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10.近づく心

 その夜、湯あみを終えてミリアが髪を乾かしていると、ヘルマが新しいタオルを持って来て手伝った。


「お嬢様」


「なあに」


 椅子に座り、後ろの髪を拭くのをヘルマに任せる。本来彼女の役目はそういった女中のようなことではなかったが、進んで「お嬢様の髪はわたしが乾かします!」と彼女が言うので、そうしているだけだ。


「ヴィルマーさんは、お嬢様のことをお好きなんじゃないですか」


「……さあ」


 うっすらと笑みを見せるミリア。


「わたしには、よくわからないの。誰かがわたしを好きになってくれるなんてことが……本当にあるのかしら。ヴィルマーさん……いいえ、ヴィルマー様はわたしの肩書きをご存じだったし、きっとサーレック辺境伯としては、王城へのつても欲しいのだと思うのよ」


 彼がサーレック辺境伯の息子であることは、ヘルマには話している。何故ならば、ヘルマも彼の所作を見て、身分に関することをミリアよりも先に口に出していたからだ。


 ヘルマはなんでも直情的で言葉にするように見えるが、そういったことはきちんと弁えている。そういう意味でも、ミリアは彼女に信頼を寄せている。


「でも、どういう形であれ、ヴィルマーさんがお嬢様に好意を抱いているのは、本当だと思いますよ。何も言われていないんですか?」


「ええ、何も。特に。お互いにお互いをどう扱えばいいのかを、測りかねているような、そういう感じね」


「そうなんですか……」


 ヘルマは少し残念そうにため息をついた。


「それに、まだ出会ってそう経ってないでしょう。なのに、相手に好意を持つなんて……」


「……」


 ミリアのその言葉で、ヘルマは一瞬手を止めた。それに気付いてミリアは


「ヘルマ?」


 と、心配そうな声音で声をかける。


「いえ、いえ、なんでもありません」


 なんでもなくはないだろう。ミリアはそう思ってヘルマを見る。彼女は、慌てて「いえ、なんでも! 本当に大丈夫です!」と繰り返す。ああ、そうか……ようやくその時、ミリアの腑に落ちた。


「あなた、もしかして……クラウスさんのことでも?」


「ちっ、違い、ます! そんなっ、こと、ないです!」


「ヘルマ」


 ミリアは体を起こして、椅子の背ごしに振り返った。見れば、ヘルマは頬を真っ赤にして困ったように俯いている。


「わっ、わたしは、そのっ……そんな、恋愛感情なんて……お嬢様をお守りするためにここにおりますしっ……」


「いいのよ。ヘルマ」


「お嬢様」


「この町に滞在をするのは、あと2か月半よ。そして、彼らに会えるのも、今回はあと数日。それからあと2回、それぞれ1週間程度でしょう。わたしの治療が終わってから、あなたがどうしたいのか、きちんと考えてちょうだい」


「で、でも、そのっ……そんなことは別に考えなくてもいいと思います……そのう……どうせ、こんな気持ちは、クラウスさんには……」


 そう言って、ヘルマは「お嬢様、髪を拭きますから!」と再びミリアの背を無理矢理椅子の背当てにつけるよう、両肩を押さえた。ミリアはそれに抵抗はせず、されるがままになる。


 ヘルマはミリアの後ろ髪を丁寧に拭く。その様子は、特に何かを忘れたくてやっているような、逃避をしているような感じはなく、あくまでも「いつもの」様子だった。きっと、彼女は彼女で自分自身に対して我慢を強いているのだろうと思う。


(自分でも、馬鹿なことを言ったものだわ。出会ってそう経っていない相手に好意を持つなんて、そんなことはない、ですって……)


 それでも、出会ってそう経っていなくてもわかる。ヴィルマーは、優しい。大雑把に見せかけているのは、その方が物事がうまく回るとわかっているからだ。ああ見えて、彼は配慮に長けた人物だ。きっと、サーレック辺境伯の息子であることを隠しているのも、その一つだろうと思う。本来、彼らがサーレック辺境伯所縁の者であると言った方が色々なことは楽なのだ。だが、彼はそうしない。あくまでも雇われている体裁を整えて、平民のふり、流れの傭兵や何かの振りをしている。


(きっと、本当は申し訳ないと誰よりも思っているのだろう。サーレック辺境伯の力が及ばないのは、サーレック辺境伯の責任ではない。だが、領主である以上責任追及は免れないともわかっている)


 だから、せめて。


 ミリアはヘルマに髪を乾かしてもらっている間に、うとうとと眠気に誘われた。やがて、彼女はそのまま寝入ってしまい、ヘルマに毛布をかけてもらうことになった。




「あら……わたしったら、眠ってしまったのね……」


 真夜中。暗い室内で目覚めれば、そこは寝室ではなかった。見れば、テーブルに書置きがしてある。ヘルマからだ。


「ふふ、起こそうとしてくれたのね。悪いことをしてしまったわ」


 何度か起こそうとしましたが、まったくお嬢様が目覚めないので申し訳ありませんがそのままにさせていただきました……そのように走り書きが書いてある。この時期は夜でも肌寒くないため、椅子での転寝でも体は冷えていない。


 思ったより深く長く眠ってしまったようだ。月を見ればもう頂点から相当傾いている。ミリアは悩んだ末、どうせもうすぐ朝だ、と服を着替えた。朝の鍛錬後にもうひと眠りをすれば良いだろう……そう考え、彼女は家を出た。


「ああ、まだ、陽が昇らない」


 しかし、朝を待つ空気は嫌いではない。騎士団で野営に出た時、深夜番が早朝番と交代をする時間だ。夜通し周囲を見張っていた深夜番が眠りにつき、早朝番が朝食を終わるまで見張りに立つ。その交代時間はいつも夜と朝の空気が混じっていて、少し気を抜いている間に陽がうっすらとあがって、気づけば朝になる。


(そんな時間に起きていることなんて、最近はなかなかないわね)


 町は静まり返っている。道を歩く自分の足音だけが響く。彼女は宿屋に向かい、その建物の裏側に回った。いつも、ヴィルマーが朝の鍛錬をしている場所。厩舎の前はがらんと空いており、ヴィルマーはまだいない。


 彼女はしばらくそこに座り込んでいたが、やがて、立ち上がって鍛錬を始めた。いつも、自分はヴィルマーの後に来ていたので、彼がいないその空間にいることがなんだか不思議だった。しかし、鍛錬を開始すれば、その雑念も消える。剣を振っている間は、左足のことも忘れてそれに集中を出来る。


「……ふ……」


 少しだけ、左足に違和感を感じて腕を下ろす。昨日の走り込みがじわじわと効いたのか、と軽く左足に触れる。すると、背後で声がした。


「大丈夫か、足が痛むのか」


 ヴィルマーの声だ。ミリアが静かに振り返れば、彼は心配そうな表情だ。


「おはようございます」


「おはよう。どうした。足が……」


「少しだけ。でも、これぐらいならよくあることなので」


 そう言って笑えば、ヴィルマーは困ったように「ううん、よくあるとは言え……」ともごもごと独り言のようにつぶやいた。


「それにしても、どうしたんだ? いつもより早いな」


「早く目が覚めてしまったので」


「それで、わざわざここに? 自分の家の裏でも鍛錬が出来るってのに、人様の宿屋の裏に」


 そう言われて、ミリアはハッとする。それはそうだ。当たり前のことをヴィルマーは言っている。


「そうですね……それは確かに失礼でした。泊ってもいないのにここを使うなんて。確かに、考えが足りませんでした。もう、来ません」


 ミリアのその言葉にヴィルマーは目を軽く見開いた。


「なんでそんな風に投げやりなんだ? 君らしくない」


「どうして……ここに来たのかと思ったので……」


 そう言って、ミリアは剣を下ろしたまま、自分の足の爪先を見つめた。ああ、馬鹿馬鹿しいと思う。自分がここに来た理由なんてわかっている。明確だ。ヴィルマーに会いたかっただけだ。そして、そう思っている相手に、一体自分は何を言っているんだろうかとミリアは自分に失望をした。


「そうか」


 だが、ヴィルマーはそれ以上特に何も咎めずに、小さく笑ってミリアに尋ねた。


「君は、どこで鍛錬をしているんだ? 本当に家の裏か?」


「はい」


「そうか。じゃあ、明日から俺がそちらに行こう」


「えっ?」


「それなら、宿屋に迷惑もかけないしな。いいだろう?」


 ミリアは静かにヴィルマーを見た。良いとも悪いとも言わずに、ただ、彼の顔を見上げる。彼はいつも通り朗らかに笑いかけている。その笑顔が、なんだか心苦しい。


ヴィルマーはミリアの答えを欲さずに「今日は送ろう。左足が心配だしな」と言う。ミリアがそれを断ると、彼は笑った。


「いいじゃないか。少しは甘えてくれ」


 甘えてくれ。その言葉にミリアは困ったような表情になる。それは何度も元婚約者に言われたセリフでもあったからだ。


「わたしは……あまり、人に甘えることが得意ではないので」


「そのようだ。だが、男ってのは本当に馬鹿だからなぁ」


「馬鹿……」


「甘えられたら勘違いを簡単にするもんだ。だから、今日だけは、甘えてくれないか。君が俺の勘違いに困らなければ、だけど」


 その言葉に、ミリアは早速「困ったよう」にため息をついた。だが、それは呆れたから出たのではない。なんだか、負けた、と思ったからだ。彼女は、もう一度念を押すように言う。


「わたしは、甘えることが得意ではありません」


「うん。わかってる。だから、君の家まで送ろう」


「あなたは、困った人ですね……」


「そりゃ、こっちのセリフだ!」


 そう言ってヴィルマーはミリアの家の方向へと歩き出す。ミリアは彼の背を見ながら、かすかに頬を染めて、同じく歩き出した。


(歩幅が、狭い)


 それに気づかないミリアではない。ヴィルマーは、ミリアの足が痛んでいることを気にして、歩幅は狭く、そして緩やかに歩いている。何も言わずに。そして、ミリアもまた何も言わない。ただ、彼女は「ああ、彼に甘えてしまっている」と、そればかりを考えてしまう。


 すると、思い出したようにヴィルマーが話を始める。


「そうだ。パン、美味かった」


「まあ、よかったです」


「本当に君たちが作ったのか」


「ええ、まあ、少しそっけない味だとは思いますが……それぐらいが良いのかと思いまして」


 それへ、ヴィルマーは「同感だ」と答えた。そして、もう一度食べたい、とも。


「また次回、走り込みに参加していただければ」


「うーん、やっぱりそうか……」


 そう言ってヴィルマーが苦々しそうに呻いたので、ミリアは小さく笑った。


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