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私の玉の輿計画!  作者: 菊花
本篇
35/101

三五、疑惑

「シーラ・バートン 25歳。出生直後にとある寺院に預けられ17までそのまま、その寺院で過ごしています。17歳から24歳にかけてはどうやら各地を転々としていたようで、あまり詳しいことは分からなかったようですが、1年前首都カリアに移り住み貴方もご覧になったという花祭りの踊り子にも選ばれていますね。大変評判の良い女性のようですよ。そこでエヴァンズ候の目にも触れた、と。周囲の話ではエヴァンズ候はアリスが戻ってきたようだと大層お喜びになられて親族たちへ知らせることもなく勝手に彼女を養女とされたのだとか。これが、貴方から依頼されていた調査の報告書です」


パーティーが終ってすぐに引き上げてきた執務室で、窓際に佇みアルフレッドの声に耳を傾けながらぼんやりと城門から順にたくさんの馬車が出て行く姿を眺めていたジェルベは、ゆっくりと後ろを振り返りアルフレッドへと腕を伸ばして差し出された紙の束を受け取った。

アルフレッドの顔を見てみれば、いつも浮かべている笑顔にほんの少しだけ戸惑いの色が浮かんでいて、彼にとってもまた、今日のパーティーで挨拶にとやってきたエヴァンズとその養女の姿が衝撃的だったというのが分かる。

ジェルベはその報告書を手に部屋の中央に置かれたソファへ向かい、それに身を沈めて静かにその表紙となっている一枚目の紙を捲った。

そこには古くから王家に仕える密偵たちが調べ上げた情報が事細かに記されている。


「それにしても、」


そんな声がして、報告書に走らせていた視線を上げると、いつの間にか目の前にやって来ていたアルフレッドが深々とため息を吐き出しながら丁度向かいのソファに腰を降ろしているところだった。

「なんだ?」と視線で問えば、彼は口元に手を添えてクスリとそこに笑みを浮かべて見せる。


「いえ。本当によく似ていたな、と思いまして。貴方が変な質問をしてきた意味がよく分かりました。本当に、アリスがまだ生きていたのかと思えるほどで、まるで夢でも見ている気分になりましたよ」

「……そうだな」


そっと瞳を伏せてそれに同意した。その瞼の裏にはいつものように、このシーラという人物と同じ顔が浮かんでくる。そして、いつまでも忘れることを許してくれない彼女は、不安げに揺らめく瞳でジェルベを責めたてた。どうして、と。どうして愛してくれないの、と。


「大丈夫ですか?」

「何がだ?」

「辛そうですから」


瞳を開けてアルフレッドを見やると彼は気遣わしげにジェルベを見ていて、嘘をついてもアルフレッドにはお見通しだと分かっていたけれども、それでもジェルベはゆるく首を左右に振って否定してみせた。


「いや、少し疲れただけだ」

「お酒、飲まれますか?」

「酒?」


何故、そこで突然、酒が出てくるのかアルフレッドの意図が読めず眉を潜めると、そんなジェルベをアルフレッドもどこか不思議そうに見つめ返してくる。


「ええ、ついこの間までよく飲まれていたじゃないですか。そのほうが眠れるからって。今日は特に飲まれたいでしょう? エリカ嬢のところへ行かずにお酒を飲まれてはと思ったのですが」


ああ、そういえば確かにそうだったなと、ジェルベは様々な酒の瓶が整然と並べられた棚のほうを見た。あれは良かったなと思う。思考を拡散してくれて何かを深く考えなくていい。時には浅いけれども強制的に眠りに落としてくれたりもした。けれど、


「……いや、いい」


何故だか今はとても気が乗らない。飲みたいとは思わないしそれに、


「行かないとあれのことだ。明日、勝手に待っていただけのくせに昨日は眠れなかったとか散々文句を言ってきて面倒なことになる」

「……それなら別にいいですけど」


エリカのことを思い浮かべながら、実に面倒くさそうにそう言い放つジェルベに、アルフレッドはどこか疑わしげに肘掛けに頬杖をついて刺々しくため息を吐き出してみせる。けれども何かに思い当ったのかその直後、思い直したように顔を上げジェルベに「そう言えば」、と投げかけてきた。


「貴方はあの時、何を確かめたかったんですか?」

「ん?」

「エリカ・チェスリーとダンスを踊るとおっしゃった理由です。貴方、あの時、私に確かめたいことがあるからとおっしゃったじゃないですか」

「ああ、それか」


急に話題が変わったようで、軽く首をかしげたジェルベがアルフレッドの言っていることに思い当たって、それまで手にしていたシーラの調査報告書を目の前のテーブルに置き足を組んだ。そして、ほんの少しだけ考えるように視線を横に流した後、まっすぐとアルフレッドを見詰めた。


「アルフレッド、エリカに関する調査はどれくらい終ってる?」


スッと細められたその瞳に、強張った表情に、アルフレッドはジェルベの纏う空気の異変を感じて姿勢を正し口元に指を添えて考えを巡らす。


「大体終わっていますよ。けれど、結局何も出てこなくて、どうするべきか迷っていたんですよ。そんな時に彼女の口からアブレンの話が出てくるものですから」

「その報告書を見せてくれないか」

「ええ。いいですけど、いきなりどうされたんですか?」

「気になることがあるんだ」

「気になること?」


アルフレッドはジェルベの言葉に険しい顔で首を傾げ、ソファから立ち上がり自分が普段使っている机の隠された引き出しの奥に仕舞われていたエリカ・チェスリーに関する報告書を取り出した。そしてそれをソファに腰かけたままのジェルベへと差し出す。

先ほどのシーラのものの数倍はあるほど分厚くなった報告書。それを手に取ったジェルベは何かを探すようにぺらぺらと素早く目を通しながらアルフレッドに語りかけた。


「前にお前も言っていただろ? あれが普通の庶民と違うと」

「確かに言いましたけれど」

「お前が言ったとおりだ。あれは庶民じゃない。庶民であるはずがない」

「何か、掴めたんですか?」


その言葉にジェルベは報告書から顔を上げ、ゆるく首を振った。掴んだわけではない。けれども、断言することが出来るほどに己の考えに自信を持っている。

だから、アルフレッドの海色の瞳をまっすぐと見据え、そして一つの問いを投げかけた。


「あの、鹿狩りのとき、エリカは最初“運悪く”馬を乗りこなしてしまった。お前はそう言っただろ?」

「ええ」


確かにその通りだ、とアルフレッドは硬い表情で小さく頷く。そして、それがどうかしたのかとその視線でアルフレッドが問いかけると、ジェルベは「それは間違いだ」と静かに、けれどキッパリとした口調でそう言い切って見せた。まるでそれが揺るぎない事実であると確信しているように。


「それだけの腕があったからこそ乗れたんだ。本人が得意だったと言ったその言葉通りに。それにあの馬に乗った姿」


エリカからはじめに馬に乗れると聞いた時、それは農作業の手伝いか、または荷馬車を駆る仕事でもした経験があるからなのだとジェルベは勝手に解釈していた。けれど、あの日軽やかに馬に跨ったその姿を見て、初めて違和感を覚えた。一切の泥臭さが感じられない、ただ気品に満ち溢れた凛とした美しい姿勢。過去の落馬の恐怖によるものなのか、その瞳に不安と緊張の色を浮かべてはいたけれど、それでも馬に跨った彼女は迷いのない見事な手綱さばきを披露して見せた。それはいくら庶民の生活をあまり知らないジェルベにでも分かるほど、本来の身分とはとても不均衡な姿だった。

そして、


「あのベト王の書物も、あれは各王家に1冊ずつしかないはずなのに、何故あれに覚えがある? 今日のようなパーティーもきっと初めてじゃない。毎晩、ドレスがどうとか、当日はベティーが着つけてくれるだとかうるさいほどに報告してきたというのに、ただ一つ、あるはずの問いかけが最後までなかった」


『ねぇ、パーティーってどういうところなの? やっぱりキラキラしていて夢のような場所なのかしら』

エリカならばきっとそんな風に瞳を輝かせながら訊ねてくるはずだと、とジェルベは思っていたのに。

本来ならば、女たちがああいう場所にとても強い憧れを持つらしいことをジェルベも知っていたし、現にアリスだって初めて出席を許された時には随分と前からソワソワして、楽しみにしていたことを覚えている。それなのに、エリカにはそれが一切なかったのだ。もう、すでにその場所を知っているかのように。興味も関心も何も示さなかった。


「ダンスだって踊り慣れてる。次のステップを考えながらなんかじゃない。自然に体が動いていたし途中、会話をするほどの余裕だってあった」


上手いのねと、踊りやすいとエリカは言ってきたけれどそれはそのまま返すことが出来た。いや、ダンスを嫌って避けてきた自分よりも、もしかすると上手いくらいかもしれない、とジェルベは思う。


「あれでただの庶民だなんて有り得ない。あれは、……いったい何者なんだ」


初めて胸に抱いていた疑問を口に出せば、自分で思った以上にその声音は冷たく響いて、ジェルベは知らぬ間に強張っていた体の力を抜くように前髪を掻き上げてため息を吐き出しながら、ソファの背もたれに深く体を預けた。

知れば知るだけエリカという人間が霞んでいく。そして違和感ばかりがが増していく。

エリカ・チェスリーという人間は確かにいるはずなのに、手にしている報告書に書かれていることの一部には実際ジェルベが直接エリカに話して聞かされた思い出話もちゃんとあったのに、この中に居ないエリカが確実に存在するのだ。

まったく、苛々する。

嘘、偽りなくありのままの姿を見せているように見せかけてその実、肝心なところで線引きしてきて、秘密だと、言いたくないとはっきりと言うエリカが、ジェルベはとても気に入らないと思った。それでも、違和感を感じる度に、線引きされる度に彼女の細い腕を掴んで何故だと問い詰めたい気持ちに襲われるけれど、それをしてしまうと警戒心を招いてしまって答えから遠のくだけだと分かっているからそれすらも出来ない。

この距離が、もどかしくてたまらない。


「陛下?」


いつの間に考えに没頭していたのか、突然、アルフレッドの声が聞こえてジェルベはハッと顔を上げた。

「なんだ?」と問えば、アルフレッドはひどく真面目な顔で考え込むように一つの提案をジェルベに持ちかけてきた。


「そこまで、やはりエリカ・チェスリーがおかしいと言い切れるのならばいっそのこともう捕えて聞き出しますか? こちらとしてもアブレンの情報は早く欲しいところですし、エヴァンズ候も動き出した今、こんな駆け引きを悠長にしている場合でもありません。それに今あなたがなさろうとしていることを考えればエリカ・チェスリーは邪魔でしょう?」

「そんなこと許さない」


咄嗟だった。考えるよりも早く、鋭い声でそれを拒んでいた。そんなジェルベをアルフレッドは険しい表情でただ見つめてくる。

何故自分がそのような返答をしてしまったのかよく分からず、ほんの少しの戸惑いを感じながら今度は一呼吸おいてよく考えてみる。確かにアルフレッドの言うとおりなのだとジェルベも思った。アブレンのことを探らせている者の情報によると、今はまだ去年侵略したかつてはフルトだった場所が落ち着いていないこともあってすぐにこのレストアに手が伸びてくるわけではなさそうではあるけれどあまり時間がないことは確かだし、それに何よりもかつての心残りを成し遂げるためには、きっとエリカはいない方がやりやすいだろう。

けれど、と思う。


「……もう少し様子を見ておけ。エリカは……今、何かをしようとしている。焦らなくても向こうから動く」


ダンスの最中、エリカが言っていた言葉はなんとも断片的で不明確でその深い意味を理解することはできなかった。けれど、ああいう意志の強そうな人間は強制してもきっと何も喋らない。それが分かっているから下手に荒らすよりも動くのを待っていた方がいい。


「あの方の言う“自分に出来ること”ですか?」


何か思い当ることがあるらしいアルフレッドに静かに訊ねられて、ジェルベは首を傾げた。


「知っていたのか?」

「マリアですよ。貴方がちゃんと情報を流してくれませんからね」

「そういうわけじゃない」


故意に流してないわけではない。流すほどの情報をエリカが言わないせいだ。ジェルベはそう思ったのだけれど、うっすらと笑みを作り全てを見透かしているように見つめてくるアルフレッドにジェルベは居心地が悪くなってソファから立ち上がった。


「ねえ、ジェルベ」


そんなジェルベを見ていたアルフレッドは静かな凪いだ声でジェルベに呼びかける。

アルフレッドがジェルベを名で呼ぶことは、身分に囚われきる前の幼い頃以来滅多にないことでほんの僅か目を瞠ったジェルベに彼はクスリと笑いかけた。


「私はね、基本的には、もう貴方の考えに従うことに決めたんです。口出ししすぎるのももうやめようと思います。此処は貴方の治める国なのですから」


瞳を伏せて、まるで自分自身を納得させるようにゆっくりとアルフレッドはそう伝えてくる。

そして、その伏せていた瞳を開けて彼は柔らかい物腰でソファから立ち上がりジェルベと視線を合わせた。

けれど、その海色の瞳の中にはまるでうねりのような力強さが秘められていて、その瞳にとらわれたジェルベは思わず圧倒されてしまった。


「けれどね」


アルフレッドはやはり静かな声で続ける。


「もし彼女が危険だと判断したら、その時は貴方の意見など関係なく私が彼女を処分します。いいですね? 王である以前に、貴方は私の大切な従弟であり友人なのですから」


“いいですね?”それは問いかけの形をとっているけれど、実際のところ反論は許さないと、アルフレッドはその声で、瞳で伝えてきた。


「……ああ、わかってる」


ジェルベはアルフレッドの言葉に硬い表情で頷いた。

分かっている。当事者になると、見えるはずのことが見えなくなってしまうことをジェルベは知っているから。だから、それでいい。心が何かを恐れて揺れているけれど、それは無視しておいていい。


「すまないな。アルフレッド」


謝罪と感謝をこめてジェルベはそう口にした。

いつだって、自分はアルフレッドに心配ばかりかけて、そして頼ってしまっているという自覚はちゃんとある。

きっと、いつまでもこのままではだめなのだ。だからこそアルフレッドも、もう口出しすることをやめ自分の意見に従ってくれるなどと言ってくれたのだろう。

もっと強くならなければ。このいつも自分のことを思ってくれる従兄の手を汚さないためにも、きちんと真実を見分け、それと戦う強さを手にしなければならない。

しっかりと前を見据えたジェルベは、そのとき強くそう思った。

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