61 最終話
「会うだけは会ってやろう。さて、何と理由をつけて断るか……」
「そうですね、我が家は都合により持参金を出せないと言ってみましょう。その上で結婚準備金の額をふっかけて……。ジーナのクラスメイト程度ならこの金額に尻尾を巻いて逃げ出しますわ」
「そうだな、多分それで行けるだろう。だがもし相手がそれに応じたらどうする?」
「一旦帰って頂いて後日に、ジーナはジェリコ殿下の事を忘れられないと言っているから少し時間をくれと引き延ばし、大公家の方をなんとかさせる。大公家のご子息との縁が決まれば、そこら辺の貴族は口出しできませんわ」
「よし、それで行こう!」
黙って聞いていれば勝手な事を。すべて私に原因があるように話を持っていくつもりね。
私は蚊帳の外で、二人の意見がまとまり客間へ向かう。二人は気付いていないが、邸宅の外では王家の豪奢な馬車と護衛の騎士が五人、背筋を伸ばし警護にあたっていた。
お父様が最初に客間に入るとアロイスは立ち上がった。
「ジーナに婚約を申し込んで来たのは君かね?」
まるで自分の方が王族の様に、お父様の態度は尊大だ。
「はじめてお目にかかります、クリコット伯爵。本日はジーナさんとの婚約をお許し頂きたく参じました」
「まあまずは座ってお話しましょう。さ、どうぞ」
にこやかに笑顔を繕いながらも、アロイスをしっかり値踏みするお母様の視線は鋭かった。着衣と物腰などから貧乏貴族ではないと判断したらしい。
私がお茶の用意をして戻って来ると持参金の話が終わった所だった。
「はい、それは全く問題ありません。こちらから持参金はお断りしようと思っていた所です」
この世界での私の両親はニヤリと視線を交わした。
「それでは準備金についてですけれど……」
お母様が提示した金額に私は目が点になった。いくらなんでもそんな途方もない額を! だが当のアロイスは眉一つ動かさず微動だにしない。
「なるほど、ジーナさんの価値はそれくらいあるとおっしゃりたいのですね。私もそれについては賛成ですからその額を用意致しましょう」
これにはさすがのお母様も驚いている。仏頂面だったお父様もすっかり口元が緩んでいた。思わず抗議しそうになる私に、アロイスは目で『堪えて』と合図を送って来た。
「ですが、こちらからも少々条件を出させていただきます」
ふとアロイスの声音が変わった。
「準備金はどれだけ贅沢な支度を整えても余りある金額だ。クリコット家の負債もこれで賄え、それでもお釣りがくる。ですがそれを管理する能力がお二方には欠けているとお見受けしますので、財務管理人をこちらから一人送ります」
「……は?」
お父様は理解が追いついていないのか、呆気に取られている。口を挟む暇を与えずアロイスは続けた。
「それとご子息はこちらで引き取ります、今後の教育や生活の全てを私が責任を持ちましょう。そして彼が十六才になったら伯爵は家督をご子息に譲り、引退なさってください」
ついにお母様が腰を上げ、あの癇に障る金切り声で喚いた。
「あ、あなた! 何の権利があってそんな事を! ルドルフをどこへ連れて行こうというのです?!」
「王宮ですよ。何か問題でも?」
「え? おうきゅ……」
「ああ、まだ名乗っていませんでしたね。私はアロイス・ソルタナ・フォン・サーペンテインと申します」
はっきりと分かるほどお母様の顔色が変わった。お父様はまだ状況が呑み込めず、お母様の顔を見て狼狽えた。
「な、なんだ? サ、サーペンテインだと?」
「あなたっ、だ、第一王子殿下ですわ。先日王太子になられた、アロイス殿下ですわ!」
「ええ、そうです。ジーナは私と結婚すれば王太子妃ということになりますね」
アロイスはわざと最初に名乗らなかった。もちろん私もクラスメイトとしか紹介しなかった。私たちは事前に打ち合わせ済みだったのだ。
「さて、私の大切な人がこのままここで生活するのを黙認する訳にはいきません。数日中に彼女を迎えに上がりますからそのつもりで」
もうお母様たちに反論する気力は残っていなかった。いくら鈍いお父様でも私が今までの経緯をアロイスに打ち明け済みなのは、悟っているだろう。
アロイスが護衛騎士五人を引き連れて帰った後、私に対する二人の態度が百八十度変わったのは言うまでもない。
そして数日後、宣言通りにアロイスは再来して準備金と引き換えるように私とルドルフを連れ、王宮へ向かった。
ルドルフは? 両親から引き離されることを拒否するかと思いきや、私の弟は子ウサギの様に飛び跳ね喜んで見せた。
「殿下! 僕は王宮で暮らすのですか? それとも離れかどこかへ? あの、そこに友達を呼んでもいいのでしょうか?」
「ルドルフ、君が住んでみたいと思う場所に、君の部屋を用意しよう。もちろん友達を何人呼んでも構わない」
「じゃあ、あの……」
「なんだい?」
「王族の方は実は贅沢などせずにつましく暮らしているって、ジミーが言ってたんですけど、やっぱり食事も少な目なんでしょうか?」
「やだ、ルドルフったら。クリコット家は特別よ、いくらつましくって言ってもうちみたいな事はないわよ」
ルドルフは期待を込めてアロイスを見た。
「そうだね過度な贅沢はしない、陛下がそういう方だからね。でもルドルフがお腹いっぱいになって、もう食べられないっていう位の量は軽くあるよ。それに料理長の作る物は何でもおいしい!」
「僕、ご飯の時間が待ち遠しいです。姉上!」
そう言ってルドルフは私に抱き着き、十歳の少年らしい素直な笑顔を見せた。
王宮へ向かう途中、もう一軒挨拶に寄る場所があるとアロイスは御者に進路変更を命じた。
「あら、ジーナちゃんじゃないの!」
アロイスの寄り道先はバートレットベーカリーだった。
「お店を辞めるんだってねぇ、残念だわ。あの、おっかない貴族の青年のせいかい?」
「あの時は本当にご迷惑をお掛けして……でももう落ち着きました。お店を辞めるのは別の理由で」
ファラマン夫人や他の店員たちが、お店が暇なこの時間帯に奥から出てきて私に顔を見せてくれた。
「また今日は随分とイケてるお兄さんをお連れだね。ジーナちゃんったら罪な子だよ、あははは」
「お、ジーナちゃん。丁度良かった、これ最後のお給料だよ。今までありがとうね。お幸せにな」
バートレットさんも声を聞きつけてきた。でも私の代わりもまだ見つかっていないのに、快く送り出してくれて本当に感謝しかない。
「ん? ジーナちゃんは……」
「結婚するんだってよ、お相手はこのお人かな……あれ」
カウンターの上に置かれた数日前の新聞に目を落としたバートレットさんが、素っ頓狂な声を上げた。
「あれぇっ、このお、お方は……ひゃあ」
慌てて帽子を脱ぎ、頭を下げるバートレットさんに、ファラマン夫人も他の店員も目を丸くした。
「どうしたのさ、店長」
「ど、どうしたじゃねぇ。お前たちも頭下げろ」
「いやいや、今日は非公式に尋ねたのでそんな事はしないで下さい。それに私はこのお店からジーナを取り上げてしまうのだし、頭を下げるのはこちらですよ」
「そっかぁ、ジーナちゃんはこのお人と結婚するんだね。めでたいねぇ」
アロイスが誰か、まだ分かっていないファラマン夫人は感慨深げにアロイスを見上げた。
「ファラマンさん、まだ先の事なんです。でも準備が色々あるのでお店はやめなくちゃいけなくて、ごめんなさい」
「じゃあそろそろ行こう、きっとルドルフのお腹の虫が騒いでるよ」
私とアロイスがドアを閉める後ろで、みんなの賑やかな声がまだ聞こえている。バートレットベーカリーが『王太子妃様が働いていた店』と超有名店になり、国内各地に支店を出すほどに繁盛するのは、少し後のお話。
私は将来に備えて王妃教育を受けながら、アカデミーをきちんと卒業した。元々ジェリコの婚約者時代に、王室に入るための最低限の教育は受けていたから、基礎は出来ていた。
アロイスも王太子として政務に携わりながら、アカデミーにも通うという二足のわらじを履きこなして無事卒業となった。
卒業から数か月後、ラスブルグ国教会で式を挙げた私とアロイスは一般お披露目の為に王宮正面の大バルコニーに立っていた。心地よい初夏のそよ風が、祝福の為に撒かれた色とりどりの花びらをバルコニーまで運んでいる。
「今日は来られないとクリストファーから書信が来ていたよ」
群衆に手を振りながらアロイスが教えてくれた。
「そう、またお家の事で大公様に遠くの国にでもやられているのかな?」
「ジーナと俺の仲睦まじい姿を見るのには、まだ時間が必要だと書いてあった」
「クリストファーの話は、どれが本気でどれが冗談か判断できないわ」
私も王室の一員らしい上品な素振りで手を振る。その度に陽光を受けて、ルビーが私の指の上でキラキラと輝いていた。
「来ないと言いつつ、この群衆の中に紛れ込んでいたりしてね」
「もしこの場にクリストファーがいたら、か……」
アロイスは不敵な笑みを浮かべた。
「クリストファーには狩猟大会の時の恨みがあるな。ささやかながらここで仕返しといこうか」
ひらひらと振られていたアロイスの手は、ふいに私の腰をぐっと引き寄せた。
今日夫婦になった私たちの熱いキスに、観衆の声援が一斉に高まるのを、私はアロイスの腕の中で夢見心地に聞いていた。
おわり。




