45 告白・アロイス
「嫌だ」
俺がそう言うとジーナは心底驚いて目を見開いた。
「嫌だって……ええと、クレアを諦めないのが嫌だって事は、諦めたいって事? え、なんで? 諦めたくないけど、諦めないのは嫌だ、かな。あれ?」
ジーナは首をひねりながらブツブツ考え込んだ。俺にクレアを好きで居続けろとは、また訳の分からないことを言い出す。人の気も知らないで、とイラっと来たが、自分で言いだしたことなのに、混乱しているジーナが可愛くて仕方ない。
「俺が諦めていないと思うのはどうしてなんだ?」
「だって、クリストファーにクレアの事を調べて貰っていたんでしょ?」
この間、カフェでクリストファーが中座した時か。俺がクレアの事を諦めていないからクリストファーに頼んだと勘違いしたんだな。それにしてもなぜジーナはそんな風に寂しそうな顔をしてるんだ。
これはジーナの勘違いだと言うべきか。でもそれならクレアの何を調べていたか言わなければいけなくなる。ジーナは信じるだろうか? ジーナはクレアに好感を持っているし、俺だって未だに信じられない話だからな。
それよりレニーと別れたなら、俺は俺の気持ちを打ち明けてもいいんじゃないか?
「ジーナ、クレアを調べて貰っていたのは、俺がクレアに未練があるからじゃない。そもそも俺はクレアを好きじゃないよ」
「えっ、でもクレアと話した時に赤くなったりしてたじゃない」
「よく見てるな。それは…初めの頃はいいなって思ってたよ。クレアは綺麗だし……」
「そうよね! クレアはとっても美人だわ、私なんかと違って!」
俺が言い終わらないうちにジーナはそう呟いて、ぷいっと横を向いた。
「なんで怒るんだ」
「怒ってないわ、なんとなく横を向きたくなっただけ!」
いや、明らかに怒ってるぞ。ミスったか、機嫌が悪くなる前に打ち明けるべきだったな。
顔はそっぽを向いたまま、古ぼけたベンチの上でぎゅっと握られているジーナの小さな手。俺はそれを自分の手でそっと包み込んだ。
「ジーナ、俺はクレアを綺麗だと思っても好きだと思ったことは無い。俺が好きなのはジーナだから」
俺の手の中でジーナの手が反応する。
「こっちを向いて、ジーナ」
ジーナはゆっくりと俺に向き合った。驚いている。驚いて、当惑している。
「うそ、私をからかってるんだわ。アロイスはそんな風に言うキャラじゃないでしょ」
「言うんだ……言うんだよ、好きだから。この気持ちを伝えたいから。戸惑うのは分かる、いきなりこんな事言われて信じられないのも。でもレニーと別れたのなら、俺は黙っていられない。クリストファーにも取られたくない」
俺の呪いは解けていない。正直この先どうなるかも分からない。それでも一緒にいたいと、気持ちを伝えずにはいられなかった。
ジーナはまだ俺の手を振りほどいていない。俺はその手をとってそっと口づけた。
「白状するよ、俺もクリストファーみたいにしつこいんだ。ジーナとレニーが付き合ってるのを知っても、諦められなかった」
「そっ、なっ……ええっ?」
「想像もしてなかっただろ? だから少しづつでいいんだ、友達としてじゃなく、そういう目で意識して欲しい。少しづつでも、好きになって欲しい」
「わたし……」
ジーナが今にも泣き出しそうな顔で何か言いかけた時、授業開始の予備の鐘が鳴り響いた。
「急がなくていいんだ、その内返事を聞かせてくれ」
ジーナは黙って頷いた。
俺たちは急いで教室のある建物に向かった。俺はジーナの手を握ったまま歩いた。ジーナも振り払おうとはしなかった。
不思議と気持ちは落ち着いていた。教室に戻るまでジーナはずっと黙っていた。俺ももう余計な事は言わなかった。ただ、一度だけ振り返ると、ジーナは少し赤い顔をしていた。
だが、羞恥は離宮に帰って来て夕食を取っている時に突然訪れた。
「うわぁぁ、俺はっ……」
向かいの席でヴィンセントの手からパンが落ちた。
「ど、どうされました?」
「恥ずかしい、俺はよくもあんな事を……」
テーブルに肘をつき、頭を抱える。顔は煮えたぎる溶岩のように熱い。
「はぁぁぁぁ」
とうとうヴィンセントは立ち上がった。
「ああ、何でもない。だ、大丈夫だ」
俺のスープ皿まで転がって来たパンを取って、ヴィンセントに差し出す。
「どう見ても大丈夫には見えません。話してください、聖女様の事ですか? フェダック様から新しい情報でも入りましたか?」
「いや、クレアの事じゃない」
ヴィンセントは座りなおして、ゆっくり言った。
「アロイス様、あなたは私の主です。ですが同時に大切な家族と思っています。どうか一人で悩まないで下さい」
クレアの不穏な動きに気を配らなければいけないこの大事な時に、恋にうつつを抜かして、とヴィンセントは呆れるだろうか? それとも面白がるだろうか?
「さっき…ジーナに気持ちを打ち明けた」
ヴィンセントの眉が片方ピクリと持ち上がった。
「ジーナ・クリコット令嬢ですか?」
「そう、だ」
「彼女はレニー・ランディスと付き合っているのでは?」
「別れたらしい」
「そうですか。それで返事は……まだの様ですね。まさかご自分の身分を明かしてはおられませんね?」
ヴィンセントは淡々と話す。あまりにも落ち着いていて、何を考えているのか分からない。なんだか理由の不明な不安が募って来る。
「何も話してない。俺を伯爵家の子息だと思ってるよ」
「もしクリコット令嬢と付き合う事になっても、身分はまだ明かさない方がいいでしょう。今は時期が良くないですから」
「あ、ああ。そうだな」
それ以降、ヴィンセントはこの話題に触れず夕食は終わった。翌朝も「明日はカメリアのブティックで仮縫いです」とか事務的な会話だけだった。俺はちょっと拍子抜けした。
今日もアカデミーの食堂は使えなかった。生徒たちは昨日と同じようにランチが配られたが、今日は生憎の雨模様で、お昼は教室でとっている生徒がほとんどだ。
ジェリコにはいつも数人の生徒が取り巻きの様に一緒にお昼を取っていたが、クレアと婚約した後は皆気を利かせて二人きりにしていた。
俺はいつもの様にクリストファーとジーナと席を囲む。昨日の今日でどんな顔をしたらいいか、少し気まずいが。
「アロイスの仮縫いは明日かい?」
クリストファーは何のお構いも無しに緊張した空気を破って来る。
「ああ。カメリアは職人の数が多いから仕上がりが早いらしいが、さすがに今回は注文が多くて大変みたいだな」
「今回はねぇ。ジーナは僕と一緒で今日だね。何時から?」
「十六時だわ」
「アカデミーが終わるのが十五時だから、時間まで一緒にお茶をしよう!」
「え、ええと。どうしようかしら……」
ジーナは煮え切らない様子で俺の方を見た。昨日、俺がクリストファーに取られたくないと言った事を気にしているのだろうか。レニーの嫉妬の事があったから気にするのも無理はない。
「この間のカフェに行くのか?」
「そうですねぇ…ジーナは行きたいカフェがありますか?」
クリストファーは女性の扱いに慣れているのだろう。気の回し方がとても上手い。
「私は前と同じカフェがいいわ。前回迷ったメニューがあったから、今度はそれを頼んでみたいの」
女の子は誰でもスイーツの事になるとこんなに目を輝かせるのだろうか? それとも俺の欲目で、ジーナが輝いて見えるのだろうか。
「俺もそれを食べてみたくなった。一緒に行くよ、クリストファー」
カメリアのブティック近くのこの小さなカフェは大盛況だった。ここら辺一帯は他にもブティックが立ち並んでいる界隈なのだ。ジェリコの婚約舞踏会へ招待されている貴族たちが衣装を新調しているせいで、この界隈を訪れる人が激増していた。
「一席空いていて良かったですね」
通りに面した窓際の席に案内されたが、俺たちの後から来た人は席が空くのを待っているようだ。
ジーナは早速メニュー表に釘付けになっている。
「あっ、限定メニューが追加されてる! この間来たときはなかったのに。ううん、どうしよう、これも気になるわ」
「元々、今日頼もうと思っていたのはどれだ?」
俺もメニューに目を落としながらジーナに尋ねた。なんとも独特な名前がずらりと並んでいる。
「この『夏の名残のメロンが踊るプレート』にしようと思っていたの。でも『あなたの瞳が揺れる氷菓と焼き菓子』っていうのが限定で出てるのよ!」
「この店はなかなかのボリュームですしね、両方はさすがのジーナでも厳しいかな?」
「そうなのよね……そういうクリストファーは決まったの?」
「僕はシンプルにスコーンセットですね」
なるほど、普通のネーミングのスイーツもあるんだな。ジーナはまだうんうん、と迷っている。




