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17.花畑

 窓の外に広がっていたのは、美しい白い花畑だった。馬車は徐々にゆっくりと速度を落とし、やがて止まった。


 御者がボックスの扉を開けてくれて、まずはヴィルマーが降りる。そして、ミリアへと手を差し伸べた。


「ありがとうございます」


 そう言って、彼の手に自分の手を重ね、ミリアも馬車から降りた。ヴィルマーは「10分ほど、待っていてくれ」と御者に言って、そのままミリアの手を掴んだまま、花畑の中に入っていく。


 最初ミリアは「靴が汚れてしまう」と思ったが、ヴィルマーはそこまで気が付かないようだった。が、それを悪いと彼女は思わない。むしろ、それぐらいが彼らしいと思う。


(いつも相手に気を使っている方だと、わかっていますし)


 だから、これぐらいはいい。そう思いつつ、自分で「彼のことをわかっている、と思うのはおこがましいことではないか」と一瞬だけ恥じる。


 咲いている花は、ミリアの膝下ぐらいまで伸びている、少しだけ背が高い花だった。葉っぱも立派で、大きく、茎もしっかりと伸びて花弁の大きさに負けていない。生き生きとしたその花を見て、ミリアはかすかに感嘆の息を漏らした。


「これは……」


「グライリヒ子爵の領地には、いくつか有名な花畑があってな。それらと比べれば、ここは小さい。が、小さいがゆえに、穴場だ」


 ミリアはそっと彼の手に掴まれていた自分の手を引く。彼はその手を追わず、力を抜いて彼女の手を逃がす。


「本当は、夕暮れ時に見せたかったが少しだけ時間が早かったな」


「夕暮れ時」


「一斉に、オレンジのようなピンクのような色に花弁が染まる。どういう仕組みかわからないが、この花は水のように、空のように、茜色を映すんだ」


「まあ。こんな花、初めて知りました」


「このあたりにしか咲かないのさ。これが少しだけ離れたサーレック辺境伯領では、不思議とどこにも咲いていない。だから、俺もこちらの領地に来るたびに、この花を見に来るんだ。ま、なんとなく、なんだけどな」


 ミリアは、花畑の中に立って、風にそよぐ白い花をぼうっと見ていた。美しい。もうそれ以外の言葉が出ない。騎士団長になって、いくつかの土地に遠征をした。その土地その土地で美しいものを見て来た気はしていた。だが、世界は広い。いくらでもまだ見ぬ光景があって、そしていくらでも感動が出来るものだ。そう思うと、胸の奥がなんだかじんわりと熱くなる。


(まだ……多くの景色を見たいものだわ……王城に戻らずに……)


 いいや、王城付近にだって、見たことがない光景はきっとたくさんあるに違いない。だが、政略結婚で嫁ぐ先で、こんな光景を見られるのだろうか、と思う。


(駄目ね。昨日から……リリアナのせいね。これまで、全然考えてもいなかったけれど)


 だが、考えていない方がおかしいと言われればおかしいのだ。


「謝ろうと思って」


「……え?」


 突然、ヴィルマーから声をかけられて、ミリアは驚きの表情を見せた。


「ヤーナックでさ……この前、揉めていただろう。そこに、俺が勝手に分け入ってさ……挙句に、もうちょっと頼ってくれだなんて、そんな、恥ずかしいことを君に言ってしまった」


「それの、何が……?」


「あれは、我慢が出来なかったのは俺個人のせいだ。まるで、君やヘルマを守るかのように前に出たが、結局は自分が、父親のことを言われて我慢が出来なくなっただけのことで……だってのに、頼ってくれだなんて、なんて恥ずかしいことを言ったのかと思ってさ……後から、反省をしたんだ、これでも」


「それは……いえ、そんなことはわかっていましたよ」


 が、ヴィルマーはミリアの言葉を聞いていないようで、話を続ける。


「だけど」


「だけど?」


「その……頼ってくれ、という気持ちは、嘘じゃない。君に、ちょっとぐらい甘えてもらったって、まったく問題はないんだ……俺が、言いたいのは、それだけだ」


「……」


 ミリアは彼の言葉に返事をすぐに返すことが出来なかった。はい、わかりました。ありがとうございます。そういえば済むはずなのに、うまく言葉が出てこない。


 だが、ヴィルマーはミリアの返事を待っている。何かを彼女が返す必要があるのだろう。肯定だろうが否定だろうが、何かの反応を。


 ミリアは葛藤をしながら言葉を必死に探した。


「あの……」


「うん」


「わたしは……誰かを頼ることが、あまり得意ではありません」


 口に出して、初めてわかる。それは、聞いた相手を不快にする可能性がある言葉だ。だが、伝えなければいけない、とミリアは思う。


「ずっと、そうでした。きっと、これからもそうなのだと思うんです」


「そうか」


「でも……」


 ミリアはそこで口ごもる。少しの空白の時間を待って、ヴィルマーは促すように「うん」と、軽い相槌を打った。


「あなたには、ずっと、甘えていたと思っています」


「……うん?」


 突然、何を言っているんだ、と言いたげに、ヴィルマーは眉間にしわを寄せる。ミリアは「ああ、伝わっていないだろうか」と困惑をして


「ヤーナックに行ってからというもの、あなたの厚意に甘えさせていただいていました」


 とはっきりと言ったが、やはり彼は浮かない顔だ。


「……そうだったか……?」


「そうですよ」


 本当にヴィルマーはわかっていないようで、難しい表情のままだ。彼がその調子だとミリアも困ってしまう。


「あなたにとっては、そうは感じなかったのかもしれませんね。でも、わたしにとっては……」


 その先を言葉にすることが、なんとなく怖くてミリアはそこで切った。静かにヴィルマーを見て、小さく笑う。


「元婚約者に」


「うん」


「わたしが強いことはわかっているけれど、もう少し甘えて欲しかったと言われました」


 その言葉に、ヴィルマーは目を軽く見開いて唇を引き結ぶ。一体それはどういう気持ちの表れなのだろうか……そう思いながら、ミリアは言葉を続けた。


「でも、当時のわたしには、それが難しかった」


「……今は?」


「今でも、難しいです。けれど、当時のように……どう甘えろというのか、という……突っぱねるような気持ちがあるわけではありません」


「そうか」


「でも、やはり難しい」


 そう言って、ミリアは苦笑いを浮かべた。そうだ。今でも難しいと思う。難しいけれど、ヴィルマーには甘えたのだ。それを、自分で「そういうことなのだ」と、繋げて彼にいうことはなんとなく躊躇われる。


 どくん、どくん、と心臓の音が大きくなる。言ってしまおうか。何を。何かを。


(難しいのに、あなたには甘えてしまっている。それはどうしてなのか、あなたにはわかるだろうか。そんな馬鹿なことをわたしが口にしたら、あなたはどう思うだろうか)


 さわさわと風が吹く。ミリアは目を細めて空を見た。かすかに空は暗くなり、夕暮れ時の色と水色が重なりあっているようだった。もう少し。もう少しここにいれば、彼が言っていた夕暮れ時の色が見られる。


 しかし、ヴィルマーは「そろそろ行こうか。あまりここに長くいると、帰りが夜になってしまうからな」と言って、手を差し出す。


 ミリアは、それ以上その話をせず「はい」と言って、差し出された彼の手に、また自分の手をのせた。


 花畑を抜けて馬車に戻る時、ふと後ろを振り返る。まだ、白い花は白いままだ。


 そのミリアの様子を見て、ヴィルマーは


「君が、レトレイド伯爵領に戻る前にでも、もう一度夕暮れ時に来よう」


と言って、かすかに微笑んだ。


 ああ、そうか。当たり前のことだが、彼はミリアの足が治ればレトレイド伯爵領に戻ると思っているのだ。そうだ。それは当たり前のことなのだ……そう思いながら、ミリアは静かにヴィルマーを見た。


「ん?」


 彼のさりげない問いかけには答えず、ミリアはもう一度振り返り、白い花を見ながら


「はい」


と静かに答えた。




 馬車が走る途中で空の色は変化をする。ミリアはそれを小窓から見つめる。


 リリアナからもらった花束を膝の上に乗せ、片手で握りしめた。ああ、自分がこんなブーケを手にするなんて。本当にどうかしている。無性に悲しい気持ちがせり上がってきて、目頭が熱くなる。


 嫌だ。どうしてこんな風に心が動くのだろうか。この人と共にいると……。


「……っ」


 耐えなければ、と思った。だが、それは間に合わなかった。突然彼女の両眼には涙があふれてくる。それを見て、ヴィルマーはぎょっとした表情になった。当然だ。何も話していないのに、突然目の前の女が、しかも馬車のボックスの中、2人きりなのに泣き出したのだ。


「なんでも、ありません」


「あるだろう」


「いいえ。ないんです」


「……あのさ」


 ヴィルマーは、無理やり「どうして泣いているんだ」とは問わなかった。ただ、彼は彼で、彼女の涙の理由が先ほどまでの会話にも関係しているのだろうと推測をしたようだった。


「君は、俺の厚意に甘えていたと言ってくれた。だが、俺にはその自覚はなかった。俺にとっては、君に手を差し出したことはさ。道で、買い物袋から何かを落とした人に、それを拾ってやるぐらいのことだと思っていたからだ」


 彼のその言葉に、ミリアはショックを受けた。うまく言葉を返せない。それでも必死に声を出せば、枯れた音になってしまう。


「そう、ですか」


 なんて酷い人なんだろう。初めてミリアの中に、彼へのそんな思いが湧き上がる。自分が勇気を出して「あなたに甘えていた」と打ち明けたのに。それは何も甘えではないし、他の誰に対しても同じなのだと彼は言っている。


 やはり、自分は下手なのだ。わかっている……そのことは、ミリアの気持ちを悲しくさせた。それは性分だ。どうにもならない。


「だけど」


 ヴィルマーの言葉は続く。少し、彼の声音が強くなったことにミリアは気づいた。涙で潤む目で彼を見上げることが出来ず、目を軽く伏せる。


「君には、何度であろうが、拾ってあげたいと思う」


「……?」


「何度でもだ。他の誰にやられても、またかよ、と思うだろうが、君には何度落とされてもいいんだ。俺は」


 彼の言葉の意味がよくわからず、ミリアはそっと彼を見る。涙で滲むヴィルマーは困ったように笑って


「要するに、俺は馬鹿なんだ。君を前にすると、な」


と言って、ブーケを握っているミリアの手を、そっと大きな手で包んだ。その時、がたん、と馬車が揺れたせいで、その手はすぐに離されることになったが、ミリアは彼の手の温もりを忘れないように、もう片方の手で自分の手を覆う。


「……ありがとうございます」


「ん」


 ほかに、うまい言葉が出てこない。ミリアは必死に泣き止もうと、自分の靴についた土をじっと見つめながら「本当に、こんなに汚してしまうなんて。申し訳ないことをしてしまったわ。買い取らないといけないわね……」と、どうしようもないことを考えた。そうでもしなければ、また泣いてしまう気がしたからだ。


 そして、ヴィルマーもそれ以上何も言わなかった。結局、ミリアはそのまま、まだお披露目会を行っている会場に送ってもらい、そこから彼女の馬車に乗り換えて別荘へと向かった。最後にヴィルマーが「またヤーナックで」と笑ったので、ミリアも笑い返すことが出来たが、2人の間はなんとなくぎくしゃくしていたのだった。


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