8.囚われの呪い姫
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何度か意識が浮上しそうになったのを覚えている。
うっすらと目を開けても、辺りを認識する前に甘い香りに覆い隠される。
ふわふわと夢の中に居るように心地いい寝具の中にいた。
最も頭は信じられない程に重たくて、気分は最悪。
考えること自体が億劫になる、けれど…
―――ふて寝してられる状況じゃないわよね…
ぎゅっと眉を寄せてから、目を開ける。
そこは見覚えのない部屋だった。
日は暮れているようで、薄暗い中にいくつか控えめな明かりが灯っている。
小さな女の子の部屋なのだろうか、壁も、敷物も、目に入るいたるところが明るい薄紅色に包まれていて、窓にかかるカーテンにはフリルとレースがたっぷりついている。
私が横たわっている寝台は金色の優美な支柱に同じ薄紅色の薄い生地が幾重にも重なった天盖がついていて、軽く三人は寝れそうな豪華さだ。
もちろん両手に魔法封じのブレスレットが嵌まっているのだが、その間にあった鎖は無くなっていた。
ここはどこだろう?
もう魔の森でないのは確かだ。
森の中にはゼロス様の城以外の建物は存在しないのだから。
アキレウスが連れてきたのだとしたら…ロゼッタの、王城?
広さや豪華さを考えればそのように思われるけれど、少なくとも、この部屋は知らない。
横向きの体をゆっくりと起こしてみる。
自分を見てぎょっとした。
私が纏っているのは、繊細なレースで縁取られた見たこともない真っ白の夜着だった。
―――どうして? 誰が、何の為に?
ゾクゾクと背筋を冷たいものが走る。
全てにおいて趣味に合わなくて気持ち悪い。
自分の落ち着いた部屋と黒のドレスが、心底恋しい。
だって、こんなのは、まるで…
「フィオレンティーナ!!」
勢いよく開いた扉から感極まったような男の人の声がした。
振り向いてその顔を見て一気に青ざめる。
ほとんどが白くなった金の髪に、険しい表情で眉を寄せる鋭い目付きと年を感じさせる口元。
――――お父様?!
その男は恐怖にひきつりながら後ずさる私の表情がみえていないかのように大股でこちらに近付いてくると、勢いよく抱き寄せた。
「会いたかった、フィオレンティーナ!よくぞ無事で…!」
頭が混乱する。
どう見ても父にしか見えないその人は、震えながらフィオナを抱き締めて、再会を喜んでいる。
―――お父様のはずがない。お父様が私との再会を喜ぶなんて、あり得ない!
「顔を、よく見せてくれ。」
男は柔らかい声でそう言って、フィオナの頬に両手を添える。
「ああ、本当になにも変わらない。美しい、本物のフィオレンティーナだ…」
うっとりと話す姿に怯えながらもその顔を間近で見つめると、記憶の父親の立派に整えられた髭が、その男には無いことに気づく。
そして、何よりも…
―――そうよ、20年、たっているんだわ…
フィオナの記憶にあるのは20年前の父の姿だ。
魔法使いでない父親が、今もその姿の訳がない。
この人は20年前はもっとずっと若かった。
そう、オルフは言っていたではないか命令で私を探しにきたと。
そして、その命令を下したのは…
「…リッカルドお兄様…なのですか?」
フィオナが覚えているのは、他の兄弟と同じ金髪であったということくらい。
あの頃でさえ、瞳の色がわかるような距離に立つことのなかった、王太子殿下。
男の表情が一気に喜びの色に染まる。
「私を覚えていてくれたんだね、父上に邪魔されて何年も会うことも出来なかったのに…。安心してくれ、父上はもういない。今は私が国王だ。」
そうか、今、この国の国王はこの人なのだ。
いや、全然覚えていない。と言いたい所だがどう見てもそんな雰囲気ではない。
さすがにその程度の空気は読める。
「すまなかった。父上からお前を守るのに、一度死んだことにするしかなかった。魔の森に追放されてすぐに、お前の護衛騎士が確保する予定だった。まさか、あんなことになるとは…。」
リッカルドは眉を寄せた苦悩の表情で、訥々と語りだす。
咄嗟に理解が追い付かないフィオナは目を見張ってその顔を見つめる。
手の届く距離にあるリッカルドの瞳は、先の見えない闇のように濁って見えた。
「…兄様が私を追放されるように仕向けた、という事ですか?」
そんな筈はない。
お父様は私がお嫌いで遠ざけられていたけれど、私を殺そうとしていた訳ではない。国王がそうしたいのなら、味方の居ない私などもっと簡単に排除出来たはずだ。
あれは父王の誤解が原因だった。
王を殺そうとしたのだから、王女でも許されなかった。そうでしょう?
フィオナの胸にじわじわと不安が膨らんできて、思考を黒く塗りつぶしてゆく。
「仕方がなかったんだ…あの時、父上はお前を隣国の王子に嫁がせる話を進めていた。私にも、お前自身にも告げずに!」
ああ、たしかにあの頃隣国の王子の古くからの婚約者が流行り病で亡くなったという話を聞いた気がする。
けれど、知らない。
それが私の結婚の話に繋がっているなんて、聞いてない。
頭の中がぐるぐると回って、今までの嫌な思い出が次々と甦ってくる。
次々と死んでいった、婚約者達。
『私に結婚されたら困る人間。』
そんな人は知らなかった。
そんな人は居ないと思っていた。
「さすがに…隣国の王子は…殺せない、ですよね…。」
フィオナの口からぽつりと呟きがこぼれる。
言った後の口の中がひどく苦く思えた。
リッカルドが小さく目を見張ると、その顔を焦ったように曇らせる。
「父からお前に近付くことを禁じられていた。私が王になる前にお前が城を出ていくなど、ましてや結婚など認められるわけがない!」
リッカルドが苦悩に満ちた表情で訴える。
掴まれている両腕は、力が込められて痛いほどだ。
―――お父様はリッカルド兄様が私に近付くことを禁じていた?
それは、いつ頃からだろう。
ずいぶんと小さい頃にしか会った記憶がない。
そう、ちょうどひとつ上のお兄様が亡くなった頃には…
ああ、嫌だ。
バラバラの欠片が勝手に重なって像を結んでしまう。
わかりたくない。
なにもかも、わかりたくない。
「けれど、もう父はいない。これからはフィオレンティーナとずっと一緒にいられる…!」
もう一度その腕に抱き込まれる。
先程は訳がわからなくて恐ろしかったが、今度はゾクゾクと酷い悪寒がした。
この部屋を用意したのはこの男か。
この真っ白い夜着を着た私を、この城に閉じ込められた私を望んだのは、この男か。
部屋に感じていた気持ち悪さがみるみるうちに膨れ上がって、自分を塗りつぶそうとしているみたいだった。
嫌だ。ああ、嫌だ。
その暗い闇色の瞳に吸い込まれてしまいそうだ。
胸の奥から異物を飲み込んだ様な気持ち悪さが迫ってくる。けれど、その腕はフィオナの力では振りほどけない程強い。
―――助けて。
ついこの間出会ったばかりの、嬉しそうににこにこと笑う顔が思い浮かぶ。
フィオナを呼ぶ優しい声と、案じてくれる手のひらの暖かさが、頭の中をぐるぐると回る。
―――こんなのは、嫌だ。
―――助けて、オルフ…
重たかった頭は今や真横でガンガンと鐘を打っているように痛む。
そうして、フィオナは意識を失った。
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