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06 子供みたいなところ


「そうだ椿希くん、ちょっと相談なんだけど」

 

 日曜日の午後9時になる少し前。

 夕食を終え、ソファーに座ってテレビを見ていた椿希の後ろから、思い出したようにそう声をかけたのは父である一護だった。

 

「ん?」

「椿希くんって冬月さんとお友達って言ってたじゃん?」

「……ん?」

 

 一瞬の間が空く。

 顔見知りだ、とかいうのは会話の流れにあったかもしれないけれど。そんな発言に心当たりは無い。

 なにか大きな記憶の書き換えをしているらしい父の顔を見ると、案の定きょとんとした顔で椿希を見返していた。

 

「あれ?違った?」

「クラスメイトではあるけど」 

「クラス一緒なんだ!じゃあちょうどよかった」

 

 ちょうどいい、とは。

 意味不明な一護の言葉に、椿希は首を傾げる。

 

「初めてだからいろいろ覚えることあるじゃん?だから椿希くんに冬月さんの指導係やってほしくて」

「いや、無理無理無理無理」

 

 予想外すぎる一護からの依頼に、椿希は全力で首を左右に振る。

 

「パートの人いるじゃん。俺なんかよりよっぽど適任だし、そもそも俺、従業員でもないし」

 

 pâtisserie Camelliaは、一護のほか、従業員が2人だけの小さな店である。

 今年の3月末、アルバイトの1人が就職を機に退職。2人でどうにかなるかと思っていたようだけどやはり回らなかったようで、少し前から新しいアルバイトの募集を始めたらしい。

 そこに現れたのが真白というわけなのだが。

 

「それがさっき辻さんから『息子が胃腸炎になった』って連絡来て」

 

 辻さんというのは、長年この店で働くパートさんのことである。

 小学校低学年の子どもが1人いると、昔会話の中で聞いたことがあるのを思い出した。

 

「あー…」

「お店自体は1人でも大丈夫なんだけど、いろいろ教えながらとなるとちょっと厳しいかなぁって。ちなみに、椿希くんのバイトが休みなのは確認済み!」

 

 言いながら親指を立てた一護は、謎のどや顔を向けている。


 正直気が進まない。それが彼の本音だった。

 彼女とはまともに話をしたことがないうえ、自分だって店の勝手についても完全に理解してるとは言い難い。

 それ以前に、自分なんぞに教えられる彼女の気持ちたるや。

 

 実際あの日以降、学校で真白とは話どころか目が合った記憶さえない。

 …というか、入学してからそんな瞬間があったかどうかも怪しい。

 

(ついてくんなとかも言われたし、多分俺嫌われてるんだよなぁ)


 自分の知らないところでいつの間にか嫌われてるならいいのだけれど。面と向かって全面的に嫌いをぶつけられると、流石にしんどいというか。

 

「うーん…」

「とりあえず1日だけ!指導係だし、時給は特別に1500円でどう?」

 

 店の危機をとるか、自分のメンタルの平穏をとるか。

 そんな悩みは、その一言を聞いて一瞬で消え去った。

 

 

 

 

 そして、火曜日。

 

「パートの辻さんが家庭の事情でお休みになっちゃったので、1日指導係の椿希くんです!」

 

 届いたばかりの制服を見にまとった真白に、テンション高めな一護がそう告げる。

 椿希を捉える彼女の瞳には、相変わらず温度がない。

 

「…よろしくお願いします」

 

 言いながら真白が頭を下げたので、椿希も慌ててそれに続いた。


「厨房だけは僕が案内するね。あんまり入ることないかもしれないんだけど…」

 

 話しながら、2人は厨房の奥へ行ってしまった。

 

(美人の真顔怖ぇー…)

 

 遠くで見ているだけでも怖いと感じるのに、近距離で見ると怖さ倍増、といった感想が浮かぶ。

 言えた口ではないけれど、明らかに接客向きの人種ではない。

 霞によく『椿希は表情筋が死んでる』と言われるけど、彼女も大概だよなと思う。

 

「厨房はざっくりこんな感じかな。基本的にうちの店は、ショーケースに並んでるケーキが無くなったらお店閉めるから、さっきも言ったとおりあんまり中に入ることはないと思うんだけど、今後細かいこととか気になることがあったら言ってね」

 

 そんなことを考えながら立っていると、奥から聞こえてくる声が段々と近づいてくるのがわかった。

 どうやら厨房の案内が終わったようだった。

 

「じゃあ椿希くん、あとお願いしてもいい?裏行ってる間は僕がこっちやっとくから」

 

 厨房のついでに奥の待機室まで案内してくれたらよかったのに。そんな言葉が頭を過ぎる。

 

「はーい」

 

 時給1500円の条件を飲んでここに来てる以上文句は言えないなと、その言葉を飲み込んで返事を返す。

 

「じゃあ、行きましょうか」


 言いながら、椿希は『staff only』と書かれた札が掛けられている扉を開けた。

 

 4畳半程度の小さな室内には、4人用のロッカーとテーブル、椅子が2脚。このくらいしか目立つ家具は置かれていない。

 

「中から鍵かけられるので、着替える時とかは一応かけてください。このドアの向こうがトイレと洗面台です。掃除道具もここに入ってるので気が向いたときにでも掃除してください。表と厨房は父の担当なのでそっちはしなくて大丈夫です」


 淡々と続く椿希の説明に、真白はその都度頷く。

 …相変わらず表情は無いけれど。

 

「俺が説明できるのはこれくらいなんですけど、なにか質問ありますか?」

「質問というか…学校ではありがとうございました」

 

 椿希より少し身長の低い彼女は、全く想像もしていなかった言葉を口にした。

 遡ってみても、感謝されることをした記憶はない。

 

「何かしましたっけ…?」

「本当に黙ってていただけると思ってなかったので」

「誰にも言わないって言いませんでした?」

 

 言うと真白は目線を逸らして唇を結んだ。

 どうやら彼女は、言いづらいことがあるとこの反応になるらしい。

 

「信用してなかったって、顔に書いてますけど」

 

 少しふざけてそう言うと、慌てて目線を戻した彼女は右手で自分の頬をぺちぺちと叩き始めた。

 子供のような反応と恥ずかしがっているように見えるその顔に、椿希が思わず吹き出すと、彼女は頬に手を添えたまま一時停止する。

 秋都が話していた『低俗な男をゴミのように見る目』というやつは、もはやどこにも見当たらない。

  

「すみませ…ふっ」

「人の顔を見て笑うなんて失礼です!」


 そう言う真白は、口調こそ変わらないけれど普段の温度のない表情とはまるで違う。

 学校で語られている彼女のイメージが崩れる音がした。

 

 何が彼女を孤高の存在にしているのかはわからないけど、きっとこっちが『冬月真白』という人間の本来の姿なのだろう。

 

 ふぅ、と深呼吸をして息を整える。

 

 

「子供みたいで可愛いなぁ、って思っただけです」

「こども…」

 

 真白はなんとも言えない顔をして、言葉の主である椿希を見上げながら、何かを諦めたように大きな溜息をひとつ吐いた。

 

 

「いろいろ含めて誰にも言わないって約束します」

「…絶対ですよ」

「反応が子供みたいなことも」

 

 その言葉に少しムッとした顔を見せた彼女が、なんだか可愛く見えた。


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