十一、二人きりの静かな夜
その後、なぜ居場所が分かったのか、執務室の前で私を待っていたマリアと一緒に自室へと戻った。
そして陛下の言葉を伝え聞いた侍女たちによっていつも以上に念入りに体を洗われた私は真新しい寝衣を着せられて綺麗に髪を梳かれた。
何があるってわけではないはずなのに気合を入れて準備をしていく侍女たちになんだか圧倒されて、次第に私の緊張も増してくる。
あの陛下の様子を見るに今日のことはとても不本意のようだったし、ただ同じ部屋で眠るだけなのだということは分かっている。けれども、準備が整っていくにつれそのいつもと違う雰囲気とこれから2人きりにされるという事実に得体のしれない不安がこみ上げてくるのだ。
私の思うようになったのだと思う。
今更取り消そうだなんて思ってない。
だけど、これからどのように立ち回ればいいのか分からない。
部屋に置かれた美しい刺繍が施された布張りのソファに座って、気を紛らわせるように侍女たちが動き回っている姿をじっと見つめながら、じんわりと汗ばんだ手のひらをギュッと握った。
ふと正面を見ると窓の外はいよいよ太陽が沈んでもう薄暗くなっている。
侍女たちが準備を終えて、最終確認のためあたりを見回し始めたころ、突然扉が鳴らされ、陛下の護衛たちによってそれは開かれた。
その瞬間、侍女たちがサッと顔を伏せて、後ろへと下がる。
陛下のお出ましだ。
私もソファから立ち上がり陛下を出迎える。
陛下はいつもの正装と違ったゆったりとした白い衣を身にまとっていた。これが男性用の寝衣だろうか? いつも以上に色気が漂っていてなんだか酔ってしまいそうで焦る。
私はそんな陛下にとりあえず軽く腰を落として礼をした。
もう本性がばれてしまった以上、こんなに丁寧な礼は必要ないかとも考えたけれど侍女たちの手前、やっぱり取り繕うことに決めたのだ。
陛下が私に向かって無言でうなずくと侍女たちは「失礼します」と言ってみんな部屋から出て行ってしまった。
しんと静まり返る室内。
いよいよやってきた2人きりの時間。
私がどうしたらいいのか分からず立ちすくんでいると、陛下はさっさと私の横をすり抜けて部屋の片隅に置かれている本棚へと向かっていった。
そしてそこから勝手に数冊の本を取り出し腕に抱え、ソファの私が先ほどまで座っていた隣の位置にすとんと腰を落とした。
「そんなに怯えなくてもいい。俺はお前になど興味はない。手など出すものか」
陛下が立ったままの私を下から見上げてそんな失礼なことを言った。
私の存在は無視する気かと思ったけれど、陛下が傍に来たことによって私の体の強張りが増したことに気付いたのかもしれない。
変な勘違いはするなって?
失礼な。
そりゃそうかもしれないけけれど、それが乙女に向かっていう言葉か? その不躾な言葉に少しムッとした私は、だけどそのお陰で先ほどまでの緊張が和らいだのも感じた。
少しずつ平常心が戻ってくる。
「そうじゃなくて、私は今までずっと眠る時は一人だったから落ち着かないだけです」
変に意識しているとは思われたくなくて私はそう言い訳した。でも、これも本音だった。
いつもならば夜寝るときは一人で過ごす。
日中は片時も離れず私のそばにいてくれる侍女たちも眠りにつくころには隣の控えの間へと移っていくのだ。
だれかと過ごす夜なんて一体何年ぶりだろう。
子どものころはあの狭いボロ家で今世の両親と身を寄せ合うようにして眠っていた。そのぬくもりが突然消えたのは私が12歳のころだった。2人は私一人を置いて、どこかに行ってしまった。
それからは眠るときはずっと一人だったから他の人間がいると思うと落ち着かないんだ。
そんな私の気持ちを理解したのかしていないのか陛下は「ふーん」とつまらなさそうにそう返事を返しただけだった。
先ほどの言葉通り私にはまるで興味がなさそうだ。まぁ、それはそうだろうな。
一人頷く私の横で陛下は腕に抱えていた本を脇に置き、1冊だけ手元に残したものをパラパラと簡単にめくりだす。
長いまつげがその顔に影を作っていてとても綺麗だ。
一通り本をめくり終えた陛下は、ふと私の視線に気がついたように再びこちらを見上げた。
「そうやって、じろじろ人の顔を見るのはやめてくれないか。気持ち悪い」
嫌そうに歪められた顔が私を見た。
「すみません、つい」
つい、いつもの癖で。
とっさに視線を逸らした私は、でも自分の身の置き場が分からず動くこともできない。
まさか陛下の横に腰かけるわけにはいかないだろうし、どうしよう。
「俺は夜眠れないんだ。ベッドはお前が使っていい。ここで本を読んでいるから少し明かりを点けさせてもらうが構わないか?」
一人焦りながら部屋中をキョロキョロと見回し始めた私に気が付いたのだろうか。
下から覗き込むようにして陛下はそう問いかけてきた。
思わぬ助け舟にちょっと安心する。でも、
「構いませんけれど、それでは申し訳ありません。ベッドは陛下がお使いください」
さすがに陛下をソファに追いやってふてぶてしく私一人でベッドを使うと言うのは気が引ける。私にも良心はあるし立場と言うものもある。
「本当に眠れないからいいんだ。ベッドは必要ない。お前が使え。それからそのかしこまった口調も必要ない」
「いえ、そんなわけには……」
「いいと言っている」
「本当にいいの?」
私が確認すると目を伏せて「あぁ」と陛下がうなずいた。
そう、それならお言葉に甘えて楽にさせて貰おう。
別に畏まった口調は苦ではないんだけれど堅苦しいのは好きじゃない。
「じゃあ気兼ねなくベッドを使わせてもらうわ。それから私の名前は『お前』じゃなくて『エリカ』よ。名前くらい覚えてもらわないとまた私が名ばかりの側妃だってばれちゃいそうだからそう呼んで」
「わかった」
陛下が納得したようにこくりと頷いた。
あら、意外と素直。
そして思っていた以上に会話が成立していることに気をよくした私にふと出来心が湧いた。
「私はジェルベ様と呼んでも?」
「なぜ名前呼びになる。おま……エリカはそのままでも問題はないはずだが」
陛下が眉間に皺を寄せて問いかけてくる。
あぁ、これはダメそうだ。
言葉は砕けてもいいけれどそこまでは許せない、ということかしらね?
「まぁ、問題はないんだけどね、陛下のこと名前で呼んでる人がいないからもう自分の名前忘れてるんじゃないかと思って。あえてそう呼んでみようかなと思っただけよ」
「その呼び方は好きじゃないんだ」
そう言った陛下の瞳が少し翳ったような気がした。
好きじゃない、ね。
悪い名ではないと思うけれど、称号呼びが気に入っているのかしら?
「それなら、陛下のままにするわ。では、おやすみなさい。陛下」
「ああ」
返事をした陛下は立ち上がり、ソファの周りにあるもの以外の明かりを消してくれた。
失礼な物言いをするけれど、以前オルスが言っていたとおり優しさも見える。
アルフレッドとは違う意味でよく分からない人だ。
私は「ありがとう」とお礼を言って、そのままベッドにもぐりこんだ。
ほんのりと灯ったままの残りの明かりと、規則的なページをめくる音を背中に感じながら。
私はいつの間にか眠りに落ちていた。
人の気配がする夜も意外と悪いものじゃないかもしれない。




