回復術師の私が拾った瀕死の青年、どうやら討伐済みの魔王らしいです
「死んでますね」
「死んでない」
「いや、だいぶ死んでますよ」
「まだ、返事をしている」
「それはまあ、そうなんですけど」
私は膝をついたまま、目の前の青年を見下ろした。
場所は黒焦げになった丘の上。
昨日まで魔王城だったものは、今は半分ほど崩れて、煙を上げている。勇者様ご一行が魔王を討伐したとかで、王都では鐘が鳴り、教会では祈りが捧げられ、酒場では朝から酔っ払いが床に転がっているらしい。
で、私はそのめでたい戦場跡で、死体回収の手伝いをしていた。
回復術師というと聞こえはいいが、私の仕事はだいたい地味だ。
ちぎれかけた腕をくっつける。毒を抜く。骨を戻す。間に合わなかった人の目を閉じる。
勇者様に花束を渡す側ではなく、花束を置かれる側の人数を数える方。
まあ、そういう役回りだ。
そんな私が瓦礫の下から見つけたのが、この青年だった。
黒い髪。灰色の肌。左胸には大穴。右腕は肘から先がない。腹にも剣傷が三本。普通に考えて、会話している方がおかしい。
顔だけは妙に整っていた。
腹が立つくらい。
「とりあえず、応急処置します」
「やめろ」
「患者が治療拒否できる状態じゃありません」
「私は……人間ではない」
「でしょうね」
私は彼の額に手を当てた。
熱はない。むしろ冷たい。生き物の温度ではない。
でも脈はあった。
遅い。とても遅い。
木の根が、何年もかけて土の下を進むみたいな、そういう脈。
「魔族ですか」
「……それより悪い」
「悪い?」
私が包帯を出すと、青年はかすかに顔をしかめた。
「私は、魔王だ」
「はぁ」
「驚かないのか」
「驚いてますよ」
「そうは見えない」
「今、驚くより先に止血しないと、あなた普通に死にます」
「魔王だと言った」
「聞きました」
「昨日、討伐された」
「はい。おめでとうございます」
「祝うな」
面倒くさい患者である。
私はため息をついて、回復術を流し込んだ。
淡い緑の光が、青年の胸元に触れる。
その瞬間。
じゅ、と嫌な音がした。
「あっつ」
私の手の甲に、黒い煙が絡みついた。
魔力が逆流しかけたのだ。普通の怪我人ならありえない反応。呪いか、聖剣の残滓か、そのへん。
青年――魔王らしい人は、片目だけ開けた。
「だから、やめろと」
「なるほど。勇者様の剣、治癒阻害つきですか」
「神聖属性だ。魔族には毒になる」
「でしょうね。人間の私にもだいぶ迷惑です」
私は鞄から銀針を取り出した。
針先に自分の血をつける。
この方法はあまり好きじゃない。痛いし、あとで貧血になる。けれど、聖剣の傷を無理に塞ぐには、回復術だけでは足りない。
「何をする」
「縫います」
「縫う?」
「魔力で」
「人間は魔王を縫うのか」
「人によります」
銀針を彼の胸の傷口に刺す。
青年の指が、瓦礫をかいた。
声は出さなかった。
偉い。普通の冒険者ならこのあたりで三回は叫ぶ。
「名前は」
私は聞いた。
「魔王でいい」
「呼びづらいです」
「では、ヴァル」
「短いですね」
「昔の名だ」
「私はリナです」
「回復術師か」
「見れば分かるでしょう」
「いや」
ヴァルは、瓦礫の向こうに視線を投げた。
「お前の術は、教会のものと違う」
「田舎流なので」
「田舎」
「村に医者がいなかったんです。薬草も足りないし、神官様は年に一回しか来ないし。だから、まあ、縫ったり焼いたり祈ったり、使えるものは何でも」
「雑だな」
「助かれば正義です」
針を引く。
黒い煙がまた出た。今度は弱い。
傷の端が、少しずつ寄っていく。
ヴァルは黙っていた。
視線だけが、私の手を追っている。
「なぜ助ける」
「見つけたからです」
「理由になっていない」
「十分です」
「私は魔王だ」
「三回目ですね」
「人間を殺した」
「でしょうね」
「村を焼いた」
「はい」
「軍を潰した。砦を落とした。王子を一人、谷に投げた」
「王子はまあ、種類によります」
「……種類?」
「投げられても仕方ない王子、たまにいますから」
ヴァルが、ほんの少しだけ目を細めた。
笑ったのかもしれない。
分かりにくい。
「お前、変だな」
「患者によく言われます」
「治したあと、どうする」
「立てるなら立ってください。無理なら担架を呼びます」
「私を王都へ連れていく気か」
「それはちょっと嫌ですね。首を落とされそうなので」
「お前が?」
「あなたも私も」
私は最後の針を抜いた。
胸の大穴は、穴と呼ぶには浅くなっていた。まだひどい傷だが、死ぬほどではない。
いや、死ぬほどではないと言える相手が魔王なのもどうかと思う。
「とりあえず、半日くらいは生きます」
「半日」
「文句言わない。さっきまで死んでたんですから」
「死んでいない」
「はいはい」
私は水袋を取り出し、彼の口元に当てた。
ヴァルは警戒したように見た。
「毒か」
「水です」
「なぜ」
「飲まないと死にます」
「私は魔王だぞ」
「魔王って水飲まないんですか?」
少し沈黙。
ヴァルは、気まずそうに水を飲んだ。
飲むんだ。
*
魔王城跡に長居はできなかった。
勇者様ご一行は王都に戻ったが、討伐隊の後詰めはまだ周囲を調べている。魔族の残党がいないか、宝物庫が残っていないか、勇者様の活躍を盛るための証拠がないか。
最後のは余計か。
私はヴァルに外套をかぶせ、荷車に寝かせた。
死体回収用の荷車だ。
「これは」
「一番怪しまれません」
「私は死体扱いか」
「今さらでは?」
ヴァルは黙った。
納得したらしい。
城跡から森へ入ると、空気が変わった。
焼けた石の匂いが薄れて、湿った土と苔の匂いがする。鳥は鳴いていない。魔王城の近くだからか、まだ生き物が戻っていないのか。
荷車はよく揺れた。
そのたびにヴァルが目を閉じる。
「痛いですか」
「平気だ」
「痛い時に平気って言う人、だいたい平気じゃないんですよ」
「人間もそうなのか」
「魔族もそうなんですか」
「知らん。部下は私の前で痛がらなかった」
「それ、気を遣われてただけでは」
また沈黙。
言ってから、少しだけ悪かったかなと思った。
が、ヴァルは低く息を吐いただけだった。
「かもしれん」
「……すみません」
「いや。そういうものだったのかもしれない」
森の中を進む。
道は細い。
途中で、黒い角を持つ狼がこちらを見ていた。
魔獣だ。
私は杖を構えたが、狼は近づいてこなかった。
ヴァルが荷車の中で、わずかに指を動かしただけ。
狼は耳を伏せ、木々の奥へ消えた。
「便利ですね、魔王」
「今のは偶然だ」
「嘘が下手ですね」
「慣れていない」
「魔王なのに?」
「魔王だからだ。嘘をつく必要がなかった」
「なるほど。嫌な職場ですね」
ヴァルがこちらを見る。
「職場」
「魔王城って、だいたい職場でしょう。部下がいて、会議して、書類があって」
「書類はあった」
「ほら」
「多かった」
「でしょうね」
少しだけ、空気が緩んだ。
魔王と荷車で逃亡中にする会話ではない。
まあ、普通の逃亡なんてしたことがないから、正解は知らない。
日が傾く前に、森の奥の廃小屋へ着いた。
昔、猟師が使っていた小屋だ。今は誰もいない。
私はヴァルを床に寝かせ、火を起こした。
「食べられますか」
「要らない」
「またそれ」
「魔族は人間ほど食べない」
「でも食べるんですよね」
私は干し肉を細かく裂き、薄い粥に入れた。
鍋が温まるのを待つ間、ヴァルは天井を見ていた。
穴の空いた天井。
そこから夕方の空が見える。
「王都では、今ごろ祭りか」
「でしょうね。魔王討伐記念で」
「そうか」
「気になります?」
「いや」
「嘘ですね」
ヴァルは返事をしなかった。
私は粥を木椀によそい、彼の横に座った。
匙を差し出す。
ヴァルは動かない。
「まさか、自分で食べられない?」
「右手が重い」
「最初から言ってください」
「言うほどのことでは」
「あります」
私は匙で粥をすくい、彼の口元へ持っていった。
ヴァルは固まった。
「何ですか」
「いや」
「毒じゃないです」
「それは分かっている」
「じゃあ口開けてください」
「……これは、屈辱では?」
「生きるのに忙しい時に、屈辱まで面倒見られません」
ヴァルはしばらくこちらを見ていた。
それから、しぶしぶ口を開けた。
やっぱり食べるんだ。
「熱い」
「ふーってしてください」
「魔王に?」
「患者にです」
ヴァルは、ものすごく嫌そうな顔をした。
でも次から少し冷まして食べた。
素直じゃないが、学習は早い。
*
夜半。
小屋の外で、鐘の音がした。
一度。
二度。
三度。
こんな森の奥に鐘なんてない。
私は目を開けた。
ヴァルも起きていた。
「何ですか、今の」
「境界の鐘だ」
「境界?」
「魔境と人間の土地を分けていた結界が、壊れ始めている」
「……それ、まずい話ですか」
「まずい」
「どれくらい」
「朝までに北の村が三つ飲まれる」
私は起き上がった。
寝起きの頭に、情報が重い。
「ちょっと待ってください。魔王を倒したら平和になるんじゃ?」
「普通はそう語られる」
「語られる?」
「魔王は魔境を広げる存在ではない。押し留める楔だ」
「はぁ?」
声が大きくなった。
ヴァルは顔をしかめる。
傷に響いたのかもしれない。
「魔境は昔からある。瘴気も魔獣も、私が生まれる前からあった。魔王はそれを制御するために立つ」
「じゃあ勇者様は何を討伐したんですか」
「見栄えのいい敵だろう」
「いやいや」
私は額を押さえた。
眠気が一気に消える。
「教会は、魔王を倒せば魔獣が消えるって」
「教会はそう言う」
「王宮も」
「王宮もそう言う」
「勇者様は」
「たぶん、信じていた」
「たぶん?」
「彼はまっすぐだった。まっすぐすぎた」
ヴァルは自分の胸の傷に触れた。
聖剣の跡。
まだ黒く滲んでいる。
「私は説明した。聞かれなかった。剣を向けられた」
「……まあ、戦場で魔王が何か言っても、聞かないでしょうね」
「そうだな」
納得されると、それはそれで困る。
私は立ち上がり、荷物をまとめた。
「行きますよ」
「どこへ」
「北の村」
「お前一人で何ができる」
「怪我人の手当てくらいは」
「私は動けない」
「荷車があります」
「また死体扱いか」
「生きてるだけ得です」
ヴァルは、少しだけ目を閉じた。
「私を連れていけば、村人はお前を責める」
「でしょうね」
「殺されるかもしれない」
「そこはまあ、走ります」
「軽いな」
「重く考えたら動けないので」
私は火を消した。
小屋の外は、まだ暗い。
森の奥で、低いうなり声がした。
魔獣だ。
数は分からない。
でも近い。
「リナ」
「はい」
「なぜ、そこまでする」
またそれか。
私は荷車の取っ手を握った。
木が湿っていて、少し滑る。
「北の村に、子どもの頃お世話になった薬師さんがいます」
「知り合いか」
「あと、干し葡萄をおまけしてくれるパン屋も」
「それだけか」
「十分です」
ヴァルは、何か言おうとしてやめた。
代わりに、右手を持ち上げる。
黒い魔力が、薄く指先に集まった。
「魔獣は私が逸らす」
「動けるんですか」
「少しなら」
「無理は」
「患者扱いするな」
「患者です」
「魔王だ」
「面倒くさい患者です」
ヴァルは今度こそ、少し笑った。
口元だけだが。
*
北の村は、朝焼けの中で半分沈んでいた。
沈んでいた、という表現が一番近い。
地面から黒い霧が湧き、家の壁を這い、畑を覆っている。鶏小屋がひとつ、霧に呑まれた瞬間、中から骨の鳥みたいなものが飛び出してきた。
うん。
平和はどこへ行った。
「リナ!」
薬師の婆さんが、教会の前で叫んでいた。
腕に子どもを抱えている。子どもの足には黒い斑点。
瘴気に触れた傷だ。
私は走った。
「水! 清潔な布! あと酒!」
「飲むのかい!」
「消毒です!」
「ちぇっ」
「今ちぇって言いました?」
「言ってないよ!」
村人たちは混乱していた。
魔獣が出る。
霧が来る。
教会の鐘は鳴らない。
神官は王都の祭りに行って不在。
なるほど。最悪。
私は教会の床に怪我人を並べ、片っ端から処置した。
回復術を流し、瘴気を抜き、包帯を巻く。
途中で三回ほど倒れかけたが、婆さんに薬湯を口に突っ込まれて戻った。
味がひどい。
生き返るが、味で死にそうになる。
「外の霧が止まった!」
誰かが叫んだ。
私は扉の方を見た。
荷車から起き上がったヴァルが、村の入口に立っていた。
外套が風に揺れている。
足元はふらついている。
でも、その前で魔獣の群れが止まっていた。
吠えない。
跳びかからない。
ただ、頭を低くしている。
「あれは誰だ」
村長が震えた声で言った。
答える前に、子どもが言った。
「魔王?」
空気が止まった。
まあ、隠せないよね。
角はないけど、雰囲気が完全にそれだもの。
村人たちの視線が、私に向いた。
責める目。
怯える目。
あと、どうしていいか分からない目。
私は包帯を結び終え、立ち上がった。
「拾いました」
「拾った!?」
村長の声が裏返った。
「犬猫じゃないんだぞ!」
「私もそう思います」
「ならなぜ連れてきた!」
「今、霧を止めてます」
「それは……そうだが……!」
村長は口を開けたり閉じたりした。
正論と感情が喧嘩している顔だった。
嫌いじゃない。
人はだいたいそうだ。
正しいことだけで動けないし、怖いものは怖い。
ヴァルが膝をついた。
私は外へ飛び出した。
「ちょっと、倒れるなら先に言ってください!」
「言う余裕がなかった」
「でしょうね!」
彼の肩を支える。
冷たい。
昨日よりずっと。
「境界を戻せますか」
「本来の楔があれば」
「本来の?」
「私の心臓に刺さっていた聖剣だ」
「それ、勇者様が持って帰りましたよね」
「おそらく」
「王都じゃないですか」
「そうだな」
私は空を見た。
遠く、王都の方角に薄い金色の光が上がっている。
祭りの花火か、教会の祝福か。
どちらでもいいが、腹が立つ。
「行きますか」
「王都へ?」
「聖剣を取り返しに」
「私は討伐済みの魔王だぞ」
「私は魔王を拾った回復術師です」
「捕まる」
「でしょうね」
「死ぬかもしれない」
「昨日からずっとその話してますね」
ヴァルは黙った。
私も黙った。
村の人たちは、少し離れてこちらを見ている。
誰も近づかない。
でも、石を投げる者もいなかった。
さっき足を治した子どもが、母親の後ろから顔を出している。私と目が合うと、さっと隠れた。
まあ、そんなものだ。
助けたからといって、すぐ信じてもらえるわけではない。
信じてもらえないからといって、助けない理由にもならない。
「リナ」
「はい」
「私は、人間を殺した」
「聞きました」
「村を焼いた」
「それも」
「王子を谷に投げた」
「その王子の話はあとで詳しく」
「そこか」
「気になります」
ヴァルは、疲れたように目を伏せた。
「私は善人ではない」
「私もそんなに善人じゃないです」
「お前は人を助ける」
「仕事です」
「仕事で魔王を助けるか」
「拾った患者なので」
自分でも、なかなか雑な理屈だと思う。
でも、今さらきれいな理由を作るのも違う。
私は瀕死の青年を見つけた。
治せそうだった。
治した。
そしたら魔王だった。
で、世界が思ったより雑にできていた。
なら、もう少しだけ付き合うしかない。
「立てます?」
「少しなら」
「じゃあ行きましょう」
「どこへ」
「王都です」
「魔王が王都へ行くのか」
「討伐祝い中に」
「正気か」
「今朝、薬湯を三杯飲まされたので、たぶん正気ではないです」
ヴァルが、肩を震わせた。
笑っている。
たぶん。
私は荷車を引いた。
村長が何か言いかけた。
止める言葉か、礼か、罵倒か。
結局、出てきたのは別の言葉だった。
「……北門の道は、まだ霧が薄い」
私は振り返った。
村長は目を逸らした。
「行くなら、急げ」
「ありがとうございます」
「礼を言うな。儂は何も見なかった」
「助かります」
婆さんが、私の鞄に薬瓶を押し込んだ。
「金は取るよ」
「後払いで」
「踏み倒したら呪う」
「薬師の呪い、効きそうで嫌ですね」
「効くよ」
笑えない。
でも少しだけ、口元が緩んだ。
*
王都への道は、祭りの旗で飾られていた。
魔王討伐万歳。
勇者に栄光を。
平和の夜明け。
その文字の下を、討伐済みの魔王を乗せた荷車が通る。
ひどい冗談だ。
ヴァルは外套の奥で眠っている。
顔色は悪い。魔王に顔色という言葉が合うのかは知らないが、とにかく悪い。
私は荷車を引きながら、王都の城門を見上げた。
門の上では兵士たちが笑っている。
広場からは音楽。
肉の焼ける匂い。
花。
酒。
誰も、北の村を見ていない。
誰も、魔境の鐘を聞いていない。
でもまあ、そういうものだ。
遠くの破滅より、目の前の祭り。
人はそれで今日を生きる。
私だって、できればそうしたかった。
「リナ」
荷車の中から声がした。
「起きました?」
「まだ生きている」
「それは何より」
「後悔するぞ」
「何をですか」
「私を拾ったこと」
私は城門へ続く列に並んだ。
門番が一台ずつ荷を改めている。
まずい。
とてもまずい。
でも、今さら引き返すには人目が多すぎる。
私は小さく息を吐いた。
「後悔は、まあ、あとでまとめてします」
「今は?」
「受付で揉めない言い訳を考えてます」
「荷の中身は?」
「重病人」
「間違ってはいない」
「でしょう」
列が進む。
あと三組。
二組。
一組。
門番がこちらを見た。
「荷を見せろ」
「はい」
私は外套に手をかけた。
その時、城の方から大きな鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
祭りの鐘ではない。
空気が変わった。
城壁の向こうから、黒い霧が一本、細く立ち上る。
門番が振り向いた。
人々が騒ぎ出す。
ヴァルが、荷車の中で目を開けた。
「聖剣が抜かれた」
「誰に」
「王が、玉座に飾ったのだろう」
「何でそうなる」
「人間は勝利の証が好きだ」
「否定できないのが嫌ですね」
霧が広がる。
王都の祭りの旗が、黒く染まり始めた。
悲鳴。
馬のいななき。
転がる果物。
走る兵士。
私は荷車の取っ手を握り直した。
「ヴァル」
「何だ」
「王城まで行けます?」
「行けと言うのか」
「行きましょう」
「私は魔王だ」
「四回目です」
「今度はお前も捕まる」
「たぶん、捕まえてる余裕ないですよ」
私は走り出した。
荷車が跳ねる。
ヴァルが低くうめいた。
「痛い」
「ふーってしてください!」
「それは熱い時だ!」
「じゃあ我慢!」
「雑だな、本当に!」
王都の石畳を、荷車が音を立てて進む。
人々が逃げる。
兵士が叫ぶ。
黒い霧の向こうで、城の塔がゆがんで見えた。
世界は平和になんてなっていなかった。
魔王は討伐済みで、勇者は英雄で、私はただの回復術師。
そのはずだった。
でも、私の荷車には魔王が乗っている。
王城には聖剣がある。
そして私は、なぜかその二つをくっつけに走っている。
意味が分からない。
けれど、まあ。
患者を途中で放り出すよりは、ずっとましだ。
城門の奥で、また鐘が鳴った。
今度は、ひび割れるような音だった。
私は荷車を引いて、その音の方へ走った。




