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03 Pâtisserie Camellia


 高校生活最初の中間試験も5月中に終わり、これといったイベントもない6月。

 朝は降っていなかった雨が降り始め、どうも気分が上がらない午後1時、机の上の椿希の携帯が振動し、メッセージの受信を知らせた。

 

 『椿希くん 今日の放課後って予定あり?』

 

 そんなメッセージのあと、イチゴを抱えたうさぎが上目遣いをしている、なんともあざといスタンプが届いた。

 

「誰誰?彼女?」


 通知画面が見えたのか、秋都がニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら言った。

 滅多に仕事をしない椿希の携帯にメッセージが届くと、彼はその都度、懲りずにに同じ質問を繰り返す。

 

「違う」

 

 短く否定の言葉を告げて、椿希は携帯のロックを解除した。

 

 メッセージの相手は存在しない彼女ではなく、実在する過保護な父親である。

 39歳にして、世間一般のアラフォー男性がほとんど使用しないようなスタンプを使いこなす椿希の父、柳井一護(いちご)は、自宅マンションから徒歩10分程度の距離にある住宅街の一角で、「Pâtisserie Camellia」という小さなケーキ屋を営んでいる。

 

 椿希の母親は、彼が小学5年生の頃に事故で他界。以降、父1人子1人で生活していたためか、椿希に対する愛が凄まじい。


『終わったらそのまま行く』

 

 そう返信をすると瞬時に既読マークが付き、『ありがとう』と文字の入ったスタンプが届いた。

 父親からこんなメッセージが届いたのは、母親が他界してから今日までの間に数回あった。

 今までの経験上、十中八九、店の手伝いをしてほしいということでまず間違いない。

 椿希の接客スキルが皆無だということは、父親である一護は十分に把握しているはずだ。

 それでも依頼してくるということは余程の危機なのだろう。

 

「椿希今日ってバイトじゃないよな?俺今日部活休みで、放課後みんなとカラオケ行くんだけど一緒に行かね?」

「なんで俺のバイトの日程を把握してんだよ。怖いわ」

 

 椿希の言葉に、秋都は「てへっ」などと言いながらわざとらしく自分の頭を小突いた。

 

「ありがたい誘いだけど、俺今日用事できたからパス」

「そっか。じゃあまた次行くとき声かけるな」


 どこか残念そうな顔をしながらも、秋都はすんなりと椿希のそれを受け入れた。

 


 

 午後の授業が終わり空を見上げると、どんよりとした色の悪い雲が一面に広がっていた。

 昼過ぎから降り始めた弱い雨は、未だに上がる気配がないようだ。

 

 鞄に常備してある折り畳み傘を広げ、椿希は校舎を出て歩き出した。


 大勢の学生とは反対方向。

 椿希が住むマンションは、学校から見て最寄り駅の反対に位置しているため、校門を出た時点で、周りの学生の数は急激に少なくなる。

 今から向かうケーキ屋があるのは、マンションのさらに向こう側。

 つまり学生が店に来ることは、限りなくゼロに近い。

 更には彼自身が、自ら進んで周囲の人間に家の話をするようなタイプではないので、椿希の実家がケーキ屋だということを知っているのは、この高校では霞だけということになる。

 

 

「あ、椿希!」

 

 マンションの前を通り過ぎようとしたとき、彼の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 聞き慣れた声がした方向を見ると、エントランス前で小さく手招きする霞の姿が見えた。

 

 外で霞の方から声をかけてくることはほとんどない。その逆も然り。

 よって2人が人目のあるところで言葉を交わすことは、ほぼゼロに近いということになるのだが。

 

「ここ、外ですが」

「周囲確認済みですー」

 

 彼女のいう通り、見渡す限り人の姿は確認できない。

 

「どっか行くの?…あぁ、一護さんのとこか」

「その、父さんの店以外行くとこないだろみたいな言い方やめろ」

「やっぱ図星か」 

「…で?何かご用で?」

 

 ケラケラと笑う霞に対し、椿希が話を切り替えると、彼女は思い出したように言葉を繋げた。

 

「鍵、貸して」

 

 そう言いながら、上に向けた両掌を揃えて椿希に差し出した。

 またか。そう呆れながら、椿希は鞄の中からキーケースを取り出して霞の掌の上に乗せる。

 

「今日お母さんより先に家出たから、鍵の存在すっかり忘れててさー。助かりますありがとう」

 

 霞の両親は随分と前に離婚しており、彼女は今、椿希の隣の部屋に母親と2人で住んでいる。

 キャリアウーマンという言葉がしっくりくる霞の母親の朝は早い。

 基本的には霞よりも早く家を出て、夜遅くに帰宅する。

 そのため霞は、普段から自分で自宅の鍵をかけて家を出ているわけだが、今朝はイレギュラーがあったため、そのルーティンが狂ってしまったようだ。


 小学生の頃、母親同士の仲が良かったこともあり、『万が一のため』という理由で互いの家にそれぞれの家の鍵を預けていた。

 ちなみにその制度は現在も継続中のため、椿希の家に入ることができれば、霞は自宅の鍵を開けることが可能ということになる。

 

「じゃ、営業スマイル頑張ってね」

 

 お客様用の笑顔を浮かべた霞は、受け取ったばかりの鍵を握りしめてマンションの自動ドアを潜った。

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