9.お人形の部屋
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オルフは馬を走らせていた。
早く、早く、少しでも早く、と。
オルフには超人的な力がある訳ではない。
ただ昔から人の数倍も回復が早い体質だった。
特に何かに心を研ぎ澄まして一心に向かっている時は、食事も休息も無いままに行動を続ける事ができた。
本人は気づいていないが、無意識の内に自身に光魔法をかけているのだろう。
目を覚ましてフィオナが居ないことに気づいた時は、のうのうと眠っていた自分に腹が立って仕方がなかった。
近くに従兄弟と副長がいるのは分かっていたが、ゼロスの結界を無効化する方法を持っているとは知らなかった。
本当に自分には知らされてないことばかりで、そんな事は分かっていた筈なのに、想定していなかった自分をいっそ殺してしまいたくなる。
知らなかったで済む訳がない。
もしもあの人が死んでしまったら。
オルフの手の届かない所へいってしまったら。
考えただけで目の前が真っ暗になる。
―――大丈夫、まだ間に合う筈だ。
リッカルドは酷くフィオナに執着していた。
少なくとも命だけは保証されているはずだ。
持っている権力の全てを使って、形振り構わず実の妹を手に入れてどうするつもりなのか、深く考えるとこの世から消し去りたくなるけれど。
「ろくなもんじゃねえだろうな」
そう言ったゼロスは感情が制御できていないのか真っ黒な魔力を駄々もれにしていた。
今兵に行き会ったとしたら消し炭も残さず皆殺しだろう。
幸いなことに怒れる大魔法使いはさっさと転移陣を用意するとオルフを残してどこかへ消えた。
オルフは信用してもらえなかったのかもしれないが、それも仕方のない事だ。
走り続けた馬が蹴り続けるオルフについていけなくなって苦しそうに鳴く。
なんとか、なんとか、もう少し先まで…
オルフが祈るように触れると触れた所から光が迸る。
それに気づかないままに、オルフは前だけを見続けていた。
****
「姫様、おはうございます。」
20年もの間フィオナの世界に存在しなかった女性の声が聞こえて、ひどい違和感で目が覚めた。
薄紅色の重なった、寝台の上。
…悪夢はまだ終わらないらしい。
体を起こして扉の方を向くと、ブルネットの髪を高い位置でお団子に結って、薄紅色のシンプルなワンピースに白のエプロンというこの部屋にピッタリの衣装を着た若い女性が立っていた。
世話をしてくれる侍女、だろうか。
「…おはよう。」
「ゆっくりと休んでいただけましたか?」
女性は上品な笑顔と優雅な所作で窓際まで移動すると、カーテンを開けて部屋の中に光を入れた。
カーテンの向こうには綺麗な青空が見えるが、その窓には美しい蔓草模様になった鉄格子が嵌まっている。
どこまでも美しい監禁部屋だな、といっそ感心する。
「今日は調子がいいわ、よく寝れたんでしょうね。」
「それはよろしゅうございました。」
薬が抜けたのか、重たかった頭も体も随分と楽になっていて、昨日より格段に調子がいい。
お陰で昨日感じた絶望感も大分落ち着いていて、少しはましな思考ができそうだ。
「お召し変えをいたしましょう。ドレスは何色になさいますか?」
「黒で。」
間髪いれずに返すと、侍女は小さく目を見開いてから微笑んだ。
「こちらへいらっしゃった時の服は服喪服かと思っておりましたが黒がお好きなんですね。」
ほう、私の服を着替えさせたのはこの人だったようだ。
アキレウスかリッカルドではないかと恐ろしい事を考えていたので常識的な事実が分かって安心した。
「申し訳ありませんが、用意してあります服は白か薄紅、薄黄、薄青ですね。」
「全く趣味じゃないです。」
黒がいい。黒しかいらない。
少なくともそんなフワフワした色は嫌いだ。
「陛下の趣味ですので。」
申し訳なさそうに言った侍女に、思わずため息が漏れる。
絶望的に趣味が合わない。
「…そうね、薄青にするわ。」
涼しげで、まだ少しはましかもしれない。
侍女に着付けられたそのドレスは、やはりふんだんにフリルを使った大袈裟に広がった形のもので、裾は膝下くらい。頭には大きなリボンが結ばれる。
「…私、40過ぎてるんだけどな…。」
どこの幼女のドレスを借りてきたのか?と気が遠くなる。
現実にはサイズはピッタリで間違いなくフィオナの為に誂えた物だという事実に、更にうんざりする。
「よくお似合いですよ。」
「…あんまり嬉しくないわね。」
侍女はお上品に笑うと朝食をご用意して参りますと言って部屋を出ていった。
入れ替わりに入ってきたのは、白地に金の縁取りのある近衛騎士の制服を着たアキレウスだった。
「おはようございます、姫様。」
「おはよう、アキレウス。…近衛は首になったのではなかったの?」
思わず聞くと、ああ、と苦笑で返された。
「これは衣装ですよ、姫様と一緒でね。」
うわー…
最高に嫌な顔をしたのだろう、アキレウスは楽しそうに嗤った。
私は深々とため息をついて、薄紅色の装飾過多なソファに腰を下ろす。
「陛下はお人形遊びがお好きなのね。」
「…侍女を見てどう思いましたか?」
「綺麗だし有能で…可愛い人ね。」
アキレウスの言葉の意図が分からなくて首を傾げると、アキレウスは満足そうに微笑む。
「陛下の侍女は全員が黒髪です。…さすがに黒い目までは探せなかったようですけどね。」
…気持ち悪。
いい年してなにやってるんだ。
心底気持ち悪いなあの実の兄は。
「あなたは陛下に仕えているの?…ずっと、昔から?」
「そうですね、ずっと昔から…陛下に声をかけられていました。姫様に不自由はないか、と」
アキレウスは自分を嘲笑うような顔で言った。
あの頃のアキレウスは若かった。
頭の切れる子だったけれど、どちらかというと無邪気に傲慢な感じで、自分を信じているようだった。
主人の兄であり王太子であるリッカルドに心配して様子を聞かれたのなら、答えたとしても責められない。
「あなたはしょぼくれて随分と残念な仕上がりになったわよね。」
「褒めていただいて光栄です。」
褒めてない。全く褒めていない。
アキレウスは少し髭を撫でた。
「落ちぶれた元エリート近衛騎士ですから、しょぼくれてないと目立って仕方がないので。」
そうですか、敢えてだと。そうね、そういう奴だったわね。
ははは、と力なく笑った後で、沈黙が訪れる。
お人形ごっこのように整えられた監禁部屋。
少女の衣装を着た王女様に、侍女と、近衛騎士。(だけは大分くたびれているが)
―――リッカルド兄様の知っている5歳の王女様なら、何にも知らないままここで幸せに暮らせたかもしれないけれど、ね。
残念ながら可愛い王女様の中身は40過ぎの引きこもり魔法使いなので、ここから出ていくなるべく穏便な方法を考える、が…
フィオナが気になっている事がある。
「…アキレウス、陛下の瞳は闇色だったかしら?」
隣に立って控えているアキレウスはどちらともとれるような微笑みを浮かべている。
フィオナにはリッカルドの瞳の色を直に見た記憶はない。けれど…
「昔…私以外の兄弟は、全て金髪に蒼い目をしている、と聞いた覚えがあるのだけれど。」
横にいるアキレウスを睨むように見つめる。
蒼い目といっても緑がかっているとか少し暗い色とか色々あるだろうが、闇色としか言い様のないあれを蒼と表現するのはさすがに無理がある。
「…そうですね、20年前のリッカルド様は蒼い目をしていらした。けれど、間違いなく本人ですよ。」
落ち着いた声でそう言ったアキレウスは真摯な顔をしていた。
別人でないのなら、瞳の色が変わったということになるのだろうか?
リッカルドの闇色の瞳を思い出すと背筋に悪寒が走る。
酷く、禍々しい物のように。
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