十二、適度な距離
陛下は意外と協力的なのか真面目なのか、それから毎夜私の部屋にやってきた。
定位置と化したソファの上に寝そべって持参した本を読み、私が目覚める前には去っていく。
それが私の日常に新たに入り込んできた陛下の姿だった。
「で? 何の用だ?」
私の視線に気が付いたらしい陛下が本から視線を上げてそう問いかけてきた。
あ、まずい。見ていたことがばれてしまった。
初めて陛下がこの部屋で過ごした日に“気持ち悪い”とまで言われたからなるべく気付かれないようにしていたのに。鋭い奴め。
私はにへらと笑ってごまかそうとしたけれど、向けられる眼光が鋭くて怖い。
仕方がない。観念しよう。
「いや、陛下はいつ寝ているのかなと思って」
私がそう答えると陛下は眉間に皺を寄せて何かを推し量るように私をじっと見つめた。
いや、深い意味はないんだけどね? お願いだからそんな全てを見透かそうとするような目で私を見ないでいただきたい。
「それが何かエリカに関係あるのか?」
「だって、私陛下が寝てるところ見たことないし」
そうだ。陛下が私の部屋に通いだして数週間経つというのに、一度として陛下が眠っているところを私は見たことがない。これが昼間ならわかるけど夜なのに。寝るはずの時間なのに陛下はいつも黙々と本を読んでいる。
陛下は「眠れないから」と言っていたけれど、まさか人間寝ずに生きていけるわけがない。
それに、
「寝てない」
陛下は短くそう答えた。
いやいやいや。そんなことあるわけがない。
「嘘だ」
「なぜ?」
「だって……」
「だって?」
「寝てないならなんでそんなにお肌が綺麗なのよ! ずるい」
いきなりそう叫んだ私に陛下は驚いたように少し仰け反った。
私なんて少し夜更かしするとすぐに肌が荒れるのに。目の下に隈が出来るのに!
本当に寝てないならなんで男で8つも年上の陛下がつるつるすべすべの肌してるのよ!
許せないわっ
そんな憤りを露わにする私に対して「俺はお前がよく分からない」と陛下は呆れたようなため息を深々とついた後、再び読書の世界へと戻って行った。
いや、せめてお手入れの方法など教えていただきたいのですけど。待てよ? それなら陛下付きの侍女だか侍従だかに聞いた方がいいのか?
そんな事を考えながら懲りずに陛下観賞を続けているとなんだか眠たくなってきて私はベッドにもぐりこんだ。陛下が本のページをめくる音を子守唄にゆっくりと眠りの世界に誘われていく。
こんな毎日を私は送っている。
最初に『関わるな』と言われたのは覚えている。だから深入りはしない。積極的に話しかけたりもしない。
適度な距離は居心地がいい。
そう思う。
まぁ、いつもお世辞にも機嫌がいいとは言えない態度の陛下がどう思っているかは知らないけどね。
ある日のこと。
マリアと共に城の廊下を歩いていると妙に上機嫌なオルスと出くわしてしまった。
「よぉ、バカ女」
なんなんだ、その呼び方は。
断じてそんな名前ではない私は素知らぬふりをして通り過ぎることにした。
だけどオルスが私の前に立ちはだかってどいてくれない。
「おい、ちょっと待てって」
「邪魔なんだけど」
私がそう言ってオルスを睨むと奴は何故だか偉そうにふんぞり返った。
なんだっていうのよ?
「よかったなぁ。城、追い出されずに済んで」
口元にはにやにやと意地の悪い笑みを浮かべて。
そういえばこいつと会うのはあの執務室での一件以来初めてだ。
きっとあの嘘泣きのこととか思わず啖呵切ってしまったことを思い出して言ってるんだ。
なんて嫌味。
あぁー! 腹が立つ!!
「よかったわよ。で? それが何か?」
あえて簡潔に答える。
そしてイライラしながらそう問うとオルスは私に顔を近づけて探るように私の顔を見た。
近すぎだっ。退け!
「お前、陛下に何か変なことしてないだろうな?」
「は!? 何よ、変なことって」
「陛下を襲ったりしてないだろうなってことだよ」
「……いや、普通それ逆だと思う」
いくらこいつが陛下にべた惚れだとしても、発想がおかしすぎだ。
私は思わず突っ込みを入れた。
いや、でも待てよ?
美しさ基準で考えると悔しいけれどそれはそれで当たっている。
そもそも陛下のお眼鏡に適って襲われるような人っているのか?
ちょっと興味がわいてきた。
「ねぇ、オルス。陛下の好みの女の人ってどんなの?」
そう尋ねるとオルスは顔を顰めて私を見た。
「やっぱりお前、陛下に気があるな?」
「いや、ない。それはない」
慌てて否定するもオルスは疑わしげだ。
しまった。聞く相手を間違えた。ここで変な誤解をされると、この陛下大好き人間のことだ。陛下に直談判して私の部屋から陛下を遠ざけてしまう。また振り出しに戻ったらどうしてくれる。
オルスごときだが油断は大敵。きっと陛下は私よりもオルスの言葉に耳を傾けるだろう。所詮新顔と幼馴染では勝敗は目に見えている。
だけど、
「やめとけよ。辛い思いするだけだ」
柄にもなく無表情のオルスに、冷めた声でそう言われてしまった。
なによ。
私ごときじゃ相手にされないと言いたいわけね。
「分かってるわよ。そんなの」
私はふんっと鼻を鳴らしてそう答えた。
そもそもそんなことになりようがないんだけどね。
それにしても変な誤解をした上に人を馬鹿にするとは! どんだけ失礼なんだ、こいつは!!
「マリア、こんな奴ほっといて行きましょう」
私はそれまで傍らで見守るように私たちのやりとりを見ていたマリアの手を握って、引っ張るようにしてその場を後にした。




