42 決意とレニーの狂気
「私……私、カメリアのブティックは憧れでしたの!」
カメリアのブティック。王室御用達のこの高級服飾店はラスブルグでも指折りの老舗の一軒だ。ただし誰でも利用できるわけではない。いちげんさんお断り、事前予約はもちろんの事、カメリアの顧客からの紹介が無ければ店に足を踏み入れる事すら出来ない。
と、『ホリスタ』の中でも仰々しい文章で紹介されていたこのブティック。ジェリコルートだとウエディングドレスはここの一着になるのよね。
白い大理石に彫刻を施した柱と床、その大理石のアイボリーをテーマカラーにした内装は重厚で気品がある。象牙色にベージュピンクで刺繍された唐草と花模様のファブリック。金属製品には艶消しが施してあり、シャンデリアも上品な輝きを放っている。ここは王宮に負けないくらいの伝統と格式を感じられるお店だった。
そのカメリアのブティックでブリジットがこんなに興奮してはしゃいでいる様子は、教会で聖女のロザリオを見ていた時以来だ。
「さて、採寸も終わった事だし次はデザインを選ぼうか!」
採寸は女性と男性別室ですでに終えている。ブティックの広い個室に戻って来た私たちは、クリストファーの掛け声とともにテーブルの上に山積みにされたデザイン帳の前に座を構えた。
すぐにお茶のトレーを持った給仕がやってきた。見本の生地を乗せたワゴンが何台か、アクセサリーや靴の見本なども次から次へと運ばれてくる。
そう、今私はブリジットとアロイス、クリストファーと四人で舞踏会の為の衣装選びに、この高級ブティックを訪れている。
クリストファーは半ば強引に私を誘った手前、舞踏会に参加するための費用は全て自分が持つと宣言した。
「はぁ~どれも素敵で迷いますわ……どうしたらいいのかしら」
デザイン帳に夢中なブリジットを、驚きと呆れの半々で見つめながらアロイスは生地の見本を見に、ぶらりと歩き出した。私もすかさずアロイスを追いかけて小声で囁いた。
「ねぇねぇ、こんな高級なブティックに来ちゃって大丈夫なの?」
スターク家は伯爵家だけれど、アロイスは次男だから自由に出来るお金にも限度があるはずだわ。
「ま、まぁジェリコの婚約舞踏会だからな。そこは特別に……」
「お許しが出たの?」
「そんなところ。それよりジーナは大丈夫なのか? クリストファーと舞踏会になんか行ってレニーのやき……」
レニーのやきもち。アロイスは最後の一言を皆まで言わず飲み込んだ。
「ジェリコ命令で仕方なかったって正直に言うわ。それで納得してくれるかどうかは分からないけど」
それに私はレニーとはお別れすべきなんだ。アロイスへの気持ちを自覚してしまったからには、そうしなくては。恋愛感情を持っていないのにつき合い続けるのは、レニーを欺くことでもある。好きの種類を間違えていたけれど、大切な推し様に変わりはない。今のレニーはゲームの中の私が好きだった『推し様』とは随分かけ離れてしまったけど、もしかしたらそれは私に原因があるのかもしれないんだし。
決心した私はここに来る前にレニーに会いに行っていたのだった。
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レニーはまだ謹慎が解けておらず、自室から出る事は許さていなかった。でもレニーのお母様が特別に私を邸に通してくれた。
「あなたの事はブリジットからも聞いています。あの時はブリジットを助けれくださって本当にありがとう。こんな場面でお礼を申し上げるのは遅すぎですけれどね」
レニーのお母様はとても優しそうな方だ。話し方もおっとりしていて、温厚な印象を受ける。レニーはきっとお母様似なんじゃないかしら。
「本当ならすぐにクリコット家にお礼に伺うべきでしたのに、実は夫が反対していて……」
レニーの支度が整うまで、私のお茶につき合ってくれたお母様は話し始めた。
それによると、ランディス子爵はレニーと同じように王家に忠誠心の厚い方で、ジェリコに婚約破棄された私をよく思っていなかったそうなのだ。アカデミーや巷で囁かれる私に対する悪いイメージをそのまま受け入れてしまっていたらしい。
でもお母様━━ランディス夫人はブリジットの話を聞いたり、アカデミーでの新しい私の評判を知って考えを改めたそうだ。
「レニーとの交際も夫は大反対でしたの。今回の事もジーナさんが元凶だと内心では思っているみたいで。でも私はそんな風に考えていないわ。実際にあなたに会って確信したもの。でもレニーは……あの子は最近おかしいのよ」
「あの、私、実は今日はレニーにお別れを言いに来たんです。お母様にこんな事をお話しするのは筋違いと思うんですけど」
「あら、そうだったの」
ランディス夫人は意表を突かれて少し戸惑った。でもすぐ頷いて言った。
「いいわ、恋愛は当事者同士でなければ分からないことが沢山ありますもの。違うと感じているのにずるずると引きずる方が良くないわ。正直に話してくれてありがとう、ジーナさん」
なんていい方なんだろう! 私は今日ここへ来るのに、すごく勇気がいった。門前払いを食らったらどうしよう、『お前のせいでレニーが休学に追い込まれた』と罵られたらどうしよう、と不安で仕方なかった。まだこれからレニーに会って別れを切り出さなくてはいけない。でもその前にランディス夫人と会話が出来て良かった。私は間違っていないと、少しだけ元気づけられた気がする。
メイドが私を迎えに来て、レニーの部屋に案内してくれた。部屋は広いのにカーテンが一ヶ所しか開けられておらず、室内全体が薄暗かった。
レニーは私が入るとすぐ駆け寄って、笑顔で私を抱きしめた。
「ジーナ! 会いたかったよジーナ、いい子にしていたかい? まだベーカリーに行っているの?」
急いで身なりを整えたらしく、服は清潔で綺麗な物を着ていたが、無精ひげは残ったままだった。目の下にはうっすらとクマがあり顔色も悪い。お世辞にも元気な様子とは言い難かった。
私はそっとレニーの腕から逃れて一歩下がった。
「レニー……大丈夫? 食事はきちんと摂ってる? 疲れた顔をしているわ」
「そりゃあジーナに会えないんだから、無理もないさ。ジーナだって寂しかっただろう?」
レニーはまた私の頬に触れようと手を伸ばす。だめだわ、すぐ言わなくちゃ。レニーを傷つけたくない、でも言わなければもっと傷つけてしまう事になる。
私がその手を避けると、レニーの表情が一変した。
「ジーナ……どうしたの?」
「レニー、私あなたに言わなきゃいけない事があって来たの」
「改まって何?」
レニーの声は低く、私に向ける視線は鋭い。もうレニーは私が何を言おうとしているのか分かっているんだわ。だから早く言わなければいけないのに、喉まで出かかっている言葉が声にならない。
「俺と別れるつもりなんだな。そんな事は許さないぞ!」
レニーの声に怒気が含まれる。怖い、ベーカリーでクリストファーに向けたような憎悪が、今私に向けられているのを肌で感じる。私は更に後ずさりしたが、レニーも一歩一歩、私に迫って来る。
「どうしてだジーナ、俺たちは上手くやってたじゃないか。いい子だから考え直すんだ」
「わ、わたし、レニーに対する愛情を、か、勘違いしていたの。ごめんなさい、本当にごめんなさい」
「勘違い? 俺を好きなのは勘違いだったって? ははっ、じゃあこれから本当に好きになればいいじゃないか、そうだろう?」
「そ、それは……」
「他に好きな奴が出来たんだな? くそぅ、あいつだな、あの大公家のへらへらした女ったらしめ!」
「違うわ、違うのレニー。ごめんなさい、私が子供だったの。恋がどんなものか知らなかったの」
ドンっと背中が壁にぶつかった。レニーは一気に距離を詰めて私の手首を掴んだ。
「痛っ、痛いわレニー。離して」
「離さないぞ! 絶対に逃がすものか!」
怖くて、手首が折れそうなほど痛くて、涙が浮かんできた。助けて、誰か、アロイス、アロイス。
その時、軽くノックがしてドアが開いた。私はドアのすぐ隣の壁を背にしていたのだ。メイドがお茶の乗ったワゴンを押していた。私はレニーの力が緩んだ隙に、ワゴンの横をすり抜けて廊下を一目散に走り出した。
想像以上だった。レニーの怒りは私が思っていた以上に凄まじかった。後ろでワゴンがひっくり返る音がして、メイドが小さな悲鳴を上げた。
「待てっ、ジーナっ」




