三一、建国記念パーティー
可憐で美しいイエローサファイアとダイヤのネックレスが、ひんやりとした冷たさと重さをもってパチンと小気味のいい音を立てながら私の首に付けられた。鏡越しで、それを付けてくれたベティーが満足そうに笑って一つ頷く。
「よろしいですよ。エリカ様。良くお似合いでございます」
「ありがとう、ベティー」
それは長い時間をかけた着付けの終りの合図で、私は腰かけていた椅子からゆっくりと立ち上がり、鏡に向かって一度くるりと回って見た。上品な光沢のある、黄色のドレスの裾がふわりと揺れる。
結い上げられた栗色の髪に差し込まれた髪飾りも、全身に散りばめられたアクセサリーも全てこの日のためにドレスと合わせて作られた、特別なもの。
うん、いい出来。
基本的に着飾ることが大好きな私の顔がつい緩む。
あまり派手すぎるのは好きじゃない。それよりも品があるものがいい。綺麗なものも好きだけれど、決して色気があるわけじゃないエリカには大胆なものより可愛らしい花をあしらったようなドレスの方が似合う。そういった私の考えをいつの間にか理解してくれていた者たちがデザインから手がけた逸品だ。不満なんてあるはずがない。
私は上機嫌で振り返り、部屋に置かれたソファのほうまで駆け寄った。昼間のこの時間時に珍しく部屋を訪れた陛下はいつかのように肘掛けに頬杖をついて目を伏せている。眠っているように見えるけれど、私はもう騙されない。
「ねぇねぇ、陛下」
構わずにそう声を声をかけると、ゆっくりと現れる濃い青の瞳。
そのままそれは私に向けられて、なんだ? と視線で問いかけてくる。私はそこでもう一度くるりと回って陛下に「どう? 似合う?」と問いかけてみた。
けれど、陛下はさして興味もなさそうに私を見上げただけ。何も言わない。
まぁ陛下だし、期待はしてなかったけれど。
別に父上や兄上がくれたような賛美が欲しかったわけじゃない。自分でいうのも悲しいけれどエリカが着飾ったところでたかが知れてる。ただ、ちょっと尋ねてみたくなっただけよ。
だから、褒めてくれなくたって別にいいわ。
そうは思いつつもやっぱり面白くない気持ちはあってついついむくれる私に、陛下は一つ呆れたようなため息を吐き出して、諌めるような厳しい顔を向けた。
「エリカ。浮かれるのもいいが、それよりもちゃんと今日のこと分かってるだろうな」
言うに事欠いてそれですか。
もう充分わかってるのに。
今まで再三に渡り言われ続けていることをまた確認されて、私は内心うんざりしつつも大きく頷いて見せた。
「勿論。ちゃんと大人しくしてる。余計なことはしない。なるべくアルフレッド様やオルスと行動を共にして一人にならない、誰かに付いて行ったりしない。これでいいのよね?」
「ああ。くれぐれも、だ」
「はいはい。承知しておりますよーだ」
私はそれだけ言ってふんっとそっぽを向いた。
今日の建国記念式典とパーティーでは、陛下は私と行動を共にしない。私はただの側妃だから。
陛下の隣に並ぶのは“王妃”ただ一人。
今はその席が空席だからと言っても、悪く言えば愛人である側妃が代わりに、というわけにはいかない。
だからこそ陛下が傍で見張れない代わりに私はいろいろと約束事を決められているわけで、どうやら前科もち扱いの私はとても警戒されていたりするようだ。私だって好き好んで毎回騒ぎを起こしているわけじゃないのに。
「エリカ」
「なによ」
陛下がため息をついて後ろで立ち上がる気配がした後、私の上に影がかかった。
振り返って見上げると、私を見ていた陛下がふっと瞳を伏せて、一度小さくかぶりを振った。
「……いや。先に行く」
「あ、うん」
それだけ言って、陛下はさっさと部屋から出て行ってしまった。
「結局あの人は何をしに来たの?」
特に何をするでもなく去って行った陛下。私は音を立てて閉じられたドアを見つめながら一人呟いた。
もしかしてわざわざ念を押しに来たとか? もしそうだったとしたら私はどれだけ信用がないのだろうか。
思わず眉間に皺を寄せた私の後ろでベティーがクスリと小さく笑ったのが聞こえてきて、どうしたの? と首を傾げて振り返ればベティーは「なんでもありませんわ」とにこりと笑う。
なんでもないと言うのなら何故笑ったのだろう。さっぱり分からない。けれどベティーは納得しきれない私に曖昧に微笑むだけでその真意を教えてはくれなくて、私にはすっきりとしない胸のもやつきだけが残った。
*-*-*
それにしても、参ったわ。
退屈な式典が無事終わった後、華やかなパーティー会場へと様変わりした大広間の中で私は一人、食事選びに勤しんでいた。
一緒に会場入りしたアルフレッドとオルスは式典の間こそ一緒に居たけれど、パーティーが始まるとそれぞれに付き合いというものがあるらしく色んな人から声をかけられ、そのうちこちらを気にしながらもやむを得ずといった感じでどこかへ行ってしまった。出来るだけ一人にならないようにと陛下から言われていたけれど、まぁ、それは無理な話だったというわけだ。こればかりは不可抗力だから仕方がない。
一人きり取り残された私は、だからと言って壁の花になって暇を持て余す気はない。私は私なりに大人しくパーティーを楽しむつもりだ。
あ、このローストビーフ美味しそう。
私は狙いを定めて、それを自分のお皿に取り分けようと手を伸ばした。
けれどそのとき、
「あの、もしかしてエリカ・チェスリー様ですか?」
急に横から名前を呼ばれて私は手を止め、そちらに視線を向けた。
その先では、おそらく初対面と思われる私と同じ年くらいの女性三人がこちらに笑顔を向けている。
「ええ。そうですけど、何か?」
「まぁ、やっぱり! そうだと思いましたの。流石陛下の寵妃さま。とてもお綺麗な方」
「え、っと?」
私はとりあえず戸惑ったように小さく首を傾げてみせた。
なに? この白々しい人たち。お綺麗なのは貴方たちの方じゃない。こっちは陛下からノーコメントを喰らったっていうのに、もしかしなくても嫌味か。
ちっ。面倒そうなのに囲まれた。
「わたくし、キャロル・ベネットと申します。こっちがセシリー・アディソンでこっちがフローラ・コレット。あの、わたくしたちエリカ様と仲良くさせていただきたくて。よろしければ一緒にお話ししませんか?」
にこやかに微笑んでくる三人に、私は今度は本気で戸惑ってしまった。
私だってこんな場は初めてじゃない。それどころか前世では幼いころから身を置いていた場所だ。表も裏も知りすぎるくらい知っていて、だからこそ彼女たちが何か目的をもって近づいてきているのだということくらい簡単に分かる。
それに、はじめに名乗ったキャロルとかいう人、あの鹿狩りに来ていたベネット伯爵と姓が同じだわ。もしかしなくても娘かなにかだろうか。なんだか嫌な予感がプンプンする。これは断わっておいたほうがいいわね、うん。そう結論づけた私は改めて彼女たちと向かい合い、申し訳なさを装いながら口を開いた。
「折角なのですけれど」
「まぁ! 嬉しいわ。ありがとうございます。ではあちらの方へ参りましょう。ここでは騒がしくてゆっくりお話なんてできませんもの」
「えっ、ちょっと」
なんなの? この人たち。私の言葉を遮って被せられた言葉に私は唖然としてしまった。
キャロルと名乗った人が勝手に私の手をぐいぐいと引っ張りだす。私の意思は全く無視で強引極まりない。この三人はどうやら私に陛下との“誰かに付いて行ったりしない”という約束まで無理やり破らせる気のようだ。
困ったわ。
どうやってこの手を振りほどこう。
首をめぐらせて、助けを求めるためにアルフレッドとオルスを探してみたけれど、どこにも見当たらないし、かといって大声を出して目立ってしまうわけにはいかない。どうしよう。そう考えている間にもずるずると引っ張られてあっという間に私は庭へと連れて来られていた。
「嬉しいわ。ずっとエリカ様とお話ししたかったんです」
楽しそうにキャロルが笑う。他の二人ももあくまで笑顔だ。
とりあえず危害を加えられることはないのだろうか? いや、でも私でも驚いてしまうほど強引だし、とりあえず警戒心を全開にして様子を窺うことにしよう。
「あの誰もお傍に上がることが叶わなかった陛下の寵妃になられた方ですもの。きっとエリカ様は素敵な方なのだとわたくしたち話しておりましたのよ」
「いえ、そんなことは」
キャロルの言葉を私が否定するとキャロル、セシリー、フローラの順に声が上がった。
「まぁ、そんな謙遜なさらないで。ねぇ、陛下ってどんな方ですの?」
「お優しいの?」
「あの美しい陛下と毎日過ごすことが出来るなんてエリカ様が羨ましいですわ」
きゃっきゃと彼女たちの明るい声が響く。ん? もしかして本気で話をするつもりなのだろうか。いや、でもこれはこれで困るんだけど。私は本来、寵妃でもましてや本物の側妃でもない。陛下のことなんて聞かれても何も知らないわ。
何とも言えない戸惑いに頭をぐるぐると回していると、
「ねぇ、エリカ様。わたくしたち今度、エリカ様の元にご訪問してもよろしいかしら。折角ですもの。これから親睦を深めていきたいわ」
にこにことキャロルがそう問いかけてきた。それを聞いてなるほど、やっと彼女たちの目的が見えた。攻撃されることもなく、やけに好意的だと思ったらそういうことか。つまり、私を介して陛下とお近づきになりたい、と。陛下の目に触れる機会を作る道具として私は使われるらしい。本当に仲良くしてくれるつもりだという可能性がないことはないけれど、多分こちらの解釈で合っているはずだ。
それにしてもご訪問は、ね。
「それは陛下の許可がないと、私にはなんとも」
私が勝手に人を城に招き入れることなんてできないわ。
「そうなんですの? 残念ですわ。そうだ! それならいっそ今から許可をいただきに参りましょうよ」
キャロルのそんな提案にセシリーが大きく頷く。
「まぁ! それは名案だこと」
「いえ、でも今はご挨拶でとても忙しそうですし」
お料理を選んでいる最中にちらりと見えた陛下は鹿狩りの時と同じように口元に笑みを作って、取り囲む人たちと話をしていた。そんな中、邪魔をしに行くわけにはいかない。しかもこんなにくだらない用事で。
「あら、でもエリカ様のお願いを聞く時間くらい陛下はきっと作ってくださいますわよ」
私の柔らかな拒絶をまったく意に介さずフローラが笑ってそんな事を言う。
いや、それはどんな根拠があっておっしゃられているんですか? 無理に決まってるじゃない。時間があっても陛下は私のお願いを聞いてはくれないのに。ついつい心の中で突っ込みを入れてしまった。本当に強引な人たちだ。困ったな。もう逃げ出していいかしら。
「楽しみですわ。エリカ様のお部屋。側妃さまってどんなお部屋をいただけるのかしら」
いや、まだ何も決まっていないし、そもそも了承なんてしていないのに彼女たちはもう押しかけてくる気満々で、遂にはいつがいいか、手土産はどんなものがいいかなんて勝手に話を進めてだしてなんだかもう私には付いていけなくなってしまった。もう面倒くさいし、とりあえず今は流されたふりをしてあとでアルフレッドにでも対処をお願いすることにしようか。
そんな風に考えてしばらく大人しく聞き流していると、
「そういえば、」
とキャロルが気が付いたように声を上げた。
「エリカ様付きの侍女にあの黒猫がいるのでしょう?」
黒猫? それは何の話だろうか? よく分からず私が首を傾げると、キャロルは忠告でもするように真顔で私に向き合った。
「早くお外しになられた方がよろしいですわよ。エリカ様の評判まで悪くなってしまいますから」
「不吉ですわね。陛下も何でよりにもよってあんな女をエリカ様に付けたのかしら。余計調子に乗るではありませんか」
「本当に嫌な性格していますものね。あの方、自分さえよければいいといった感じで。エリカ様は何か嫌がらせを受けたりしてませんか?」
セシリーとフローラもその“黒猫”と呼ばれる誰かを思いっきり批難する。
「なに、それ?」
「まぁ! やっぱりご存じありませんの?」
ご存じないどころか何も思い当らない。
私の侍女で黒って言ったら黒髪のマリアくらいだけど。あ、そう言えば自業自得で今日この場に出席できないとかなんとかマリアが言ってたような?
まさか……??
「黒猫ってもしかしてマリアのこと?」
私が半信半疑でそう訊ねてみると彼女たちは一様に大きく頷いた。
「ええ、そうですわ。マリア・ウェルタン。彼女は早く追い出した方がエリカ様の為ですわ。ねぇ?」
「ええ」
「そうですわ」
キャロルの言葉にセシリー、フローラが続く。
なんなのよ、一体。
その言葉に私の頭がピシリと大きな音を立てた。
あぁ、ダメだ。もう我慢の限界。
私は薄く浮かべていた笑みを取り去り、キッと強く彼女たち睨みつけた。もう愛想を振りまくのはお終いだ。
「申し訳ないけれど、私は貴方たちと仲良くなんてできないわ。マリアは私の大切な侍女なんだから。毎日ちゃんと真面目に仕事をしてくれて私の我が儘にも付き合ってくれてとてもいい娘なのよ。マリアのことよく知りもしないくせにそんな風に悪く言う人となんて付き合いたくなんてないわ」
「まぁ! よく分かっていないのはエリカ様のほうですわ。わたくし達はただエリカ様の為を思って教えて差し上げただけですのに。きっとまだ本性を表していないだけでエリカ様を利用しようとしているのですわ。お気を付けにならないと」
「そんなの要らないお節介よ。私を利用しようとしているのは貴方たちの方でしょ? 私はマリアが大事だもの。それだけで充分だわ」
私の言葉に令嬢たちが苛立ったのが分かった。先ほどまでのにこやかさはどこへやら三人とも思いっきり顔を歪めている。
「流石あの黒猫のご主人様」
キャロルが小さく呟いたのが聞こえた。
先ほどまでの甲高いものとは違って静かなその声はなんだかすごく怖い。
あぁ、これは危険かもしれないわ。早く逃げよう。
そう思ったとき、急に後ろからパチパチパチと大きく手を叩く音が聞こえてきて、私は驚いてハッと振り返った。
だれか居たの!?
気配がないから気が付かなかった。
けれどそこには肩まで伸ばされた金の髪に海色の瞳の、壮年の男が窓枠に凭れ掛かるように立っていて、目があった瞬間彼はニコリと私に笑いかけてきた。
「僕もね、あの娘のことは気に入ってるんだ。一途で一生懸命なところが可愛いよね。もうちょっとうまく立ち回れないものかとは思うけれどそんなところもまた愛らしい」
柔らかな声。
――懐かしい。
歳をとった、と思う。目尻にはあの頃はなかった皺が出来ている。けれど、面影はしっかりと残っていて、にじみ出る雰囲気も軽い言動もあの頃のまま、ちっとも変わらない。この男は、
「……ランベール王子」
驚きに目を見開いた私は、思わずその名を口にしていた。




