11.ミリアの過去
ミリアはヴィルマーに送ってもらった後、足が少し痛むからと言って朝の鍛錬を休んだ。少し眠ろうと、ベッドに戻る。うとうととなんだか夢心地の状態が続く。
(そうだわ……わたしは……)
ずっと忘れていた。いや、忘れようとしていた。17歳で断り切れずに婚約をした相手のことを。夢に見て目覚めては、忘れようとして。それを繰り返しているうちに、次は鮮明に夢を見るようになってしまった。一体なぜ彼を突然夢で見るようになったのかはよくわからない。だが、それは自分の心の中に何かひっかかりがあるからだ。何かの暗示のように、時折彼は夢に現れる。
まったく悪い人ではなかった。むしろ、条件そのものはとても良かった。家柄も悪くなかったし、公爵家の跡取りだったし、その才覚もあった。少しだけ、彼は上から目線ではあったが、それも仕方がないことかと思うほどの相手だった。
だが、彼は当時騎士団員だったミリアのことを、結婚をしたら騎士団を退団することが当然だと思っていた。いや、確認すらせずに、そうなると思い込んでいたのだ。
(でも、あれはわたしも悪かった)
彼にとって貴族令嬢というものは「そういうもの」なのだ。それに気付かなかった自分も悪かったのだ。レトレイド家が武官の家門だからとはいえ、まさか女性が……と彼は思っていたに違いない。
婚約者相手では、当然のように騎士団の制服は着ない。彼と会う時、社交界に出る時、ドレスを身にまとっていたミリアの姿しか彼は見たことがなかったのだろう。公爵令息とはいえ、王城にそう出入りをするものではないため、彼は騎士団に所属をしているミリアの姿を、実際に目にしたことはなかったはずだ。
「嫌々君が入っている騎士団を辞めることも出来るよ。もう、わざわざ遠くに行くことだってない」
ある時、彼はそう言った。ミリアは驚いた。何故ならば、彼女は嫌々どころか、自分から好き好んで騎士団に入団していたのだから。だが、彼はそうは考えなかった。レトレイド家の長女として「武官の家門」だから「仕方なく」そうしているのだ、そうしろと両親から言われて育ったのだとそう解釈をしていた。
まず、それは違うと話をして、なんとか理解をしてもらった。しかし、彼はミリアに対して「自分には甘えて欲しい」と何度も繰り返し言い続け、ミリアを辟易させた。
(それを、どうしてわかってくれないんだ、とわたしは突っぱねてしまっていた)
今ならばわかる。それは、彼の男性としての沽券にも関わることだし、必要とされたいという欲を満たすことでもある。何度も何度もそう言われ、それが出来ないミリアに対して彼は徐々に不満を抱いてしまった。
騎士団長をしているミリアは、時に一か月、二か月と遠征をすることもあった。その間に王城付近で何かの行事があれば、彼を1人にしてしまう。申し訳ないと思って手紙を出したりもしたが、それすら「騎士団で遠征をしてしまうことが悲しい。あなたに会えなくて申し訳ない」という内容だと受け取られていた。それを違うと否定をすれば、彼の機嫌は更に悪くなった。
彼は結局、どこまでいってもミリアが「仕方なく」騎士団にいるのだと思っていたのだ。表面では理解をしたふりをしていても。結果的に、それが婚約破棄の理由だった。
「もう少しでいいから、僕に甘えて欲しかった。君が強いことはよくわかっているが、それでも少しは頼って欲しかったよ」
当時のミリアは「何をどう甘えろと言っているのか」と驚いた。そして「何を頼れと言うのだろうか」とも。
本来、貴族同士の婚約破棄は、そう簡単に行われることではない。だが、レトレイド家からすれば「武官の家門」であることを尊重できない婿はいらない。そしてまた、彼の両親は、後継者である彼が嫌がるならば仕方がないと、むしろ彼を甘やかした。その時、彼女は「なるほど、自分が甘やかされているから、婚約者ぐらいは自分に甘えて欲しいと考えているのだな」と納得をしたものだ。
(でも……今は、なんとなくわかる)
自分が騎士団を退団したからだろうか。それとも。
(甘えられる相手が出来てしまったから……)
だからといって、当時の元婚約者に自分は甘えられただろうか。いや、そうではない。あの頃の自分は、彼に何一つ甘えることが出来なかったし、甘える必要もなかったのだ。だから、あれは仕方がないことだったのだ。
(ヴィルマーさんに、どうして甘えてしまうのかしら。どうして、彼に言われても、嫌な気持ちにならないのかしら……)
心の奥に、既に答えは用意されている。それをミリアはわかっていた。わかっていたけれど、見て見ぬふりをする。まだ少しだけ、勇気が出ない……ぐるぐるとそんなことを考えながら、すうっと彼女は深い眠りに落ちて行った。