五、いざ、入城!
『側室選定試験
合格者 エリカ・チェスリー』
中央広場、掲示板前にて、自分の名前が記されたその紙を穴が空くくらいジッと見詰める。
何度も何度も確認するけれど、見間違いでも読み間違いでもない。
あぁ、どうしよう。
もちろん自信はあった。私が選ばれずに誰が選ばれる!くらいの自信だった。
でも、実際に結果を目の当たりにすると何故か簡単には信じられない。
どくどくどくどく煩いくらいの自分の鼓動。
全身から血が引いていくような寒気と同時に妙にカッカとする熱が一気に襲い掛かってくる。
頭の中を白く塗りつぶされてしまったかのようにもう何も考えられない。
どうしようもない興奮に襲われた。
これは夢だろうか?
お約束のように頬を掴んで引っ張ってみたけれどやっぱり痛い。
嘘じゃない?? 私が合格?? 私が側室??
何度もそれを繰り返して、少しずつ噛み砕いていく。次第に頭がクリアになってきて、やっとじわじわと広がっていく実感。
……やった。
やった、やったやったやったやった、
「やったーーーーーーー!!!!!!」
私は広場全体に響き渡るほどの大きな叫び声をあげて、天に向かって拳を突き上げた。
こうしちゃ居られない。
早く帰って準備をしなくっちゃ!
「ちょっと、どいてどいて!」
突然の大絶叫にギョッとしたように私を見ている周りの人だかりを、手で押しのけながら走りだす。
早く、早くしなくっちゃ。
間違いだったと言われる前に。国王陛下の気が変わったりしたら大変だ。
息が苦しくなるくらい、全力疾走した。
途中で休もうとする足を必死に動かす。
走って走って、やっとたどり着いたのは小さなボロ家。
古すぎて隙間風がひどいその家には昔、親子3人で暮らしていた。今世の両親が多額の借金を残して出て行った後はずっと一人暮らしだったし、お金もなかったから余計なものなんて何もない。
少しの家具と必要最低限のものしかない質素な暮らし。
こんなに味気のない家が、この時ばかりは有難かった。
もう、何もいらない。
服も下着も、鍋も食器も、3人がけのダイニングセットだって、全部捨ててしまおう。
それらを手早く袋に詰めていくと出来上がったのはたった3袋。
これが私の17年間だった。
私はこれまでの人生に今日、決別する。
ゴミ捨て場に3つの袋とそれに入りきらなかった家具を置いて、今度は唯一、私の手元に残った家の鍵を持って大家さんの家へと向かう。
ドアを叩くと出てきたのはふくよかな、人の良さが出た柔和な顔つきのおばさんだった。家賃が滞ってしまって旦那さんから出て行けと言われたときも、私をかばってくれて辛抱強く待ってくれた優しい人。
「おや、エリカ。どうしたんだい? 家賃はこの前もらったはずだけど」
「そうじゃないのよ。これ、もうおばさんに返すわ。私ね、国王陛下の側室に選ばれたの。だから今から王城へ行くのよ。おばさん、今までありがとう、感謝してる」
私が喜びを隠しきれず、はしゃいだ声で事情と今までの感謝の言葉を述べると、おばさんは少し目を見開いて驚いた顔をする。
「こりゃまた大層な冗談だこと」
「冗談なんかじゃないわ。嘘だと思うなら中央広場の掲示板を見てみてよ。しっかりと私の名前が書いてあるから。もちろん見間違いなんかじゃないわ。私、何度も確認したもの」
「そうかいそうかい。そりゃよかったね。達者でおやりよ。上手くいかなかったらまたいつでも戻っておいで」
「ありがとう! おばさんも元気でね」
どうやら、まだ私の言ったことを信用してない風なおばさんに笑顔で手を振る。するとおばさんも私の大好きな柔らかい笑顔をにっこりと返してくれた。
別れを告げたかった人はこの人だけ。
ずっと働きづめで友達なんていなかったし。
「さて、行きますか」
身軽になった、この身一つで王城へと向かう。
よく晴れた昼間。
見慣れたはずの風景が、この後待ち受けているはずの私の人生のようにキラキラと輝いて見えた。
*-*-*-*
「何の用だ?」
城の前に着くと、昨日はいなかったはずの城の門番が私にそう尋ねた。
「私、エリカ・チェスリーよ。国王陛下の側室に選ばれたの。中に入れていただけるかしら?」
上から話が伝わっていないのか、彼はもう一人の門番と顔を見合わせて首をかしげる。
「ちょっと待ってろ。確認してくる」
そう言って城の中へと去って行く門番の後姿を見送って、しばらく待っていると、彼は見覚えのある一人の男を連れてきた。
日に焼けた肌、短く刈り上げられた濃い金髪、茶色の瞳が鋭い武官姿のこの男。昨日の失礼な男だ!
「あっ、あんた!」
「よぉ、エリカ・チェスリーさん。まさか自らやって来るとはね。普通、迎えを待ったりしないわけ?」
男がさも呆れたといわんばかりに深々とため息をついて見せる。
「うるさいわね。別にいいじゃない。自分で来ちゃダメとか、迎えに来るとかあの紙には何にも書かれてなかったんだから。私の勝手だわ。」
「まぁ、たしかにどうでもいいけどな。あんたに馬出すのももったいないし」
何故こいつは鼻につくような物言いしかできないんだ。むかつく。
「そういえば自己紹介がまだだったな。オレはオルス・ヘドマン。副武官長をしている。24歳だ。お前より年上なんだから敬えよ。着いてこい、陛下のところまで案内する」
「はいはい」
私は前世の20歳 + 今世の17歳で合計37歳よ。あんたこそ敬いなさい!と言いそうになる口を必死にふさぐ。こんなこと言ったら変人だと思われちゃうもの。
それにしても、24で副武官長まで上り詰めているのなら多分、彼は上流貴族の息子かなにかなのだろう。功績を残せるような戦は少なくともここ十年はなかったはずだし。ふんっ、苦労知らずのぼんぼんめっ!
私はオルスの後姿に悪態をつきながら、彼について歩く。
城門を潜ると、昨日はテントに隠れて全貌を見ることが出来なかった王城をはっきりと見ることが出来た。
左右対称に、どっしりと構えるその姿は何よりも威厳に満ち溢れている。
それはもはや芸術作品で、美しい以外に表現する言葉が見当たらない。
前世で暮らしていた王城とはまた異なる色を放つ、それ。
今日からここが私の家。
急に体に緊張が走って、私はゴクリと唾をのみ込んだ。
折角手に入れた、ここで暮らす権利。もう、絶対に手放さない。
ここで私は幸せになるんだ。
開け放たれた玄関を潜ると、そこにあったのは吹き抜けの大ホール。
大きなシャンデリアが頭上に輝くそこを、右側に通された昨日とは違って今日は奥へと案内される。
見事に装飾された、その城内をキョロキョロと見回しながら歩いていると、急にオルスが振り返り、いぶかしげな様子で口を開いた。
「なぁ、あんたまさか手ぶらで来たのか?」
「見て分からない?」
「必要なものとかなかったのかよ?」
「そんなものないわよ。どれもこの王城にそぐわないものばかりだったから全部捨ててきちゃった。こちらで色々と用意してくださいね、オルスお兄さま?」
私がふざけてそう言うと、オルスは苦い顔をして震えあがった。
「敬えとは言ったけどな、気持ち悪い言い方はやめろ。お前、まさかこれも欲しい、あれも欲しいって言って国の金食いつぶすつもりじゃないだろうな? 陛下はそんな事絶対に許さないからな。側室に選ばれたからって貧乏人が調子に乗るなよ」
「そんな事しないわよ」
まぁ、多少の贅沢はさせてもらうけどね。
国のお金を食いつぶしたりなんかしないわよ。そんな事したらお城を追い出されかねないし。
そのあと、オルスが呼び止めた侍女に、念のためにとボディーチェックをされて、私は謁見の間の扉の前にオルスと二人並んで立った。
その時になってようやく思い至った。
国王陛下。
それは、今から私の夫となる人。
「ねぇ、オルス。国王陛下ってどんな方?」
隣で扉を開こうと手をかけていたオルスにそう尋ねる。
オルスは扉から一度手を放し、ゆっくりとこちらを見た。
その顔は、初めてと言っていいほど皮肉な色を見せず、オルスは一度目を伏せる。
そして、呟くように言葉を発した。
「お優しい、方だよ」
私はその言葉に少し安心する。
この男のような厭味ったらしい奴だったら嫌だもの。
ほっ、と息を吐きだした。
全ては国王陛下の思うまま。彼の判断ひとつで、私はこの城に居られなくなる。
上手くやらなくっちゃ。そう決意を込めてもう一度ドアの方に視線を戻した。
でも、
「なぁ」
「ん?」
急に低い声で呼びかけられて私はもう一度オルスのほうを見る。
オルスは私をじっと見つめていて、先ほど一瞬かげっていたいたその瞳で、ギラリと鋭く私を突き刺してくる。
「いいか、陛下を傷つけるようなことをしたらオレがただじゃおかないからな。絶対に陛下をもてあそぶような真似するなよ」
低い声で私に警告してきた。
さすが武官。不覚にもそれだけで震えあがってしまった自分がいる。
それにしても、
そんなに陛下のことが心配なのか。なるほどね。
「ねぇ、あんたホモなの?」
「ちっがーう!」
そんな否定の叫び声を上げたオルスには、もう先ほどの気迫はどこにも残っていなかった。