三三、残された二人
「ったく、どこに行ってたんだよ。このバカ」
陛下に連れられて、パーティー会場である大広間に戻るとすぐにそれに気が付いたらしいオルスがこちらへやってきた。
「ちょっと! こんなところでまでバカ呼ばわりしないでよ」
私は周りに視線だけを走らせ、微笑みを張り付けたまま声を落としてそう訴えた。
どうやらオルスも姿をくらませていた私をずっと探してくれていたようで、それはとてもありがたいと思う。けれど、それとこれは話が別だ。少しは場所を考えて欲しい。
ただでさえここには、国中の貴族や国外からのお客様など多くの人が集まっているというのに、その上陛下と“噂の寵妃”である私が連れ立っているのだ。それはそれは痛いほどの好奇の視線が今、私へと注がれていたりする。
「あれが本当に……?」と疑わしげなものや「庶民からの成り上がり」と蔑んだような視線と言葉が端々から聞こえてくる。そんな中、私が取り繕って澄ましているというのに人をイラつかせるようなことは言わないでほしい。張り付けた笑顔が完全に引きつる。
それを察してくれたのか、なんなのかオルスは一度口を引き結び私をジッと見つめてきた。
「じゃあ、一体なんて呼べばいいんだよ」
「え? ……うーん」
今までは決して有り得なかったまさかの素直な返答に、驚くと同時に改めてそう訊かれると困ってしまう。何がいいだろうか……?
「えっと、……エリカ様?」
うん。これがいいわ。少しは私を敬いやがれっ。
「陛下、このバカを今すぐ処刑しようぜ。バカは罪だ。重罪だ」
「ちょっと! 分かったわよ! エリカでいい。エリカにして」
「……エリカ、ね」
オルスがニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
もう、なんだっていうのよ。
珍しくというか、そういうものなのか、ここひと月オルスとはずっと顔を合わせてなかった。最後に会ったのは、あのなんだか様子がおかしかったときだ。
こんなに憎まれ口を叩くということはすっかりもう本調子といったところなのだろうか。けれど、それにしてはやっぱりなにか違和感がある。そもそも今更呼び方だなんて、何の心境の変化なのだろうか?
さっぱり訳が分からない。
ついつい眉間に皺を寄せて首を傾げていると、スッと隣にいた陛下がその場から動く気配がして私はそちらの方に視線を向けた。
「陛下?」
どこかへ行くつもりなのだろうか? 呼びかけると、陛下は一度立ち止まって私ではなくオルスへと話しかける。
「オルス。もう手は空いてるか?」
「まぁな。元からオレには大して挨拶が必要な人間なんていないしな」
「ならエリカを頼む」
「ああ。……陛下は?」
「まだもう少しかかる」
「分かった。任せといてください」
そりゃ、陛下の頼みをオルスが断るはずないものね。
でも、オルスに任されるのなんて私、嫌なんだけど。なんでよりによってこいつ? まぁ、アルフレッドと2人もちょっと怖いからご遠慮したいけれど、それでもオルスと2人なんて嫌だ。けれど、さっき見事にキャロルたちに連れ去られてしまった私に抗議する権利などあろうはずもない。黙ってそれを受け入れるしかない。そう、黙って……。
「最悪」
「なんか言ったか?」
「別に」
つい、悪意を持って呟いた私をオルスがキッと睨みつけてくる。人をバカバカ言ってくれたお返しだ。
陛下がそんな私たちを一瞥して人の集まっているところへと去って行った。
「陛下ってこういう場所あんまり好きじゃなさそうなのに大変ね」
「ああ。だからこういうパーティーの前はいつも以上に機嫌が悪い。お前も受けた側室選定試験の前なんかもう最悪でアルが大変そうだったな。まぁ、バカな大臣どものせいで一番の被害者になったのは間違いなく陛下だけど」
「それは可哀そうと言えばいいのかしら?」
その選定試験のお蔭で今ここに居る私としてはなんと言えばいいのか困る。
そのとき、私が視線で追っていた陛下にボサボサ頭のアルフレッドが歩み寄り、声をかけるのが見えた。
「ねぇ、そういえばアルフレッド様のお母様ってどんな方?」
「は? なんでアルの母親?」
私は陛下とアルフレッドの姿が遠くに消えたところで、このまま会場の真ん中に立っているのもなんだろうとオルスを促して並んで壁際へと向かうことにする。
「さっき、ランベール……じゃなくてオードラン公爵さまと会ったから、あの人の奥さんってどんな人かと思っただけ」
何故そんなことを訊くんだ、と訝しげに私を見るオルスにそう付け加えた。
ティアにも散々プロポーズしてきたランベールは結局、どんな人と結婚したのだろう?
それはこれまでは別にどうでもいいことだったはずなのけれど、久しぶりにランベールの姿を見て、その姿に過ぎ去った年月を感じて、彼はあれからどんな人生を歩んでいたのだろうと急に少しだけ興味が湧いたのだ。
それにもし、ランベール自身に何か思惑があってあんな振る舞いをしているにしろ一見ただの女好きであることは変わらなくて、そんな彼と結婚しようと思うなんてやっぱりその人は男の趣味が悪すぎではないだろうかと思わざるをえない。政略結婚だったのならご愁傷様だ。
そう思いながら顔を顰めているとオルスは漸く合点が行ったという風に「ああ」と納得したような声を上げた。
「なるほどね。あのおっさんに甘い言葉でも吐かれたか? でも安心しろ。あの人はあの人で一応愛妻家だ。なんて口説かれたか知らないけどな、実のところお前なんて全然相手にされてない。公爵夫人に罪悪感を抱くだけバカだから気にするな」
「いや、そんな罪悪感なんて微塵も抱いてないし。それにしても愛妻家なの? あの男が?」
そんなの嘘だろ。想像もできないんだけど。っていうか無理があるんじゃないかとすら思ってしまうんだけど。
胡散臭く思いながら、横に並び壁にもたれ掛かって腕を組むオルスへと視線を向けるとオルスは可笑しそうに笑った。
「割とな、夫婦仲はいい。あの2人だからな、砂吐くようなノリだ」
「あの2人って、だから奥さんってどんな人?」
「ぽやぽやしてつかみどころのない人、だな。ちょっと他人とずれててなんて言うか緊張感と言うものがない」
「へー。ねぇ、その方どこに居るの? 見てみたい」
「いや、いつもこういった場には参加しないから居ないぞ」
「なんで?」
「さあ? 連れて来たら公爵が堂々と女遊びできなくなるからじゃねぇの?」
「……最低」
「お前よりましだろ」
は?
ランベールが私よりまし? なんで?
「どういう意味よ?」
私がいつランベールの女遊びよりもひどいことをしたというのだろう。オルスの言ったことの意味がさっぱり理解できなくて視線だけ向けていたオルスに体ごと向き合い、その理由を訊ねた。すると、オルスは少しだけ口を引き結んだあと、私を上から睨みつけ威圧感を漂わせながら冷たい声音で逆に問い返してきた。
「お前さ、陛下のこと何も知らずに側妃になるためにここに来たんだろ? 相手は国王でさえあればどんな人間でもよかったんだよな?」
「それは、確かにそうね」
オルスの言い方はなんだかすごく嫌な感じだけれどそれでも肯定せざるを得ないだろう。
一応、簡単な情報を買っていたけれど、それはとても十分だと言えるものではなかったし。
「そんな意識で側妃になれるんだろ? お前は本来側妃が何か知ってるのか? 知らずにここに来たなら救いようのないバカだし、知ってるならやっぱりお前の方が最低だ」
ああ、なるほど。そういうこと。
今の生活が恵まれすぎていてすっかり忘れていたけれど、側妃とは本来なんなのかは勿論ちゃんと知っている。
それに私は選定試験を受けるときこう考えていた。
“陛下の子を産み、寵愛をうけることさえできれば一生王族と変わりない生活を送ることが出来る”と。
思い返せば、色々と無理がありすぎるけど。でも、そうではなかったとしたら、
「……確かに、最低かもしれないわね」
私がしぶしぶそれを認めると、オルスが更にスッと鋭く目を細めたのがわかった。
けれど、と思う。
仕方がないじゃないか。
私がティアとして生きていたころ、私に求められていたのは王女としてアブレンに利益をもたらすための結婚をすることだったから。私の意思も、夫となる人の人柄もそんなもの関係なかった。それが華やかな暮らしの代わりに私に与えられた役目だって、それくらいのことはいくら私でもちゃんとわかっていたから、ずっとそう思って生きていたから、いざエリカに生まれ変わってもやっぱり結婚にみるのは愛でも夢でもなかった。まぁ、あればいいなくらいは思っていたけれど。
それでも結婚とはただの手段の一つ。
そういう認識がまだ確かに残っていて、だからこそ側室募集の張り紙を見たときも何も躊躇うことなんてなかった。
そう言い訳してみてもやっぱり救いようがないかもしれないけれど。
「エリカ、お前さ……」
「でもねっ」
私を睨みつけたままのオルスに硬い声で名を呼ばれて、私は慌ててそれに言葉をかぶせた。
「でも、陛下がどんな人かも知らずにここに来たけれど、それでも陛下が陛下で良かったと私は思ってるのよ。最近ね、貴方が陛下のこと大好きな理由が少しだけ分かるの。無愛想で冷たいけれどいいところちゃんとあるもの」
それに、彼のそばはとても居心地がいい。
「いくら豊かな生活をしたいからっていっても相手が最悪だったらいくら私でも逃げ出してるわ。だからね、私はちゃんと陛下を知って今ここに居るの」
更に責められる前に、せめて誰でも良かったわけではないとそう訴えた。けれどもオルスの表情はちっとも緩むことはなく、逆に苦々しげに歪んでしまった。
「それって、どういう意味だよ」
一歩進み出て私の前に立ったオルスがそういきり立つ。
どういう意味って、なにが?
何がそんなにオルスの気に障っているのか、よく分からずに私は戸惑ってしまった。
でも、これ以上こいつと話してても、なんだかもう怒らせてしまう一方のような気がして、どうしようか迷ってオルスの肩越しに辺りを見回していると陛下がこちらにやってくるのが見えて私は少し驚いてそちらに声をかけた。
「あれ? 早かったのね」
私の言葉にハッとオルスが後ろを振り向いてまた壁際のほうへと戻ってくれた。
私はそれにそっと気付かれないように安堵のため息を吐き出す。
「まあな」
陛下が私の前に立つと、その後ろから陛下を追いかけるようにアルフレッドもやってきた。
「陛下は逃げてこられたんですよ。ほら、もうダンスが始まるでしょう? ご令嬢やその父親に捕まる前に、ね」
「あぁ、なるほど。陛下、そういうの嫌いそうだものね」
「逃げてきたんじゃない。エリカ」
「なに?」
「お前と踊る」
え?
アルフレッドの言葉にダンスを嫌がるなんて陛下らしいと納得していた私は陛下から突然かけられたその言葉に一瞬固まってしまった。
踊るの? なんで?




