十九、愚かな人
マリアと並び、前を行く陛下への不満と恨み言を延々と述べながら王城への道を歩いた。陛下はまるでそれが聞こえていないかのように聞き流すし、オルスは若干引き気味な目で私を見るしでなんだか余計に腹が立った。
裏切って、私の心を傷つけたくせにその対応はなんとも冷たい。
城門をくぐった私たちをお城のエントランスで出迎えたのは、アルフレッドだった。「お帰りなさい、皆様」と微笑んだ彼の顔はなんだか寒気のするほど冷たくて怖かったけれど、彼は花火の後バルコニーで国民への挨拶を控えているという陛下を連れてオルスと共に去って行っただけで、勝手に抜け出した私への処罰はその後になるようだった。
やっぱり判決は側室選定試験の責任者だったアルフレッドが下すのよね?
冷たい彼の微笑みが私をとても不安にさせる。
私はとりあえずマリアと共に自室へともどり、いまだに消化しきれないその思いをしつこく口から吐き出す。そうしないとやってられない。
遠くに、花火のあがる音が聞こえるけれど、もうそれを見る気にはなれなかった。
「ひどい。あんまりよ。協力するふりしてわざとお城から出したのね。そうすれば私を追い出せるからって。もともと側室なんていらなかったって陛下は言っていたけれど、だからって私を簡単に追い出すためにこんなことするなんてやり方が卑怯よ」
うっ、うっと熱くなった目頭に指を押し当てるとそこには確かな水気。
信じられない。嘘泣き以外で私が涙を流すなんて。
ただ悲しいから泣くなんて無駄なことだわ。助けてくれる対象がいないのに泣いてなんになるの? 目が腫れてみすぼらしくなるだけじゃない。
そう分かってるはずなのに、久々に味わったショックと遣り切れなさにどうしようもなく視界が歪む。
「だから絶対にダメだって申し上げましたでしょう」
マリアが呆れたような声でそう言ったのが背後から聞こえた。
そうね。確かにマリアは最初からそう言っていた。
ということはもしかして、
「マリアも知っていたの?」
もしそうだったとしたら教えてくれても良かったはずだ。
「いえ、オルス様のことは存じ上げていませんでしたけれど……。そんなに落ち込まれないでください。きっとまだ大丈夫ですわ。アル様はそんなに生易しい方ではありませんし。って何をされてるんですか? エリカ様」
生易しくないって、それは安心材料にならないと思うのだけれど。やっぱり覚悟はしておいた方がいいってことね。
私は自室の端に置かれた重厚感のあるチェストに歩み寄り、引き出しに手をかけてそのまま引っ張った。そしてその中から一つの箱を取り出す。この中にあるのは側妃としての私に与えられた光り輝くアクセサリー。
「念のために荷造りしとこうかと思って」
「もう、あなたという方は!!」
振り返るとマリアが頭を抱えてその場に座り込んでいた。
「だって」
私はその見事な細工の箱を持ったままベッドに移動し、ポスンッとそれに腰を落とした。
程よい硬さと柔らかさのベッド。すっかり私の体はこれに慣れてしまっているから、ここを追い出されてしまってからまたあの硬い台の上で眠れるのか不安になってくる。
「こうするしか私には手段がないんだもの」
「手段、とは?」
「より豊かな生活を送る手段」
「そうですか……」
気を取り直すかのように再び立ち上がっていたマリアがちょっとだけ辟易したように溜息をついた。もう私を注意することにも疲れ果てたみたいだ。
私はそんなマリアを見上げてクスリと笑みをこぼした後、少し姿勢を正した。「ねぇ」と私が声をかけるとマリアはこちらを振り返った。
「マリアにも迷惑をかけたわね。陛下がマリアのことは何とかするって言っていたから大丈夫だとは思うけれど、ごめんなさい」
「それは気になさらないでください。わたくし、元からこのお仕事が終ったら実家に帰るつもりでしたから」
「え? なんで?」
「いろいろと考えがありまして」
マリアが静かに苦笑を漏らした。
なにか含むものがあるその顔は今まで見たことのない怪しさがあって、そういえば私はマリアのことをよく知らないということに今更ながら気が付いた。
「マリアの実家はどこにあるの?」
「西部にウェルタン地方というところがあるのをご存知ですか? あまり広くはないのですけれど」
「あぁ、確か畜産で有名な?」
「そうです。そこがうちの領地ですので本邸はそちらにありますが、わたくしは基本的に首都の屋敷におりますわ。いつか遊びにいらしてくださいね」
「領地って、……あなたもしかして貴族なの?」
「あら、言っていませんでしたか? うちは代々伯爵を名乗らせていただいております」
知らなかった。
確かに育ちの良さは感じていたけれど。本当に力のある人間は得てしてそれを誇示するような真似をしないものなのよね。
でもそれならば、
「それならこんな庶民の私に仕えるのなんて屈辱じゃなかった?」
きっと実家のお屋敷では色々と世話を焼かれる側であったはずのマリア。そんな娘が庶民あがりの私の世話をしなければいけないなんて、憤りを感じてもおかしくない。
冗談めかして訊ねてみるとマリアは一瞬きょとんとしたあと慌てて顔の前で掌を左右に振る。
「いえ、そんなことは。与えられたお仕事ですし。それに何よりエリカ様はどこか不思議な方ですから」
「不思議?」
「ええ。一見、行動とか言動は粗野な印象を受けますけれど、どこか気品を感じますの。すっと伸びた背筋や細かなしぐさに。ずっと城下で暮らしていた割には何もお教えしなくてもすぐに城内に適応されてましたし。なんだか妙に王城での暮らしがしっくりくるような。だからわたくしはエリカ様を庶民だからなんだとか考えたこともありませんでしたわ」
そう言って優しく口元に弧を描いたマリアに私は目を見張った。
よく見てる、と言っていいのだろうか? 私自身気が付いていなかった。すっかり庶民生活が板についているとばかり思っていたのに。
「ありがとう、マリア」
「いいえ」
クスリと笑って礼を言う私にマリアはにっこりと返してくれた。
自分で蒔いた種とはいえ、もうマリアともお別れかもしれないかと思うとちょっと寂しかった。
それにしても、
ちょっと和んだ空気に再び私の嘆きが爆発する。
「ここまでして側妃を拒むだなんて。陛下の人でなし」
そもそも陛下のせいだ。お城を追い出される危機に瀕しているのも、マリアとお別れになるのも全部陛下のせい。一番初めに花祭りに行きたがったのが誰かはこの際置いておいて。
陛下めー!!
私はベッドの上に置かれた枕をギュッと固く抱きしめてそれに顎を埋めた。
「そもそもなんであの人、お妃を拒んでるの?」
「え? いえ、その」
眉間を寄せ、上目でマリアを見上げると彼女はしどろもどろになって瞳を左右に泳がせた。あ、そういえば前もこんな反応してたな。
「だって、以前婚約までした方がいたんでしょ? その人が亡くならなければ結婚していたんでしょ?」
「まぁ、そうでしょうね」
「それならどうして?」
訳が分からない。一時でも結婚を受け入れていた人間が何故急にそれを拒みだしたのだろうか?
待てよ? そういえば、今日オルスが変なことを言っていた。死ぬなら余所でやれって。今度こそ陛下が壊れるって。
あの時は私、自分のことで頭がいっぱいだったから考え及ばなかったけれど冷静になって考えればそれは以前に“何か”があったということだ。
そして陛下が壊れかけた?
「ねぇ、その婚約者だった方はどうして亡くなったの?」
「え?」
「だってまだ若かったはずでしょう? 亡くなるにしては早いし。何か、あったの?」
「それは……」
「知っていることがあるなら教えて。ね?」
それはただの好奇心だった。
手を組んでマリアにお願いしてみる。なにか戸惑った様子のマリアとの睨みあいの末、マリアが大きなため息を吐きだした。
勝った。
マリアは言ってよいものかどうか迷っているように口を何度か開け閉めして躊躇った後、ようやく覚悟を決めたように私を見て忠告をしてくる。
「この話題は陛下が避けられているんです。間違っても陛下の耳には入れないでくださいね。ご機嫌を損ねられますから」
「でも私、もう陛下に会うことないかもしれないし」
私はむすぅっとそう答えた。耳に入れる以前の問題だ。
「とにかく、お気を付けくださいね」
「分かったわ。で? 何でなの?」
何が隠されているのだろうと、少しだけ身を乗り出して促す私にマリアは小さく息を吐いて顔を曇らせた。
「病死、ということになっていますわ。表向きは。でも実際は事故、他殺、或いは自殺だった、という話もきかれます。もっともわたくしはその当時ここにはおりませんでしたから本当のところは存じ上げませんが。ただ結婚式のひと月ほど前に急にでしたので大変な騒ぎになったのだとか」
私はそのマリアの言葉に思わず唾をのみ込んだ。
どれが本当だかわからないけれど、他殺の可能性も囁かれてるなんてなんだか穏やかじゃないのね。
結婚式を目前に死んでしまった花嫁、か。それに陛下はショックを受けた?
そこで私は今まで失念していたことに気が付いた。
「ねぇ、陛下とその方はもしかして政略結婚じゃないの?」
今まで王族なのだから当然それは愛なんてない政略結婚だったのだと思い込んでいたけれど。
実際、兄上もそうやって和平協定のために隣国の王女様を娶られたし、私だっていつ国のためにと相手が決められてもおかしくなかった。嫌だったけれどそんなものだとも覚悟していた。
だから陛下だってそうだったのだと勝手に思い込んでいたけれどそれは違った?
思わず真剣に考え込んでしまった私にマリアは答えをくれた。
「いえ、政略ではあったのでしょうけれど幼少時から筆頭候補として陛下の傍で過ごすことが多かった方です。 仲もよろしかったようですし、恋愛結婚に近いものがあったのかもしれませんね」
「じゃあ、お妃を拒むのは彼女のことをまだ引きずっているからなのね」
「そうだと思いますわ」
その時、窓の外で歓声が鳴り響いた。
それを耳にした私はゆっくりとベッドから立ち上がって外を見るため窓に寄る。
案の定、明かりの灯されたバルコニーで陛下が国民たちに手を振っているところだった。
暗闇に浮かび上がる場所に立つ陛下はいつも以上にキラキラと眩しい。
なんとなく窓越しに、そんな陛下に指を滑らせると指先がひんやりと冷たかった。
『もし、本当に感情を失くすことが出来るのなら……』
昼間の陛下の言葉を思い出す。
それはこのことに対しての言葉だったのだろうか? 結婚するはずだった人の死が今でも悲しくて辛いから?
「愚かね」
私は窓越しの陛下に向かって呟くようにそう言った。
「何が、ですか?」
背後で訝しむようにマリアが私をじっと見ているのが窓に薄く映る。
私は振り返ってそちらに視線を向けた。
「だってそうでしょう? 死んだ人間を想っても何も報われないのに」
もうその人は陛下のことなんかきれいさっぱり忘れて生まれ変わって新しい家族の元、楽しく暮らしているかもしれないのに。
だけれどマリアはそう言った私に優しく微笑んだ。まるで『分かってませんね』とでも言うように。
「そうかもしれませんけど、それでも、死してなお愛する方の心を縛り付けていられるその方はきっと幸せだと思いますわ」
「……幸せ」
その言葉に何か心に靄がかかったような気がして私は小さく首をかしげた。
そこでふと考える。
私は、ティアはどうだったのだろう?
ティアが死んで、父上と兄上はきっと悲しんでくれたと思う。けれどそれ以外で心から悲しんでくれた人はいたのだろうか?
誰からも愛されていたティア。でも愛されていたのはティア自身ではなく、その地位と容姿だったと思う。美しいお姫様でありさえすればそれでよかった。深く私のことを理解して、私自身を想ってくれる人なんてきっといなかったわ。
じゃあ今は?
地位も美しさも失くしてしまった私は漸く私自身を見てもらうどころか、誰の目にもとまりはしなかった。現世で“親”となった人間からも捨てられて。
――私には何もない。
考えてみるととても孤独だ。
それはそれで構わないし、それに対して不幸だとは思いたくないけれど。
でも、
「そうね。少しだけ羨ましいわね」
そう思う心が確かにあることを私は認めざるを得なかった。