19 アロイスの秘密と追跡
そんなある日、腹違いの弟のジェリコが王宮と離宮を隔てる林を抜けて、離宮に迷い込んできてしまった。
俺はキツネになってからは時々、離宮を出て外の世界を楽しんでいた。キツネなら誰かに見られても俺だと気づかれる心配はない。日々のほとんどの時間を一人で過ごしていた俺は人恋しさに、思わずジェリコの前に歩み出てしまった。
呪いにかかる前はよくジェリコとも遊んだ。ジェリコの母は俺とジェリコが仲良くするのをよく思っていない様だったが、子供同士はお構いなしだった。俺と弟はとても仲が良かったと思う。最後に会った時、ジェリコはまだ6歳だったはず。懐かしい俺の弟!
ジェリコは目の前に現れたキツネに興味津々で近づいてきた。ジェリコが俺を触ろうと手を出した時、ジェリコを探しに来た侍女が青い顔をして現れた。
「ジェリコ様、こんな所に! ここは危険でございます。どうかこちらへ!」
悲鳴に近い叫びをあげたその侍女は、伝染病を恐れて建物に近づくのを躊躇している。ジェリコを必死になって呼んでいるが、耳を触ったり尻尾をつまんでみたり、キツネの俺に夢中の弟にはまるで耳に入っていない。林の方からはジェリコを探す他の声が聞こえて来た。
と、侍女を押しのけて父上がジェリコに急ぎ足で近づいてきた。父上はジェリコを抱え上げ俺から素早く引き離した。
「従者は何をやっていたのだ! あれほど目を離すなと言っておいただろう!」
父上は物凄い剣幕で後ろからやって来た従者達を叱りつけた。俺にも一人、身の回りの世話をする従者がいたが、離宮の裏手から出てきて騒動のさ中、こっそりと俺を連れて奥へ引っ込んだ。
外ではまだ父上の声が響いている。
「大切な息子の身に何かあったらどうするつもりだ! 二度とここへは近づけるな。それはお前たちも同じだ、ここへ来てはならん。これは王命である!」
父上の断固とした厳しい言い渡しに、俺は捨てられたのだとこの時確信した。俺がこんな風になってしまった今、王太子になるのはジェリコだ。そのジェリコの身を案じて、父上はあんなに激高しているのだ。
俺の世話をする従者は、食事を運んで来る時以外は王宮のメイドにちょっかいを掛けたりして怠けていたらしい。この騒動の後も俺を部屋に押し込み、鍵をかけて離宮から出て行ってしまった。
一人、離宮の中に取り残された俺は、声を上げて泣いた。
俺の犯した大罪は何だったのだろう? いたずらをして従者にケガを負わせた事か? それとも母上が亡くなった時に神に恨み言を吐いたのがいけなかったのか? なぜ俺は神に呪われたんだ? なぜ、なぜ、なぜ?
この日、涙が枯れるまで泣いた後、俺は一切泣くのをやめた。
それから1週間ほどすると従者が変わり、今度はヴィンセントという男が俺の世話をする事になった。ヴィンセントは前の従者と違ってずっと俺のそばから離れなかった。きっと一時も俺から目を離すなと命令されているのだろう。
あれは夏の暑い日だった。ヴィンセントが従者になってちょうど1年が過ぎた頃だった。コリウス教の祭服を纏った、かなり高齢の司祭をヴィンセントが連れて来た。
「アロイス様、この方はコリウス教の司祭様で、神聖力をお持ちの聖人でもあらせられます」
その司祭は痩せてよぼよぼで、風が吹けば飛んで行ってしまいそうな程弱々しく見えた。だがその声は驚くほど力強かった。
「お初にお目にかかります、ラピスと申します。諸国を旅してコリウス教の布教をしております。この度こちらの国境付近で足を痛めて難儀しておりました所を、お国の近衛兵に助けられました。縁がございまして、陛下へのお目通りが叶い、これからこちらの離宮にて療養させていただく事になりました」
キツネの俺に向かって何の嫌悪の感情も見せず、司祭は挨拶した。俺の存在は人に見られてはいけないのに、ましてや相手はコリウス教の司祭だ。大丈夫なのかとヴィンセントに尋ねたが、彼は「ラピス司祭様は信頼できるお方です、ご安心下さい」と太鼓判を押した。
ラピス司祭は翌日から朝食の前に必ず俺に祝福を授けた。療養させてもらう事へのほんのお礼だと言って。そして諸国を旅して出会った人々、美しい街並み、素晴らしい文化や不思議な出来事など色んな話を聞かせてくれた。俺がラピス司祭に親しみを覚えるのに時間はかからなかった。
司祭を入れて三人の穏やかな日々はしばらく続いたが、劇的な変化が訪れたのはラピス司祭が離宮に来て半年ほど経った日の事だった。
朝、目覚めてすぐに目に入って来たのは、ベッドからはみ出した自分の足だった。ほぼ同時に部屋に入って来たヴィンセントは一瞬目を見開いた後、破顔してこう言った。
「おはようございます。アロイス様は十二歳にしては体が大きいようですね。新しいベッドを運ばせましょう」
元の人間の姿には戻らなかったが、俺はキツネからまた獣人の姿に戻っていた。そこからさらに二か月ほど経った日、俺はとうとう人間の姿を取り戻した。
だがそれは完全ではなかった。なぜかチキンを食べるとキツネに変化してしまうのだ。
ラピス司祭はそれから一週間ほどして、また旅立たれた。司祭は旅立つ前に俺に助言した。
「私の神聖力ではあなたに掛けられた呪いを取り去ることが出来ませんでした。ですが、聖女の中には私よりも優れた神聖力を持つ者がいます。そんな女性が現れたら、是非ともあなた様の伴侶にお迎え下さい。お互いに慈しみ合う日々を過ごせば、いつの日か呪いが浄化される事でしょう」
最後に司祭は俺に希望を捨ててはいけない、と強く諭した。
とりあえずチキンさえ食べなければ人間のままでいられる。俺はヴィンセントから剣術や柔術を学び、勉強は独学で頑張った。元の生活に戻れる可能性もあったが、チキンを摂取してからキツネに変化するのは思ったより速い。危険を冒すわけにはいかなかった。きっと父上も俺が王宮に戻る事は望んでいないだろう。人間に戻った俺をヴィンセントは今まで以上に家族の様に接してくれた。王宮に戻るよりも彼と共にする離宮での生活の方が、俺には楽しく感じられた。
俺がここを出る決意をしたのは、聖女クレアがアカデミーに留学して来たとヴィンセントに聞いたからだ。クレアの神聖力は歴代の聖女、聖人を遥かに凌ぐという。彼女なら俺の呪いを浄化出来るかもしれない。
だが呪い子の俺とコリウス教の聖女との婚姻はかなりハードルが高い。王家の権力をもってすれば、聖女を娶ることも可能だろう。だが強制的な婚姻ではラピス司祭の言っていた様な、慈しみ合う結婚生活は実現しないかもしれない。
手段はひとつしかない。クレアが俺と一緒になりたいと望むようにするんだ。クレアに俺を好きになってもらうしかない。
こうして俺はアカデミーに編入する事になった。
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「今日はクレアをデートに誘うのよ!」
朝からジーナは息巻いていた。
「いきなりどうした?」
「なんだかアロイスの方の進展が遅い気がして。アカデミー絡みだと必ず誰かが一緒でしょ? だから二人きりになれるように外でデートするのがいいんじゃないかと思うの」
今日の授業は午前までで明日はバザーの振り替え休日だ。今日の放課後に誘ってみてだめなら、明日はどうかと提案すればさすがに両方断られたりしないだろうとジーナは考えたらしい。
「デートなんて言ったら構えてしまうから、町を案内するっていう口実がいいと思うわ。王宮が一般開放している庭園に行って、その後近くにある有名なカフェでスイーツを堪能するの。クレアも甘いデザートは好きだから喜んでくれると思うわ」
クレアが甘いデザートを好むという事をちゃんとリサーチしてきた。それだけじゃない、中でもブドウを使ったスイーツが一番好きなのだと、ジーナは胸を張った。
「あら、それくらい簡単に調べられるって言いたそうね」
「い、いや、助かるよ。ほんと」
「それからね色も紫が好きなんですって。ブドウ色よ、ブドウ色!」
「分かった、分かった」
「ほんとに分かってるぅ? もしデートが明日になったらちゃんと紫色の花の花束を持参するのよ? 女の子はみんなお花が大好きなんだから!」
クレアはずっと花束を持ったままデートするのか、と聞きたかったがそれはこっそり胸にしまった。
「あああっ、ぺらぺらしゃべっている間にクレアがいなくなっちゃったわ。大変! 早く探さなきゃ」
俺たちは慌ててアカデミーを飛び出した。周辺を探したがクレアの姿は見えない。
「もういいよ、今回は諦めよう」
「諦めるのが早すぎよアロイス。あっ、ほら、あの後ろ姿はクレアじゃない?」
しばらく探し回って、市場も過ぎたあたりで似ている後ろ姿を発見した。
確かにクレアの後ろ姿に似ているが、断定していいか迷うほどの距離がある。しかもその人物はどんどん先へ進んで行った。
「いけない、また見失っちゃうわ」
ジーナはその人物を追いかけ始めた。こちらも結構な速度で歩いているが追いつかない。クレアらしき人物は明らかにどこか目的地を目指しているようだが、クレアが滞在している教会とは方向が違う。
クレアの滞在先である国教会の宿泊棟は、先日の火事で修復中なので別の大きな教会にクレアは寝泊りしている。クレアは国賓に値する聖女だが、王宮や高級なホテルに滞在するのを断ったのだ。
この国の教会や国王も、そういったクレアの態度を称賛している。あくまでも教会に属する聖女として、過分な贅沢をしないのは俺も好感が持てた。
今俺たちが追いかけている人物がやっと立ち止まり、横を向いた。確かにあれはクレアだ。だが周囲を警戒するように見回している。
「待って~クレ・・・」
「ちょっと待て」
クレアを呼び止めようとしたジーナを俺は制した。




