二五、演者たち・後
ふと視線を戻すと、何やら貴族のおじさま方が、苦々しげに歪んだ顔をお互いに見合わせ、気まずそうな沈黙を作っていた。
なるほど。
私たちのやり取りは仲良さげなものに見えていたらしい。思わぬ収穫なのかこれすらも陛下の思惑通りなのか。後者だとしたらやっぱり少し悔しい。
私がもう一度顔を上げて陛下を見ると、まるで場の沈黙を気にしていないように、私を一度放した彼は「何か食べたいものはないか」と問いかけてきた。
適当に選んだものを一緒に連れてこられていた給仕たちが取り分けて持ってきてくれる。
本当は食欲なんてなかったのだけれど、ここでなにも食べないと食事のマナーもなっていないからそれを避けたのだと思われる可能性が充分にある。こんな場での立食になんてそんなもの何もないように感じるけれど、それでも全てが無関係とは言い切れないのだ。
だからね、ほらやっぱり。気を取り直したかのような貴族たちにジッと見られてる。
私がパンを千切る動作、大きさ、千切った先を向ける方向一つ一つをさりげなく、でも鋭い瞳で確認している。
何か一つ間違えでもしてたらその場で捕って食われそうな雰囲気だ。でも残念でした。私がそんな失敗するわけないじゃない。
だけど、ただでさえ喉を通りにくかった食事はなんだかさらに口の中で重量を増したような気がする。一口が辛い。
あぁ、いつも通りお城でゆっくりと朝食を楽しみたかった。
そう思わずにはいられないもの悲しさを感じながら、私は優雅なしぐさを心掛けてもう一度パンを千切りそれを小さく開けた口に押し込んだ。
「チェスリー殿、どうです? 城の生活には慣れましたか?」
食事がひと段落すると、それを待っていたように先ほどのアーロン候が傍に寄ってきて、再び陛下に捉えられた私に話しかけてきた。
一見、私を気に掛けているような優しげな笑顔で。
こちらも演者だけれど、それは向こうだって同じだ。どれだけ表面を取り繕いながら相手の急所を突けるか。それが今日の課題ともいえる。
私は努めて穏やかに、「ええ、もうすっかり」と微笑んでみせた。
勿論、心の中では『お蔭様で快適に過ごさせていただいてますわ。だから邪魔しないでくださいます?』と毒を吐いていたけれど。
そんな私にアーロン候はしかし、と食い下がってくる。
「それでもずっと城下の方で暮らしていたのならさぞ、王城での生活には戸惑うことがおありでしょう」
戸惑うこと、ねぇ。
もしこれで戸惑っているなんて言ったらどうなるの?
そちらの方にもちょっとだけ興味が湧いたけれど、今は遊んでる場合じゃないから笑顔のまま否定する。
「そんなことありませんわ。いつも陛下が傍に居て助けてくださいますし」
ね? 陛下。と陛下を見上げて小首をかしげる。陛下はそんな私の頬に軽く手を滑らせながらそれに同意するように口元に弧を描いた。
嘘なのに。本当は助けを必要としたこともなければ助けられたこともない。このしぐさも全てお芝居に過ぎないのにまた私の心臓が大きく跳ねる。触れられた頬が熱い。いったいこれはなんなのだろう?
「しかし、チェスリー殿は子供のころにご両親と別れたと聞きます。たった一人でいろいろと苦労されたのでしょうな」
そう声をかけられてハッとアーロン候の方を見るといつの間にやら私たちの周りには他の貴族たちも寄って来ていた。
「え、えぇ。まぁそれなりには」
「どのようにして暮らしておられたのです?」
折角答えを濁したのに。アーロン候とはまた違う確かベネット伯爵とか名乗った男がそう訊ねてきた。
「普通に働いておりましたわ。頑張れば私一人を養うくらいなんとかなりましたし」
「働く、とは一体どういうことを?」
しつこい……。しつこすぎる。なんでこんなところで不幸自慢のようなことしなきゃいけないのよ。どうせそれを知ったところでこの人たちは私を馬鹿にするだけでしょう?
でも答えないわけにはいかず私はしぶしぶ、だけど表面上は何ともないような穏やかな顔を貫きながら比較的にまともなものを選んでその質問に答えてあげる。
「なんでもやりましたわ。お店の呼び込みをしたり、あと食堂の厨房の手伝いやお掃除なども。お蔭で大抵のことなら一人で出来るようになりました」
「感心しますな。まだお若いのに。うちの娘などはあまり屋敷から出ないものですから世間知らずで。出来ることと言ったら刺繍くらいでしょうか。まぁその腕前は親である私が言うのもなんですがそれは素晴らしいものですがね」
きたか。自分の娘アピール。
“うちの娘は大切に育てられた深窓の令嬢ですよ。こんな使用人まがいの側妃とは違って淑やかさにおいてはなんの不足もありません。どうせこの娘は針を持つと言ったら繕いものくらいで刺繍なんて優雅なものとは無縁でしょう? そんな小娘になどなんの魅力もないことに陛下は早くお気づきになられた方がいい”とでも言いたいのかしら?
でもね、私を甘く見てもらっちゃ困るのよ。刺繍くらい王女時代に嗜みの一つとして習得済みなんだから。
だから私は何も臆することなく、笑みを深くしてそれに応える。
「そうなんですの? 実はわたくしも刺繍は得意なんですよ。ベネット伯爵様のご令嬢はどのような作品を?」
「よくハンカチに花をあしらってくれますよ。特にユリの刺繍が得意のようで」
「ユリの刺繍と言えばエヴァンズ侯爵の娘の右に出るものはおらんでしょう。彼女らしい繊細さが出ていてそれは素晴らしかったと今でも語り継がれているじゃないか」
一人のおじさんがベネット伯爵の言葉を遮るようにそう言った。そうか。この人たちは決して仲間ではないのだ。お互いが敵でもあって誰かが抜け駆けなどしないように牽制しあっているようだ。
それにしても、エヴァンズ侯爵? 初めて聞く名だ。たしかその人は今日ここには来ていない人。
だけど、その名が聞こえてきた瞬間、私に回されていた陛下の腕が僅かに強張ったのを感じた。
「本当にあのようなことがなければ」
また違うおじさんがそう言って、皆が一様に頷く。中には何か気まずそうにしている人もいるけれど。
あのようなこと?
どうやら話の中心が私からそれてくれたようでホッとする反面、私はその台詞にもしかして、となんだか嫌なものを感じ取ってハッと陛下を見上げた。
やっぱり――
『もう亡くなられてしまったのですが、陛下のご婚約者様で侯爵家のご令嬢だった方が……』
『この話題は陛下が避けられているんです。間違っても陛下の耳には入れないでくださいね。ご機嫌を損ねられますから』
いつかのマリアの言葉が蘇る。
そして案の定、表情を強張らせて冷たい視線で貴族たちを見つめている陛下を見て、私は確信した。
エヴァンズ侯爵令嬢、この人だ。
この人が陛下の婚約者だった人。
これは、まずいんじゃないだろうか。
隣から陛下の何とも言えない緊迫感が伝わってくる。
なんだか嫌な予感がする。そしてそれは案の定的中して。
「そう言えば聞きましたか? エヴァンズ侯爵と言えば、」
陛下の変化を知ってか知らずか、いや、知っていてわざとなのかもしれない。アーロン侯爵がさらにその話題を膨らませるように話し出した途端、
「アーロン」
それを遮るように陛下が低い声で彼の名を叫んだ。
ダメよ。
今この話題で取り乱したら相手の思うつぼだわ。
まだ彼女のことを引き摺っているのだと、私が彼女以下の存在でしかないのだということが分かってしまう。
なんとかしなきゃ。
どうにかして陛下に今の状況を思い出してもらわなきゃ。
でも、どうすればいいのだろう。
そう考えたのは一瞬。
私は、覚悟を決めて身を捩り腕を伸ばしてそのまま陛下に抱き着いた。
見上げると陛下が少し驚いたように目を見開く。
よし、上手くいった。陛下が私を見た。
陛下が気が付いたように、お芝居に戻る。
「どうした?」
そう問いかけられて。
私は、今、陛下の瞳に映っているのが自分であることになんだかひどく安堵して「ううん、何でもない」とゆるく首を振った。
今日の陛下の寵妃は私だもの。
何故だか私は、その時強くそう思った。