14 奔走するアロイス
バザー週間の後半、私は炊き出し係になっているためレニーとは離れ離れになった。大きなキッチンで野菜たっぷりのスープを作る。この料理の最中にボヤ騒ぎが起きるはずなので、炊き出し係にはアロイスも参加させていた。なのにまだアロイスはキッチンに現れない。ボヤが起きる時に居て貰わないといけないのに。
教会の下働きの人が下処理してくれた野菜を、適当な大きさに切って大きな鍋に投入していく。素早く調理している私を見てクレアが感心した。
「ジーナさんはとても手際がいいのね。貴族令嬢なのに驚いたわ」
「あ~これは…私ね、家では料理をするの。コックとかがいないから仕方ないのよね」
クレアには家の事情を話してもいいと思った。クレアは貴族出身ではないらしいから、料理したり働いたりする私の事を奇異に思ったりしないだろう。
「そうなのね…ジーナさんの事を良く言わない人もいるけれど、私はそう思わない。あなたはとても頑張り屋さんだもの。今日もこうやって一緒に炊き出しが出来て楽しいわ」
「ありがとう、私も楽しいわ! それと私たち、結構仲良くなったと思うの。だから呼び捨てでいいわ、ジーナって呼んでほしいの」
「ふふ、そうね。では私も聖女だからって『様』はいらないわ」
クレアって本当にいい人。気さくだし、優しいし、同世代とは思えないほど大人だし。さすが主人公って感じ。それにしてもなんだか焦げ臭いわね…いやきな臭いっていうのかしら? あっ! そうかイベントのボヤが発生したのね。アロイスったら結局間に合わなかったわ。せっかく私がお膳立てしてあげようと思ったのに。間近になって火傷するのが怖くなったのかしら。
ちょっと待って。今、クレアと私ふたりしかいないんだから火傷するのは私じゃないの? それはさすがに遠慮させてもらうわ。早くキッチンから出た方がいいわね。
「クレア、一旦ここを出ましょう? 変な匂いがするわ」
クレアも料理の手を止めて戸口に向かう。だがドアを開けようとしたが何かがつっかえて開かない。
「ジーナ、煙が!」
クレアの声で振り返ると四方の壁の隙間から白い煙がもうもうとキッチンに入り込んで来ている。そんな・・・ゲームでは小さなボヤだった筈なのに。
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ジーナの奴、ちゃんとレニーの妹と話せたのか? ブリジットと言ったか、彼女が兄とジーナの事を心配するのは分からなくもない。以前のジーナの評判は良くなかった。高慢で、第二王子の婚約者という自分の立場を鼻にかけてやりたい放題だったと聞く。でもそんな事は今の彼女から想像も出来ない。まるで中身が入れ替わったように。
俺とクレアの距離が縮まるように頭を悩ませ、レニーの気を引くために奔走し…噂によると家計のためにパン屋で仕事をしているという。今では、色んな事に一生懸命なジーナを見ていると、ついからかいたくなる気持ちと応援したい気持ちがせめぎ合うようになっていた。
「アロイス~その箱を向こうに運んでくれないか?」
今日はジーナの計画で炊き出し係になっている。教会のキッチンに向かわなければいけないのに、クラスメイトに捕まってしまった。この箱の中身は無料配布用の毛布だな。配布場所は教会の出口付近にある。「こっちに持って来てくれ」と、その配布場所からこちらに向かってレニーが手を振っている。箱を持ち上げ歩き出そうとした時、後方がにわかに騒然となった。
「煙が…火事だーっ!」
「きゃーっ、火事よ、火事よーー!」
振り返ると教会の建物の左後方からもうもうと煙が立ち上っている。さっきまでは感じなかった、きな臭い匂いも漂ってきた。俺は持ち上げた箱をまた地面に戻して、建物の方へ駆け出した。
「キッチンから火が出てるぞ!」
教会の中から続々と人が逃げ出して来た。中には煙を吸ってしまったのか、ゴホゴホと咳をしている人もいる。
「医者を呼んでくれ!」
「もう中に人はいませんか? みんな無事ですか?」
「た、たぶん私で最後です…ゴホゴホッ」
幸い、バザーの期間中で人はたくさん居た、バケツリレーでどんどん水をかけていく。俺もレニーも消火に当たっている中、ジェリコは遠巻きに青い顔をして立っている。待てよ、キッチンから出火したって言ったか。炊き出し係でキッチンに詰めているジーナは逃げ出せたのか?
「誰か、ジーナを見なかったか?」
「見てないわ、そういえばクレア様も見てない…」
「ジーナとクレア様は炊き出し係だぞ…おいおいまさかまだ中にいるんじゃ」前方でバケツを持った生徒が言った。
「探してくる。誰か俺の後に入ってくれ」
俺はバケツリレーの列を抜け、教会の右手からぐるっと回りこんでキッチンの方へ向かった。ちょうど建物の裏手に回った時に反対側から来た男と俺は衝突しそうになった。
「あっ、すみません」
俺が謝ると男は軽く頭を下げて走り去った。なんでこんな所に…火事から逃げ出したのか? そう思いながらキッチンの側へ急ぐ。すると建物の中から微かに声が聞こえてきた。
「誰かーー助けてーーっ、ここから出られないのーー」
やはり誰かがまだキッチンに逃げ残っている!
「ジーナ、ジーナなのか?」
建物に向かって大声を張り上げる。すぐに返事が返ってきた。
「アロイス?! ゴホッ、助けて、ドアが開かなくて外に出られないの。ゴホゴホ、クレアも一緒なの」
「待ってろ、すぐ助けに行く!」
もと来た道を戻って、キッチンに続く礼拝堂側にあるドアを引いたがカギがかかっていた。
「くそっ、正面に戻らないとだめか」
キッチンに隣接している住居棟にはもう火が廻っている。戻って正面入り口から礼拝堂を抜けて中に入らなければ、キッチンに辿り着けない。国内一の大きさを誇る教会が恨めしい。
息を切らしながら正面入り口まで戻ると、まだジェリコが何もせずウロウロしていた。
「ジェリコ、中にまだジーナとクレアが取り残されてるんだ。助けに行くから手伝ってくれ!」
「な、何言ってるんだ、中はきっと火の海だ。わ、私は駄目だ。私は王子だぞ、私の身に何かあったらどうするんだ…」
俺に腕をつかまれたジェリコは、狼狽えながら俺の手を振りほどこうと身をよじった。
「もういい、俺ひとりで行く!」
ジェリコはいつからこんな腰抜けになったんだ! ジェリコを突き放した俺は周囲の制止を振り切り、バケツリレーから受け取った水を頭からかぶって、教会に突っ込んで行った。
礼拝堂にはまだ煙が入ってきていなかったが、長い廊下に出てその角を曲がると、きな臭い匂いと共に灰煙が廊下を伝って蛇の様に這いだしてきた。
キッチンの前の廊下は煤と煙が充満していて視界も悪い。姿勢を低くし近づくと、人の背丈ほどもある巨大なじゃがいもの木樽が3つも倒れてドアを塞いでいる。
「ジーナ、今ドアを開けるから、口と鼻を布で覆って姿勢を低くしてドアの前まで来るんだ」
「分かったわ」
中に声を掛けながら木樽に手を掛けたが思った以上に重く、数センチも動かない。
「くそっ、くそっ」
がむしゃらに木樽と格闘していると後ろから声がした。
「下がって下さい」
俺を後ろに下がらせ、手にした斧を振り上げたのは教師のハーリン先生だった。口元をスカーフで大きく覆っているが、俺は彼だとはっきり分かる。そうして斧はあっという間にじゃがいもの木樽を三つ叩き壊した。
散らばったじゃがいもと木樽の残骸を手で押しのけ、そっとドアを開けた。人がやっと通れるだけのスペースを空ける。先に這い出してきたのはクレアだった。
「さあ手を」
片手で口を押えているクレアの肩をしっかりと掴んで聞いた。
「歩けますか?」
「ええ、ありがとう。歩けるわ」
クレアが立ち上がるとすぐ後ろからジーナも出てきた。ハーリン先生に手を引かれている。
「ちょっと、私もいるんですけど」
「無事みたいだな。よしすぐ出るぞ」




