顔合わせ
約束の時間よりもほんの少し前に、オドネル伯爵家の屋敷に到着した。兄のジョセフが先に馬車から降りると、シンシアに手を差し出す。
「足元に気を付けて」
「ありがとう、お兄さま」
シンシアは新しいドレスを身に纏っていた。気合が入り過ぎだとは思うのだが、侍女たちが張り切って準備したものだ。初めての顔合わせに相応しい柔らかな印象を与える淡いグリーンのデイドレスはシンシアの金の髪によく似合っていた。宝飾品も慎ましい大きさであったが、質の良い逸品だ。
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
出迎えた家令は優しい日の光がたっぷりと差し込むサロンに案内した。サロンにはすでに一組の夫婦と一人の青年が待っていた。
「お招きいただきありがとうございます」
ジョセフが如才なく挨拶をする。シンシアも淑女の顔をして、兄の挨拶に合わせる様にして膝を折った。
「よく来てくれたね。そちらのお嬢さんがクワイン伯爵の?」
「はい、末妹のシンシアです」
ジョセフに促されて、シンシアは顔を上げた。
「初めまして。シンシアと申します」
「まあ、とても可愛らしいわ。うちの息子にはもったいないぐらい」
「おい、そういうことを言うな」
オドネル伯爵は焦ったように妻を咎めた。オドネル伯爵夫人は夫の小言を無視して、シンシアに微笑む。
「あら、本当の事じゃない」
夫人の刺のある返答に、シンシアは目を丸くした。視線が合うと、オドネル伯爵夫人は悪戯っぽく笑う。
「わたくしは嫁いでくるシンシア嬢の味方でいたいのよ。ブライスはすっかり評判を落としてしまっているし、この縁談で貴女に辛い思いをしてもらいたくないわ」
「ありがとうございます」
とても友好的なオドネル伯爵夫人にお礼を言うと、オドネル伯爵が咳払いをした。
「とりあえず紹介が先だ」
そう言って伯爵に押し出されたのは静かに立っていた青年だ。背が高く、とても優しい顔つきをしている。この国の貴族によくある淡い金髪に濃い緑色の瞳をしていた。シンシアが今まで会った男性の中で一番穏やかそうだ。
「はじめまして。ブライスです」
「シンシアです。よろしくお願いします」
そんな当たり障りのない挨拶をした後、庭を散策して来いと二人はすぐに放り出された。もちろん二人きりではなく、侍女と護衛が程よい距離をおいてついている。
結婚相手との顔合わせなのだから普通と言えば普通なのだが、もう少し会話ができるようになってからにしてほしかった。シンシアは見知らぬ年上の男性と二人になることに緊張した。
彼の雰囲気から、乱暴な感じはしないが相手はなんせ巷で噂になるほどのドリーマーである。話が通じなかったりしたらどうしようかと本気で考えていた。
「どうぞお手を」
大きな手を差し出されて、シンシアは仕方がなく自分の手を預けた。彼にエスコートされて庭の小道を進む。しばらくは無言で歩いていたが、オドネル伯爵夫妻とジョセフから十分に離れるとブライスが足を止めた。不思議に思い、隣に立つ彼を見上げる。
「申し訳ありません」
「え?」
「こんなにも若くて美しい貴女には僕は釣り合わない」
釣り合わないと言われてびっくりしてしまう。下から見上げ、何を考えているのだろうと彼の表情を探る。目が合うと、彼は困ったような笑みを見せた。
「僕のこと、聞いているでしょう?」
何を、とは言わなかったが、彼が何を言いたいのかシンシアには理解できた。
「ドリーマーのことですの?」
「ドリーマー……今の若い子にはそんなふうに言われているんだ」
ブライスはがっくり肩を落とす。その様子がおかしくて、シンシアは小さく声を立てて笑った。
「ブライス様の年代では違うのですか?」
「同世代には道化師と言われているよ」
「道化師?」
意味合いが違うようだ。ブライスは頷く。
「そう。世紀の大恋愛だと持ち上げられてその気になっていたのに、相手は援助だけもぎ取ってさっさと留学していったからね。ああ、でも僕も彼女の夢を応援したいと本気で思っていたよ」
「まあ」
シンシアが集めた情報はおおむね正しかった。否定もせずに頷けば、ブライスはシンシアに聞いた。
「この話、聞くかい?」
「お願いしますわ」
結婚する相手のことだ、きちんと知っておかねばという想いしかなかった。なのに、彼女の返答が予想外だったのだろう。ブライスは驚いた顔になる。
「嫌じゃない?」
「嫌かどうかと言われたら嫌ですわ。でも、ブライス様はわたしの夫になるのですもの。隠される方がもっと嫌ですわ」
きっぱりと言えば、彼は嬉しそうに笑った。
「ありがとう」
「お礼を言われることではありません。できれば、事実だけではなくてブライス様が今どう考えているのかも聞いておきたいです」
「そうだね。きっと曖昧な情報しか知らないだろうから。歩きながら話そうか」
シンシアの希望に頷くと、彼は再びゆっくりと歩き始めた。そして、過去に何があったのか隠すことなくシンシアに説明し始めた。
シンシアは穏やかな彼の言葉を聞きながら、言葉を遮ることなく聞いていた。
「ブライス様はあれですわね。現実が少し見えていなかっただけなのですね」
「騙されたとか言わないの?」
「そうですね。騙されたというよりも、優しさに付け入られたとは思います。だって結局彼女の留学費用はブライス様がお支払いになったのでしょう?」
「一年分だけだけどね」
一年分、というのはきっと婚約を待てる最大の期限だったのだろう。それでも他国に留学、しかも貴族としていくのならかなりの費用になるはずだ。
「十分ですわ。それで、ブライス様はまだ彼女のことを愛しているのかしら?」
「愛か。愛しているかと言われたら、きっと初めから愛していなかったんだと思う」
意外な言葉を聞いて、シンシアは瞬いた。熱烈な愛の言葉を聞かされると思っていただけに、予想外だ。
「彼女の熱に浮かされていただけだと今は思うよ」
「離れてみて冷静になったということかしら?」
「そうかもしれないね」
二人は沈黙した。心地の良い風が甘い花の香りを運んでくる。
「ブライス様、わたしがこの結婚に求めるのは誠実さですわ」
ブライスは軽く頷いた。
「ですから、もし、どうしようもなく愛しい人ができたのならまずはご相談くださいませ」
「君は冷静だね」
「幸せになりたいですもの」
にこりと微笑めば、ブライスは困ったように微笑んだ。