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回復術師の私が拾った瀕死の青年、どうやら討伐済みの魔王らしいです

作者: あうまる
掲載日:2026/05/19

「死んでますね」

「死んでない」

「いや、だいぶ死んでますよ」

「まだ、返事をしている」

「それはまあ、そうなんですけど」


 私は膝をついたまま、目の前の青年を見下ろした。


 場所は黒焦げになった丘の上。昨日まで魔王城だったものは、今は半分ほど崩れて、煙を上げている。

 勇者様ご一行が魔王を討伐したとかで、王都では鐘が鳴り、教会では祈りが捧げられ、酒場では朝から酔っ払いが床に転がっているらしい。

 で、私はそのめでたい戦場跡で、死体回収の手伝いをしていた。


 回復術師というと聞こえはいいが、私の仕事はだいたい地味だ。

 ちぎれかけた腕をくっつける。毒を抜く。骨を戻す。間に合わなかった人の目を閉じる。

 勇者様に花束を渡す側ではなく、花束を置かれる側の人数を数える方。まあ、そういう役回りだ。


 そんな私が瓦礫の下から見つけたのが、この青年だった。

 黒い髪。灰色の肌。左胸には大穴。右腕は肘から先がない。腹にも剣傷が三本。普通に考えて、会話している方がおかしい。

 顔だけは妙に整っていた。腹が立つくらい。


「とりあえず、応急処置します」

「やめろ」

「患者が治療拒否できる状態じゃありません」

「私は……人間ではない」

「でしょうね」


 私は彼の額に手を当てた。

 熱はない。むしろ冷たい。生き物の温度ではない。でも脈はあった。

 遅い。とても遅い。木の根が、何年もかけて土の下を進むみたいな、そういう脈。


「魔族ですか」

「……それより悪い」

「悪い?」


 私が包帯を出すと、青年はかすかに顔をしかめた。


「私は、魔王だ」

「はぁ」

「驚かないのか」

「驚いてますよ」

「そうは見えない」

「今、驚くより先に止血しないと、あなた普通に死にます」

「魔王だと言った」

「聞きました」

「昨日、討伐された」

「はい。おめでとうございます」

「祝うな」


 面倒くさい患者である。


 私はため息をついて、回復術を流し込んだ。淡い緑の光が、青年の胸元に触れる。

 その瞬間、じゅ、と嫌な音がした。


「あっつ」


 私の手の甲に、黒い煙が絡みついた。魔力が逆流しかけたのだ。普通の怪我人ならありえない反応。呪いか、聖剣の残滓か、そのへん。

 青年――魔王らしい人は、片目だけ開けた。


「だから、やめろと」

「なるほど。勇者様の剣、治癒阻害つきですか」

「神聖属性だ。魔族には毒になる」

「でしょうね。人間の私にもだいぶ迷惑です」


 私は鞄から銀針を取り出した。針先に自分の血をつける。

 この方法はあまり好きじゃない。痛いし、あとで貧血になる。けれど、聖剣の傷を無理に塞ぐには、回復術だけでは足りない。


「何をする」

「縫います」

「縫う?」

「魔力で」

「人間は魔王を縫うのか」

「人によります」


 銀針を彼の胸の傷口に刺す。

 青年の指が、瓦礫をかいた。声は出さなかった。偉い。普通の冒険者ならこのあたりで三回は叫ぶ。


「名前は」


 私は聞いた。


「魔王でいい」

「呼びづらいです」

「では、ヴァル」

「短いですね」

「昔の名だ」

「私はリナです」

「回復術師か」

「見れば分かるでしょう」

「いや」


 ヴァルは、瓦礫の向こうに視線を投げた。


「お前の術は、教会のものと違う」

「田舎流なので」

「田舎」

「村に医者がいなかったんです。薬草も足りないし、神官様は年に一回しか来ないし。だから、まあ、縫ったり焼いたり祈ったり、使えるものは何でも」

「雑だな」

「助かれば正義です」


 針を引く。黒い煙がまた出た。今度は弱い。

 傷の端が、少しずつ寄っていく。ヴァルは黙っていた。視線だけが、私の手を追っている。


「なぜ助ける」

「見つけたからです」

「理由になっていない」

「十分です」

「私は魔王だ」

「三回目ですね」

「人間を殺した」

「でしょうね」

「村を焼いた」

「はい」

「軍を潰した。砦を落とした。王子を一人、谷に投げた」

「王子はまあ、種類によります」

「……種類?」

「投げられても仕方ない王子、たまにいますから」


 ヴァルが、ほんの少しだけ目を細めた。笑ったのかもしれない。分かりにくい。


「お前、変だな」

「患者によく言われます」

「治したあと、どうする」

「立てるなら立ってください。無理なら担架を呼びます」

「私を王都へ連れていく気か」

「それはちょっと嫌ですね。首を落とされそうなので」

「お前が?」

「あなたも私も」


 私は最後の針を抜いた。

 胸の大穴は、穴と呼ぶには浅くなっていた。まだひどい傷だが、死ぬほどではない。いや、死ぬほどではないと言える相手が魔王なのもどうかと思う。


「とりあえず、半日くらいは生きます」

「半日」

「文句言わない。さっきまで死んでたんですから」

「死んでいない」

「はいはい」


 私は水袋を取り出し、彼の口元に当てた。ヴァルは警戒したように見た。


「毒か」

「水です」

「なぜ」

「飲まないと死にます」

「私は昨日、討伐された側だぞ」

「討伐済みの魔王って水飲まないんですか?」


 少し沈黙。

 ヴァルは、気まずそうに水を飲んだ。


 飲むんだ。



     *



 魔王城跡に長居はできなかった。


 勇者様ご一行は王都に戻ったが、討伐隊の後詰めはまだ周囲を調べている。魔族の残党がいないか、宝物庫が残っていないか、勇者様の活躍を盛るための証拠がないか。

 最後のは余計か。


 私はヴァルに外套をかぶせ、荷車に寝かせた。死体回収用の荷車だ。


「これは」

「一番怪しまれません」

「私は死体扱いか」

「今さらでは?」


 ヴァルは黙った。納得したらしい。


 城跡から森へ入ると、空気が変わった。焼けた石の匂いが薄れて、湿った土と苔の匂いがする。

 鳥は鳴いていない。魔王城の近くだからか、まだ生き物が戻っていないのか。


 荷車はよく揺れた。そのたびにヴァルが目を閉じる。


「痛いですか」

「平気だ」

「痛い時に平気って言う人、だいたい平気じゃないんですよ」

「人間もそうなのか」

「魔族もそうなんですか」

「知らん。部下は私の前で痛がらなかった」

「それ、気を遣われてただけでは」


 また沈黙。

 言ってから、少しだけ悪かったかなと思った。が、ヴァルは低く息を吐いただけだった。


「かもしれん」

「……すみません」

「いや。そういうものだったのかもしれない」


 森の中を進む。道は細い。

 途中で、黒い角を持つ狼がこちらを見ていた。魔獣だ。


 私は杖を構えたが、狼は近づいてこなかった。

 ヴァルが荷車の中で、わずかに指を動かしただけ。狼は耳を伏せ、木々の奥へ消えた。


「便利ですね、魔王」

「今のは偶然だ」

「嘘が下手ですね」

「慣れていない」

「魔王なのに?」

「魔王だからだ。嘘をつく必要がなかった」

「なるほど。嫌な職場ですね」


 ヴァルがこちらを見る。


「職場」

「魔王城って、だいたい職場でしょう。部下がいて、会議して、書類があって」

「書類はあった」

「ほら」

「多かった」

「でしょうね」


 少しだけ、空気が緩んだ。

 魔王と荷車で逃亡中にする会話ではない。まあ、普通の逃亡なんてしたことがないから、正解は知らない。


 日が傾く前に、森の奥の廃小屋へ着いた。昔、猟師が使っていた小屋だ。今は誰もいない。

 私はヴァルを床に寝かせ、火を起こした。


「食べられますか」

「要らない」

「またそれ」

「魔族は人間ほど食べない」

「でも食べるんですよね」


 私は干し肉を細かく裂き、薄い粥に入れた。

 鍋が温まるのを待つ間、ヴァルは天井を見ていた。穴の空いた天井。そこから夕方の空が見える。


「王都では、今ごろ祭りか」

「でしょうね。魔王討伐記念で」

「そうか」

「気になります?」

「いや」

「嘘ですね」


 ヴァルは返事をしなかった。


 私は粥を木椀によそい、彼の横に座った。匙を差し出す。

 ヴァルは動かない。


「まさか、自分で食べられない?」

「右手が重い」

「最初から言ってください」

「言うほどのことでは」

「あります」


 私は匙で粥をすくい、彼の口元へ持っていった。ヴァルは固まった。


「何ですか」

「いや」

「毒じゃないです」

「それは分かっている」

「じゃあ口開けてください」

「……これは、屈辱では?」

「生きるのに忙しい時に、屈辱まで面倒見られません」


 ヴァルはしばらくこちらを見ていた。それから、しぶしぶ口を開けた。

 やっぱり食べるんだ。


「熱い」

「ふーってしてください」

「魔王に?」

「患者にです」


 ヴァルは、ものすごく嫌そうな顔をした。

 でも次から少し冷まして食べた。素直じゃないが、学習は早い。



     *



 夜半。

 小屋の外で、鐘の音がした。


 一度。

 二度。

 三度。


 こんな森の奥に鐘なんてない。

 私は目を開けた。ヴァルも起きていた。


「何ですか、今の」

「境界の鐘だ」

「境界?」

「魔境と人間の土地を分けていた結界が、壊れ始めている」

「……それ、まずい話ですか」

「まずい」

「どれくらい」

「朝までに北の村が三つ飲まれる」


 私は起き上がった。

 寝起きの頭に、情報が重い。


「ちょっと待ってください。魔王を倒したら平和になるんじゃ?」

「普通はそう語られる」

「語られる?」

「魔王は魔境を広げる存在ではない。押し留める楔だ」

「はぁ?」


 声が大きくなった。ヴァルは顔をしかめる。傷に響いたのかもしれない。


「魔境は昔からある。瘴気も魔獣も、私が生まれる前からあった。魔王はそれを制御するために立つ」

「じゃあ勇者様は何を討伐したんですか」

「見栄えのいい敵だろう」

「いやいや」


 私は額を押さえた。眠気が一気に消える。


「教会は、魔王を倒せば魔獣が消えるって」

「教会はそう言う」

「王宮も」

「王宮もそう言う」

「勇者様は」

「たぶん、信じていた」

「たぶん?」

「彼はまっすぐだった。まっすぐすぎた」


 ヴァルは自分の胸の傷に触れた。聖剣の跡。まだ黒く滲んでいる。


「私は説明した。聞かれなかった。剣を向けられた」

「……まあ、戦場で魔王が何か言っても、聞かないでしょうね」

「そうだな」


 納得されると、それはそれで困る。


 私は立ち上がり、荷物をまとめた。


「行きますよ」

「どこへ」

「北の村」

「お前一人で何ができる」

「怪我人の手当てくらいは」

「私は動けない」

「荷車があります」

「また死体扱いか」

「生きてるだけ得です」


 ヴァルは、少しだけ目を閉じた。


「私を連れていけば、村人はお前を責める」

「でしょうね」

「殺されるかもしれない」

「そこはまあ、走ります」

「軽いな」

「重く考えたら動けないので」


 私は火を消した。

 小屋の外は、まだ暗い。森の奥で、低いうなり声がした。魔獣だ。数は分からない。でも近い。


「リナ」

「はい」

「なぜ、そこまでする」


 またそれか。

 私は荷車の取っ手を握った。木が湿っていて、少し滑る。


「北の村に、子どもの頃お世話になった薬師さんがいます」

「知り合いか」

「あと、干し葡萄をおまけしてくれるパン屋も」

「それだけか」

「十分です」


 ヴァルは、何か言おうとしてやめた。

 代わりに、右手を持ち上げる。黒い魔力が、薄く指先に集まった。


「魔獣は私が逸らす」

「動けるんですか」

「少しなら」

「無理は」

「患者扱いするな」

「患者です」

「魔王だ」

「面倒くさい患者です」


 ヴァルは今度こそ、少し笑った。口元だけだが。



     *



 北の村は、朝焼けの中で半分沈んでいた。


 沈んでいた、という表現が一番近い。

 地面から黒い霧が湧き、家の壁を這い、畑を覆っている。鶏小屋がひとつ、霧に呑まれた瞬間、中から骨の鳥みたいなものが飛び出してきた。


 うん。

 平和はどこへ行った。


「リナ!」


 薬師の婆さんが、教会の前で叫んでいた。

 腕に子どもを抱えている。子どもの足には黒い斑点。瘴気に触れた傷だ。


 私は走った。


「水! 清潔な布! あと酒!」

「飲むのかい!」

「消毒です!」

「ちぇっ」

「今ちぇって言いました?」

「言ってないよ!」


 村人たちは混乱していた。魔獣が出る。霧が来る。教会の鐘は鳴らない。

 神官は王都の祭りに行って不在。なるほど。最悪。


 私は教会の床に怪我人を並べ、片っ端から処置した。

 回復術を流し、瘴気を抜き、包帯を巻く。途中で三回ほど倒れかけたが、婆さんに薬湯を口に突っ込まれて戻った。

 味がひどい。生き返るが、味で死にそうになる。


「外の霧が止まった!」


 誰かが叫んだ。

 私は扉の方を見た。


 荷車から起き上がったヴァルが、村の入口に立っていた。

 外套が風に揺れている。足元はふらついている。でも、その前で魔獣の群れが止まっていた。

 吠えない。跳びかからない。ただ、頭を低くしている。


「あれは誰だ」


 村長が震えた声で言った。

 答える前に、子どもが言った。


「魔王?」


 誰も鍬を握り直す音を立てなくなった。

 まあ、隠せないよね。角はないけど、雰囲気が完全にそれだもの。


 村人たちの視線が、私に向いた。

 責める目。怯える目。あと、どうしていいか分からない目。


 私は包帯を結び終え、立ち上がった。


「拾いました」

「拾った!?」


 村長の声が裏返った。


「犬猫じゃないんだぞ!」

「私もそう思います」

「ならなぜ連れてきた!」

「今、霧を止めてます」

「それは……そうだが……!」


 村長は口を開けたり閉じたりした。

 正論と感情が喧嘩している顔だった。嫌いじゃない。人はだいたいそうだ。正しいことだけで動けないし、怖いものは怖い。


 ヴァルが膝をついた。

 私は外へ飛び出した。


「ちょっと、倒れるなら先に言ってください!」

「言う余裕がなかった」

「でしょうね!」


 彼の肩を支える。冷たい。昨日よりずっと。


「境界を戻せますか」

「本来の楔があれば」

「本来の?」

「今の私は楔として欠けている。心臓に刺さっていた聖剣が、境界を留める芯になっていた」

「それを勇者様が持って帰った?」

「おそらく」

「王都じゃないですか」

「そうだな」


 私は空を見た。

 遠く、王都の方角に薄い金色の光が上がっている。祭りの花火か、教会の祝福か。

 どちらでもいいが、腹が立つ。


「行きますか」

「王都へ?」

「聖剣を取り返しに」

「私は討伐済みの魔王だぞ」

「私は魔王を拾った回復術師です」

「捕まる」

「でしょうね」

「死ぬかもしれない」

「昨日からずっとその話してますね」


 ヴァルは黙った。私も黙った。


 村の人たちは、少し離れてこちらを見ている。

 誰も近づかない。でも、石を投げる者もいなかった。

 さっき足を治した子どもが、母親の後ろから顔を出している。私と目が合うと、さっと隠れた。


 まあ、そんなものだ。

 助けたからといって、すぐ信じてもらえるわけではない。信じてもらえないからといって、助けない理由にもならない。


「リナ」

「はい」

「私は、人間を殺した」

「聞きました」

「村を焼いた」

「それも」

「王子を谷に投げた」

「その王子の話はあとで詳しく」

「そこか」

「気になります」


 ヴァルは、疲れたように目を伏せた。


「私は善人ではない」

「私もそんなに善人じゃないです」

「お前は人を助ける」

「仕事です」

「仕事で魔王を助けるか」

「拾った患者なので」


 自分でも、なかなか雑な理屈だと思う。でも、今さらきれいな理由を作るのも違う。

 私は瀕死の青年を見つけた。治せそうだった。治した。そしたら魔王だった。で、世界が思ったより雑にできていた。

 なら、もう少しだけ付き合うしかない。


「立てます?」

「少しなら」

「じゃあ行きましょう」

「どこへ」

「王都です」

「魔王が王都へ行くのか」

「討伐祝い中に」

「正気か」

「今朝、薬湯を三杯飲まされたので、たぶん正気ではないです」


 ヴァルが、肩を震わせた。笑っている。たぶん。

 私は荷車を引いた。


 村長が何か言いかけた。止める言葉か、礼か、罵倒か。

 結局、出てきたのは別の言葉だった。


「……北門の道は、まだ霧が薄い」


 私は振り返った。村長は目を逸らした。


「行くなら、急げ」

「ありがとうございます」

「礼を言うな。儂は何も見なかった」

「助かります」


 婆さんが、私の鞄に薬瓶を押し込んだ。


「金は取るよ」

「後払いで」

「踏み倒したら呪う」

「薬師の呪い、効きそうで嫌ですね」

「効くよ」


 笑えない。

 でも少しだけ、口元が緩んだ。



     *



 王都への道は、祭りの旗で飾られていた。


 魔王討伐万歳。

 勇者に栄光を。

 平和の夜明け。


 その文字の下を、討伐済みの魔王を乗せた荷車が通る。

 ひどい冗談だ。


 ヴァルは外套の奥で眠っている。

 顔色は悪い。魔王に顔色という言葉が合うのかは知らないが、とにかく悪い。


 私は荷車を引きながら、王都の城門を見上げた。

 門の上では兵士たちが笑っている。広場からは音楽。肉の焼ける匂い。花。酒。

 誰も、北の村を見ていない。誰も、魔境の鐘を聞いていない。


 でもまあ、そういうものだ。

 遠くの破滅より、目の前の祭り。人はそれで今日を生きる。

 私だって、できればそうしたかった。


「リナ」


 荷車の中から声がした。


「起きました?」

「まだ生きている」

「それは何より」

「後悔するぞ」

「何をですか」

「私を拾ったこと」


 私は城門へ続く列に並んだ。

 門番が一台ずつ荷を改めている。まずい。とてもまずい。でも、今さら引き返すには人目が多すぎる。


 私は小さく息を吐いた。


「後悔は、まあ、あとでまとめてします」

「今は?」

「受付で揉めない言い訳を考えてます」

「荷の中身は?」

「重病人」

「間違ってはいない」

「でしょう」


 列が進む。

 あと三組。二組。一組。

 門番がこちらを見た。


「荷を見せろ」

「はい」


 私は外套に手をかけた。

 その時、城の方から大きな鐘が鳴った。


 一度。

 二度。

 三度。


 祭りの鐘ではない。

 空気が変わった。城壁の向こうから、黒い霧が一本、細く立ち上る。

 門番が振り向いた。人々が騒ぎ出す。ヴァルが、荷車の中で目を開けた。


「聖剣が抜かれた」

「誰に」

「王が、玉座に飾ったのだろう」

「何でそうなる」

「人間は勝利の証が好きだ」

「否定できないのが嫌ですね」


 霧が広がる。

 王都の祭りの旗が、黒く染まり始めた。

 悲鳴。馬のいななき。転がる果物。走る兵士。


 私は荷車の取っ手を握り直した。


「ヴァル」

「何だ」

「王城まで行けます?」

「行けと言うのか」

「行きましょう」

「私は魔王だ」

「四回目です」

「今度はお前も捕まる」

「たぶん、捕まえてる余裕ないですよ」


 私は走り出した。

 荷車が跳ねる。ヴァルが低くうめいた。


「痛い」

「ふーってしてください!」

「それは熱い時だ!」

「じゃあ我慢!」

「雑だな、本当に!」


 王都の石畳を、荷車が音を立てて進む。

 人々が逃げる。兵士が叫ぶ。黒い霧の向こうで、城の塔がゆがんで見えた。


 世界は平和になんてなっていなかった。

 魔王は討伐済みで、勇者は英雄で、私はただの回復術師。そのはずだった。


 でも、私の荷車には魔王が乗っている。

 王城には聖剣がある。

 そして私は、なぜかその二つをくっつけに走っている。


 意味が分からない。


 けれど、まあ。

 患者を途中で放り出すよりは、ずっとましだ。


 城門の奥で、また鐘が鳴った。

 今度は、ひび割れるような音だった。


 私は荷車を引いて、その音の方へ走った。


 この日、王都の祝いは半日で終わった。

 聖剣を掲げた広場は封鎖され、勇者様の像の足元まで黒い霧が這った。王城へ向かう途中、私たちは三度止められ、二度斬りかかられ、一度だけ門番に道を譲られた。


 それでも荷車は止まらなかった。

 魔王を倒して終わるはずだった話は、どうやら終わり方を間違えていたらしい。なら、治すしかない。


 私は回復術師だ。

 患者が魔王で、傷口が王都で、縫い糸が聖剣でも、仕事の名前はそれほど変わらない。


「ヴァル」

「何だ」

「生きててください。王城に着くまででいいので」

「その後は」

「着いてから考えます」

「本当に雑だな」

「田舎流なので」


 ひび割れた鐘の音の下で、私は荷車を押し直した。

 討伐済みの魔王と、ただの回復術師。

 その日から、王国で一番扱いに困る患者の治療が始まった。


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― 新着の感想 ―
傷ついた魔王と有能で誠実な回復術師。とても魅力的な組み合わせで、この後どうなったのか読みたくて仕方ない。回復術師さんもどこかワケありの過去がありそうな雰囲気で想像が膨らみますね。中〜長編版を切望します…
おもしろい! 続きが読みたいです。
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