7.呪い姫、拐われる。
見つけてくださってありがとうございます!
ふと目が覚めた。
ごく小さい窓の外からささやかな光が差し込んでいる。
月は頂点を越えて傾き、真夜中といっていい時間だろうか。
ぼんやりとした意識のまま目だけで辺りを見回す。
見慣れた城の私室。
牢屋と見間違う石造りの部屋は、フィオナが一から作った毛足の長い敷物と濃い紫の木材の家具で、独特の居心地の良い空間になっている。
どうして目が覚めた?
どうして体が緊張している?
スッと顔の前を影が遮った。
―――誰かいる?!
目と口を甘い香りの染み着いた布で塞がれる。
急速に意識が遠ざかってゆく…。
****
次に目を覚ますと、フィオナは揺れていた。
体がずっしりと重たい。
最後の記憶をゆっくりと思い出して、うっすらと目を開ける。
辺りは薄暗く、鬱蒼と繁る緑に囲まれている。
魔の森の中のようだ。
ゆっくりと顔を動かすと目の前に艶のない薄金色の髪の頭があった。
――――背負われている?
反射的に体に力が入って、手を引くと、手首に痛みが走った。
「姫様、目を覚まされましたか?暴れると危ないですよ。」
頭のすぐ近くで酷く冷静な男の声がした。
分かったのは拐われたということだけで、なんと答えていいか分からない。
とりあえず男の肩の向こうにあるはずの腕をもう一度ゆっくりと動かしてみた。
じゃら、と金属の触れる音がして両手がほとんど離せない事がわかる。
男の肩には紺色のマントが掛かっていた。
どこかで見た。
…そうだ、オルフと一緒にいた騎士の衣装。
「少し先で食事を用意しています、不自由だと思いますが大人しくしていて下さいね。」
丁寧に話す言葉を聞いていると、酷い違和感を感じて気持ち悪い。
姫様だと思っているなら何故何の交渉もせずに拐う?
ああ、けれど、体は重くて言うことを聞かないし、枷を嵌められて背負われている現状では逃げることも出来ない。
考えるのを放棄して目を閉じてゆらゆらと揺られていると、男の言葉通りにしばらくして開けた場所に出た。
食事のいい匂いが漂っている。
魔の森に開けた所など存在しないはずなので、彼らが木を払って整えたであろう薄暗い空間に10人ほどの兵士が輪をつくって食事をしているのが男の肩越しに見えた。
「副長、用意ができています。」
手前にいた兵士がそう言って立ち上がる。
「ああ、姫様の分もよろしく。」
男は言いながらゆっくりと腰を下ろした。
フィオナの足が地面に着くと、腕を掴んで頭を抜く。
解放された両手を見ると、豪華で繊細な細工の施されたブレスレットが嵌まっていた。
銀で作られているらしいそれは洗練された造形の蔦模様の中に大きくて力に満ちた魔法石が埋め込まれた美しいものだけれど、フィオナを拘束する手枷として嵌まっていて、その間を簡単に千切れそうにない太さの鎖が繋いでいる。
手枷の縁で擦りむいた鈍い痛みに眉をしかめてから、目の前の男に向き合った。
艶のない薄金色の癖の強い髪に、柔和そうな印象の笑みを湛えて、口許に紳士らしい髭を生やしている。
背負われていた時には想像できなかったが既に壮年といっていい年のようだ。
―――若者はいくらでもいるのに何故こんなおじさんが私を背負っていたのだろう?
「相変わらず考えていることがわかりやすいですね。私は貴方より3つ年下ですよ?」
爽やかな笑顔に回転の速い頭と容赦ない鋭い毒舌。
フィオナの頭の中でカチリと嵌まった。
「…アキレウス、なの?」
恐る恐るその名前を口にする。
その言葉を聞くと、男は口の両端を吊り上げてにっこりと笑った。
「覚えていて頂いて光栄です。姫様は20年前とお変わりありませんね?」
アキレウスは子爵家の三男で、フィオレンティーナ姫の護衛を担当していた近衛騎士だ。
最後に魔の森まで私を連れてきた騎士のひとり、でもある。
それにしても年下でなかなか可愛い顔をしていた少年がすっかりおじさn…見慣れない姿になっていて、落ち着かない。
「…あなたは…年相応というか…お孫さんがいたり?」
「ハッキリ老けたっておっしゃって構いませんよ?いるわけないでしょう。こき使われてますから結婚なんかできませんよ。」
笑顔のまま不機嫌を伝えるという高等技術はアキレウスの仕様だ。20年を経て迫力が増している。
王族を警護する近衛騎士はエリートで将来は騎士団幹部になるはずだが、なぜこんな所で人拐いをしているのか。
着ている鎧ひとつとっても近衛騎士のものでは有り得ない。
「…近衛を首になったの?」
「姫様を守れなかったですからね。」
鉄壁の笑顔で恨み言を言う。
「…別に、あなたに罪はなかった…わよね?」
アキレウスは凄みのある笑顔のまま答えない。
―――私のせいだって言うの?
回りは巻き込んでいないつもりだったのだが。
また顔に出ていたのかアキレウスは嘆息すると、不満そうにフィオナを見た。
「あの後致命的なミスがあったんですよ。今は誰にもなし得ないことだったかもしれないと思っていますが。」
アキレウスは兵士の持ってきたスープの入った器と乾燥させた固そうなパンを受けとると、フィオナへ渡す。
「食べてください、またすぐ歩きますからね。」
スープは森で採取したと思われる葉と乾燥肉のようなものが入っている。パンを浸して食べると思ったよりもおいしかった。
ゆっくりと時間をかけて食べながら辺りを見回す。
辺りは薄暗い森で、木や草の感じからもまだ魔の森の領域にいるのは間違いないようだ。
歩いているのなら急いでも3日はかかるだろうから納得でもある。
どうやってあの城へ忍び込めたのか。
方法はわからないが嫌な予感がする。
あの城に忍び込めるのなら…
試しに指先に小さな明かりを灯してみる。
パチン、と小さく音がして一瞬手枷が熱を持った。
「姫様、おかしな事は考えないで下さいね?」
いつの間にかこちらを向いていたアキレウスがにっこりと笑って念を押す。
フィオナも久しぶりに王宮を思い出してにっこりと笑い返してやった。
―――やっぱり。この手枷には、魔法を阻害する力がある。
オルフの光の剣だけではなかったのだ、魔法に対抗する手段は。
どういう方法かはわからないが、この豪華な魔封じの手枷が用意されていた事を考えると、私が魔法を使うことも想定済みだったようだ。
ロゼッタ王国に魔法使いはいない…はず、だけれど。
―――嫌だな、魔法が使えなかったら汚れたらどうするの?
憮然とした顔をしていると、何を思ったかアキレウスがニヤニヤと笑っている。
「簡単に逃がしませんよ。」
「不便だなって思たっだけよ。」
風呂に入るために水を汲んで薪を用意して火をおこして湯を沸かすというのか?
不便すぎる。魔法なしでどうやって生活すると言うのか。
フィオナにとって魔法は生活技能だ。
フィオナがアキレウスを見ると、虚を突かれたような呆れたような顔をしている。
「何よ、見ればわかるでしょ。」
―――私とあなたの違いが。
20年の年を経て変わらないフィオナと、年相応のアキレウス。
その間にどれ程の差があるか。
「…正直驚いてるんです。少しは物を知ったつもりでいたのですが、まさか姫様が本当に変わらない姿でいらっしゃるとは思いませんでした。」
「私には…師匠、しかいないから普通がどうとかわからないわよ。」
「素晴らしい御師匠様のようですね。」
アキレウスがにこにこと笑う。
結果としては、それが悪かったのかもしれない。
食事には睡眠薬が入っていたのか、ふたたび背負われるとすぐに眠たくなった。
次に目を覚ましたのは3日後、すべての移動が終わった後だった。
読んでくださってありがとうございます。
もしよろしければ、あなたの思う現時点での評価を入れてください。私の中で今後の参考にさせて頂きます。