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私の玉の輿計画!  作者: 菊花
本篇
22/101

二二、私の立場

長くてたっぷりとしたまつ毛に縁どられた少し潤んだ大きな大きな黒の瞳。顔はまぁ、面長で、張りのある筋肉質な体から延びる手足は細くて長い。私と同じ色の短い栗毛はちょっと硬いけれども光沢のある艶やかさ。


見ようによっては美しいその姿を視界に入れた瞬間、クラリとした眩暈が私を襲う。


とりあえず友好的に。私はそう思い勇気を振り絞ってその暖かな体にそっと手を這わせてみた。

するとそれを感じ取ったのか、彼はこちらに顔を向け鼻息荒くこう言った、ように感じた。


『お前、なんか震えてるけど本当に大丈夫なのか』と。


そう、馬が。


馬。

それは前世の私の命が、人生が終ってしまうきっかけを作った憎い奴。


けれど、私が今どうしようもなく震えているのはなにも怒りからではない。

それは、まごうことなき恐怖。

本当はもう充分懲りていたし、関わりたくなどなかったのに。

あぁ、とその場で腰を抜かして座り込んでしまいたいほどの恐れを感じながらも乗馬用のドレスに身を包んだ私はジッとそこで耐えた。



*-*-*



事の始まりは約2週間ほど前、あの花祭りから3か月ほどたったある日のことだった。


「……それは、どういうことなの?」

「どういうことも何もそのままの意味だが」


珍しく、というか初めて真昼間に私を執務室へと呼び出した陛下が執務机に頬杖をつき、もう片方の手で書類にペンを走らせながら面倒くさそうにそう答えた。

もうっ、そうじゃなくって。私が聞きたかった答えはそんなものじゃない。

それに忙しいのも分かるけどもっと真剣に取り合いなさいよ。私はバンバンと両掌で陛下の机をたたきながらさらに言い募る。


「それは分かったけど、なんで私が貴方と一緒に鹿狩りなんてしなきゃなんないの?って聞いてるの!」


そう叫んだ私の声は執務室中に響き渡った。

するとうるさそうにしつつもようやく顔を上げた陛下がため息を吐きながら椅子の背にどっと凭れ掛かりその視線を横へとやった。


「そんな事、アルフレッドに訊け。俺だって迷惑なんだ」


アルフレッド、ねぇ。

私も陛下と同じ方向へと視線を移した。


「嫌ですねぇ。そんなお二人して私を睨まないでくださいよ」


そう言った彼はいつものようににっこりと笑みを浮かべていて睨みつけても一切手ごたえがない。

そしてさらにその笑みを深くしてこう言った。


「仕方がないでしょう。貴族の皆様がどうしてもと言うんですから。断るわけにはいかなかったんですよ」

「だからってなんで私も一緒なんですか? 納得できません。そんなの男性だけでされればいいじゃないですか」


なんとしても行きたくないという意思を込めてそう訊ねてみる。

この国がどうかは知らないけれど、アブレンでは狩猟は男性の愉しみの一つだった。中には男性に交じって嗜む女性がいないことはなかったけれど。私も一度、好奇心から父上と兄上にやっぱり無理やり頼み込んで付いて行ったことがある。けれどその野蛮さに何一つ楽しみは見いだせなかったからそれっきり。同じ、馬に乗るのなら遠乗りの方がずっと好きだった。

外の空気を目いっぱい吸って、風を感じて。

まぁ、それはもう過去の話だけれど。


「なんでと言われましても、ね。エリカ嬢は来月に我が国の建国記念パーティーがあるのをご存知ですか?」

「えぇ、まぁ」


今は確か狩猟の話をしていたはずなんだけど。

突然話を変えられて、私は少し戸惑いながら頭を巡らせた。

そう言えばマリアたちがそんな事を言っていたような気がしないでもない。そしてそれには一応側妃である私も出席することになっている。

でもそれが一体なんだというのだろうか?


「実はそのパーティーで彼らは正妃候補をお決めになる予定なんです」

「は?」


正妃って……。

その初めて聞く話に驚き目を見開く私の正面で、瞬時にそんな声を上げたのは陛下だった。


「アルフレッド、それはどういうことだ」


陛下が問いただすように身を乗り出しながら低い声でそう言った。陛下も寝耳に水だったようでとても驚き焦っているのが分かる。そりゃそうよね。陛下はお妃さまを望んでなんかいないんだもの。本人の知らないところでそんな話が進んでいると耳にしたらそりゃあ吃驚するに決まってる。

でも、なんで急にそんな話になったのだろう?


そんな私の疑問にアルフレッドは答えをくれた。ひんやりとした笑顔を陛下に向けてわざとらしくため息を吐いて見せる。


「貴方は考えたことがなかったんですか? エリカ嬢には失礼ですが側室選定試験だなんて茶番で選ばれた庶民出の側妃なんて謂わば捨て駒です。全ては陛下に女性への耐性をつけてもらうため。女性に慣れ、興味を持ってくださればもう用無しなんです。あとはちゃんとした身分の、世継ぎの母として相応しい女性を妃として据えなければならない、そう考えておられます。それに今まではただ、あまりに貴方が妃を拒むものだから二の足を踏んでいただけで本心では皆様、自分の娘を正妃にと願っているに決まっているではありませんか」


その貴族たちの心情がありありと伝わってくるような言葉に陛下は苦虫を噛み潰したかのようにギリと奥歯を噛みしめた後、脱力したように「はぁー」と大きなため息を吐き出し、大きな手で前髪をかき上げてもう一度深く背もたれに背を預けた。そのしぐさはもう面倒くさいと言わんばかりだ。

それにしても捨て駒って……。私はなんだか他人事ではない、嫌なことを聞いた気がして陛下に代わってアルフレッドに食いついた。


「ちょっと待ってください。つまり私はもうお払い箱っていうことなの? まさか追い出されたりしないわよね? 別に本当に陛下が正妃を娶ったとしても側室がいること自体は問題ないはずだし」

「まぁそれはそうですね。3代前の国王の時は正妃に加え、側室が15人ほど後宮にはいらっしゃったらしいですし。しかし、5代前の国王の時は正妃がとても嫉妬深い方だったそうで元からいらした側室たちを全て追い出したとか。すべては正妃となる方の性格次第かもしれませんね」


クスクスとアルフレッドは笑いながらこちらを見る。

いや、私にとってそれは全然笑い事じゃないから。


「それで、それと今度の狩猟になんの関係があるというんだ?」


声のした方を見ればギロリと陛下がアルフレッドを睨みつけていた。

そうよ。それよ。そもそもそれとこれ、なんの繋がりがあるというのだろう。

私はジッと陛下と一緒にアルフレッドの答えを待った。

そんな私たちにアルフレッドはのんびりと「そうですねぇ」と苦笑いを浮かべる。


「彼らはただ、敵情視察をしたいだけですよ」

「……なるほどね」

「どういうことなの?」


敵って誰よ?

意味がさっぱり分からず首を傾げた私は目の前の、口元に指を添え、なんだか一人で納得している様子の陛下に訊ねた。


「奴らはお前の粗探しをしたいだけだ」

「粗探し?」

「自分たちの娘より劣っているところをより多く見つけたい。そしてそれを理由に邪魔者になるお前を排除したいってとこだろ」

「えぇ。それもですが、自分たちの予定以上に陛下の寵愛を得てしまったエリカ嬢がどれほどのものか興味もある、というところですね。そのご寵愛ぶりが本物であるのならば、エリカ嬢に下手な攻撃をすると逆に陛下の不況を買ってしまうかもしれない。ことは慎重に判断したい、ということですね」


「「……寵愛ね」」


ため息交じりの陛下と私の声は綺麗に重なった。


「随分と噂になっていますよ。今まで一切の正妃・側妃を拒んでいた陛下が一日と開けずエリカ嬢の元へ通っている、と。なんでも片時も放さぬご寵愛ぶりだそうで」


「それは誰の話だ」


うんざりとしたようにそう吐き捨てた陛下に私はうんうんと頷いて見せる。

陛下の態度はちょっと私に対して失礼なんじゃないかとも思うけれど、私もまったく同意で、そのやたらと恥ずかしい噂は迷惑以外の何物でもない。


「でも事実でしょう? 実際あなたは毎日エリカ嬢の元へ通われてますし」

「もとはと言えばお前のせいだろ?」

「エリカ嬢は毎日よく眠れていますか?」

「……えぇ、お蔭様で」


陛下の反論を無視して何故か私にそう問いかけてきたアルフレッドに頷いて見せた。するとアルフレッドは「それはよかった」とにっこりと笑ったけれど、その瞳になんだかぞわりとしたものが背中を駆け抜けるほどの“何か”を感じ取って私は一歩後ろに下がった。何? 何が起こったの? よくわからないけれど冷や汗を流しながら心臓がどくどくと音を立てている。

だけどそんな私の動揺に気が付かなかったらしい陛下が訝しげに顔を歪めてアルフレッドに問いかけた。


「でもそれなら余計にのこのこと出かけてやる必要はないじゃないか。何故断らなかった?」


ぶすりとそう言い放った陛下にアルフレッドはまるで諭すように柔らかく微笑んだ。


「陛下。私はね、大臣・貴族の方々と同じくもうそろそろ正妃を迎えて欲しいと思っているんですよ。せめて出会いくらいは拒まないでほしい。もうこれ以上は待てません」

「何故急にお前までそんな事を言う?」

「最近、私の周りまで騒がしくなってきたんですよ。陛下がダメならってことでしょうけれど。私は女性は嫌いではありませんが長く付き合っているとどうも相手をするのが煩わしく感じてしまう。どうやら私は結婚には向いていないようです。だからもうこれは私の為にも陛下には折れていただくしかないと思いまして」

「……おい」

「仕方がないでしょう。今は貴方のお世話で手一杯なんです。女性になんて時間を割きたくない。結婚を急かされるのはあなた一人で充分です」

「あの女遊びが生きがいのランベールの息子とは思えない発言だな」

「あれはあれでどうかと思いますけどね。もし父が第1王子で王の座についていたらと思うとぞっとしますよ。後宮中が女性たちで溢れてあっという間に国家予算を食いつぶしそうです。第2王子で良かった」

「まぁ、でもそれ以上に叔父上は悪知恵がきくから何とかなったんじゃないか?」

「……女好きのランベール王子?」


私はそのなんだか聞き覚えのある名前に首を傾げた。

ランベール、ランベール……

記憶の糸を一本一本手繰り寄せていく。そのとき私の頭を金髪の男がすっと過った。


あ。


『こんなに美しい女性がこの世にいようとは。姫に花をと思って持ってきたのですが、失敗だったようですね。姫の美しさの前ではどんな花も霞んで見えてしまう』


なんて思わず鳥肌が立つようなくっさい台詞を吐いたあの男だ。思い出した。そのあと他の令嬢にも全く同じことを言ってたのを見て思わず後ろから蹴りを入れたい衝動に駆られたんだった。

しかもそのあとも懲りずに求婚してくるし、とにかく最悪だった。あの男。

まさかあの王子がこの国の人間だったとは。つまり陛下もあの男の親戚。うわぁーこれから見方が変わってしまいそう。

それにしてもアルフレッドがあの男の息子?

私はジッと、穴が開くくらいまじまじとアルフレッドの顔を見つめてみた。

未だに髪の毛ボサボサな当初の印象が強いけれど、今はそうでもなく、綺麗に撫でつけられたこげ茶の髪、くっきりとした二重の目、すっと通った鼻筋にいつも弧を描いている優しげな口元。陛下の隣にいると普通に見えてしまうけれど悪くはない顔。

うーん。うろ覚えだけどあの全てのパーツが大作りだった派手な顔のランベール王子とはあんまり似ていないように感じる。でも、


「どうかされましたか?」


私の視線の強さに気が付いたようにアルフレッドが私の方を見た。


「いえ。アルフレッド様のお顔はお母様似かな、と思いまして」

「……えぇ、そうですけど。瓜二つだと言われます」


アルフレッドはそう答えながら不思議そうに首を傾げる。


「でもその瞳の色はお父様と同じなんですね」

「そうですね。母は緑ですので完全に父でしょうね。父を、ご存じなんですか?」


つい、興味を持ってしまってそう訊ねてしまった私はアルフレッドの顔が訝しげなものに変化したのに気付いてハッとした。不味い。そんなこと“エリカ”が知っているはずないのに。


「いえ、知りません。なんというかその、勘です。そんな気がしただけです」

「そうですか」


アルフレッドはそう言ってくれたものの、その言葉とは裏腹にどうも納得しきれていないように感じる。

これは、もしかして大失敗だっただろうか?

しばらく何とも言えない沈黙が落ちた。

何故なの? たしかに私がランベール王子を知っているような言動を取ってしまったのは不味かったとしてもそんなに沈黙するほどことではない気がするんだけど。

気まずくなった私がいよいよそわそわとしだした頃、その沈黙を不機嫌そうな陛下の声が破ってくれた。


「それはそうと、そういうことなら俺は鹿狩りもパーティーも両方出ないからな」

「言うと思いました」


アルフレッドがこれ見よがしに深々とため息をついた。

でも私も狩りには行きたくないし、ここから追い出されたくもないから陛下の味方だ。

なんとしても出席拒否。


「でも、国王が建国記念のパーティーに出ないわけにはいかないでしょう。そんな我が儘は許されませんよ」

「じゃあ鹿狩りだけでも」

「貴方は人の話を聞いていたんですか? 先ほどは私個人の意見を言ったまでです。全てはあなた次第なんですよ」



こうして私の鹿狩り参加は決まってしまった。

陛下の“寵妃”として振る舞うために。『正妃なんて入る隙はありませんよ』と見せつけるために。

気が乗らないようにアルフレッドがしぶしぶ話し出した作戦はなんとも現実とはかけ離れた演技を要求されるもので私たちは顔を見合わせて深い深いため息をついた。だけどこれはお互いの利益のためだから仕方がない。

だから、仕方がないから、言えなかった。

馬が怖いだなんて。

私の減点対象とならないようになんとしても乗らなければならないのだから。



*-*-*



「こんなところで何をやってるんだ」


後ろから来た陛下に声をかけられて私は思わず肩をびくつかせた。

朝早くに私たちと王領の森に入った貴族たちは、ここから少し奥の森の開けたところで朝食を取っている。専門の猟師たちが猟犬と共に獲物を探している間、ワインと一緒に軽く腹ごしらえをして待つのだ。

私はとてもじゃないけれど食事なんて喉を通るような心境じゃないのだけれど。


「結局、乗馬の練習はしなかったみたいだが本当に乗れるのか?」


後ろからそう訊ねてきた陛下に、私は振り返らぬまま馬に添えていた手をギュッと握りしめた。


「任せといて」


決して震えを悟らせないために力強くそう言い切る。

ここで引き返すわけにはいかない。私の立場を守るために。王侯貴族の嗜みとされる乗馬も出来ない側妃だと思われるわけにはいかないんだ。


「行こう。奴らに改めてお前を紹介しなければいけない」

「ええ」


私はゴクリと唾を飲み込み、意を決して後ろを振り返った。


さぁ、勝負の始まり。

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