53 クリストファー
結論から言うと、ジーナは最高だってこと。
あの舞踏会の日から一週間が経った。
ジーナの渾身の一撃を受けたクレアは、当然ながらその場に倒れた。と言っても命に別状はなく、手当てを受けた後、今は王宮の地下牢に収容されている。僕もアロイスも、ハーリン先生でさえも歯が立たなかったクレアに、ジーナは燭台のたった一振りで勝ってしまったんだ!
表向きにはクレアは、緊張から来た疲労で休養している事になっている。だから人目に付かない、普段は使用されない王宮の地下牢に入れられたのだ。
ジェリコ殿下は衰弱し、意識はあるもののベッドから起き上がれないでいる。肉体的に損傷したり欠損したりした部分はないが、最初にクレアに掴まれた方の腕がうまく動かないと聞いている。体力面はじっくり療養する事によって以前と同じまでに快復するだろうとは、医者の意見だ。
ちなみに、王妃は息子の王太子指名が絶望的だと悟り、ジェリコ殿下と共に保養地での療養を希望しているそうだ。きっと国王陛下も了承されるに違いない。これは、まぁ……王妃付きの侍女から仕入れた情報だから正確だろう。
ちょっと不遇だったのがヴィンセント・ハーリンだ。彼は国王の命を受けてアロイス殿下の護衛をしていた訳だが、今回のクレアの陰謀については詳しくを国王陛下に報告していなかったのだ。
確たる証拠もなく、ジェリコの婚約者であるクレアに疑いをかけている事を陛下に知られれば、アロイス殿下への心証が悪くなると危惧したらしい。
ヴィンセントから今回の騒動と共に事後報告を受けた国王陛下は激怒した。随分と重い処分も検討されたようだが、そこは僕の出番だ。クレアの王族殺害を阻止するのにヴィンセントは大いに貢献したと進言。ヴィンセントも他の近衛兵同様に負傷しているという事もあり、処分保留のまま現在に至っている。
忘れていけないのがランディス君だ。
ランディス君はジェリコ殿下を拉致してしまった。目的はジーナを連れての逃走に利用しようとしただけで、殿下自体を害するつもりはなかったわけだが、相手は王族だ。もうそれだけで極刑に値する行為になる。そこでまたまた僕の出番な訳だが……。
地下牢は同じ王宮の敷地内にあるとは思えない程、華やかで豪奢な地上とは正反対の場所だった。かなりの古さを感じるが、決して老朽しているのではない。牢破りなどは到底考えられない程の堅牢さが見ただけで分かる。
クレアの能力の事があるために見張りは一定の距離を保ち、食事の差し入れ時も細心の注意を払って行われているようだ。
僕がこの国に来た理由諸々は全て国王陛下に打ち明けてある。僕は決してクレアサイドではないが、クレアに面会するにあたって細かいボディチェックは必須だろう、仕方ない。
「これで完了です。おっと、もうひとつ、髪の毛も改めさせて頂きます」
僕の髪を慣れた手つきでまさぐる牢屋番の兵士に僕は尋ねた。
「聖女の力で脱出を試みようとしたりはしませんでしたか?」
あの暴風を長時間巻き起こし続ければ、いかに堅牢なこの地下牢もほころびを生じるかもしれない。もしくは牢屋番をアロイス殿下の様に動物に変えてしまうとか、まだ隠し持っている能力があるかもしれないと思ったのだ。
眉一つ動かさず、兵士は首を振った。
「お会いになれば納得されるでしょう」
薄暗い地下牢でもクレアに会って、兵士の言った意味を僕は即座に理解した。
「あらクリストファー、まだラスブルグにいらしたのね。もうお国に帰って、あなたの活躍を報告なさっている頃かと思っていましたわ」
「僕はこう見えても責任感の強い方でね。やりかけた仕事は最後まできっちりしておきたいんだ」
声だけ聞けば何も変わりないクレアだと思うだろう。だがその姿はすっかり変わり果てていた。艶やかだった髪は白い物が多く混じり、張りを失くした肌は皺が目立つ。彼女に『幾つに見える?』と問われたら、僕は紳士的に『四十代後半』と答えるだろう。
「ああ、そのお顔は……私に同情していらっしゃるのかしら?」
「君の境遇には同情するよ、でもその行いには賛同しかねるね。だから今日は挽回するチャンスをあげようと思って来たんだ」
一筋の光も差さず、広いとも狭いともつかない鉄格子の向こうの空間。ただひとつ置かれた粗末なベッドに腰掛けて微動だにしないクレア。
「君はランディス君に何かしたんだろう? 彼のジーナに対する執着は異常だ。一連の行いは彼をよく知る人の評判とはあまりにかけ離れている。君が今回の計画の為に彼を誘導して利用したんだろう? それを証言してくれれば、ランディス君の処罰を軽く出来るんだ」
「クリストファー、あなたは間違っているわ」
「君じゃないのか?」
「いいえ、あなたの言う通り私がしたことよ。でも私は絶対に証言しないわ。ジーナに好意を持たせ、それを狂気に変えたのは利用するためじゃなく破滅させるためなんだから」
「なぜランディス君を?」
「話したくないわ。でも絶対に証言はしない」
「ではアロイス殿下の呪いを……彼を人間に戻してくれないか」
クレアはさも可笑しそうに声をあげて笑った。
「この地下牢でそんな冗談を聞くとは思わなかったわ。ねぇ、ジェリコはもうだめでしょう? 彼に国を任せようなんて議会が認める筈がないわね。アロイスもいなくなればサーペンテイン直系の王族は途絶えるわ」
現サーペンテイン国王は何年か前に罹った熱病が原因で、もう子供は望めないと聞いた。そうなると確かに直系はいなくなる。
「私が描いた復讐劇より随分と劣化した結果になるけれど仕方ないわね。私が掛けた呪いは私でなければ解けないわ。アロイスの自我は徐々になくなって、そのうちただのキツネになる。絶望する国王の顔が見られないのが残念ね」
絶望するのは国王だけじゃない、彼女が知ったらどれほど嘆き悲しむか。それは僕にとっては有利な事か? いや、ジーナは簡単に僕に乗り換えるような人じゃない。だからこそ僕は彼女が好きなんだ。
あーあ、そうさ、ジーナはアロイスが好きなんだ。僕だってそれくらいは気付いていたよ。だけど勝ち目のない戦いにも果敢に挑むのが僕の矜持だからね。
さて今日の目的は達した。アロイスの事に関しては攻める角度を再考する必要があるな。でも急いだほうが良さそうだ……。
「クレア、君の決意は揺るがないと分かったよ。でもそれは想定済みだったからさ」
僕は振り向いて合図する。身を潜めていたマホーニー司教が姿を現した。
「クレア様、お話は全て聞かせて頂きました。とても……残念です」
「教会サイドの重鎮であるマホーニー司教の証言なら、ランディス君の処罰も軽減されることは間違いないでしょう」
冷静で余裕すら感じさせていたクレアの態度が崩れた。関節が白く浮き上がるほど強く拳は握りしめられ、目には敵意が燃え盛っている。
もう一言も発しなくなったクレアを後に、僕とマホーニー司教は近衛兵隊舎へと赴いた。
さてランディス君だが、彼は今、近衛兵隊が管轄する牢屋に入れられ裁判を待っている。牢屋とはいえ、貴族専用のそこは簡易な宿屋の一部屋のような造りだ。
僕らはランディス君に面会を求めたが、当の彼が拒否しているとの事で面会は叶わなかった。ジーナを連れてこいの一点張りで、態度も良くないらしい。
「彼はまだクレア様がかけた洗脳のようなものが解けていないということでしょうか?」
きっとマホーニー司教の推測は正しい。
「ランディス君の様子を聞くに、僕もそう思います。ところで、アロイス殿下の事は……」
「はい、陛下が礼拝の折にお話し下さいました。内密にという事も承知しております。ですが陛下の心痛のほどは察するに余り有ります」
今の国王陛下は人格者だ。歴代の王たちの行いを深く恥じて、シュタイアータと良好な関係を維持し続ける努力を怠らない。実際に会って話した印象も思った以上に好感が持てた。あの王の為にもアロイスには人間に戻って欲しいと思うのだが。
事態が急変したのは三日後だった。




