5.静かな探り合い(2)
「おはようございます、ヴィルマーさん」
翌朝、宿屋の裏に行けばヴィルマーが鍛錬をしている。彼は、2日目以降シャツを着用するようになった。もしかして、それはミリアに気を使ってのことなのかとも思う。が、なんとなくそれを聞くのも自意識過剰ではないかと彼女は思い、あえて尋ねない。
「ああ、おはよう、ミリア」
「少し、お尋ねしたいことがあって」
「鍛錬の後でいいかな?」
「はい」
ヤーナックの町に来た翌日から、彼らは早朝に同じ場所で鍛錬を続けていた。互いに視界に互いが入らない配置で、ただ自分の鍛錬に集中をする。それで、彼らはどちらも何も困らなかった。彼らの鍛錬はヴィルマーの時間の方が長く、いつも彼の方が早く起きている。よって、ミリアが鍛錬を終わる頃、ちょうどヴィルマーも終わる……という感じだった。
「それで、どうしたって?」
「あの、この町に来た初日に……わたしとヘルマを襲っていた野盗についてお伺いしたくて」
「ああ、クラウスから話は聞いている。流れの商人の護衛だろう? 確かに、やつらが出てくるかもしれないな」
「あの時、ヴィルマーさんたちは彼らを追わなかったでしょう。それには何か理由があるのですか?」
そのミリアの言葉に苦笑いを見せるヴィルマー。
「ああ、いや、あそこにいたのは、一部だったんでな。あいつらを追っかけている間に、別動隊が出てくるんじゃないかと思っていたんだ」
「まあ。他にも仲間がいるのですか」
「だが、今考えてもあれは追っかけてもよかったかもなぁ。だって、君たちは強いだろう。別働隊が出て来ても、あちらの方が人数が多くても、特に問題がなかったかもしれないな」
今度はミリアの方が苦々しく笑う。
「それは買いかぶりですよ」
「いや、そうとは思わないけど」
ヴィルマーはそう言いながら、宿屋の外壁にとん、ともたれかかった。その横にミリアも同じようにもたれかかって、2人は並んで会話を続けた。
「しかし、あれが一部なのだとしたら、結構な人数ですね」
「ああ、だが、やつらの中から数人、昨日捕まったらしい」
「えっ」
「だから、そう人数は残っていないだろう。君たちの護衛で十分なんじゃないかな」
聞けば、あの野盗たちの行動範囲は広く、先日ミリアたちを襲った後に、移動をしたらしい。彼らはいくつもの拠点を持っているらしく――それがどこにあるのかは謎だが――ヤーナックから離れて、ミリアたちも通過をしたニランガの町付近で暴れ、たまたまそこを通りがかったサーレック辺境伯が雇った私兵――ヴィルマーたちと同じく傭兵のようなものだが――に捕まったのだと言う。
「あいつらも可哀相に。その私兵たちは、実績を積むのに躍起になっているところだったからな。だから、俺たちみたいに逃してくれやしなかったんだよ」
「……ヴィルマーさんの話を聞くと……やっぱり、本当は捕まえたくないように聞こえます」
「ううん、そういうわけでもないんだが」
ヴィルマーは肩を竦めて困ったように笑った。
「よくはないよ。あいつらにはこれまでの罪を償ってもらわないと、と思うが、かといってサーレック辺境伯のところに突き出しちまうと、なんていうか、こう、正式な裁きをされることになる。それはなぁ。ちょっと、あいつらには重たすぎるし、サーレック辺境伯としても困ると思うんだ」
「重たすぎる……?」
「やつらには余罪が多いから、それらをまずすべて洗いざらい吐かせる、あるいは、証拠をつかむ、被害者を探す……ってのを始めることになる。そうすると、時間がかかる。もう、あいつらは何年も野盗を続けているし、実際結構な人数が被害にあっているからな。そして、今の決まり事では、あいつらは牢屋に入れられて、そこから3年は、それらを調べる間監禁することが可能になるのさ」
「確かにそうですね……」
3年間監禁をすることを許される。それは、ミリアも知っていた。一定以上の数で徒党を組んでいた者たちに対する余罪の追及には、それぐらいの時間を使う。本来、大体のパターンでは1年もせずに余罪がすべて見つかるが、ヴィルマーの話では「ありゃ、本当に3年かかるかもしれん」ということだ。
「さらに、やつらは人数がいるからな。捕まったやつらじゃない、他のやつらがやった分も上乗せされる。責任逃れも許されなくなる。そして、調べる側のサーレック辺境伯も、それを調査するのに人員を割かなくちゃいけない。いいことがないのさ。だから、やつらは最悪の相手に掴まっちまったってこと。俺たちが捕まえとけば、まだどうにかしてヤーナックで働くように手配してやれたと思うんだが……」
「ああ、なるほど。だから、捕まえたい。だが、他の者に捕まえられてしまうのは、困るということなんですね」
「そういうこと」
「なるほど……」
ミリアは困惑の表情で、剣を持ち、鞘の先でトントンと自分の靴をつつく。それを見て、ヴィルマーは小さく笑った。
「考え事かい?」
「少しだけ。もし、彼らに襲われたらどうしたら良いのかなぁと」
「蹴散らせばいい。もし、傷を負わせたり殺したりしたとしても、それは特に罪に問われないだろう。誰が見ても、やつらが悪いとわかるしな。が、捕まった仲間のこともあるから、少しはおとなしくしている可能性も高いかな」
ヴィルマーの答えは明確だ。そして、それは正しいのだろうと思うミリア。
「そうだと良いのですが」
「彼らを裁くことについてでも、考えている?」
「いえ……残念ながら、そういう話についてはほぼ門外漢で……わからなくはないのですが、経験がそこまで多くないので、うまく考えられません。未熟ですね……」
「ははっ!」
ぱん、とヴィルマーは手を叩いた。
「君は本当に、なんていうんだ……良い意味で、きちんと考える人なんだな」
「きちんと考える?」
「ああ。そうだ。きちんと考える。自分に出来ること、出来ないことを判断して、出来ないことを『未熟』だと言う。と言っても、人ってのは、ありとあらゆることに未熟のままであることがほとんどだし、それで誰も特に困らない。」
「……はい」
「が、君が言う『未熟』ってのは、そうではなくなろうとしている感じがする。とても好ましい」
そう言ってミリアを見る彼は、ふわりと微笑んだ。ちょうど、ミリア側から朝陽が昇り、彼は目を細める。その表情が、まるで少し照れ笑いを見せているように見え、いささか可愛い……と、ミリアは思う。
「買いかぶりですよ」
そう言って彼から目を逸らすミリアに、ヴィルマーは軽く肩を竦めて見せる。
「いやいや……まあ、ちょっと嫌な話をするとさ」
「ええ」
「未熟でなくなるために、何かを出来る。何かを知ろうと出来るっていうのかな……それが出来る環境にいたってことだ。だから、逆を言えばさ……いい生まれの人間が持っている考え方だな、って話にもなるんだが」
そのヴィルマーの発言に、ミリアはゆっくりと瞬きながら彼を見る。が、彼の表情、声音からは嫌な感じは受けない。
「いい生まれの人間でも、そんな発想にはなかなかならない。俺はそれを知っているんでね……で、話はそれだけか?」
「はい」
「そうか。頑張って来いよ」
ヴィルマーはそう笑って、ぽん、とミリアの肩に手を置いた。大きく、そして熱い手。彼の手のひらの熱が布越しでもじんわりと伝わる。それを不快と思わず、ミリアは「そうします」と答えた。
失敗をしたわけではないが、自分の言動が自分の肩書きを表してしまっている。ミリアは「仕方はないとは言え……」と困惑しながら部屋に戻った。つい、本音をヴィルマーに話し過ぎた。それは、どこかで彼ならなんとなくわかってくれるだろうと思ったことも含め、必要だったからだ。だから、仕方がない。
(あちらも)
ミリアの肩書きをなんとなくでも気づいているのだろう。だが、あれは「わかっているから吐け」と言っているわけでもなく、また、「気づいているぞ」とほのめかしているわけではない。それをミリアは感じ取っていた。
彼は、気づいている上で踏み込んでこない。が、ミリアの言動で彼なりに気になったことを口にしているだけだ。こうやって、互いに読みあって、互いにばかしあっている上での不思議な信頼があることはいくらかおかしいことだと思う。
(でも、それが全然嫌ではない)
そうだ。嫌ではない。それは彼の朗らかさがそう思わせるのか。その辺りはよくわからないが、腹を割った話をそれなりにしたことで、ミリアはなんとなくすっきりとしていた。
「困ったな……」
ヴィルマーはある意味曲者だ。つい、話してしまう。そして、話したことに彼は応えてくれる。だから更に話してしまう。これが、搾取されるだけだったら、きっとミリアも話をしなくなってしまうだろう。
「ううん、本当に未熟だ」
そうつぶやくと、未だに眠っているヘルマが「ううん」と寝返りを打った。そろそろ、ヘルマも起きる時間だろう、とミリアは窓を開けたのだった。