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私の玉の輿計画!  作者: 菊花
本篇
29/101

二九、変わりゆくもの

鹿狩りから数日が経ったある日の昼下がり、私は回廊の一角にある柱の傍らで一人ぼんやりと中庭を眺めていた。中庭には夏らしい大胆な花が力強く咲き誇っているけれど、日差しが強すぎるからわざわざ近くに行って眺めようだなんてとてもじゃないけれど思えない。

少し遠いけれど花はここから眺めるだけで充分だ。別に花が見たくてここにいるわけじゃないし。

屋根のある回廊は陰になっているし、風もよく通って気持ちがいい。目を閉じるとなんだか眠気が襲ってきた。


平和、なんだけどね。


去年までの私にはまるで想像もできなかった穏やかな生活。

時間がゆったりと流れていく。

でも、それは私だけに限ったことで、この眠気の原因を思うと何故だか今はそれを素直に喜べない。

私はここ数日のことを想い返しながら目を閉ざしたまま、軽く柱に寄りかかった。石造りの柱がひんやりと心地いい。

しばらくそうしたまま耳を立てていると、小さく複数の足音が近づいてくるのが聞こえてきて、私はもう一度身を起こし、そちらを見てみた。


「陛下?」


見ると相変わらず煌びやかな陛下が数人の文官、護衛を引き連れてこちらに向かって歩いて来ているところだった。とても忙しいのか陛下は手に持っている書類を捲りながら後ろに付き従う文官の一人と何やら難しい顔で話をしている。

そこで、ふと視線を上げた陛下がこちらに気が付いた。


「こんなところで何をしてる」


私の目の前で歩を止めて、陛下がそう訊ねてきた。後ろに続く文官たちも一緒になって立ち止まる。


「マリアを待っているの。さっきまで居た書庫に忘れ物をしたんですって。すぐに戻ってくるとは思うんだけど」

「ふうん」

「陛下は忙しそうね」

「まあな」

「……そう」


その答えに、私は自分のことではないにも関わらずため息が漏れそうになる。

あの鹿狩りの一件以来、陛下の周りはとても慌ただしい。今度の建国記念式典の準備に加え、鹿狩りに参加して謹慎となった貴族たちの仕事の穴埋めをしなければならないためだ。無駄に地位の高い彼らの仕事は下っ端たちのものとはわけが違う。だからこそ、それらのしわ寄せを受けるのは全部陛下やアルフレッドなのだとマリアが言っていた。謹慎は処罰のはずなのにどちらが罰を受けているのかわからないこの状況はなんとも腹立たしい。まぁ、アルフレッド曰く彼らには他のお仕事をやってもらっているらしいけれど。

それでも陛下たちが忙しいのには変わりがなくて。


「ねえ、陛下は今日も遅くまで政務なの?」

「そうだろうな」


この数日は毎日、陛下が私の部屋を訪れる時間も遅くなっている。日が越えるか越えないか、そんな時間までやらなければならないことに溢れているらしい。私は私でやっぱり一人の夜は落ち着かず、なんとなく陛下がやってくるまで眠れずにいて、そんな私に陛下はいつも呆れたような顔を向ける。


「心細いならマリアに言えばいい。あれなら寝るまで付き添ってくれるだろ」

「それはそうかもしれないけど……」


何かが違う気がする。なんだろう。このもやもやは。なんだか納得できなくて口を歪めて視線を下に落とすすと、陛下とは別の、よく知った太い声が急に私の上から降ってきた。


「何、バカのくせに甘えたこと言ってるんだよ。一人で寝るくらいなんともないだろ」

「オルス!」


なんで? さっきまでこいついなかったのに。どこから出てきやがった。


「別にいいじゃない。あんたには迷惑かけてないんだから文句を言われる筋合いはないわ」


顔を上げた私はオルスをキッと睨みつけた。

どうせこいつのことだから何か言い返してくるだろう。それに備えなければ、と身構えたけれど今日は何か様子が違って私を鋭く睨み返してきたオルスはそのまま口を噤んで視線を逸らしてしまった。

あれ? どうしたんだろう? なんか、変?

なんだかいつもと様子の違うオルスに首を傾げていると、横から陛下に従っていた文官の一人が声をかけてきた。


「陛下、あまり時間がありませんのでそろそろ……」

「ああ」


そう頷いて、私たちを一瞥した陛下は文官たちと共に去って行く。


行っちゃった。


なんとなくその後姿を見送っていると、その場に共に残ったオルスが「なぁ」と呼びかけてきた。


「なによ」


私はオルスに向きなおって対峙する。けれど、声をかけてきたくせにオルスのその視線は逸らされたまま、なんだか言いにくそうな声音で訊ねてきた。


「もう大丈夫なのか?」

「なにが?」

「鹿狩りの時の」


鹿狩り?


「あぁ、あれならもうすっかり。もともと怪我もなかったしね」

「……そうか」


あれからもう何日も経っているのに。今更どうしたのだろう? あの日だってそんな事訊きもしなかったくせに。でも、


「心配してくれたの? ありがとう」


オルスはムカつく奴だけれど悪い奴ではないわ。それは分かっているからこれは素直に嬉しいと感じた。

けれどオルスは「そんなんじゃない」と気まずげに顔を歪める。

やっぱりオルスらしくないその姿に私は少し戸惑いを覚えてしまう。どうしたのだろうか? なんだかこっちまで調子が狂うじゃないか。


「……なぁ、バカ」

「なに?」


ようやく、迷うような視線がゆっくりとこちらに向けられる。

でも、今度は逆に何も言葉を発さない。


「どうかしたの?」

「……やっぱなんでもない」


それだけ言って再び視線が逸らされてしまった。

溜めに溜めておいてなんでもないって、とてもそんな風には見えないのだけれど。何なのだろう、この煮え切らない態度は。

こういうのが一番、言葉の続きが気になる言い方だっていうのに。

さて、どうやって吐かせよう。そう考えていた時、こちらに向かってパタパタという足音が聞こえてきて私はそちらに視線を向けた。

思ったとおりマリアがこちらに向かって駆けてきている。


「お待たせしましたエリカ様。あら? オルス様もご一緒だったんですか?」

「ええ。マリアは忘れ物あった?」

「はい。お蔭さまで」


マリアがにっこりと笑う。


「じゃあ、オレもう行くな」

「え? ちょっと」


続き、まだ聞いてないのに。けれど、振り返るとオルスはもう後姿をこちらに向けて歩き出していた。


「そうだ、バカ女。せいぜい身の回りには気をつけろよ。お前を敵視する人間が急増中だ」


振り向かずにそれだけ言ってオルスはひらひらと手を振って去っていく。


「何よ、あれ」

「さぁ。でも、オルス様のおっしゃったことは嘘ではありませんわ。充分気を付けなければなりません。今度の建国記念式典などは特に」

「うん、分かってる」


鹿狩りでのこともあったことだし、また次に何があるのか分かったものじゃない。絶対に負ける気はないけれど、だからこそ気は抜けない。

私とマリアも部屋に向かって歩き出す。


「さっきね、陛下に会ったの。今日も忙しいって。建国記念式典の準備って大変ね」

「そうですわね。特に今年は建国400年ということもあって諸外国の王族の方などもお招きしていますし、手配することも多いみたいですからね」


諸外国の王族?

もしかして、そんな希望が胸に宿る。


「ねぇ、マリア。諸外国の王族って、アブレンの王も来たりするの?」

「……エリカ様?」


スッと、マリアの周りの空気が強張ったのが分かった。

どうしたのだろう? そう考えたとき、そう言えば以前、マリアがアブレンが他の国を侵略しているとかなんとか言っていたのを思い出した。

侵略なんて言葉、あまりにも昔の兄上からは想像できないもので、何かの間違いなのだと、きっと嘘なのだと、正直どこか信じきれていなかった。けれど、


「いえ、なんでもありませんわ。アブレンの国王はお見えになりません。招待もされていないはずです。かの国は、今はどことも友好を結んでおられませんから」


きっぱりとマリアは言う。

マリアのその態度にやっぱり、間違いでも嘘でもないのかと思わざるを得ない。

でも、


「……そんな」


なにがあったのだろう? 以前はそんなことなかった。様々な国と良い関係を築いていたはずなのに、なんでそんなことになっているのだろう。

一目だけでも、遠くから見るだけでもいいからお会いしたかった。今はどんなお姿になっているのだろう。元気でいてくだされば。そう思っていたけれど、まるで兄上にもアブレンにも深い霧がかかってしまったようにその姿が見えない。


「エリカ様はアブレンの国王にお会いしたいのですか?」


打ちのめされるような困惑に頭を抱えているとマリアがそんなことを問いかけてきた。

ここは、正直にええと言ってもいいのか、やっぱり否定した方がいいのか。

きっと、このレストアがアブレンを警戒しているというのなら、私は否定するべきなのだろう。けれど、嘘はつきたくない。そんな嘘、つけないわ。アブレンも兄上も今でも大切だもの。否定なんてしたくない。

そうだ。義姉上は、義姉上はどうしていらっしゃるのだろう。ちゃんと兄上を支えてくれているのだろうか。情報が欲しい。少しでも何かが分かれば。それを得るならば義姉上の祖国の方と接触した方が早いのかもしれない。


「ねぇ、マリア。あの国は? クレオの王族は来るの? そっちになら会える?」

「クレオ? ですか? ……そんな国ありませんけれど」

「……え?」

「いえ、ちょっと待ってください。なにか聞いたことがあるような……」


マリアが考え込むように視線を落とした。

ないって、どういうこと? ちゃんと、アブレンの南にあったはずだわ。だからこそ争いを避けるために兄上がイオラ様を娶ったんじゃない。あれ? でもさっきマリアが今、アブレンはどことも友好を結んでいないと言っていた。それは……?


「そうです! 思い出しましたわ。クレオはアブレンに一番初めに滅ぼされた国です。よくそんな古い国ご存知でしたわね」


クラリとした眩暈に襲われる中、マリアが不思議そうに首を傾げるのが、霞む視界の端に写った。


滅ぼされたって、じゃあ義姉上は?


兄上、これは一体――?






「また起きていたのか」


突然、陛下の声が聞こえてきて私はハッとした。

いつの間に時間が経っていたのだろう。ベッドに座ったままずっと考え込んでいたから気付かなかった。

滅ぼされたクレオ、侵略を続けるアブレン、私が居なくなってから何が起こっているのか。

けれど、考えても考えても何もわからなかった。


「エリカ?」


もう一度声をかけられて、自分が取るべき行動を思い出す。


「あ、うん。じゃあ、もう寝る。おやすみなさい」


とりあえず傍まで来て不審そうに私を見る陛下の視線を避けるために、私はベッドに潜り込もうと布団をめくる。

けれど、その直前で珍しくも陛下に声をかけられた。


「お前は何を考えてる?」


考えてる、その言葉に反応して思わず陛下を見上げると、私は射抜くような瞳で見つめられていた。


「マリアが困惑してた」

「ごめんなさい」


「ねぇ、陛下」

「なんだ」

「あの、……」


開きかけた口が、戸惑ってやっぱり言葉を作れなかった。

怖かった。それを訊ねることも。


――レストアとアブレンが戦をすることもあり得るの?


クレオのようにレストアが滅ぼされてしまうことも有り得るの?

それを兄上がするの? そうなったらみんなはどうなるの?

怖い。そんなのは嫌だ。

だから、


「ねぇ、レストアはずっと平和よね?」


祈りを込めて陛下にそう訊ねた。

ここはもうとっくに私にとって大切な場所になっていて、だからずっとずっとこんな日々が続いてほしい。


お願い、兄上。

大好きな兄上がこの場所を奪わないで。

例え兄上が変わってしまっていたとしても、ずっと大好きなままでいさせて。

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