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05 笑った顔は100点


「椿希おかえり〜。早かったね」

「………」

 

 

 遡ること5分前。

 マンションに着いた椿希は、鍵を返してもらうために霞の家のインターホンを押した。

 しかし待てど暮らせど応答はなく、扉が開く気配もない。

 

 はぁ、と大きなため息が溢れる。

 同じようなことが過去にもあったからだ。

 

 椿希の想像どおり、彼が自宅の玄関ドアに手をかけると、鍵がかかっているはずの扉がすんなりと開いた。

 玄関には、柳井家のものではないにもかかわらず、最近よく見る女性用のサンダルが揃えて置かれている。

 靴を脱いで自分の部屋に直行すると、予想通りの人物が想像通りの格好で、ベッドに転がっているのが見えた。


 ──そして、冒頭に至る。


「何でいんの?帰れ」

「えー?ちゃんと1回帰ったよ?着替えてるでしょ?」


 仰向け状態で膝を立てながら転がっている霞は、そう言いながら読んでいる漫画のページを捲った。

 

 着替えているのは見ればわかるし、着替えるために一度自宅に戻ったということも考えればわかる。

 

「何でいるのかを聞いてるんだが」

「家にいても1人だし、暇だから戻ってきた」

「それはうちにいても自分家にいても同じだろ…」

「全然違うって。こんな時間に家にいても誰も帰ってこないけどこっちにいたら椿希が──ってあー!それ一護さんとこの紙袋じゃん!」


 椿希が持つ紙袋を視界の端に捉えたのか、寝転がっていた霞は勢いよく状態を起こした。

 

「今日のバイト代だって。試作品らしいけど、いる?」

「いる!すごいいる!今食べたい!絶対食べる!」

 

 きらきらと瞳を輝かせながら発せられた彼女の台詞は、興奮のあまり語彙力が失われている。

 

「持って帰るか、向こうで食べて」

 

 霞に向けて手に持っていた紙袋を差し出すと、彼女は「了解っ」と言いながらわざとらしく敬礼をした。

 受け取った紙袋を持って部屋を出る彼女の後ろ姿は、どこか嬉しそうに見える。

 

 

 扉が閉まったあと、椿希は着ていた制服を脱いで部屋着に着替えた。

 脱いだ制服をハンガーに掛けて鞄を定位置に置く。

 昔からの習慣のおかげか、彼の部屋は普段から整理整頓されていて掃除も行き届いている。

 

 母親が亡くなって以降、家のことは父と2人で協力して行ってきた。

 やるべきことを後回しにするな。そんな母の教えが彼の生活には染み付いているのだ。

 

 

 

 自室を出た椿希がリビングの扉を開けると、テーブルの上には2枚の皿が並んでいた。

 その上に切り分けられたパウンドケーキが乗せられていて、霞は椅子に座りながらそれをまじまじと眺めている。

 

「食べてなかったんだ」

「勝手に食べないよ。失礼だな」

 

 勝手に人の部屋に入っておいて何を言っているんだ。

 浮かんだ言葉を飲み込んで、椿希は呆れた顔を霞に向けた。

 

「椿希の分も切ったけど食べるでしょ?一緒に食べよ?」

 

 そう言った霞は子供のように笑っている。

 いつもの『お客様用』の作り笑いはどこで覚えたのか知らないけれど、こうして笑う顔は昔から変わっていない。

  

「人の顔じっと見てるけど何?…あ、もしかして、やっと私の可愛さに気付いちゃった感じ?」

「いや」

「即答かよ」

 

 椿希の返事に何の期待もしていなかった霞は、言いながらケラケラと笑っている。

 

「いや、やっとというか、昔から笑った顔は可愛いと思ってるけど」


 予想外の言葉に、霞は空いた口が塞がらないようだった。

 間抜けな顔をして座る霞の向かい側にある椅子を引いて、椿希はゆっくりと腰をかける。

 

「笑った顔は100点だけど喋ったら0点」

 

 椿希がそう続けると、霞は左手で頬杖をついて、はぁ、と大きくため息を吐いた。

 

「中途半端に褒めんのやめてくれる?一瞬喜んでしまった私の時間を返せ」

「いただきまーす」 


 霞の言葉を無視した椿希が机上のパンケーキに手を合わせると、彼女は慌ててそれに続いた。


 まともに相手をしていたら時間がいくらあっても足りない。

 『裏』の霞の正しい扱い方は、長年の付き合いで習得済みだった。

 

 

「うんまーっ!」

 

 フォークで一口サイズにカットしたパウンドケーキを口に運んだ霞は、大きな声で感動を口にしながら目を輝かせる。

 程よい甘さのしっとりとした生地と甘酸っぱい桃が絶妙にマッチしていて、紅茶の香りが鼻に抜ける。

 

「やっぱ一護さん天才すぎる。美味しすぎて食べるの勿体無いけど止まんない」

 

 その言葉どおり、皿の上にあったはずのケーキは、残すところあと一口と言ったところだった。

 

「そういえば今日呼ばれてたのって何だったの?繁忙期以外で椿希が手伝いに行くの珍しくない?」

 

 昔から椿希は、クリスマスやバレンタインといった季節行事のときのみ、店の手伝いをしてきた。

 それ以外で椿希が店に立つことはほとんどない。

 

「新しいバイトの面接あるの忘れてたらしくてその間の代打」

「あははっ、一護さんらしい。椿希の接客レベルの低さ知ってるはずなのに頼むってことは、よほど焦ってたんだね。椿希、表情筋死んでるのに」

 

 そう失礼なことを言うと、霞は自分の発した言葉がよほど面白かったのかクスクスと笑い始めた。

 

 まぁ実際、彼女の言うとおりなのだ。

 ただでさえ椿希は作り笑顔が苦手だと言うのに、年に数回の手伝いで接客スキルが身につくはずがない。

 

「私に連絡くれたらよかったのに。椿希よりは絶対、売り上げに貢献できると思うんだけど」

「うん、ごもっとも」

 

 でも今日に限っては自分が行ってよかった。椿希はそう思っていた。

 2大アイドルと呼ばれている2人が、住宅街の小さなケーキ屋で、しかも自分の父親の店で並んでいる絵面。

 …なんともまぁ想像し難い。

 

 2人とも学校では何かと有名人なので、さすがに互いの存在は認識しているだろうけど。

 それでも霞の口から『真白』という名前を聞いたことはないし、今まで彼女についての話題も耳にしたこともなかった。

 

 

「ごちそうさまでした」

 

 食べ終えた霞は、背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま幸せそうな顔をして手を合わせた。

 一つ一つの丁寧な所作が、今までの彼女の努力を物語っているようだ。

 

 

「自分の食べ終わったら一緒に洗うから置いといて」

 

 立ち上がって食器を下げようとする霞に告げる。

 

「いいの?ありがと!じゃあ先戻って漫画の続き読んどく!」

「いや、帰れよ」

 

 鼻歌混じりに歩き出す霞の背中に向かって発した椿希の言葉は、彼女の耳に届くことなく扉が閉まる音に掻き消された。

 

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