40 気づき
一人残され静かになると、後方の席の女の子達のおしゃべりが耳に入って来た。
「この間ね、憧れのバローネ様のコンサートに行ってきたの!」
「ああ! 王都に来てたのね。いいわねぇ、私も行きたかったわ」
「それでね、いい事があったのよ。あっ、ここだけの話にしておいてね。私、コンサートホールから出る時にバローネ様のマネージャーっていう人に声を掛けられたの!」
「えええっ」
二人の声はエキサイトしてどんどん大きくなってきた。
「アフターパーティーに私を呼んでくださったのよ!」
「そ、そ、それって、あなたを見初めたってこと?!」
「ふふふ、そうなの。パーティーで直接ご挨拶することができたのよ!」
「それで、それで?」
「パーティーが終わったらおいで、ってね宿泊しているホテルの部屋へ招待されて……」
「きゃ~~~~っ」
「でも私、行かなかったわ」
「えーーーっ、どうしてよ?」
「う~ん、何と言ったらいいのかしら。確かに私はバローネ様に憧れてるし、大好きだわ。でも恋愛とは違うのよね。応援したい、活躍をもっと見たいとは思うけれど、彼が自分だけの恋人になって欲しいとかは思わないの」
私は彼女たちの会話を聞いて、自分の胸につかえていた物がストンと落ちた音が聞こえた。
そうだった。『ホリスタ』でレニーは私の一番の推し様だった。
せっかく本物がいるんだから、なんて理由で突っ走ってしまったけれど、私のレニーへの気持ちは転生前と変わっていなかったんだ。レニーは私の推しで憧れだけど、それは恋愛感情とは別の物。
思い返せば、キスされそうになった時も、私は思わず避けてしまっていた。あれもやっぱりこういう事だったんだ。クレアに憧れるレニーを見て切ない気持ちになったりもしたけれど、あんなのは恋愛経験のない私の錯覚だったのかもしれない。恋をしているって、自分に酔っていただけ。切ない気持ちっていうのは本当はもっとずっと……。
「ジーナ、ごめん」
アロイスが戻って来た。
「クリストファーは用事が出来て先に帰ったよ」
「そうなのね。話はちゃんと出来た?」
「ああ、クレアの事を少し調べて貰っていたんだ」
ズキン、と胸をえぐられる様な痛みが走る。真剣なアロイスの表情。アロイスはまだクレアを諦めきれていないんだ。そうだよね、クレアはあんなに綺麗で、性格も良くって、おまけに聖女で素晴らしい神聖力を持っていて……。
自分ではどうしようもなかった。どんどん涙が溢れてきて止まらない。アロイスのクレアへの深い想いを知って、心臓が引き裂かれるように痛む。これこそが切ない気持ちなんだ。
私はアロイスが好きなんだ! バカみたいだわ、今になって気づくなんて。
「わっ、ジーナ! ど、どうした、レニーに会いたくなったのか? どうする、今からでも一緒にランディス家を訪ねてみるか」
アロイスは優しいね、アロイスだってクレアがジェリコと婚約して辛いだろうに、私を気遣ってくれるなんて。泣いちゃだめだ、アロイスに余計な心配を掛けちゃだめだ。
「ち、違うの。大丈夫、大丈夫。ちょっと感情的になっちゃっただけ」
「大丈夫って、全然涙が止まってないぞ……」
それに一緒にレニーの所へなんて行ったら、またレニーがおかしな誤解をして、今度はアロイスに何かするかもしれない。それだけは絶対にだめ。
アロイスは私の横に来て背中をさすってくれた。私はアロイスの肩を借り、もう一度大きく息を吸い込んで、目をつぶった。落ち着いて、大丈夫。自分の気持ちに気づくことが出来たんだ、これはいい事のはず。
ようやく涙が止まって、私とアロイスはカフェを出た。アロイスは随分わたしを心配してくれて、屋敷まで送ると言ってくれたけれど私は断った。自分の本当の気持ちに気づいた今、いつもと同じようにアロイスに接する自信がなかったからだ。
それでもアカデミーに行けばアロイスに会うのを避けられない。
今日も教室でアロイスがじっとクレアを見つめているのに気付いてしまった。目は前髪で隠れているが、クレアの方向を向いているから何を見ているのか予想出来てしまう。
「そんな顔をして何を見てるんです?」
クリストファーが私の顔を覗きこんできた。
「ランディス君の事を考えていたんですか?」
レニーが停学になってアカデミーに来なくなったのと入れ替わりにブルックスが出てくるようになった。骨折した左腕の白い包帯が痛々しい。
そしてどこから出たのか、ブルックスを骨折させたのはレニーで、そのせいで停学処分になったという噂が流れた。
ブルックスには私からも謝罪した。でも彼も私のせいではないと、きっぱり言ってくれた。生徒の中には噂の真偽を確かめようとブルックスに近付く者もいたが、ブルックスは沈黙を守り通した。
「ブルックス君は見た目の地味さとは裏腹に、実に好ましい誠実な人だね」
「地味と言うのは余計ではない?」
「まぁそれは……僕と比較した時、という意味かな」
クリストファーはおどけて見せたが、私はそれに乗る気力がなかった。そこへクレアを伴ってジェリコが現れた。
「クリストファー、今度わたしとクレアの婚約記念舞踏会を開くことになってね。君にも是非、出席してほしいんだが」
「それは素敵ですね! お二人のお祝いの場、もちろん喜んでお伺い致します」
クリストファーは胸に手を当てて大袈裟に喜んで見せた。クレアはその様子を見て、忍び笑いを漏らしていた。
「ああ、でもせっかくの舞踏会なのに僕にはパートナーがいない……そうだ! クリコット令嬢、どうか僕と一緒に舞踏会へ行っていただけませんか?」
まるで舞台の大根役者の様に私に手を差し出すクリストファー。
「は?」
「クリコット令嬢は殿下の元婚約者ではありますが、構いませんね? もう過去の事ですから」
私に文句を言う隙を与えず、クリストファーは続けた。でも助け舟を出すように、今度はクレアが口を挟む。
「あら、でもジーナにはレニーが……」
「いやあ、ご承知の通りランディス君は休学中です。なんでも噂によると感染力の強い伝染性の病気だとか。お二人に感染しては大ごとになりますからねぇ」
この大噓つきったら! よくそんな平気な顔をしてペラペラとでまかせを!
「そ、それは良くない。ジーナ、クリストファーのたっての希望だ、お前は彼のパートナーとして出席するように」
ああ、小心者のジェリコがまんまとクリストファーの嘘に乗せられてしまったわ。
「まぁ、今回の舞踏会はかつてない大規模な催しになる。わたしもこのクラスの生徒全員を招待するつもりだったから、元々お前も含まれていた訳だがな」
ジェリコは偉そうに腕組みしながら、みんなに聞こえるように声を張った。教室はにわかに騒がしくなる。貴族と言っても、全員が王宮に出入り出来る訳じゃない。年に数回催される舞踏会や記念式典などに招待される貴族は限られている。女子生徒は早速、どんなドレスを着て行くかの議論に入っていた。
クラス全員と言うことはアロイスも含まれる。でもアロイスは欠席するだろう。
ところが私の予想に反してアロイスは出席するとクリストファーが教えてくれた。




