47 クレア
残酷な描写があります。
苦手な方はご注意下さい。
私はシュタイアータ皇国の南方、サウスプレインズ平野にある名もない小さな村で生まれた。
サウスプレインズは肥沃な土地柄、農業が盛んで小麦の産出量は国内では常に一位を誇っている。国外への輸出も盛んで、小さい町ながらも人々は豊かな生活を送っていた。
私の神聖力が発現したのは六歳だった。大抵の人より遅かったが、他の聖女見習いと同じように十三才で教会に入り見習い期間を経て聖女になった。
正式な配属先は偶然にも故郷の隣町だった。教会に到着した翌日には、両親は姉と妹、祖父母を連れて家族総出で会いに来てくれた。見習いで入った教会が遠い場所だったため、里帰りもほとんど出来なかった私のために。
だが久しぶりの家族団らんは大きな物音でかき消された。
私たちは昼食後、談話室で家族の再会を喜び合っていた。そこへ複数の馬のいななきと扉が乱暴に開かれる音が聞こえて来た。
私が外の様子を見ようと扉から出ると、一人の司祭様が慌てて駆けてこられ、私たち家族を、先ほどまで昼食を取っていた食堂に連れ戻した。食堂には司教様と数人の司祭様、下働きが何人か不安げな様子で私たちを待っていた。
「ラスブルグ王国が攻め入って来ました。聖女様と司教様はこちらにお隠れ下さい」
食堂の大きなテーブルがずらされていて、下に敷かれた絨毯がめくれている。床には地下に通じる扉があった。
「有事の際の隠れ場所です、さあ早く」
「でも二人だけですか? 司祭様は……私の家族は?」
「いくら戦争でも神に仕えるものに危害は加えますまい。念のためですから安心して隠れていてください。これは万が一のためです」
言われるままにはしごを降りると、下は小さな部屋になっていた。司教様が持っている蝋燭の灯だけでも十分なほど狭い空間だった。上ではテーブルを元の位置に戻す音が響いている。
「御覧の通りの大きさなのです。二人が隠れるので限界でしょう」
司教様がそう言い終わらない内に、大人数の足音が食堂になだれ込んで来た。
「これはこれは皆さんお集まりで」
「そちらはラスブルグの方とお見受けしますが。この神の家に何用でしょうか?」
絨毯と扉一枚で隔たれた食堂の声は、地下にいる私にもはっきりと聞こえて来た。
「戦争が始まったんだよ、司祭様。我々は勝たなきゃいけない。その為には色々工作をしなくちゃいけないんですよ」
「ああっ、畑がっ!」
「なんという事を、もうすぐ収穫の時期だというのに」
なんだろう、畑に何かされたのだろうか……。
「この辺りはシュタイアータの台所と言われるほど、農作物の供給率の高い地域らしいですね。まぁそれを少し下げただけの事です。さて……聖女様はどなたかな?」
「聖女様に何の用です」
私はびくっとした。思わず声が漏れそうになると、司教様が口に指をあてて
『しっ』と囁く。
「ラスブルグにも聖女様が何人かおられるんですがね、数の上では圧倒的にシュタイアータに劣るのです。ですから少し均衡化したいのですよ」
ゾッとした。背中に冷たい物が流れているのがはっきりと分かる。胸の上で祈るように組み合わせていた手が震えて来た。
「せ、聖女様は今はお留守です。首都の総本山に出向されています」
「おやおや、聖職者ともあろうお方が嘘はいけませんね。私はちゃんと情報を掴んで来ているのです。昨日赴任したばかりの聖女様がいらっしゃるはずですよ」
少しの沈黙が訪れた。だがこうなる事を予想していたかのようにラスブルグの兵士は言った。
「この食堂には女性は五人いますね。一人は見るからに子供だから除外できるとして、残り四人。では一番後ろのあなた、そう、あなたです。私の前へ来てください」
ギシギシと床が軋む。言われた通りにしたのだろう。するとすぐ何か物音がしてドサッと床に振動が伝わった。と、同時に悲鳴があがった。
「さあさあ聖女様、名乗り出て頂きますよ。でないと女性全員を殺さなくてはいけなくなる」
今や私は全身がガタガタと震えていた。恐ろしくて恐ろしくて、立っているのもやっとだった。司教様は私の肩をしっかりと支えてくれていたが、私はこの狭い地下で一人きりのような感覚に陥っていた。
妹の泣き声が聞こえる。父が懸命に妹をなだめる声も聞こえて来た。
「わ、私が聖女です」
母の声だった。
「おお、名乗り出て頂いて助かります……ぷっ、ははははは。お母さん、そんなウソに私が騙されると思いましたか? 赴任したばかりの聖女という事はまだ二十歳前後の少女のはずです。失礼ですが、あなたが二十代というのは無理がありませんか? という事はあなたですね!」
また悲鳴が聞こえた。妹と姉が泣き叫んでいる。
「やめてぇっ、やめて下さい。どうかその子を連れて行かないで! 代わりに私を……なんでもしますから!」
「ここは神の家です、これ以上の暴挙は許しません。すぐにここから出て行って下さい!」
悲鳴やら嘆願やら泣き声と怒号。色々な声が入り混じって、上は混乱状態だ。
「司祭様、私は軍人でこれも私の仕事なのです」
でもその声には申し訳なさが少しも混じっていなかった。むしろ嬉々としているように感じる。
「さて聖女様、あなたに恨みはありませんが、聖女様に沢山の兵士を癒されては困りますのでね」
「あああっ」
またどさりと床に何かが落ちる音がする。妹の泣き声が激しくなった。母が姉の名を何度も呼んでいる。
「いくら戦争とはいえ、こんな残忍な事が許されていいはずがありません。我々は抗議します。あなた方を絶対に許しません」
「それは困りますね司祭様。おいお前たち、ここにいる全員を始末しろ。お前とお前は他に隠れている奴がいないか見てこい。いればその場で殺せ」
「なっ!」
「ランディス隊長、命令では聖女を国へ連れて帰るだけでいいはずではありませんか! それに司祭様を殺すなど……」
「ああ、そんな命令は初めからないんだよ。聖女を減らすのは私のアイデアだ。お前たちも出世したいならこれくらい頭を働かせないと。司祭といえど目撃者には消えて頂くんだ」
「し、しかし……」
「君は上官に逆らうのかね? もう聖女を含め二人死んでいる。司祭を生かして証言されたら、我々の不利になるとは思わないか? ここは我々が到着した時には火が回っていて、誰も助ける事は出来なかったと私は記憶するはずなのだが」
「……分かりました。おい、外から油を持ってこい」
そこからはさながら地獄のようだった。悲鳴や命乞いする声が交錯し、床にどさどさと響く音は、人が殺されて倒れる音だと嫌でも気がついた。
司教様の持つ蝋燭の炎も小刻みに揺らめいている。私は嗚咽と悲鳴を懸命に堪え、拳を噛みしめていた。やがて静寂が訪れた。重い靴音が食堂から出て行き、床に油をまく水音がした。天井の隙間から油だろうか、ぽたぽたと落ちてきている。
司教さまは囁いた。
「私の後ろに扉があります。外の家畜小屋へ出る道が繋がっていますから急ぎましょう」
「で、でも上の家族を置いていけません」
私は司教様の制止を振り払い、はしごを登って扉を押し開けた。ほんの十五センチ位の隙間だったと思う。油と血なまぐさい匂いと共に飛び込んで来たその光景は、目に焼き付いて今も離れない。
食堂はまさに地獄絵図だった。床には教会の人、ついさっきまで笑い合っていた私の家族が血まみれで折り重なっている。目はうつろで、誰ももう息をしていないことが一目で分かる。同じ人間と言う生物として本能的にそれが分かってしまったのだ。
私は震える手で扉を閉じた。
司教様が何も言わず振り向いて蝋燭で照らすと、確かに小さな扉があった。でもしばらく使っていなかった木戸は軋み、物凄い音を立てた。さっきこれを開けようとしていたら上の兵士達に気づかれていただろう。
扉の向こうは狭い通路で、身を屈めながら前に進んだ。家畜小屋に出る扉の前まで来てもしばらくはそこから動かなかった。
どれ位時間が経っただろう。司教様がとっくに燃え尽きた蝋燭立てを手に外の様子を見に行った。待つように言われたが、私もすぐ後を追った。
外はまた別の地獄だった。一面に広がる収穫間近だった黄金の小麦畑は轟々と火に包まれ、振り向くと、私たちのいた教会も激しい炎と黒煙を上げている。
司教様は何か呟きながら、がっくりと膝折れて地面にへたり込んだ。




