15 ジェリコの化けの皮
アロイスに救出されてようやく教会の外に出られたけど、まだ消火活動は続いていた。あのまま中にいたら誰にも気づかれずに、私とクレアは煙を吸って死んでいたかもしれない…。
外に出て口を覆っていた布を外すと、やっと呼吸が楽になった。クレアも咳き込んではいるがケガはないみたい。アロイスが介抱しているから大丈夫だろう。
「クリコットさん、大丈夫ですか? どこか火傷などは負ってないですか?」
丸眼鏡の奥から私の事を心配そうに覗き込むその人は、アカデミーの先生、騎士科の教師ね。
「はい、大丈夫だと思います。助けてくれてありがとうございます、ええと…」
「ハーリンです。騎士科の担当であまり令嬢との交流がないので、ご存じないかもしれませんね」
そう言って優しく微笑むハーリン先生に私も笑みを返したが、実は先生の事は知ってました~。だってハーリン先生も攻略対象の一人なんだもの!
深い森の様な濃い緑色の長髪を後ろで束ね、メガネの奥のグレーの瞳が知的に輝く、このイケメンの騎士科の先生の攻略難易度はなんとS級! パッと見た感じは学者のような風貌ながら、剣の腕前は近衛騎士団長と並ぶといわれる程の剣豪だという。
普段は柔らかい物腰だが心の内を人に見せず、ミステリアス。しかも聖女とは教師と生徒という立場からも難易度が高いのだ。
「ほら、水を持ってきたぞ」
その声に顔を上げるとアロイスがコップを私に差し出している。
「ありがとう、でも私はいいからクレアについててあげなさいよ」
「あんまり大勢でもかえって煩わしいだろ」
苦笑するアロイスの視線を追うと、クレアが座っている周辺には人が大勢集まっていた。心配する生徒や先生方、医者の姿も見られる。そうよね、隣国から来ている留学生、それも聖女様なんだから何かあったら大変だわ。ジェリコもクレアの隣に座ってクレアを心配している。
ようやく鎮火したのか、消火にあたっていた人達が教会前の広場に戻ってきた。みな煤けていたり、服もずぶ濡れで疲れ果てた様子だ。ようやくこの騒動も終わったのだと思っていると、遠巻きの一人がクレアに張り付いているジェリコを見ながらこう言った。
「ジェリコ様って…何もしてなかったわよね」
「仕方ないんじゃないのか。王子様だからさぁケガしちゃまずいだろ」
「でもバケツリレーくらいは手伝ってくれたっていいと思うけど」
「スターク君が中に入ってクレア様を助けたでしょ? その時、ジェリコ様は手伝いを乞われたのに断ってたわよ」
「う~ん・・・」
どうやらジェリコの化けの皮がはがれかけてるみたい。その周囲の囁きがジェリコにも届いたらしく、何か言おうとジェリコが立ち上がった時、またしても教会の方から騒がしい声が聞こえてきた。
鎮火した教会から何人かの司祭と一緒に出てきたのはマホーニー司教だった。この大きな教会を仕切る、有能かつ人格者と名高い人物だ。ゲームでもちらりと出てきて、対象者の火傷を癒すクレアを「まさに女神が遣わされた聖女だ」と褒め称えていた。
それが今は困惑した面持ちで司祭たちの話に耳を傾けている。それはそうよね、貴族が通うアカデミー主催のバザー中に火事が起きてしまったんだから。
教会から出て来た所でジェリコと鉢合わせたマホーニー司教はジェリコに安否を尋ねている。
「私は平気だ。それより何かあったのか?」
「それが…ロザリオが、シュタイアータ皇国から寄贈されたロザリオが消えてしまったのです」
貴重なロザリオの紛失に周囲はざわめいた。するとそれを敏感に察知したジェリコがいかにも思案気な顔つきで話し出した。
「あれは確か木製だったと聞いたが」
「はい、ですが飾られていたのは礼拝堂の祭壇で、幸い礼拝堂は火事の被害を被っておりません。焼けてしまったとは考えにくいのです」
「そうか…火事の騒動に紛れて盗まれたのかもしれぬな。礼拝堂へ出入りした者は分かっているのか?」
「火が出てすぐ避難の指示をいたしましたので誰も入った者はいない筈ですが」
司教が言葉を切ると、ジェリコが鬼の首を取ったように言い放った。
「お前っ、お前が教会の中に入って行ったのを私は知っているぞ!」
ジェリコはアロイスを指さした。みんなの視線が一斉にアロイスに注がれる。だがアロイスは冷静に言い返した。
「俺はキッチンに取り残された人を助けに入っただけだ」
「助けに入った時にロザリオが目に付いて思わず盗んだのであろう?!」
「確かに礼拝堂を通ったが、急いでいたし、そこにロザリオがあった事すら気づかなかったよ」
「口では何とでも言える」
火事の消火活動をただ見ていた事への非難を払拭するように、ジェリコは執拗にアロイスに詰め寄った。アロイスはクレアを救ったヒーローだったはずなのに、と困惑する声が流れる。ジェリコったらなんてことを言うのよ! アロイスが助けに来てくれなかったら、私もクレアも今頃どうなっていた事か。
「スターク君の無実は私が証言できます」
そう言って前に進み出たのはハーリン先生だ。
「私はスターク君を追ってすぐ教会に入りました。クレア様とクリコットさんを救出して、礼拝堂を通った時にはまだロザリオは祭壇に飾られていました。そしてその後、彼はずっと私と一緒に居ましたよ」
ハーリン先生グッジョブ! 先生の揺るぎない証言でジェリコはそれ以上アロイスを追求できなくなった。それでもまだこの話題にしがみつきたいらしく、また口を開いた。
「ロザリオを警備していた者がいたな。何か不審な点はなかったのか?」
私も礼拝堂に行った時に見たが、この警備についていたのはとても若い聖騎士だった。多分、騎士に成り立てだろう。可哀そうに、司祭達の後ろから出て来た騎士は紙の様に白い顔をして言った。
「わ、私が礼拝堂を出るときには、確かに祭壇にロザリオはありました・・・」
そこへ間髪入れずマホーニー司教が付け加えた。
「何をおいてもまず人命を優先して避難をするように私が指示しました。彼はそれを順守したのです」
マホーニー司教が人格者だというのは本当みたい。この騎士が避難する時にロザリオを保管して逃げていれば、という誹謗から彼を守っているのね。
「以前はどうだ、怪しい人物がロザリオを物色していたとかは無かったのか?」
「あっ、そういえば! 毎日ロザリオを眺めに来る令嬢がおりました!」
「なに、毎日だと?! それは怪しいな。それが誰か分かる者はいないか?」
ちょっと待ってよ、まさかそれって…。周囲の生徒たちは顔を見合わせていたが、やがて一人の女子生徒がおずおずと言った。
「あの…それ、多分ブリジットの事だと思います」
「ではその令嬢をここへ連れてまいれ」
ブリジットの名前を出した生徒はキョロキョロと確認したがブリジットの姿はない。火事の前までは物販のテントに居たと誰かが言っている。そこへレニーがジェリコの前に出て来た。
「ブリジットは俺の妹です。確かにブリジットはロザリオに感銘を受けていましたが、盗んだりするような子ではありません」
「レニー、妹を庇う気持ちは分かるが、それならばどうしてお前の妹はいなくなったのだ? 火事の前までは姿を見られているのに」
「きっと何か事情が・・・」
そこでレニーは言葉に詰まってしまった。王家に忠誠心の厚いレニーがジェリコに物言いするだけでも勇気がいっただろうに、気の毒なレニー。でも私がレニーの事を好きだからじゃなく、ブリジットの無実は私も信じるわ!
「ジェリコ様、私もブリジットが盗ったとは思えません。ロザリオは多くの人の目に触れて、万人の心の拠り所となるべき物だと彼女は言ってました。そんな考えの人が私欲でロザリオを盗むとは考えられません」
「ジーナ、魔が差すという言葉を知っているか? とにかく捜索だ! 教会の聖騎士は手分けしてブリジットを探せ。もしかしたら屋敷に帰宅しているかもしれない。そちらにも人を行かせよ」
ジェリコはやけに張り切ってロザリオ探しの指揮を取り出した。煤で薄汚れた周りの人達と違って、一人だけ小奇麗な出で立ちのジェリコはクレアに「ロザリオは私が見つけて見せる、安心してくれ」などど声を掛けている。
私は呆れてその場を離れた。まずは助けてくれたアロイスにお礼を言いたかったから。アロイスは人混みを避け、ハーリン先生に火傷の手当てを受けていた。
「アロイス、助けに来てくれてありがとう。やっぱり火傷しちゃってたのね。そうだ! クレアに癒しを…」
「いや、大丈夫だ。クレアだって煙を吸って大変だったんだ、俺はいいよ。しかしジェリコはいつからあんなクズに成り下がってたんだ…」
「クズって、そんなはっきり本当の事言っちゃう?」
私たちの毒舌をハーリン先生は苦笑いしながらたしなめた。
「お二人とも口を謹んで下さい、不敬罪に問われますよ。しかしロザリオの紛失は困った事になりましたね。シュタイアータに知られない内に取り戻さないといけません」
「絶対にブリジットじゃないわ! きっと外部の者の仕業よ!」
するとアロイスはハッと何かを思い出して顔を上げた。
「そうだ、教会に入ろうとしている時に誰かとすれ違ったな。考えてみたらあんな場所でウロウロしているのはおかしい…」
「もしかすると火を付けたのもその者で、教会から人がいなくなるのを見計らっていたのかもしれませんね」
「さすが先生! 頭の回転が速いわ! じゃあそいつを見つければロザリオを取り返して、ブリジットの濡れ衣を晴らせるかも!」
「ですがそう簡単ではないでしょう。もうとっくに逃げてしまっているでしょうから。スターク君はその者の顔を覚えていますか?」
「いや。一瞬の事だったし、あの時はそれどころじゃなかったから」
顔を覚えていたとしても、どこをどう探せばいいかも分からないわね。困ったわ。レニーは妹の事で心を痛めているだろうし、早く何とかしてあげたい。前世の世界なら警察犬を使って探索とかもできるんだけど。警察犬で・・・そうだわ! もしかしたらこの手が使えるかも!




