茶会の席で
こうなって欲しいという願いは、大抵叶えられることはない。
しみじみとそう思いながら、ため息を押し殺した。被り慣れた淑女の面を貼り付け、興味深そうな眼差しを目の前の令嬢に向ける。令嬢としてはありえないほどの短い髪に、かっちりとしたドレスは茶会の席のため誰よりも浮いていた。
招待されずにこの場に入ることはできないのだから、誰かが気を遣って連れてきたのだろう。余計なお世話であるが、それでも先日のように突撃されるよりもこうして社交界の中心となる貴婦人たちがいる目の前で彼女とのやり取りを見せられるのは誤解を受けずにいいのかもしれない。
ただ、噂の拡散速度は前の時よりもはるかに高いだろうから、しばらくはシンシアもブライスも鬱陶しいことになる。
少し先の未来を想って、シンシアは憂鬱な気持ちしかなかった。
「お金でブライスを縛り付けるのはどうかと思うわ。今時、政略結婚なんて古いのよ。隣国では政略結婚なんてほとんどないし、この国の――」
エリンは盛大に持論をぶちまけていた。シンシアは茶会会場をさらりと見回す。好奇心いっぱいの夫人たちが扇子で口元を隠しながら、こちらを見ていた。そんな中、嫁いだ一番上の姉のフィノラを見つけた。面白そうに目を輝かせてしっかりと観察している。
助けてくれてもいいだろうに、という気持ちで見つめてみたが、彼女は頑張ってと楽し気に口を動かした。他に助けてくれそうな人はいないのかと見回すが、皆、にこにこと期待した笑顔を浮かべ頼りになりそうにない。
「ちょっと、ちゃんと聞いているの!」
「ああ、ごめんなさい。お話はそれだけですか?」
半分以上は聞き流していたのだが、正直にそれを言ってしまえばまた最初に戻りそうだ。噂には聞いていたが、これはキツイ。他国の事情をこの国に持ち込んだところで、彼女の主張が通るわけでもないはずなのだが、何故かこの通りにすべきと言わんばかりの態度だ。
これは確かに嫌われるわね、と心の中で呟く。せめて言い方ぐらい柔らかくすればもしかしたら聞いてくれる人もいるかもしれない。
「わたしたちは真実の愛で結ばれているのよ。どんな困難も乗り越えられるだけの絆がわたしたちにはあるの」
「真実の愛ですか? それはまた随分と……」
あまりのおかしさに、思わず笑みがこぼれた。通常なら扇子で口元を隠すが、もう面倒くさくてそれすらしなかった。
「何がおかしいのよ!」
笑われたことが癇に障ったのか、喧嘩腰に声を荒げてきた。シンシアは怒鳴られたことに気に触った様子を見せずに、首をこてりと傾げた。
「どんな困難も乗り越えられるということなので、ブライス様の背負っている困難も一緒に耐えられるということでいいのかしら?」
「当然よ」
「まあ、素晴らしいわ。では、わたしとの婚約が破棄になった場合に引き起こされる賠償にも耐えられると」
ブライスとシンシアの婚約は王家の思惑も含んで決められた。国を挙げての事業のため、婚姻による結びつきの強さというのか、一蓮托生な部分がある。
「賠償?」
「そうですわ。わたしたちの結婚は家同士というよりも、国家の事業に関わりますの。ですから、もしブライス様が婚約破棄するとしたら、わたしの家と王家に相当の賠償をする必要があります。当然、この国にはいられないし、貴族ではなくなりますわね」
この婚約のいきさつは大抵の貴族なら知っている話であるが、帰国したばかりの彼女は知らなかったようだ。
「貴族ではなくなる?」
「当然でしょう? 王家との契約を破るんですもの。でも貴族でなくなったブライス様を養う気概があるなんて、素晴らしいと思いますわ。やっぱりこの国の貴族令嬢であると、どうしても男性のために表に立って働くなんてなかなかできないと思いますもの」
エリンは茫然とした様子で、口を閉ざした。シンシアは笑みを消してじっとエリンを見つめた。
「貴女がどんな思想を持っていても自由だと思いますわ。ですが、その思想を他人に押し付けた場合、どんな状況になるのか少しは想像を働かせた方がよろしいと思います」
「わたしは」
何か言いかけて、エリンは唇を噛みしめた。彼女の愛情論はここまでのようだ。シンシアは扇子をパラりと開いた。
「お話はこれで終わりのようですから、失礼いたしますわね」
優雅さを失わないようにゆったりとした足取りで、シンシアは姉のフィノラのいる場所へと向かった。
「お疲れ様」
フィノラのグループに混ざれば、そんな労に言葉がかけられた。シンシアは不満そうに唇を尖らせた。
「お姉さまったら酷いわ。助けてくれてもいいじゃない」
「うふふ、ごめんなさいね。彼女、第三者が入るとさらにヒートアップしてしまうのよ」
「ええ? あれ以上にまくしたてるの?」
「だから、持論を言い始めたらみんな貝のように口を閉ざすのよ」
暢気にそんなことを教えてくれる。他の夫人たちもくすくすと笑った。
「でもいい切り返しだったわ。あれで少しは大人しくなるでしょう」
「口では政略結婚を否定して自由恋愛を訴えながら、不自由のない貴族の生活は期待していたはずだから」
どこか冷ややかさを含む言葉を夫人の一人が告げた。
「真実の愛という言葉を聞いたのですけど、観劇の話ですか?」
「あら、知らないの? じゃあ、運命の恋人は」
「……どちらも一昔前に流行った演劇のテーマだということは知っています」
まあまあまあ、と夫人たちが楽し気にさざめいた。
「婚約者の彼からは何も聞いていないの?」
「はい」
小さな声で答えれば、夫人たちは顔を見合わせた。
「知らなかったということはないと思うけど……」
「できれば教えていただきたいですわ」
「演劇で人気だった、真実の愛、運命の恋人。そのモデルになった恋人たちがいるのよ」
笑いを含んだ言葉を聞いて、シンシアは初めて顔を合わせた時にブライスが「道化師」と呼ばれていたことを思い出した。「道化師」はきっと観劇の中ではそう見えるようになっているのだろう。
「もういいです。理解しました」
「うふふふふ。あまり婚約者を責めないであげてね」
「どうしてですか?」
「だって可哀想じゃない。もう六年も前の話よ。それに悪い話ばかりではなかったわ」
始めは感動するストーリーだったそうだが、次第にコミカルになり、最後は笑い者に変化していったそうだ。
ドリーマーは一体どこから変化したものなのか。
シンシアは当時の話を面白おかしく話されながら、どうでもいいことに疑問を持ってしまった。