16.偶然の鉢合わせ
「……ヴィルマーさん、ですよね……?」
「やあ……まさかこんなところで」
リリアナの結婚式。そこで、ミリアはヴィルマーで出くわした。驚きで双方目を見開いて言葉が出なかった時間が数秒。ようやく挨拶を交わして、困惑の時間が流れる。
「いや、お相手の子が、レトレイド伯爵家の傍系の子だと昨日聞いて……まさかとは思っていたんだけどな」
「ヴィルマーさんは、サーレック辺境伯家の代表か何かで?」
「違う。新郎の知人だ」
「まあ。そうだったんですね」
会場はグライリヒ子爵家のすぐ近くにある教会だった。参列者は野外の控室に集まって、みな楽しそうに会話をしている。ミリアは傍系の人々と軽く挨拶を終えた後、一人で座っているヴィルマーを発見して、驚いて声をかけたのだった。慌てて立ち上がったヴィルマーは、軽く目線で少し離れた場所へミリアを誘導する。
「その……えっと……」
「?」
「綺麗だな。君は。本当に、よくそのドレスが似合っている」
いくらか照れたようにヴィルマーはそう言って、ミリアから目を逸らした。
ミリアは、ピーコックグリーンのドレスを身にまとっていた。胸元より上は何もなく、上質な生地が体のラインに沿って美しい曲線を膝付近まで描き、そこから大きなラッフルが足元まで流れている。足元は黒いヒールでぐるりと小さな宝石が縁に並べられている。
髪は後頭部の高い位置でまとめられて、大きな白い花があしらわれており、他に何の装飾品はない。だが、それがむしろ彼女の美しさを際立たせていた。
「ありがとうございます。あなたも……やはり、そういう恰好をなさっているのが、お似合いのように思えます」
彼の装いも、いかにもな貴族のものだった。が、多くの装飾品は身につけてはいない。最近王城近辺で流行っているレース襟や長いカフスもせず、ジャガード織の濃い茶色のジャケットを仕立ての良い白いシャツの上に羽織っている。胸元にも勿論レースは施さず、それなりの金額がするのであろう宝石がはめられたループタイに、黒いパンツ。そのどれもが、なんとなくどこかは力が抜けていて、けれど、貴族らしさは損なわれておらず、彼に似合っているとミリアは思う。
「正直、苦手なんだ。こういう服は。胸元はもう少し開けたい。一番上までボタンを閉めるなんて言語道断だ」
「式の間は我慢なさってくださいね」
「努力はするよ……」
その、少し心もとない声にミリアは「ふふ」と笑い声をあげた。
「ヤーナックは……警備隊は、ヘルマに任せているのか。それとも、彼女もここに?」
「いえ、彼女には留守を任せました。さすがに、ああいうちょっとした揉め事があった後に、2人が同時に留守にするのはよろしくないかと思って」
「ああ、そうだな……今日は? 式の後、ヤーナックに帰るのか?」
「今晩はグライリヒ子爵がリリアナのために用意してくださった別荘に泊まって、明日ヤーナックに戻る予定です」
「そうか。じゃあ、この式の後のお披露目会も出席を?」
「いいえ。そちらには出ません。あまりこういう場は得意ではないので」
「じゃあ、終わったら……」
と、ヴィルマーの言葉を遮るように、突然教会付近に花吹雪が舞った。勿論、そんな花吹雪が舞うような花を咲かせた木々はない。雇われの魔導士が風魔法を使って、大量の花びらを周囲に撒いたのだろう。
ピンク色やオレンジ色の美しい花びらが風に乗って、ふわりと辺りに散っていく。参列予定の者たちは「わあ」と声をあげてそれを眺めた。次には、水魔法と光魔法を使っているのか、あちらこちらに虹が現れる。最近王城付近でよくある演出だが、なかなかグライリヒ子爵は流行りものに敏感なようだ……とミリアはそれを見ている。
「すごいなぁ。演出というものは大切なんだな……」
ヴィルマーは感心してそんなことを言う。そんな感想が出てくるとは思わなかったミリアは、小さく笑った。
「ご参列の皆様、どうぞ中にお入りくださいませ」
教会の扉が開く。ミリアは「前の方の座席なので、お先に」と言って、ヴィルマーの前からさっさと去って、教会の中に進んでいく。彼女は本家の代表なので、参列の座席順が前の方だ。そして、一方のヴィルマーは新郎の知人のため、少し後ろの座席になっている。
ヴィルマーは彼女を見送って
「まいったな……本当に綺麗だ」
と、ぽつりと呟いたが、当然その言葉はミリアには届かなかった。
リリアナの結婚式はつつがなく行われ、教会から新郎新婦が出るのに、人々は一旦先に外に出て、花道のように左右に分かれた。新郎新婦は、花を入れたかごを持つ少年と少女を隣に従えて、そこから一輪ずつ参列者に手渡していく。
「ミリアお姉さま!」
リリアナは嬉しそうにミリアに近づくと、またもミリアの両頬にキスをした。ミリアは少しだけ照れくさそうに、リリアナの片頬だけにキスを返す。
「お幸せに」
「ありがとうございます。お姉さまも。次は、お姉さまの結婚式に招待されたいわ」
そう言って、リリアナは自分が手にもっていたブーケをミリアに手渡した。仕方がない、という微妙な表情で受け取って、ミリアは
「そうね。そのうちね」
と、少しだけ素気ない返事をする。が、リリアナはそれをどうとも思っていないようで、にこにこ笑いながら次の参列者に花をすぐに手渡して、さっさと行ってしまった。
やがて、人々は花嫁花婿が馬車に乗って、お披露目会の控室に向かうのを見送る。お披露目会こそ、大掛かりな式となり、それこそグライリヒ子爵の仕事の関係者――結婚した令息とは関係がなくとも――が大量に押しかけてくるだろうし、双方の友人も多くかけつけてくるに違いない。
馬車が多数用意されて、そこに、お披露目会会場に移動をする人々が乗り込んでいく。ミリアは「わたしはこれで。先に別荘に戻っています」とリリアナの家族に挨拶をすると、後ろから声をかけられた。
「ミリア。少し俺に付き合ってくれないか」
ヴィルマーだ。一体何をしようというのだろう。それを尋ねてもよかったが、ミリアはただ「はい」とだけ返事をした。
ヴィルマーはミリアを自分の馬車に乗せる。さすがの彼も、今日は馬に乗ってきたわけではないとわかり、ミリアは小さく笑った。
「なんだ?」
「いえ、なんでもありません」
「君は、実は何気に俺のことをよく笑っているな?」
「そうでしょうか?」
「そうだぞ。今みたいにな」
ヴィルマーはそれ以上、どうしてミリアが笑ったのかを聞かない。不思議だな、とミリアは思う。彼は、必要な時は聞く。だが、必要ではない時、こちらが内緒にしたい時は聞かない。一体どう鼻が利くのかはわからないが、そう思う。
(というか、そう思わされているだけかしら。わたしが。だとしたら、それはそれで大したものだ……)
馬車のボックスの窓から、流れる風景をそっと見る。すると、ヴィルマーが
「ブーケをもらったのか」
と、話しかける。
「はい」
「結婚をする予定があるのかい?」
「いいえ、ありません」
なんとなく、ヴィルマーの顔を見るのが怖くて、ミリアは窓の外を見ながら答える。きっと、多分、彼はほっとした表情をしているのだろうと思う。いや、だが、それは勝手な思い込みだ。もしかしたら、ただの世間話のようで、どうとも思っていない表情をしているのかもしれない。それを確認することが、なんだか怖いと思う。
「わたしは、婚約破棄をされてしまったので」
「は? 婚約破棄?」
ヴィルマーは声を荒げた。
「君が? 君から、ではなく?」
「ふふ、わたしが、する側だとあなたは思っていらっしゃるんですか?」
「だって、そうだろう」
ヴィルマーの言葉はそこで止まる。彼がどうしてそう言ったのかはミリアにはわからない。なんとなく、その言葉の意味を追求したい気持ちもあったけれど、それもなんだか恐ろしいと思え、彼女は一旦口をつぐんだ。
「そんな大層な話ではありません。ただ、わたしが騎士団長でいることが、お相手には想定外だったということ。ただ、それだけです」
表面的なことを言うミリア。だが、ヴィルマーは一瞬眉根をひそめ、それから
「すまない。君に、嫌なことを思い出させてしまって」
と、謝罪をした。まさかそんな風に言われるとは思わなかったミリアは、また「ふふ」と笑って「いいえ、まったく問題はありません。あなたは優しい人ですね」と告げた。
「そうかな……人には、たまに言われるが、俺はそう優しい人でもないと思うよ」
「そうですか?」
「ヤーナックをはじめとした、色々な町で人々を騙しているわけだしな。優しくはない」
ああ、それは、サーレック辺境伯の令息だということを隠しているという話か。ミリアはすぐにそう思い当たって「それはまた別の話ですよ」と言った。
「そうでもない。遠くない未来に、彼らに俺の肩書きを打ち明けなくちゃいけなくなる。その時のことを考えると、正直憂鬱ではある」
「そう、ですね。それは確かに」
「何とも思わないってわけにはいかないだろうさ。勿論、許してくれる人たちがほとんどだろうが、全員じゃあないだろうしな」
「打ち明けるということは……傭兵稼業は止めて、家に入るということですか」
「そうだな。どちらにしたって、すべての町に兵士が配属されてつつがなく外敵から守れるようになれば、俺たちの仕事は終わりだ。俺一人の話でもなくな」
それは確かにそうだ。今はそれが出来ていないから、彼らが各地を巡回するように回ってくれているのだし。
「お、そろそろ着くな」
ヴィルマーは窓の外を見てそう告げた。ミリアは「なんですか?」と言って、それまで見ていたのと反対側の窓から外を覗き、そして絶句した。