四、男たちの密談
主人公不在のため、三人称になっています。
ジェルベ・イオ・レストア、レストア王国の若き国王は、自分の執務室に入るなり迷いなく部屋の奥にある椅子へと向かった。崩れ落ちるようにどっかりと腰を落とし、大きなため息を深々と吐き出す。
手に持っていた紙の束を投げつけるように机に置くとそれは広がり、沢山の女性の名とその人物の評価が覗く。
それを見た途端、今日の側室選定試験とやらに集まった、やけに香水くさい体でベタベタと寄ってきた女たちを思い出してうんざりとした気持ちに襲われた。それを払いのけるようにその紙の束を手で乱暴に机の隅に押しやる。
側室など要らない。
もう女と関わりたくなどないのに、周りはちっともジェルベを思いやってくれなどしない。
そのまま机に顔を突っ伏していると、扉を叩く音が聞こえてジェルベはもう一度顔を上げた。
返事をしないうちに扉は開かれ、こげ茶の髪をボサボサにしたままの若い男がにこやかに現れた。
「アルフレッドか……」
一日の疲れを感じさせない軽い足取りでジェルベの向かいまでやってくる。
「今日はお疲れ様でしたね、陛下。いかがでしたか? 今日の女性たちは」
今日、何故、試験という形で側室を募ったのか。その経緯を知っているくせにアルフレッドはわざとらしくジェルベに問いかけてくる。
ジェルベはむすりと顔を顰めてアルフレッドを見た。
「合格者無し。最初に言っていた通りそれでいい」
「おや、それではこの試験を勝手に開催した大臣の方々が納得しませんよ。また宰相の私がグチグチ言われてしまうじゃありませんか」
「出てやっただけ、感謝してほしいくらいだ。勝手に人の名前で国中の女を募られて、こっちはたまったもんじゃない」
「皆さま、あなたを心配しているのですよ。いつまでも独り身というのは今後の跡継ぎ問題にも発展してしまいますからね。どんな形であれそろそろ女性に関心を持ってもらいたいのですよ」
にこにことした笑顔のまま大臣たちの味方をするような答えを返すアルフレッドにジェルベは苦虫を噛み潰したような顔で反論する。
「俺と同い年のお前だってまだ独り身じゃないか」
「私はいいんですよ。あなたと私では立場が違うでしょ」
「お前にだって王位継承権はあるじゃないか。俺の従兄だろ。もしものときはお前らの一族が継げばいい」
「それはあくまで予備なんですよ。直系の血を引くことが一番大切なのです。よくお判りでしょう?」
ジェルベはぐっと息を飲んだ。
わかってはいる。だけれどジェルベにも譲れないものがあるのだ。
「俺はもうだれも愛さないと決めてる。どんな女をあてがっても無意味だ」
「……貴方という人は、……いつまで引きずるつもりです」
非難するような言葉とは対照的に、憐れむような視線がジェルベに注がれ、ジェルベは居心地悪げにアルフレッドから視線を逸らした。
そんなジェルベに一つ小さくため息をついたアルフレッドが、先ほどジェルベが机の隅に寄せた紙を何やらぺらぺらと捲りだした。
何をする気なのか気になったジェルベがそれを横目で見ていると「これこれ」とアルフレッドはその中の一枚を抜き取り、それをジェルベの前に差し出す。
「実はですね、私、面白い女性を一人見つけたんですよ」
「はぁ!?」
今さっき側室は迎えないと宣言していたはずなのに、どうやら彼は真面目にとりあってくれなかったらしい。
いつまでたっても差し出された紙を受け取ろうとしないジェルベにしびれを切らしたのか、見かねたのか。アルフレッドはそれを自分の方に向けて勝手に読み上げだす。
「エリカ・チェスリー。17歳。
栗色の髪と瞳の、まぁ私が見た限りあまり美人ではないんですけどね。肩のあたりで栗毛がくるりんと大きく巻いていてそれがなかなか可愛らしかったですよ」
それがなんだ、とジェルベが睨みつけるがアルフレッドは何も気にせず続きを読みだす。
「首都・カリアに在住。12歳の時に両親に捨てられ、それからは一人で働きながら生きてきたようです。
あまり豊かな生活ではないんでしょうね。今日着て来ていたドレスも粗末なものだったのですがね、驚くことに今日の選定試験の評価。見てください。これが満点なんですよ」
もう一度差し出された紙をしぶしぶ覗き込むと、本当に全て項目に「優」の文字が並んでいる。
「この17年間、決して豊かでない生活をしてきているはずなのに、一体どこで身に着けたのでしょうね」
まぁ、確かにこの結果は少し不思議だ。王族である自分だってそう簡単に習得できたものではなく、幼いころから苦労して身に着けてきたものだ。一庶民が見よう見まねで出来ることでは決してないはずなのだが。しかし、
「で? それがどうしたんだ?」
まさかそれだけではあるまい。アルフレッドが面白い、といった時には必ず何かがある。
アルフレッドはその問いに、それまでにこにことしていた顔をひっこめ、ひどく真面目な顔になった。
まるで考え込むように顎に手を添え、低く言葉を発する。
「おかしいのです。まるで一般庶民とは思えないほどそのすべては完璧でした。しかし、その完璧な中に一つ引っかかることがあって」
ジェルベもその言葉に一緒になって眉を顰めた。どうやら穏やかな話ではなさそうだ。
「妙に威勢が良くて愉快だったので彼女を観察してたんですよ。だからこそ、それに気が付いた。それくらい些細なことなのですが、どうも彼女の作法は我が国のものではないのです。私、昔一度だけアブレンに行ったことがあったのですが、どうしてもその時のことを思い出させる」
「アブレン、だと?」
「ええ」
しばし2人の間に沈黙が落ちた。
その時、突然乱暴に執務室のドアが鳴らされ2人はハッと顔を上げた。
「誰だ?」
そうアルフレッドが問うと2人の幼馴染が声を張り上げた。
「オルスです」
そこでふっと2人の緊張感は途切れ、ジェルベが入室を許可する。
すると1人の武官が姿を現した。日に焼けた肌と濃い金髪の武官らしくがたいのいい男だった。
表情を少し緩めた2人とは対照的に、珍しくオルスの表情がこわばっている。
「どうかしたのか?」
ジェルベがそう問うと、オルスは硬い声で短く言葉を発した。
「フルトがいよいよ落ちそうです」
「「なに?」」
2人の声が重なった。
レストアの南隣に位置するフルトがいよいよ攻め落とされる。
その東に位置する国アブレンとの、長い間ずっと続いていた戦争が終わりを告げようとしているという報告に2人はゴクリと唾をのみ込んだ。
フルトが落ちれば次はこちらの番だろう。
すぐに攻め込んでくるわけではないだろうが、今からでも対策を練らないとこちらも危ない。
「アブレン、か」
少しだけ伸びた爪を噛みながらそう呟いたジェルベにアルフレッドは一つこくりと頷いた。
「で、その女は間者の可能性があるということなのか?」
「さぁ? どうでしょう。間者にしては少々おかしい。身元はハッキリしすぎているし。それになにより間者として送り込まれているならばアブレンからの資金援助もあるでしょうし、もっと側室に選ばれやすい人間をよこすはずです。あんな美人でもなければ粗末なドレスを来た女性を送り込んだりするでしょうか。見た目だけで不合格となる可能性が高すぎます」
「急な募集だったから適当な人選が出来なかったのかもしれないぞ」
「まぁ、そうかもしれませんね。一応、私たちは彼女を見張っていた方がいいでしょう。ということで陛下、彼女を側室合格者とします。よろしいですね?」
何故かアルフレッドの後ろに黒い羽が見えた気がした。
「ちょっと待て。見張るだけなら監視を付ければいいだろ」
「ダメですよ。一度泳がせて尻尾を掴みやすくしなくては。いったん彼女を城に入れる必要があります」
「じゃあ侍女として雇えばいいじゃないか。俺に側室はいらん」
「侍女じゃあ、仕事と称して一人で動かれかねません。側室にして監視の侍女をそれとなくつけておいたほうがいい」
「アル、オレもこいつを城に入れるなんて嫌だぞ。こんなくそ生意気な奴、オレはお断りだ」
いつの間にかアルフレッドの後ろに立ち、その手に握られた紙を覗き込んでいたオルスがそう反論した。
「あれは、あなたが悪かったでしょう、オルス。彼女の方が正論だ」
「陛下の手を煩わせるのが嫌だったんだ。あいつ一人増えるだけで陛下の仕事も一つ増える」
「書類が1枚増えるだけです。別にあなたが気にする必要はありません。大体、あなたは陛下に近づく女性すべてが憎いんでしょう?」
「オレを男色のように言うのはやめてくれよ。オレはただもう陛下に傷ついてほしくないだけだ。大体あの女は陛下の好みじゃないだろ。陛下にはもっと上品で虫も殺せないくらい大人しいアリスみたいな」
「オルス!!」
突然、声を荒げたジェルベにオルスはハッと気が付いて小さくなった。
『アリス』その名が彼の前で禁句だということを忘れて口走ってしまったことを後悔する。
「あなたはちょっと黙っていなさいね。オルス?」
次いでアルフレッドからかけられた言葉とその笑顔にオルスはそのまま固まってしまった。
この宰相閣下がオルスは苦手だ。逆らうと怖い。この常に顔に張り付けられた笑顔が怖いのだ。力ではオルスの方が確実にアルフレッドよりも上なのだがこの笑顔を向けられるととても勝てるような気がしない、底知れぬ恐怖を呼び起こす。
オルスは小さく「はい」と答えてもうこの場では何も発言しないと心に決めた。
アルフレッドはその笑顔を今度はジェルベに向ける。
「とにかく、合格者は『エリカ・チェスリー』。明日これを国中に発表します。よろしいですね? 陛下」
その笑顔の迫力に、ジェルベももう反論する気がわかなかった。
「……わかった。だが、城に入れるだけだ。もし、その女がシロでも俺はそいつを側室として扱わないからな」
「うーん。それでは少々この女性がかわいそうな気がしますが、まぁいいでしょう。それでは私は通達の準備がありますのでこれで失礼しますね。行くよ、オルス」
「はっ」
入ってきたときと同じ軽い足取りのアルフレッドの後ろを、とぼとぼと体に似合わないその足取りでオルスが付いてゆく。
バタン、と扉が閉まる音が聞こえて、ジェルベは背もたれに深く体を預けて瞳を閉じた。
つい、了承してしまったもののなんだかすごく嫌な予感がする。
エリカ・チェスリーか。
『わたくしはずっとずっと、たとえ死んでしまったとしても貴方のことを愛し続けますわ。ジェルベ様もそんな風にわたくしを想ってくださいますか?』
頭に残る穏やかで春のように柔らかな微笑みが今でも鮮明に、まるで呪いの言葉のようにジェルベに囁く。
今日はまた眠れない夜になりそうだ。
ジェルベは徐に立ち上がり、棚に並べられた酒の瓶を手に取った。