54 主人公
「えっ、クレアが亡くなった?」
クリストファーは二日に一度は私の元に訪ねて来ていた。今日もお見舞いのお花やちょっとした焼き菓子を手土産に、クリコット夫妻や弟のルドルフに愛想を振り撒いている。が、私の自室で二人きりになると真顔になって告げたのだ。
「僕が三日前に面会に行った時はかなり老化が進んでいたからね。牢の中では生命力を補充する事が出来ないし、あの時、相当な神聖力を使っていたから……」
クレアがラスブルグに復讐しようとした理由の大よその推測、神聖力を悪用して生命力を得ていたことなどを私はクリストファーから聞かされていた。
私が知っている『ホリスタ』とはかけ離れた聖女の真実に、只々驚いてあんぐりと大口を開ける事しか出来なかったのが、ここ数日の出来事だった。
「ええっと、じゃあ元々のクレアは百才近い年齢だったから、一気に元の年に戻ってしまったって事?」
「そうだと思う。僕も本人確認のために相対してきたけど、とてもクレアだとは断言出来なかったよ」
「でも……クレアなの?」
「入れ替わる事は不可能だから、そうなるだろうね」
クリストファーはそこで口をつぐんでしまった。何か……まだ悪い知らせが待っているような気がして、思わず身構えてしまう。
そこへノックがしてルドルフがお茶を運んで来てくれた。本来ならメイドかお母様の役目なのだろうが、メイドはいないし、お母様はドア越しに聞き耳を立てようとする。だからルドルフにお願いしていた。お母様は何とかして私とフェダック大公家の次男との縁を結ぼうと必死なのだ。
「ところでジーナ、足の具合はどう?」
「ルドルフが私の世話をよく焼いてくれるの。もう杖なしで歩けるまでになったわ」
「姉上」
ルドルフは少し頬を染めて出て行った。幸い私の足は折れておらず、痛みに悩まされただけで順調に回復している。
「ねえクリストファー、まだ何かあるんでしょう?」
「ジーナ、クレアの言った事が本当とは限らない。何かまだ方法があるかもしれないから……」
心臓が早鐘を打つ。不幸が私に襲い掛かろうと、じわじわと背後に忍び寄って来ている気配がする。
「言って! はっきり言って。私耐えられないわ」
「クレアが……アロイスに掛けた呪いは、クレアじゃないと解けないと言ったんだ。そしてキツネになったアロイスの自我は消えて行くと。最後にはただのキツネになってしまうとも」
私は勢いよく椅子から立ち上がった。
「私、行かなくちゃ」
「ど、どこへ?」
「スターク伯爵家よ。アロイスに会いに行かなきゃ」
「いや、えっとね……」
「大丈夫、私一人で行くわ」
「う~ん。アロイスは今スターク家には居ない。王宮の離れに居るんだ」
「どうしてそんな所に?!」
「ほら、クレアの事は伏せられているだろう? クレアは第二王子の婚約者で、しかも聖女が王族を殺めようとしたんだから。アロイスはそれに巻き込まれてキツネにされたから、だから……アロイスの事も王宮預かりになってるんですよ」
クリストファーは何となく歯切れが悪い。変に丁寧語が混じったりする。私は今すぐアロイスに会いたいのに。キツネになっていても会話が出来れば、アロイスを励ますことが出来る。『私がきっとアロイスを人間に戻してみせるわ!』って。
そうよ、ここはゲームの世界。『ホリスタ』の事なら、私は何でも知ってるんだから。
でも……本当にそうかな。ジェリコルートだと思っていたのに、主人公である聖女のクレアは、ジェリコを殺そうとするし、更にはその主人公までもが死んでしまうなんて。何でも知っていたはずなのに、こんな展開は全く私の存外だ。
レニーが私の事を好きになったのも、あんな風におかしくなったのも実はクレアが仕組んだことだとクリストファーが打ち明けてくれた。となると、私のせいでこの世界がおかしくなったわけじゃない事になる。ここはホリスタの世界だけれど、ゲームのシナリオとは全く違う現実が展開しているのだ。
私のホリスタ知識は役に立たない。私はアロイスを人間に戻すための切り札を何も持ってないんだ。
「ジーナ、大丈夫? 顔色が悪い。王宮に行くなら話を通すよ。僕も一緒に行く」
こんな私がアロイスに会いに行って、何ができるというんだろう?
「私……どうしよう」
クリストファーは私の傍まで来て、もう一度私を椅子に座らせた。
「今日はゆっくり考えて、近いうちにまた来るから」
それからずっと考えているが、何も思いつかない。ベッドに入っても目は冴るばかりだ。
「眠れないわ」
ホットミルクでも飲もうと部屋を出る。キッチンには明かりが灯っており先客がいた。
「姉上」
「ルドルフ、どうしたの?」
「あの……」
ルドルフはもじもじしてなかなか言い出さない。そのうち彼のお腹の音が答えを教えてくれた。
ああ、私が働きに出られないでいたからお金がなくなってきたのね。私の元に運ばれてくる食事はいつも通り少なかったから気づかなかったわ。
「可哀そうにルドルフ、あなたは育ち盛りだものね」
ルドルフは私の傍に来て囁いた。
「料理自体も、その、あまり……」
そうね、お母様は料理をしたことがないんだものね。キッチンを漁るとじゃがいもが数個出て来た。バターに卵、小麦粉もある、ガレットが作れそうだわ。
「待ってて、すぐ作るから」
ジャガイモのガレットにジャガイモのポタージュ。芋尽くしだけど、おいしいから問題ない!
ルドルフは勢いよく食事を口に運ぶ。
「ゆっくり食べて、ポタージュもまだあるから」
「はい、おいしいです。とっても、おいしい」
お腹が膨れたルドルフは大あくびをしながら食器の片づけを手伝ってくれた。
「姉上、ひとつお願いがあるのですが」
ルドルフのお願いは一緒に寝る事だった。幸い、ルドルフのベッドは私のそれよりはるかに大きい。二人で横になるとルドルフは天井を仰ぎながら言った。
「小さい頃は僕が寝るまで本を読んでくれましたね」
「今日は甘えん坊さんなのね。いいわ、久しぶりに何か読もうか?」
両親ともにルドルフを大切にしてはいる。でも何となく、愛情からというよりは跡取りだから大切にしている、彼らを見ているとそんな風に思わずにはいられなかった。ルドルフ本人も肌でそれを感じていたのかもしれない。
「これがいいです」
彼の差し出した本は子供向けのファンタジーだった。山奥の小さな村で育った平凡な少年。彼が運命に導かれ、仲間を従えて悪魔を倒すまでのお話らしい。ちょっと『桃太郎』に似てるかしら。
「……でも彼は言いました。『僕は勇者でも騎士でも何でもない、魔法だって使えないんだ。僕には何も出来ないよ』それを聞いた仲間のオオカミは言います。
『誰でもそう言うし、そう思ってる。主人公は自分が主人公だって事に気付いていないだけなんだよ』
その時、突風が巻き起こり、木の葉が舞い踊る中から精霊が現れました。
『あなたが洞窟に足を踏み入れた瞬間から、この世界は変わったのです。この森を愛するあなたは森に認められました。行きなさい、悪魔を倒し森に平和を取り戻すのです』……ルドルフ、寝たの?」
静かな寝息が規則正しく繰り返される。私も本を置いて目をつぶった。
世界は変わった。主人公は自分が主人公だと気付いていない。まさか……ね?




