57 この世界2
「ん? どうしたの」
ブリジットが返却された本の背表紙に目を凝らしている。
「表紙と背表紙の厚さが微妙に違いますの。なんだか裏の方は二枚張り合わせてあるみたいですわ」
私は司書の所へ行ってペーパーナイフを借りて来た。ブリジットがナイフを使って器用に剥がしていく。
「二ページ分増えたみたいですね」
開いた内側には手書きの文字が並んでいた。しかもシュタイアータ語だ。
「ええと……」
ブリジットは声を出して文章を読み上げる。
『如何な理由有れど神より賜いし神聖な星を悪に転用せしは、即ち悪也。悪神の囁きに耳を貸し堕ちたる者が生来身に蓄えたる輝きは、与えし源に帰属するもの也……』
「な、なんの事だか私にはさっぱりだわ」
まだまだ文章は続くが、どんどん難しい言葉が増えて行って私にはお手上げだった。
「これは神聖力を悪用する事について書いてあるみたいですわ。星というのが神聖力を指しているんだと思います。どんな理由があっても、本来の使い方ではない事に力を使う人はもう悪に堕ちたと言ってますね」
「ふんふん、なるほどね」
「聖女や聖人で悪に堕ちた人が身に蓄えたる輝き……これも多分神聖力の事だと思います。与えし源というのが何を、誰をかしら……指すのが分かりませんね。神が与えし力だから神に取り上げられるって事かしら」
悪い事に使うんなら神聖力は返してもらうよ、って神様の言い分。それも納得ね。
「でもちょっとニュアンスが違う気がします」
「あーそうね。クレアは長い事悪用していたけれど、最後まで力を使えたものね。神様が取り上げちゃったら無くなるはずだものねぇ」
「えっ、ええ。真ん中辺りはレジーナの事について書いてありますね。彼女の心がもう少し強かったら悪の囁きに対抗出来ただろうとか、色々」
ブリジットってホントに頭がいいんだわ。シュタイアータの古い言葉で書かれた文章をすらすら読んで、私に解説してくれるんだもの。
「最後は……ええと、世界は誰のためでもなく、しかし全ての者のためでもある。自分から見たら世界の中心は自分で、それに気付いた者が星屑の輝きを聖なるものに変えられる、そういう話で締めくくられています」
星屑の輝きかぁ、なんだかアニメソングの歌詞みたい。それに世界の中心は自分っていうのは、主人公は自分だって事でしょ。ルドルフの本といい、この間からこの世界の主人公は自分だって言われているような気がしてならないんだけど。
「参考までに聞くんだけれど、気づいた人には何かあるのかしら?」
「そうですねぇ、星屑の輝きを聖なるものに変えられる……らしいですわ」
ええええ~それじゃあ何のことかさっぱり分からない! 本の著者さん、もっと分かり易く書いておいてほしかったわ。
とりあえず本は返却したし、私はまた働かないといけない。ここはファンタジーなゲームの世界でも、私にとっては現実で、空からパンが降ってくるわけじゃないから。
「ジーナちゃん、おかえり」
一ヵ月以上も休んでいたが、バートレットベーカリーは快く私を迎えてくれた。
「足首をねん挫したんだって? 骨折じゃなくて良かったよ」
ファラマン夫人は忙しなく手を動かしながら、いつもの様に大きな声を掛けてくれる。
「あれだろ、舞踏会で高~いヒールの靴を履いてずっこけたんだろ?」
バートレットさんはこうやってすぐ私の事を茶化すのだ。でも今日はそれすらも懐かしい。ほっとする我が家に帰って来たみたいだ。
「お休みした分、頑張りますのでまたよろしくお願いします!」
「もちろんだよ、ジーナちゃん。じゃ早速裏から焼きたてのバターロールを持って来ておくれ」
焼きたてパンの香ばしい匂いが立ち上るオーブン。ミトンをつけて慎重にパンを取り出す。
「あちっ」
久しぶりでちょっと勘が鈍ったかしら。腕の内側が鉄板に触れて少し赤くなってしまった。
流水で冷やしながらふと思う。本当に私がこの世界の主人公なら、神聖力を使えちゃったりするんじゃないかしら。
クレアが紫水晶の間で国王陛下にやってたみたいに、私も手の平を患部にかざしてみる……。
うん、変化なし!
「だめだぁ~、あはは。そうだよね、そんな訳ないわ」
私が考えた事はブリジットも当然同じように考えたらしく、彼女も色々と試した事を、翌日教えてくれた。
「そうだ、聖女になりたかったんだものね?」
「嫌だわ、恥ずかしい。お兄様ね、秘密をばらしたのは……まあ、それはいいんですけれど。私、他にもまだ試してみたい事があって、ジーナさんもご一緒にいかがかしら?」
その週末、ブリジットが私を連れて来たのはバザーで火事があったあの教会だった。
本当はアロイスの所へ行こうと私は思っていた。でもブリジットがどうしても一緒に来て欲しいと言うので、了承したのだ。ここが終わったら離宮へ行こう、少し遅い時間でも入れてくれるだろう。
ブリジットはまずマホーニー司教に挨拶に向かった。
「その節は兄の為に貴重な証言をして下さいまして、ありがとうございました」
「ランディス子息も言うなれば被害者の一人でしょう。寛大な処罰がおりて安心しています。さて今日は、ロザリオを見学なさりたいとか?」
「はい、出来れば手に取ってみたいのですが」
私たちは礼拝堂に移動した。相変わらず荘厳なこの場所に立つと、コリウス教の信者でなくとも身が引き締まる思いがする。この時間はステンドグラスの虹が礼拝堂の座席まで差し込んでいて、神々しさが更に高まっていた。
マホーニー司教と二名の聖騎士の立ち合いの元、祭壇からロザリオが下ろされブリジットに手渡される。生まれたての赤ん坊を胸に抱くように、大切にロザリオを握りしめるブリジット。目を閉じて、しばらく祈るように首を垂れていた。
「さ、次はジーナさんの番ですわ」
目を開けたブリジットはにっこりとほほ笑んでロザリオを差し出した。
「え、私の番?」
「そうですわ、ご自分を信じてコリウス神に祈りをささげて下さい。ジーナさんには何か望みがおありなのでしょう?」
私の望み、それはアロイスの呪いが解ける事。でも中身の私はコリウス神を信じていない。そんな私の祈りをコリウス神は聞き届けて下さるのかしら。
とりあえずブリジットに倣って目を閉じてみる。神様仏様コリウス神様、どうかアロイスの呪いを解いてください。私の願いが聞き届けられたら、私は何でもします。コリウス神を本当に信じて、敬虔な信者となる事も誓います、えーとそれからそれから……。
と、特に何も起きないけれど……。私は片目をそっと開けてみる。ブリジットの怖いくらい真剣な眼差しと目が合った。
「ジーナさん、もう一度言いますわ、ご自身を信じて。クレア様の砕けた星は源であるこのロザリオに戻ってきているはずです。このロザリオは聖女を生み出した源なんですから。きっとジーナさんに力を貸してくれますわ」
そうか、ブリジットはあの本にあった『源』というのはこのロザリオの事だと思いついたのね。神聖力である星、クレアの星は砕けてこの中に蓄えられている……。砕けた星、星屑……スターダスト! ホーリースターダスト! ああ、こんな風に繋がるの。ゲームの世界だけど、全然ゲームは関係ないと思っていた。でもそうであり、そうじゃなかった。それなら……それなら私だって主人公なのかもしれない!
手の中のロザリオが暖かく感じた時、目を開けた。するとどうだろう、まさに星屑を纏ったようにロザリオが光り輝いている。きらきらと、まるでダイヤモンドの粉が舞っているみたい!




