14.結婚式への招待
「ヴィルマーさんはお嬢様の前でかっこつけたかったんですかね!?」
警備隊のもめごとからようやく解放されて、2人は一旦家へ戻った。戻るやいなや、ヘルマは少しばかり頓珍漢なことを口に出す。彼女からすれば「自分たちだけで解決できたのに!」という気持ちがあるのは事実だ。
「そうではないと思うわ」
否定をするミリアの声を打ち消すように「おおい、手紙があんたたちに届いていたぞ!」と窓の外から声が聞こえた。見れば、町長のところで下働きをしている男性が、手に手紙を持っている。
ヤーナックの町は、ギルドがない。おかげで郵送をするための組合もないので、まとまって町長の元に届けられる。実際、その手紙の量は少ない。そもそも、識字率もそう高くない上に、町の外のものとやりとりをしている人間なぞ数える程度。ほとんどが町長あてに届くものだ。
「ありがとうございます」
窓から手を出してそれを受け取るミリア。見れば、確かにミリア宛の手紙らしい。
「あら」
封蝋を見て気づく。これは、レトレイド家からのものだ。彼女は慌てて封を開けた。
「伯爵家からの手紙ですか?」
「ええ……ヘルマ、グライリヒ子爵の領地って、サーレック辺境伯の領地から近かったかしら?」
「ええっと」
ヘルマは奥の部屋にいって、地図を持ってくる。地図といっても、街道の要所要所に売っている、手書きのこのあたりの大雑把な地図だ。
「あっ、サーレック辺境伯領地の東側に面していますね。多分、グライリヒ子爵家は、この川沿いにあったと思うので、辺境伯領地に近いと思われますよ。一体どうしたんですか?」
「そちらに、レトレイド伯爵家の傍系の子女が嫁ぐらしいわ。父が行く予定だったのだけれど、あいにく今腰を痛めてしまって馬車に乗っていくのが難しいというお話で」
「えっ、まさかお嬢様が行かれるんですか? ドレスも何もありませんよ……?」
「グライリヒ子爵家がその傍系の子のために開放をしてくれた別荘に立ち寄って、そこで着替えなどを整えてくれっていうお話ね。ここからだと馬に乗って……」
とはいえ、今ヤーナックを自分とヘルマの両方が離れることはよろしくない。今日の今日で、あれだけ警備隊の件で揉めたのだ。こういう時に「逃げた」と思われるのは勘弁したい。
「ヘルマ。申し訳ないのだけれど、3日。3日間、どうにか一人で切り盛り出来るかしら?」
「お嬢様お一人で行かれるんですか? ううん……」
ヘルマは一瞬戸惑いの表情を浮かべた。が、すぐに「大丈夫です!」とはっきりと告げる。
「ザムエルさんがいますし、わたしは一人じゃないですからね。3日間、きちんとお嬢様の留守をお守りいたしますよ!」
「ありがとう。3日後にここを出るわ。これの返信は不要とのことだけど、返信をしていたら確かに間に合わないものね……」
一応、傍系の子女ということで、そちらの両親は式に参加をするとのことだ。とはいえ、嫁ぎ先の子爵家は本家なので、そうなればこちらも伯爵家の本家の代表が行くことが望ましい。
(あくまでも望ましい、という形だけれど、新婦のリリアナのことは、小さい頃からよく知っているし、それに、こういう時ぐらいはお父様のお役に立ちたいものね……長女のわたしが、結婚もせず、それどころか婚約破棄をされて、挙句に騎士団長を辞めて、なんて、本当に苦労ばかりをかけている)
とはいえ、形ばかりでも返信は出しておこうとミリアは簡単に走り書きをした。あっという間に書き終わった手紙だが、その筆跡は美しい。
「ヘルマ。これを町長のところへ」
「はい」
町長のところにやってくる郵便屋、と呼ばれる者は、翌日まで滞在をする。何故なら、そう頻繁に彼らはヤーナックを行き来するわけはなく、町長からの返信の郵便物を翌日まで待って持って出ることになるからだ。
ヘルマは明るく返事をして、その封筒を持って出ていった。
(ドレスなんて久しぶりだわ……)
このヤーナックに来てからというもの、すっかり楽な恰好に慣れてしまったと思う。
ミリアは奥の部屋に置いてある姿見に近づいた。そうやってしみじみと自分の顔を見るのは久しぶりだ。彼女は貴族令嬢ではあったものの、騎士団の遠征などでそんな風に姿見をみない生活を送ることもあった。
騎士団員の多くは貴族出身者で、長男長女ではないもの、傍系ではないもので占められている。が、それ以外は平民出身者、そしてその中から騎士の称号を得た者で構成されている。
その中でも、第二騎士団は他の騎士団より遠征が多かった。勿論、王城を離れることは彼らの本意ではない。とはいえ、仕方なく王城への依頼が来た時に動くのは第二騎士団だ。何故なら、第一騎士団はまず何をもってしても王城、王族を守るために王城から離れることがないからだ。
本来、第二騎士団も第一騎士団と共に王城にとどまるべき騎士団だったが、第三騎士団の騎士団長が「下々のものと共に遠征をするなんて」と、裏で手をまわしていたことが後々発覚をした。発覚をしてからは失脚をしたものの、彼が騎士団長でいる間、なんだかんだで第二騎士団長のミリアの部隊が遠征に行くことが増えていた。
「どうも、そのころの癖が抜けないようですね……」
自分の顔に興味がない。そんな日々を送っていたことを思い出す。
(騎士団長になるまでは、それなりに家で着飾ったりもしていたのですが……)
姿見で見ると、髪も伸び放題だ。そうだ。そろそろ髪を整えてもらおうと思ったが、この町で髪を切れる者はいるだろうか……。
「あと3日で整えようとしても、無理というもの。まあ、なるようになるでしょう……」
とはいえ。貴族が集まる場に行くのだ。それも、伯爵家の代表として。ミリアはううん、と唸った。
彼女は「そういった」貴族の生活から離れてしまっていた自分に対して、かすかに苦笑いを見せる。これが当たり前、これが普通。今の生活が馴染んでしまっている。それは、騎士団の遠征が長引いた時のような感触だ。
けれども、今の生活も、騎士団の遠征のように終わりがすぐに来る。そうすれば、自分はレトレイド伯爵領に戻るのだ。あと2ヶ月で。帰ればきっと、毎日ドレスを身に纏い、社交界に出てあちらこちらの貴婦人たちとの会話を楽しむ日々が待っているに違いない。こんな風に髪の心配をすることもなく、毎日顔だって綺麗に化粧を施してもらえる。
なんとなく、ミリアは「その日が近づいているのね」と思い、小さなため息をひとつついた。それも、無意識に。
ミリアはグライリヒ子爵家の別荘を、夕方近くに訪れた。そこには、傍系の一家が彼女を待っていた。彼女はそう親戚付き合いはよくなかったが、新婦のリリアナとその一家とは、幼い頃には結構親しくしていたものなので、今でも覚えている。
「ミリアお姉様! 来ていただき、ありがとうございます!」
「リリアナ嬢。ご結婚おめでとうございます。式にお招きいただき、光栄です。父の代理となりますが、よろしくお願いいたします」
ミリアよりも3歳若い彼女は嬉しそうに笑って、ミリアの両頬に軽くキスをした。そして、ミリアもそれを返す。
「さあ、ミリアお姉さまのドレスを選びましょう!」
「リリアナ、ミリア様はここまででお疲れでしょうから、お茶でもしてからにしなさい」
と、リリアナの母親が言うが、ミリアは「いえ、大丈夫です」と笑って彼女についていった。リリアナはずっと笑顔で別荘を案内する。
「ミリアお姉さまが来てくださるかどうか不安だったのですが、よかったです。レトレイドの叔父様から、もしかしたらミリアお姉さまが行くかも、行かないかも、と曖昧なお返事をいただいて……」
自分に連絡が来た日にちを考えれば確かにそう答えざるを得なかったのだろう。ミリアは苦笑いを見せた。
「あのね、お姉さま。グライリヒ子爵から、とてもたくさんのドレスをご用意いただいているの。きっと、お姉さまが気に入るドレスがあると思うわ」
そう言って、彼女はひとつの部屋にミリアを案内する。そこには、彼女が言うように多くのドレスがずらりと並んでいた。
「子爵令息とは、以前からのお付き合い?」
「いいえ。2か月前からの、政略結婚よ」
けろりと答えるリリアナ。
「子爵家に伯爵家の血筋が入ることを子爵はお喜びだし、うちとしては子爵家とは商売でお付き合いがあるから、当然と言えば当然のことだわ」
「そう、ですか」
「お姉様。そんな表情をなさらないで。貴族の家に生まれたからには、政略結婚で嫁ぐことぐらい、よくある話でしょう。それに、そのう、わたしが嫁ぐご令息、ガスパル様っておっしゃるんだけど、とても可愛らしい方なのよ。うふふ。政略結婚だけど、あなたを幸せにしてみます、って言って指輪をくださったの!」
そう言って、本当に嬉しそうにリリアナは笑った。その笑みを見て、ミリアは少しほっと胸を撫でおろす。だが、ほっとしたのもつかの間、安堵の息を吐きだしたものの、彼女の胸の奥にはまた別のとげが突き刺さっていた。
「お姉さまにお似合いの色は何色かしら。銀髪に映えるドレスがいいわよね」
リリアナは何も気にせずに嬉しそうにクローゼットに並ぶドレスを物色している。その姿を見ながら、ミリアは彼女の言葉を反芻する。
(貴族の家に生まれたからには、政略結婚で嫁ぐことぐらい……)
よくある話だ。そう思えば、本当に自分の父は自分を自由にさせてくれている。そう思う反面、では、怪我を直して伯爵家に戻ったら、それから自分はどうなるのだろうか。あまり考えないようにしていた未来のことがミリアの気持ちを煩わせる。
(怪我が治って、伯爵家に戻ったら……その次は、きっと政略結婚になるのでしょうね。わかっていることだけれど)
リリアナと話したことで、少し曖昧だった自分のこの先のことが見えた。いや、見えてしまった。それは、本当はわかっていて、目を逸らしていた未来の話だ。
いつまでも、伯爵家で長女がのさばっているわけにはいかない。まだ代替わりをするような時期ではないため、当分は長女として残っていることは出来るだろうが、それだっていつまでかはわからない。長男が爵位を継いだら、自分は家を出ることになるだろうし……。
「ミリアお姉さま?」
「……ごめんなさい、ちょっとだけ考え事をしていて。ああ、これはとても良いお色ね。このドレスがいいわ」
「ね。これとてもお似合いだと思うの。あなたたち! このドレスに合う装飾品を持ってきて頂戴!」
リリアナはそう言って使用人たちを煽る。それから、彼女はミリアに向き直って
「あのね、お姉さま、明日わたし、式に使うブーケをお姉さまにお渡ししたいのだけど、良いかしら?」
とにこにこと微笑んだ。
「えっ……」
「駄目かしら? だって、わたし、他に独身の女性を知らないの。ほとんどがグライリヒ子爵家の家門の人たちばかりだし、伯爵家からほかに来るのも、傍系の方々で、みなご結婚なさっているのよ」
結婚式のならわしで、最後に参列者に新郎と新婦が一輪ずつ花を手渡しながら退場をするという流れがある。それをミリアも知っていた。最近はそういうならわしにとらわれない者も多かったが、どうやら「それ」を行うようだ。
そして、選ばれた者には新婦からのブーケが手渡される。勿論、それは、次に結婚式をあげるのはあなた、という意味がある。
「でも、わたしは馬車ではなく馬でヤーナックに帰るので、ブーケをいただくわけには」
「馬車を手配するわ! ね、お願い、お姉さま! そうじゃなかったら、グライリヒ子爵側の、初めて会うよくわからない人に渡すことになっちゃうから!」
そこまで言われてしまっては、断れるものも断れない。ミリアは仕方なく了解したが、どうにも心の中にもやもやが広がって、明日の式を楽しみにする気持ちが半減してしまったのは事実だった。