十八、帰路
まだまだ人で賑わう大通りをお城に向かい3人並んでゆっくり歩く。
夕暮れに私たちの影が長く伸びるのをぼんやりと見つめた。
「楽しかったですわね、花祭り」
だいぶ日が高くなってきたとはいえまだ夕方は冷えるな。そんなことを考えていると横を歩くマリアから物寂しさげな呟きがぽつりとそう零れた。
昨年までの、働いているだけだった時にも感じていたけれど、お祭りの後ってなんでこんなに寂しく胸が締め付けられるのだろう。
「来てよかった?」
「はい」
正面から顔を覗き込んだ私にマリアが満足げな笑顔を向けた。
それならよかった。無理やり連れてきた私としては一安心だ。私もその答えに満足して笑顔を作った。
「でもこれで最後ですからね。秋の収穫祭には絶対に行かせませんからね」
「はいはい。わかっているわよ。今のところはね」
「それはどういうことですか。絶対に絶対にダメですからね」
むぅっとむくれるマリアに私はあははと笑った。だってそれは秋になるまでわからないんだもの。もしかしたらやっぱり行きたくなるかもしれないし保証なんてできない。
「さて、あとは無事にお城に帰るだけね。抜け出したことみんなにバレてないといいけれど」
まぁもし気づかれていたとしても、こっそりお城に入ることさえできれば後は白を切りとおせばいいだけだ。証拠さえなければ何とかなる。
でも、
「もし責められるようなことがあったら貴方が庇ってね。私たち共犯なんだから」
ね?とともに歩く陛下の顔をを見上げた。
すると陛下はさも面倒くさそうにそんな私を眉根を寄せて見つめてきた。
「なにが共犯だ。お前なんか勝手に追い出されてろ。俺はどうでもいい」
「ちょっと何よ。私と貴方の仲じゃない。ちゃんと庇いなさいよ」
「そんなに親しくなった覚えはないが」
陛下がツンとそう言い放つ。取りつく島もないような態度だ。
なんかいつにも増して機嫌悪いな。
「そんなこと言わずに、ね? 私だけじゃなくてマリアのためにもお願いよ」
私じゃだめなら陛下が気にしていたマリアで落とそう。うん、それがいい。
「いえ、わたくしは」
慌てたようにマリアが顔の前で両方の手のひらを振っている。
「あら、ダメよ。マリアは優秀な侍女なんだから。私のせいで迷惑かけるわけにはいかないわ」
「あぁ。マリアのことはなんとかしよう。だからエリカは何も気にしなくていい」
「え? じゃあ私は?」
「勝手に処分されてろ」
「ちょっと! それはいくらなんでも冷たすぎるんじゃない?」
ふんっと言い切った陛下に私は抗議する。確かに『城から出て行け』とは言われたけれどまさか本気だったとは。いや、困る。それはすごく困る。
「自分で撒いた種だろ。責任は自分でとれ」
「とる。ちゃんととるから、だから追い出すのだけは勘弁して」
この場合私に非があるとされてきっと慰謝料をとることもできないだろう。ということは……、考えるだけでも恐ろしい。
だけど陛下からかけられたのは何とも無慈悲な答えだった。
「断る。俺は早く静かな生活に戻りたい」
「あら、いつも静かに過ごせているじゃない」
「どこが静かだ。お前がいるだけでいつも騒がしいじゃないか」
「じゃあこれからもっと静かにするから。ね? だからお願い」
「断る」
「お願い」
手を合わせて必死に頼み込む私に対して陛下はそっぽを向いてしまった。
うぅ、困ったぞ。どうしたら陛下に考え直してもらえるんだろうか。
でも、とりあえずお城の人たちに抜け出したことがバレてなければいいだけの話でそれに賭けるしかない。なんだかお城に帰るのが急に怖くなってきた私は緊張しながら黙々と歩を進めることに集中することにした。
しばらく歩くと小さな廃小屋へとたどり着いた。そこは行きの道のりで陛下とマリアが着替えをしたところで、そのまま服や装飾品の類を隠していたのだ。今度はそれとは逆に2人にお城から出てきたときの格好に戻ってもらうことにした。
私は出てきたときからこのワンピース姿だったからその必要はなく、なんとなく見張りもかねて小屋に寄りかかりながらぼんやりとお城のほうに目を向ける。
遠くに見える、純白のお城が夕日に照らされてオレンジ色に見えた。形はまったく違うけれどこの色だけはアブレンのものと同じ。
――キレイ
眩しさに目を細めながら私はその光景を眺めていた。
「お前、エリカ・チェスリーか?」
突然、正面から野太い声がかけられた。
それはなんだか聞き覚えのある声だけれど誰だったか思い出せない。私は声のしたほうに視線を向けて問い返した。
「そうだけど、何?」
黒の髪と髭がぐちゃぐちゃの醜く太った巨体の男が後ろに10人ほどの体格のいい男を従えてそこに立っていた。
――あ
「……ドラフ」
その姿は確かに知っている男のもの。
こんなところで会うなんて、なんて運の悪い。
この男は6年前からたびたび私を追い掛け回している借金取りの男だ。汚い方法で手に入れた財を貧乏人に違法な金利で貸すことによって私腹を肥やしている人間。いわゆるごろつきといったところだ。なんで父はこんな人間からお金を借りたのか、どうせ逃げてしまうなら借りるところくらいは選んでほしかったとこの点では憎んでも憎みきれない。
「久しぶりだな、お妃様。まさかお前が国王陛下の側室に選ばれるなんてな。誰も想像できなかったぜ。そんな人間がなんでこんなところにいるんだ? さっそく城から追い出されたか」
クククッと喉の奥で笑う声が聞こえる。
「そうだったらなんだっていうのよ? あなたには関係のない話でしょ?」
この男に陛下がここにいることがバレるとまずいかもしれない。そう思って私は適当に話を合わせることにした。
「関係あるだろ? お前には残った借金全部返してもらわんといけねぇんだからな」
ニヤリとドラフが口の端を上げた。
「それはっ、ちゃんと役所を通して話をつけているでしょう?」
両親が出て行った当時、まだ12歳だった私には返済能力はなく、また実子といえども返済義務もないため大家のおばさんに手伝ってもらってちゃんと手続きをしたのだ。
それなのに、それを無視してこいつはまるで暇つぶしのようにふらりと現れては返済を要求してくる。
そう、今まではあくまでただの暇つぶしだったんだ。だからこいつが飽きるまで少しの間暴言に耐えていればよかった。
今日も、少しだけ相手をしていればすぐに去っていくかもしれない。
そう思ったけれど、
「だが、今のお前には借金を返すだけの力があるだろ? 城から金目の物持ってきたんじゃないのか?」
「そんなものないわよ」
「それなら仕方がないな。もうお前も18だろ? 身売りでもしてもらうか。それともいっそのことおれの女にでもなるか。顔はまぁあれだが他でもない国王陛下のお古だ。それはそれで一興かもしれん」
ふははははと下卑た笑い声を上げながらドラフが私との距離を詰め短く太い指を私の顎にかけた。不快感からぞわりと体が震える。
どうしよう。
ここで蹴りをかまして逃げられる相手ではない。他にこの道を行き交う人は残念ながら見当たらず大声を上げても無駄なようだし。私はギリと奥歯をかみしめて、せめて弱く見られないようにきつくドラフを睨みつけた。
どうしたら自分の身と、着替えをしているはずの2人を守れる?
なにかいい方法を考えないと――。
その時、横から輝く何かがヒュンと飛んできて、それがドラフの鼻に直撃した。
「イッ!」
――これは
ドラフの鼻にあたって落下した見覚えのある金色のものが私の足元でクルクルと回っている。
「な、なんだ?」
相当痛かったらしく呻き声をあげたドラフが一歩下がって鼻を押さえながらそれが飛んできた方向に顔を向けた。
その瞬間をついて私は急いでそちらのほうに駆けて逃げる。
そこには思ったとおり着替えを済ませた陛下が立っていた。
「なんで出てきたのよ!? 危ないじゃない」
この人はバカなのだろうか。折角私が気づかれないようにごまかそうとしたのに。見つかっていい相手ではないのに、自分からのこのこ出てくるなんて。
だけど陛下は心配する私を腕組みをして偉そうにふんっと見下ろしてきた。
「それなら放っておけばよかったか。あっちに戻りたいなら戻ってもいいぞ」
そ、それは……、
「いえいえいえ。感謝してます! ありがとうございました」
正直、とても助かったのだ。どうすればいいのか私には分からなかったから。だから陛下に助けてもらってすごく安心した。
「大丈夫ですか? エリカ様」
小屋の陰から小さな問いかけが聞こえてそちらを覗き込むとそこにはマリアもいた。怯えた様子で両手を胸元できつく絡めている。
私はそんな彼女を安心させるように笑いかけた。
「大丈夫よ。何もされてないし」
でも、
私はドラフの方に視線を戻した。これからどうしよう。
確実にさっきの攻撃はドラフの怒りを買ったはずだ。このまま逃がしてくれるとは思えない。
そして、案の定、ドラフから怒気を孕んだ声が聞こえてきた。
「なんだ、貴様は。おれにこんなことをしてただで済むと思ってるのか」
「俺はただこいつの借金とやらを返しただけだ。それを売ればいい値が付くぞ。それを持って去れ」
偉そうにふんっと陛下がドラフに指図する。
ドラフの手に握られているのは陛下がさっきドラフに飛ばした金の腕輪。
この国では金は大変貴重だということもあって私が売った指輪でも相当の値がついたのだ。陛下がいつも身に着けていた数個の宝石が埋め込まれたこの腕輪ならばもっとだろう。陛下の言うとおりこれがあれば私の父の借金はいくら利息で盛られていたとしても全てなくなるに違いない。
けれど、ドラフはこの陛下の態度が気に入らなかったようで顔を真っ赤にしつつも、陛下を値踏みするように上から下まで舐めるように見た挙句にニヤリと口角を上げたのが見えた。
「あんた、随分とカネを持ってそうだな。まさかあんたが国王陛下、……なわけないか。こんなところにいるわけないもんな。エリカ、お前いい男捕まえたな」
そう言ってドラフが私をちらりと見た。
よくやった。
その黒い瞳はそう語っていた。
そしてもう一度陛下へと視線を戻す。
「あんたの言うとおり去ってやってもいいぞ。ただし無事に帰りたいなら他のも全部こっちに寄越しな。まだまだたくさんつけてるじゃねぇか」
「断る。それ一つで十分なはずだ」
「クククッ。ケチだな。じゃあ力ずくで奪ってやるよ」
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ」
私の静止も聞かずにドラフが腰にぶら下げていた剣を鞘から抜いた。
するとドラフが後ろに従えていた男たちも一緒になって一斉に剣を抜く。
やばい。
ドラフの一味はここらでは力自慢で有名だ。荒っぽいその剣に勝てた者を聞いたことがない。そいつらを1人で相手にするなんて無茶だ。
「その綺麗なお顔に傷がつくなんて残念だな」
愉快そうにそう言ってドラフがその巨体に見合わぬ素早さでこちらに駆けてきた。
焦る私とマリアに反して陛下は面倒くさそうに一度ため息を吐いた後、素早く腰にあった剣を抜いてドラフの剣を受け止めた。
キンッ――という鋭い音が鳴り響く。
そのまましばらく剣を合わせて、
「くっ」
先に声をこぼしたのはドラフだった。
そしてドラフが1歩引く。
「こいつっ」
『これがあれば多少のことは』
お城を出る前に自らそう言っていただけのことはあるのかもしれない。
ドラフの巨体を相手にしても決して力で押されない。
ドラフの顔が険しいものへと変わり、ついに「お前ら!」と加勢を求める声を上げた。
控えていた男たちが一斉に陛下を取り囲む。
そこからはまるで陛下の独り舞台の様だった。多勢に無勢と言うけれどそれはこの場合当てはまらない。ドラフの相手をしつつ取り囲んだ手下を次から次へと倒していく。とはいってもむやみやたらに斬るのではなく利き手を傷つけて戦えないようにしているだけで。
「すごい」
私は思わず感嘆の声を上げてその舞うような戦いに魅入っていた。
だけど、その時気が付いてしまった。
背中ががら空きだ。正面と左右はしっかり守っているのに、背後がおざなりになっている。
そしてそれに気が付いたのは私だけではなかったようで、手下の一人が陛下の背中を狙っているのが見えた。
危ない!!
私はとっさに地面に視線を走らせた。
あった!
そこには鈍く輝く誰かが落とした短剣。私はそれを急いで手に取り、手下と陛下の間に入った。
そして両手で持ったその短剣で手下の男の剣を受け止める。
これで食い止めることが出来れば。
だけど、
剣なんてずっと握っていなかった。
前世で護身用に少し訓練を受けただけだ。
だから距離感とか、手にかかる衝撃の強さとかさっぱり分かっていなくて、いざ、剣を交えるといともあっけなく私の手から短剣は滑り落ちて男の握っている剣が私に向かって落ちてくるのがやけにゆっくりと見えた。
――あ、
来る。衝撃が、痛みが。
避けることも、体を強張らせることも出来ずにぼんやりとそう思った。
「っ!」
「何やってるんだよ! バカ女!!」
鋭い音と共に大きな怒鳴り声が私に向けられた。
私に落ちてくるはずだった剣が弾き飛ばされて、それが何故だかよく分からずぼんやりとしたままその声の主を辿る。
そこには日に焼けた肌に濃い金髪の、
「遅いぞっ、オルス」
後ろから陛下のそんな荒立った声が聞こえた。
「出番がないかと思ったんだっ。これくらいも相手にしきれないなんて陛下もまだまだですね」
「うるさい」
「オルス? 何でここに……」
私はへなへなと座り込んで気の抜けた声でオルスにそう訊ねた。
「ずっとお前らを付けてたからに決まってるだろ。陛下に何かあるわけにはいかないからな」
オルスは私の質問に答えながら陛下の背後を襲ってくる男たちをイライラした様子で相手にして、最後の一人をバサリと倒した。
反対側でも陛下がドラフを伸したような音が聞こえた。
そして剣を手にぶら下げたままこちらを振り返った陛下が座り込んだ私を感情の読み取れない濁った瞳で見下ろしてくる。
「エリカ、怪我は?」
「……ない」
陛下がそんな事を気にするなんてちょっと意外で、あっけにとられた私は簡潔にそれだけ答えた。
陛下はそれに対して小さな息を吐きだし「ならいい」とだけ言い捨ててマリアのいる場所へと去って行く。
まさか心配を、してくれたのだろうか。
私がまだ回らない頭でそんな事を思い、首をかしげていると今度はオルスが強い力で私を引っ張り上げながら私をきつく睨みつけてきた。いつものように人をからかうような雰囲気は一切ない。
「まともに戦力になれないくせになんで出ていったりした?」
「……だって、危ないと思ったから。あんたがいるなんて知らなかったし」
普段にないオルスの強い語気に気圧されて私はしどろもどろにそう答えた。
冷静になればそれが無謀だったということくらい簡単に考えることが出来る。
それなのに何故か体が動いていたんだ。もともと私はそんなに冷たい人間じゃないもの。目の前で陛下がやられるのを見てられないと思っただけよ。そう、それに彼は私の金づるなんだから。だから陛下がやられたら私困るもの。そうよ。だから勝手に体が動いただけ。なんとかしなきゃと思っただけ。
「まったくどんだけ無茶苦茶なんだよ、お前は」
「だって」
「もう二度とこんなことするなよ。死ぬなら余所でやってろ。陛下が今度こそ壊れちまうだろっ」
「……」
確実に怒られている。それは分かるのだけれど、なんだかこう、意味がさっぱり分からない上になんだかあきれ返って私は口を思いっきり噤んでしまった。
結局こいつは“陛下”なのね。それが言いたかったのね。
壊れるって大げさな。大丈夫よ。私にはそんな影響力ないし。お城から抜け出したことがバレてもし追い出されそうになったとしても庇ってもらえないほどの存在だしね。……、ってん?
ちょっと待てよ?
私はさぁっと顔から血の気が引いて行くのを感じた。
「ねぇ、なんでオルスはここにいるの?」
あぁ、答えを聞くのが怖い。この上なく怖い。
そんな私にオルスは先ほどまでの怒気を引っ込めて不審げに私を見た。
「だからさっき言っただろ? ずっと付けてたって」
「それはどれくらいの人が知ってるのかな?」
「さぁ、アルには知らせてきたから今頃はどれくらい広まってるか。あ、そうか。なるほどね。側妃が勝手に外に出たらいけないよな。やっとお前が城から追い出される日が来たか。クククッ、さよなら、エリカ・チェスリーさん」
やっぱり? つまりあれか? 私はずっと陛下に騙されていたわけだ。陛下に見つかったあの瞬間から私の運命は決まっていた、と。
「そんなのイヤーーーーーーー!!」
にやにや嫌な笑みを浮かべるオルスの横で私は心の底から叫び声を上げたのだった。




