嵐
「おい、またニヤついてるぞ。」
大量の書類を持ってきたデイビッドに指摘される。
19歳の誕生日に、クリスティーナからイニシャルの刺繍入りハンカチが贈られた。イニシャルが入ったハンカチは、婚約者への贈り物として定番だ。
淑女教育も進んでいるが、クリスティーナは意味をわかって贈ってくれたのか考えていた。
それだけ、なのだが、ニヤついてた?俺が?また?
「婚約者からもらったハンカチをことあるごとにニヤニヤと見つめている、と噂を流しておこう。」
「やめろ、幼児性愛者疑惑が消えなくなる。」
「大丈夫だろう、先日のなんとか子爵という輩の件で大分消えたようだぞ?」
先日、商会を経営しているという子爵が面会を求めてきた。ちょうどサロンにて数人と会話している最中だったが、無下にもできず同席を許した。
やってきたでっぷりと太った男は、なぜか5、6歳くらいの少女を連れてきたのだ。
「商談との話でしたが、子供を同席させるとはいかがなものか。何を目的にしているのかわからぬ非常識な人間と縁をつなげる気はない。」
子爵とその子供を睨みつけると、子供は大声で泣き出した。
「不愉快だ。挨拶もできぬ上にただ泣き叫ぶような者をなぜ連れてきたのか理解に苦しむ。視界から消えよ。」
一言の発言も許さず、さっさと追い出したのだ。
「美少女と評判の娘だったらしいぞ?クリスティーナ嬢と同じく金の巻き毛に青い目だったとか。」
「知らん、覚えてない。」
「うん、そういう態度があからさまだったんで『婚約者への溺愛が過ぎる』っていう噂に切り替わったらしいな。女性たちは自分がお子様に負けたっていうのを認めたくなかったらしいが、サロンのメンバーが自分の夫人に伝えてくれて、うまいこと噂を変えてくれたようだ。」
「溺愛が過ぎるってのもどうなんだ・・・」
とりあえず、先日のメンバーには何かしら奥方とも喜んでもらえるような贈り物でもしておこう。
「気づいてないのか?クリスティーナ嬢以外の女性には全く興味なし。一旦クリスティーナ嬢が話題に上がるといかに彼女が可愛らしいか、努力してるか、ブランドン侯爵以上に褒め倒しているじゃないか。これを溺愛と言わずになんというんだ。」
「なんというか、成長を喜んでいるというか、うん、可愛い妹の成長を喜ぶ兄の気持ちというか・・・。」
「・・・まあ、どちらにせよお前の溺愛はクリスティーナ嬢に向けてのみってことだけはだいたい伝わっているから問題ないさ。」
少し含みのあるデイビッドの言葉は気になるが、今はこの大量の書類だ。
昨年兄が王位を継ぎ、父と俺の母は離宮で静養することとなった。存命のうちの譲位に反対するものもいたが、少しずつ政務を引き継いでいたこともあり、混乱はさほどなかった。
王弟となった俺も、兄である王の代理として地方領の視察などに行くことも増えている。
「西部の嵐の影響はかなり大きいな。」
数週間ほど前、西部地域で嵐が発生し、かなり激しい大雨があった。雨は1週間以上続き、川が溢れ、農地や住宅に大きな被害が出ている。
俺が生まれて間もないころにも、同様な災害が海を挟んだ大陸で発生し、その際には高熱を出して死亡する疫病が大きく広がった。疫病で王族が絶え、滅んだ小国もあったという。
アカデミーの研究で、こういった災害の際に泥で汚れた地域にそのまま住むと、隠れていたネズミが汚れと共に疫病を運ぶことが発表された。
そのため、大きな災害を受けた場合は古い家は一度壊し、ネズミごと燃やしてしまった方が良いというのが通説となっている。
被害の大きな地域では、被害範囲の調査・復旧に必要な資源・橋や道の補修なども含めると数ヶ月は復旧にかかるだろう。
家を無くしたもののうち、年寄りや病人などの復旧作業に関わるのが難しい民に対して、俺が管理する王領にて一時的に保護することとなった。
この書類は、領民の受け入れに対しての予算や物資を回すための調整に関わるものである。
「キャンベル伯爵領での被害が深刻だな。」
「伯爵の屋敷も被害にあっているが、高台なので比較的マシなようだ。そこを一時的に役人などの宿泊施設にできないか交渉中だ。領地の家族を住まわせる先さえあれば協力できる、ということらしい。」
「タウンハウスは持っていないのか?」
「キャンベル伯は、滅多に来ない王都のタウンハウスに金をかけるより領地のために使う、という考えらしい。備蓄もしっかりしていて、食料や資材については王家からの支援も少なくてすみそうだ。」
「良い領主だな。それなら、王領の別荘を貸し出す面目もできよう。王家からの食糧支援を少なくする代わりとして、陛下に使用許可を出してもらえるか確認してみよう。」
***
(side ???)
首を絞められるような息苦しさに目覚めた。
目に入ったのは、見知らぬ天井。殺風景な白い天井ではなく、金の装飾が入った華やかな、でも目に眩しいほどではない淡い色だ。
自分の置かれている状況がわからないままベッドから起き上がり、辺りを見回す。部屋の中にあるもの全てに見覚えがない。
だるい体を起こして壁側にある鏡を見つめる。まだぼんやりとしている頭で、自分の姿をはっきりと認識する。
金色の巻毛、青い瞳。私じゃない、私は、黒髪で、私は。
「お嬢様?」
誰かが声をかける。
「私・・・私の名前は・・・私、悪役令嬢に転生したの!!!???」
濁流のように蘇った記憶に耐えきれず、私は意識を失った。
やっと短編の時系列に追いつきました。