20.魔獣の脅威(1)
翌日、ミリアは宿屋に足を運んだ。スヴェンがヤーナックに来ていたからだ。今回が3回目の治療になる。
「ううん、どうにも、あまりよろしくないですね」
ミリアは「そんな気はしました」と申し訳なさそうに謝る。
「少し負荷をかけてしまったのは事実です」
仕方なく素直に答えた。走り込みをしたのも悪かったと思う。また、グライリヒ子爵領まで馬で行ったのもよろしくなかっただろう。心当たりがないわけではないのでそういうと、スヴェンは「まあ、仕方がないことですね。こちらとしては、時間をかけたらかけた分治療費をいただけるので、良いことなんですが」と苦笑いを見せる。
「とはいえ、ある程度は治っていますね。ただ、更に2回ぐらいは追加治療が必要な感じがします」
「そうですか……申し訳ありませんが、引き続き、よろしくお願いいたします」
「はい。ここにいていただけるなら、どうせわたしは来ますしね。その時にまた」
4か月だけということで家賃をただにしてもらっていたが、これが6か月となったらどうなるんだろうか。町長に確認をしにいかなければ……ミリアはそう思いつつ、宿屋から帰路についた。
ミリアとヘルマは、警備隊の中で更に3人を抜擢して、自分たちがいなくとも鍛錬を出来るようにと育成をした。その3人は剣の腕前はそれなりにあり、かつ、それなりに人望がある人々だ。彼らを上にしてから、警備隊の形は少しずつ整ってきた。そして、参加希望者も増え、今では32人になったため、いくらか昼間は手薄だがそれなりの体裁が出来あがって来ているところだ。
(少しずつ、警備隊もうまく回って来た気がする。最初はどうなるかと思ったけれど、みないい人たちで良かった。あの日以来、反対をする人々もなりを潜めているし……)
ちょうど時間は昼の鍛錬が終わる頃。今日はヘルマとその3人のうちの1人に任せていた。最後の整地ぐらいは自分も参加をしようかと思い、そちらへ向かっていると、何やら人々がわいわいと騒ぎ立てている姿が見える。
「おい! 待て、その魔獣は……」
「お前、なんてもんを狩って来たんだ!?」
「違う! 俺が狩ったんじゃねぇよ! こいつが勝手に襲ってきたから……」
「馬鹿野郎! なんで町に持ち込んでるんだ!」
ミリアは、その人々の中に飛び込んで「何の騒ぎですか?」と尋ねる。すると、彼女の家の近くに住んでいる雑貨屋の主人がそこにいて、説明をしてくれた。
「流れの商人なんだが、この町に入る手前で魔獣に襲われて、護衛が倒したって話でな。だが、その魔獣がよろしくない。ギスタークってぇ魔獣だが、そいつを2体も倒して、しかも持ってきちまった」
「!」
そこまで聞いてミリアは何が起きたのかを瞬時に理解をした。
「ギスタークの死骸を、ですか!?」
「そうだ。毛皮が高く売れるかもしれない、角が高く売れるかもしれない、って考えらしいんだが……何にせよ、2体とも出血が多そうだな……肝心の商人も護衛のやつらも、ギスタークのことはまるっきり素人らしい」
大声で人々がまくしたてる。
「今すぐ、そいつを倒した場所にそれを投げてこい!」
「いや、それじゃ町に近すぎるんじゃねぇのか、もっと離れたところに行け!」
「やべぇだろ、下手したら町まで来る可能性があるだろう!」
ギスタークとは、この付近に時折出没する見た目が狼に似ている魔獣だ。体長は狼よりも少し大きく体毛は長く、更に白い角が頭に生えている。肉食だが、何故か足はそこまで速くない。よって、ギスタークが現れた時は、とにかく逃げろ、と人々は心得ている。
そして、今ここで問題になっているのは、ギスタークは一定量の出血を伴って死ぬと、死後しばらくしてから仲間を集める匂いを放つということだった。これは、今でも「何故死んだ後に時間差でそんなことが起きるのか」ということで、王城付近で研究もされている、いわく「ギスタークの謎」と呼ばれるものだ。
そして、それゆえにミリアはギスタークを知っていた。ギスタークたちは特にこれといった戦闘に特化したスキルは持っていないが、その「一匹の死に呼ばれる」習性、そして、それを誘発する「謎」こそがスキルの一つだと考えられ、野生動物ではなく魔獣という分類になっているのだ。
昔は、それはそう問題にもなっていなかった。ギスタークがただ集まって来るだけ、だったからだ。だが、近年ギスタークたちはいささか凶暴になってきていて、その「匂い」で興奮をして暴れ出すようになり、それは問題視されている。しかも、人がいる場所まで出て来たということは、現在ギスタークにとっての餌が森には足りないということだ。
「よろしくないですね……匂いが薄れていればよいのですが、人の鼻にはそれがわかりませんからね……」
問題の商人たちは、町民たちに「そいつを捨ててこい」と言われ、だが、商人たちは「特にここまで問題がないんだから大丈夫だろう」と言い張る。確かに、ギスタークの毛皮も角も、高額で取引されていることをミリアは知っているが、しかし、それらは自然死したものを運よく拾った場合に限っている。それに、ギスタークの体からその「匂い」が発されるまでの時間差は、個体によって違うのだ。
「……!」
その時、ミリアの背筋に何か冷たいものが走った。それは、彼女が騎士団長として人々を率いていた時に何度か感じたことがある「予兆」の一つだった。彼女は、ポケットからホイッスルを取り出して吹く。それは、警備隊のメンバーを集めるためのものだった。
人々はその音にぎょっとして動きを止める。それとは反対に、数人がその音を聞きつけてミリアのところに集まって来た。それから、少し遅れてヘルマもやって来る。
「ギスタークの群れがこの町に向かっていないか、確認をしたい。北と西の入口から出て、それぞれの森のあたりに異変がないのかを見て来てくれ。わたしはその死骸を南側に捨てに行く。ヘルマはまずわたしの馬を連れて来て、それから集まって来た者たちを三か所に分けて派遣しろ。武器は剣ではなく分銅、あるいは木刀だ。おい、今すぐその死骸を布で包んで、空の荷台に乗せろ。わたしが馬に乗ってそれを捨ててくる!」
普段の彼女からは想像がつかない、あまりにもはっきりとした高圧的な物言い。人々はしばしぽかんとしてから、素直にそれに従って荷台を持って来た。何故なら、人々はみなその死骸を捨ててこい、と言っていたわけだし、だが、自分がそれをするのは危険だと思っていたからだ。ただ、商人たちは最後まで「わたしたちが狩って来たものだ!」と言い張って、その死骸を手放そうとしない。
「この町で商売をするために来たのだろう。だが、今、それを手放さないとお前たちはこの町の人々から敵だとみなされる。今こうしている間にも、ギスタークがこちらに向かっていたらどうする?」
「し、しかし……」
「早くしろ! 今なら、わたしが持って行ってやる!」
ミリアのその剣幕に押されて、商人たちは舌打ちをしながらも仕方なくギスタークを荷台に移動させた。その間にヘルマが馬を連れて来たので、それに括りつける。
商人たちは最後まで諦められないようで「何もなければ、また返してくれるんだろう?」とミリアを怒鳴る。それへ、町の人々が「まだそんなことを言いやがって!」と怒声をあげる。ミリアは彼らに返事をせず、淡々と町を出る準備を進めた。
「嫌な予感が当たらなければいいが……ヘルマ、後を頼んだ!」
「はい! すぐに、みなを派遣します!」
力強く頷いて、ミリアは一人でギスタークを括りつけた荷台を馬に引かせ、町中を走る。人々は彼女の剣幕に驚いて、事態をわかっていない者でも、道の端によって馬を通すのを優先さえてくれる。
ちょうど、町長が役所から出て来て「ミリア!?」と叫んだが、今は話をしている暇はない。人々は、ギスタークの血が流れ出たところを「これも拭かないといけないぞ!」と大慌てだ。
ミリアが視界から消えないうちに、ヘルマは彼女も持っているホイッスルをもう一度吹いた。それを聞きつけて、更に警備隊に参加をしている者たちが集まり、彼女の指示に従って人々は3か所に振り分けられ、また、5人ほどは町の中央で待機を命じられた。
警備隊たちはみな緊張の面持ちだったが、ヘルマが発破をかけて士気を高める。彼女はその辺りの力は案外と強い。ミリアがいないことで彼らが不安にならないようにと、どこまでも涼しくも厳しい顔で指示をする。彼女もまた、騎士なのだ。
「ちっ……少し、スピードが遅いな……」
ヤーナックを出たミリアだったが、思った以上に馬の速度があがらない。それは、荷台のせいだ。わかっている。もともと荷台を引かせるような馬ではない。だが、かといって他の馬を用意している時間はなかった。
本当は馬という動物は案外と疲労がたまるのが早いのだ。走る速度が出れば出るほど、あっという間に疲れが出てしまう。だが、今はそれを考えている暇はない。たとえ、帰りが遅くなろうとも、行きだけは出来るだけ早く町から離れなければいけない。
(ギスタークが、まだ来ないことを願うが……)
ミリアはひたすらに馬を走らせた。たった一人で、すべてを背負うかのように。