、ランベールだって何度か行き来していたのに。私にもよく『我が国に遊びに来てくれ』と言っていたのに。今は当たり前だったそれがままならない。
「アブレンは……」
「ん?」
「どうして、アブレンは今のような状態に? 何があったのでしょう?」
「知りたいかい?」
「ええ。教えてくださいますか?」
「あの国にもね、色々あったんだよ」
ランベールがにっこりと私に微笑みかける。
色々って何? アブレンに何があったの!?
まるで焦らすようなランベールに、私は掴みかかりたくなるのを必死に堪えて、平静を装いながら彼へと問いかける。
「色々とは、どんなことが?」
「何故、君はそんなことを知りたいのかな?」
「それは……、興味が、あるからです」
「興味とはアブレン全体のことにかい? それとも我が国の諸外国との関係性について知りたいと思っているのかな?」
「違います! そうじゃなくてっ」
話を違う方に持って行こうとするランベールに焦って、苛立って思わず叫ぶように否定をしてしまった私に彼は可笑しそうな笑い声をあげた。
わざと、なのだろうか。真意の見えないランベールのその瞳に、なんだか私はこの男の掌の上で踊らされているような、そんな嫌な予感が胸に湧き上がるのを感じた。
からかわれているだけなら良いのだけど。
もし仮に、この男にもなにか思うところがあるというのならあまり深入りしないほうがいいかもしれない。
念のためにこの辺でやめた方がいいだろうか。引き返した方が身のため? けれど折角の機会でもある。
私が迷いながら握りしめた手をじっと見つめて思案していると、
「仕方がないと、簡単に言うことが出来る問題ではないんだけどね」
そんな声が聞こえてきて、私はハッと視線を上げた。
そこには複雑そうに微笑むランベール。
「彼は、現アブレン国王であるヘリクスはもう、他国を信用することが出来なくなってしまったんだよ。
そしてそんな周りの国からね、彼はアブレンを守りたいんだ。同時に、もしかするとアブレンと共に滅びたくもあるのかもしれない」
信用できなくなった?
「それは、どういうことですか?」
無意識に声が強張ってしまう。
けれど、ランベールが話し始めたことでやっと近づけた核心に、私はもうそんなことに構っていられなかった。
「アブレンに何があったんですか?」
そんな私に、ランベールは瞳を細めた後、ふっとその瞳を伏せる。
「遠い、昔の話だよ。もう四十年近く前のことになるか。あの頃、僕はよくかの国を訪れていた。この国の王子として外交の為は勿論のこと、僕はあの国を気に入ってたんだ。とても好きだった。平和で明るくて、皆笑顔で。施政もよく行き届いていて活気づいた街を歩くのも楽しかったな」
そう。私が知っているアブレンもそんな国。
「当時、皇太子だったヘリクスもね、彼の父親である先代の王に似て、とても穏やかな人格者だったよ。争いは好まず、常にアブレンをよりよい国にするために心を砕いていた。きっと良い王になれるはずだったんだ。僕はそんな未来をとても楽しみにしていた。けれど、たったひと月だったんだ。それはあっけないほどに狂わされてしまった。周りの国の裏切りによって」
「それは……?」
ひと月? 裏切り?
「アブレンというのはね、西側には海が広がる沿岸の国で、当時は南にクレオ、東にルエノ、北にモスエオラが位置していた。
温暖で肥沃な土地、豊富な水は緑を育み、作物にも資源にも恵まれていて、大きな鉱山から採れる宝石によって貿易も有利に働いていた。
けれどね、周辺の国はそうでもなかったんだ。どの国も気候はとても穏やかだとは言えず、土地も痩せていた。周りはアブレンの豊かさを羨んだ。妬むと同時に欲しがった。だから、遠い昔から狙われることも多かったと聞く。それでも、豊かな国と貧しい国。国力の差は圧倒的だった。だからいつも小さな小競り合いで終わっていたけれどね」
そうだ。だから、あまり国家間の関係は良いものとは言えなかった。そして。
「そんなときにね、南のクレオからアブレンに一つの申し出があった。自国の王女を差し出す代わりにこれから友好的な関係を築こう、と。そして、元からその状況をよく思っていなかったアブレン側はそれを飲み、ヘリクスはクレオの王女を妃に据えた。そして両国の良好な交流が始まった。ように装われた」
「装われた?」
「クレオが実際に手を組んだのはアブレンじゃない。ルエノとモスエオラだ」
「な!?」
「アブレン側がどの程度それに気が付いていたのか、僕は知らないよ。ただ手ひどく裏切られたのは事実だ」
「何が!? アブレンは何をされたんですか?」
思わず腰を浮かせて問いかけた私を、ランベールはじっと見つめる。
その瞳は、なんだからしくなく真剣なもの。
その瞳で私は見つめられたまま、ランベールの堅く強張った声が部屋に響いた。
「最初にね、ヘリクスの妃となったクレオの王女がアブレンの大事な姫を殺した。王とヘリクスの寵愛を一身に受けていた特別な姫をね」
「……え?」
あの頃、アブレンで姫と呼ばれていたのは私だけだ。
つまり、それは……?
私は、はぁと詰めていた息を吐き出してもう一度ソファに腰を下ろした。
「公爵さま。嘘じゃなくて本当のことを話してください」
「嘘? 何故、君は嘘だと思うんだい?」
だって、そんなの嘘でしょう? そんなことあるはずないわ。
そのはずだ。
だけどそう思いながら、不意にあの時の記憶が頭を過った。
――ああ、そうだ。
『義姉上、お待たせしてしまってごめんなさい』
確かあの日、私より先に厩舎に来ていたのは義姉上だった。
もし、もし、義姉上がその時にエミリオに“何か”をしていたとしたら?
ずっと不思議だった。なんで、あの時エミリオはおかしくなってしまったのかって。
けれど、そう。例えばもし事前にイオラ様がエミリオに薬か何かを飲ませていたりしたとしたら?
そのせいでエミリオが暴れだしたとしたら……。
今思えば、あの時兄上もだったけれどイオラ様の様子もおかしかったわ。
でも、
「違うわ。そんなことあるはずがない。だってそんな事して何の利益があるというの?」
私を殺したとして義姉上に、クレオに何の利益があるというのだろう。
一応、兄上の次に王位継承権があるだけの、嫁ぎ先も決まっていないような王女を殺さなければならないと思う理由がどこにあったというの? 普通、狙うなら父上か兄上のはずだ。
いや、違う?
「もしかして……」
浮かび上がるのは一つの可能性。
「僕だって調べたんだ。もう少しで自分との婚約が正式に決まりそうだった姫が、突然亡くなったと知らされて、全て白紙になったから。何があったのか気になって出来る限りの手を尽くした。そして、分かったことだ。
その日、クレオの王女と遠乗りに出かけた君はヘリクスの馬に乗っていたそうだね」
なんだかよく訳の分からない言葉が聞こえてきたような気がするけれど、今はそれどころじゃない。
そうだ。私はあの日、急に来れなくなってしまった兄上のエミリオに乗りたいと我が儘を言った。
それは突然ひらめいたことで、決していつもそうだったわけじゃない。
本来、エミリオに乗るはずだったのは兄上だ。
つまり――、
「義姉上は、イオラ様は兄上を殺そうとしていた?」
私の震える唇から漏れた答えに、自分でぞっとするのを感じた。
けれど、ランベールはそんな私にさもそれが正解だというように訳知り顔で一つ頷く。
私は堪えきれずにソファから立ち上がった。
「だって、そんな! イオラ様は兄上のお妃さまになったのよ? いくらなんでもそんなこと! あんまりだわ」
「それでも、内側からアブレンを滅ぼすことがあのクレオの王女の役目だったんだよ。そのために彼女はアブレンに嫁いだんだ。そして、それは姫の死をもって失敗に終わったけれど、予め日取りが決められていたのか、怪しまれる前にと思ったのか、数日後、三国が同時にアブレンに攻め入った」
「それで、アブレンは?」
「突然のその攻撃に、騒然としながらも迎え撃って、なんとかそれを防いだよ。でも、国王はその時に負傷してしまったらしくてね、姫が亡くなったひと月後に亡くなってる」
あぁ、父上……。
「なんてこと……」
絶望が視界を真っ白に染める。
もし、クレオをはじめとする国の思惑通り事前に兄上を殺されていたらアブレンは持ちこたえられなかったかもしれない。
けれど、アブレンを守ることが出来ても裏切られて、たった一人残された兄上。
「ひどい」
そう。酷い。
体がどうしようもなく震える。
私はもう立っていることが出来なくて、そのまま膝を折って崩れ落ちた。
コツリという音と共に、私の上に影がかかった。
「兄上、か。やっぱり君だったんだね。アブレンの姫君、ティア王女」
次いでかけられた静かな声に私はハッと顔を上げた。
微笑みを浮かべて私と視線を合わせるように膝をついたランベールと視線がぶつかる。
「まさかこんな形で再び会うことが出来るなんて思わなかった。本当に、まるで夢のようだ」
そういえば、私は、動揺しすぎていてうっかり繕うことを忘れていたような気がする。けれど、“まるで夢のよう”。繰り返されたその言葉の意味は。
「気が付いていたの?」
「そうだね。僕に靡かなかったのなんて君くらいだからね。すぐに分かった、とは流石に言えないけれど息子の反応で確信したよ。君がティア王女の魂と記憶を引き継ぐものだってね」
何でもない事のようにランベールはにっこりと笑う。
「こんなこと、誰も信じないと思っていたわ」
「どんな姿でも姫は姫だから」
信じられない気持ちで、でも先ほど受けたショックのせいで妙に落ち着いた心のまま言った言葉に、ランベールは何とも気障に返してきた。
「ありがとう」
例え相手がランベールであろうとも、なんだかそれはとても嬉しい。なんだか私の中のティアが認められたようで。
でも、
「……息子の反応っていうことは、アルフレッド様も知っているの?」
「直接は言っていないけれど、僕の息子だからね」
あぁ、だからずっと私はアルフレッドに見られていたのだろうか?
「本当に喰えないわ」
「ん?」
「兄上が言っていたの。あなたのこと『なかなか喰えない男だ』って」
「それは嬉しい褒め言葉だ」
「でも私が言ったのも当たってるわ。自惚れが激しいところも相変わらず」
「姫だって相変わらず釣れない」
クスクスとランベールが苦笑を漏らす。
それをぼんやりと眺めながら思う。
若作りをしているとはいえ、あのころに比べたら随分と歳をとったランベール。
それだけの歳月があれから経過したのだ。
長い、長い刻の中を、兄上はどんな想いで生きてきたのだろうか。
何故、私は兄上を一人きり残してしまったのだろうか。
違う。
私はあそこから引き離されたのだ。
無理やりあそこから、父上や兄上の元から――。
「クレオのことが憎いかい?」
まるで私の心の動きを見透かすようなその言葉に、私は意識を引き戻した。
微笑みを浮かべたランベールと視線が合う。
深い深い海色の瞳はまるですべてを受け入れるように大らかで、どこまでも引きずり込まれそうなほどに底が見えない。
私は、その瞳に促されるように一つ、こくりと頷いた。
憎くないはずなんて、ない。
私たちの全てを奪った国々。
許せるはずがない。
そんな私にランベールは柔らかく微笑んで私の頭を撫でる。そしてそっと、まるで安心させるような声音で私の耳元で囁いた。
「大丈夫だよ、姫。その仇ならヘリクスがすでに討っている。クレオも他の国も、王族は勿論、重臣たちも無数の兵も、このことに直接は関わっていないはずの民たちも。皆、血で洗い流されたよ。
嬉しいと、君は思うかな? よくやってくれたと喜ぶかな」
それは残酷で、冷たくて甘い闇。




