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6.光の騎士と呪い姫

ゼロスが後は勝手にやってくれと言って部屋を出て行ったので、フィオナがオルフに向きなおった。


「‥‥怪我を‥‥見せてもらって、いいですか?」


オルフは何事もなかった様にニコニコしているが、その両腕にはゼロスの刃が切り裂いた傷がそのままになっていて血を垂らしている。

ハッキリ言って不気味だ。


「はい!」


オルフがいい返事をしてバサッと上着を脱いだ。

フィオナが手を伸ばして傷口に顔を近づける。

血を拭った傷口は見た目ほど深くなくて、これくらいならフィオナでも治せそうだ。


「‥‥魔法を、かけますね。」


宣言して、慎重に右手を傷口にかざしてゆく。

ぼんやりとした光を浴びてじわじわと、しかし確実に傷口が塞がってゆく。




オルフの目が限界まで気を張り詰めて制御する真摯な顔のフィオナに惹き付けられる。

黒く長いまつ毛が気高く輝く黒曜石のような瞳に影を落としている。奇跡のように白い肌に引き締められた薔薇色の唇が鮮やかに咲いている。


――――なんて綺麗なんだろう。


触れてしまいそうに近いフィオナの顔から目を離せない。




「‥‥傷は、無事塞がったので‥‥大丈夫だと思います。」


フィオナが額の汗を拭って顔を上げると至近距離にオルフの顔が迫っていてびくりとする。

オルフは呆けたように無言で、手を伸ばしていた。


「あの‥‥まだどこか、痛いですか?」


しばらくの沈黙のあとフィオナがおずおずと聞くと、オルフは急に目を見開いて驚いたように後ずさった。

距離をとると、目をそらして両手で顔を覆い隠す。


「‥‥大丈夫です。ありがとう、ございます。」


――なんだろう?この反応。


そんなに怯えなくてもいいのに。


「フィオレンティーナ姫は魔法を使えるのですね。」


なんとか平静に戻ったオルフェオが手を少し下げて顔を覗かせると、感嘆するように言った。


「‥‥ここで、たくさん修行しました。‥‥でも、治癒魔法なら‥‥きっとオルフさんの方が、うまくできると思いますよ。」


オルフが目を瞬かせて驚いている。


「私が魔法を、ですか?‥‥そんな事を言われたのは初めてです。」

「‥‥あなたは‥‥光属性の魔法が、とても馴染むようですから。」


そう。まるで、勇者のように。


言われたオルフは考え込んでいる。

そもそも神官の使う“祝福”は光魔法のひとつだ。

魔法を持たない者が使うときは形だけの儀式のようなものだが、力を持った人間が使えば対魔としては強大な力になる。

ロゼッタ王国に魔法使いは存在しないので、魔法を使っている意識がないのだろう。


「そんな力があったら何度も死にかけないで済んだかもしれませんね。」


オルフが自嘲するように嗤った。

あらためて見ると、オルフの引き締まった体には目を疑う程たくさんの傷跡が刻まれていた。

どれだけの戦闘を経験したらこれ程の傷を受けるのだろう。フィオナには想像もできない。


「‥‥凄い、傷跡ですね。」


一際大きいのが彼の心臓の上を斜めに抉るように走る四本の傷跡だった。獣の爪痕のようなそれは、すぐに治療する事ができなかったのか赤黒く引き連れるように残っていて、酷く痛々しい。

フィオナの指が傷痕をなぞる。


「ああ、これが一番ひどいやつです。辺境の山奥で手負いのドラゴンに引っかけられて、なんとか倒したんですけれど、帰ってくるのが大変でした。」


かわいく照れ笑いしながら言っているけれど内容がおかしい。

ついでに自分の1.5倍位でかい騎士がかわいい子犬に見えるフィオナの視覚もおかしい。


―――そうだ。この人を、誰も助けなかった。


吹き飛ばされて、絶壁を登って、水の中に投げ出されて。

ここまで辿り着いたのはただ一人彼の力のはずなのに。

ボロボロでも、ドロドロでも、誰も手を差し伸べない。


ふとニコニコと無防備に笑っているオルフがこの城の前に倒れていた20年前のみじめな自分と重なる。

あの時のフィオナは、すべてを諦めていた。

何事にも心が動かなくて、笑うことができなかった。

手を差し伸べてくれた、ゼロスにさえも。


「‥‥どうして‥‥そんなに、楽しそうにしていられるんですか?」


――あんなにたくさんの悪意に晒されているのに。


勝手に口からこぼれた言葉。

フィオナが自分の言ったことに驚いて口を押さえる。

オルフがふわりと綺麗に微笑んだ。


「‥‥フィオレンティーナ様にお会いできて、とっても嬉しいからです。」


フィオナがぱちぱちと目を瞬かせた。

オルフの表情は真剣で、からかっているようにも見えない。


「きっと私は、このために生まれてきたんです。」


キッパリと言ったオルフはフィオナを見つめながら微笑んでいる。

心から幸せだ、と言うように。


―――いや、なんでよ。


彼に何をしたと言うのか。

どうしてそうなるのか。

全く意味がわからない。

それなのに…


――――どうしよう。

――――なんで、こんなに、私は‥‥嬉しいんだろう。


茫然とオルフを見つめていたフィオナの瞳から、ぽたぽた、と涙が溢れる。

オルフが唖然としている。

フィオナ自身にも、どうして泣いているのかわからない。


「ええ?!なんで?!どこか痛いですか?」


オルフがオタオタと慌てて手を無意味に動かしている。

フィオナは声を上げるでもなく、表情をかえるでもなく、ただ涙を流し続ける。

目の前でオルフが慌てているのをぼんやりと見ている。

ハンカチが見つからないオルフが、仕方なく自分の服の袖を伸ばして涙を拭うと、フィオナがぽつりと呟いた。


「ありがとう。」


「うれしい。」


そう言ったフィオナはすぐ傍のオルフの目をまっすぐ見つめると、ゆっくりと目を細めて笑った。


「私の事は、フィオナと呼んでください。」


花がほころぶような笑顔を正面から浴びたオルフがびっくりして固まる。

そして見とれるように表情を緩めると、嬉しそうに微笑みあった。


****


日が暮れた後、夕食の用意ができたとゼロスの部屋まで声をかけにきたフィオナは、そのままオルフを呼びに行った。

ゼロスが席で待っていると、フィオナが微笑みながらオルフの手を引いてあらわれる。

夕食の席について他愛もない話をしていたが、少しの沈黙の後で、オルフがゆっくりと語りだした。


はじまりは、使用人同然に働いていた自分が、聖剣に選ばれたこと。

騎士団長の叔父でも、その後を継ぐ従兄弟でもない、ただのオルフェオが。


「私は捨て駒です。長い間魔物討伐の最前線を転戦していて死ぬように仕向けられてきました。」


最初はゴブリンの小さな群れだった。

オルフが剣を一閃すれば、力の弱い魔物はそれだけで消滅する。

それがわかってからはもう止まらなかった。

魔虫の群、闇狼の軍団、雪熊に怪鳥、大洋の沖を占拠していたセイレン、そして山奥のドラゴンまで。


討伐員は毎回入れ替わるが、どれだけ期間が連続していようともオルフだけは全てに駆り出される。

死んでも構わないし、死ななかったなら次も使える。

目障りで便利な、魔獣退治の道具。


「…それでお前の仲間は誰もお前を助けないんだな?」

「はい。私は一応正騎士としての籍はありますが、我が隊長が従兄弟殿で団長が叔父上である限り永遠にこのままでしょう。」


従兄弟は手柄を自分のものにし続け、叔父は永遠にそれに気付かない振りを続ける。

そこに言葉を挟める者などなかった。

この世から解放される時だけを請い願う日々。


ふいと顔を向けるとオルフの思考を読んだようにフィオナが視界の端で眉をしかめた。


―――ああ、あなたがそんな顔をしなくていいのに。


オルフはその美しい顔に浮かぶ憂いを見て申し訳なく思いながらも、込み上げてくる愉悦を抑えられなくなる。

オルフが微笑むと、フィオナが困ったように眉を下げた。

ゼロスが大きく息を吐く。


「まあ、大方予想通りとも言えるな。」


ゼロスの言葉に、フィオナが無言で頷く。

フィオナはすっかり食べ終わった食卓を見回すと、皿を下げ食後のお茶を入れるために席を立った。


フィオナが完全に部屋から立ち去ると、スッと部屋の空気が変わる。

オルフの顔から嬉しそうな笑顔がするりとほどけて、感情の伺えない騎士の顔が現れる。

ゼロスの瞳にほの暗い闇が映った。


「…ずいぶん仲良くなったみたいだけどフィオナは連れていかせられないよ。」


ゼロスが静かに、しかし低く重い声で告げる。


「わかっています。しかしそれではリッカルド様は納得されないでしょう。」


表情なく答えるオルフの声は酷く冷たく響いた。


「未だにフィオナを探しているのはそいつか?」


細心の注意を払って身を隠してきた。

20年もの間、城からほんの一歩も出すことなく。

後から分かったことだが、フィオナが森に入ってすぐに何人かの騎士が捜索している。

何の力も持たないお姫様が逃げおおせるなど有り得ないと思うが、真実フィオナは追手に掠ることもなく城までたどり着いている。

何頭もの魔獣に襲われたはずが、そのすべてがまるで威嚇して誘導するかのように城へ導いている。


「はい、今でも国中と森を捜索しています。」


生きていると確信する理由があるのか。

それとも、そんなことはどうでもいい程に執着して囚われているのか。


「…追い出しておいて返せとは、実に勝手なことだ。」

「私も、そう思います。」


ゼロスが忌々しいと顔を歪ませてオルフを睨む。

オルフがぎゅっと眉を寄せて悔しそうな顔をした。


フィオナが食堂に戻ってくると何となく重い空気に少し首を傾げた。

それに言及すること無くゆっくりと丁寧にお茶を入れると、落ち着くいつもの香りが部屋に満ちていく。

ゼロスの前に、オルフの前に、最後に自分の前にティーカップをセットする。


城の前に居た兵達はいつの間にか姿を消していたけれど、引き揚げたのかどうかはわからない。

オルフを助けにくる様子はないけれど、だからといって諦めたとは限らないからだ。

そんな事はみんな分かっていたけれど、何事も無かったようにお茶を飲んだ。

オルフはにこにこと嬉しそうに。

フィオナ心が満ちているような微笑みで。

ゼロスは何となく面白くないような複雑な顔で。


フィオナが片付けを終えて部屋へ戻ろうとすると、まだ食堂にオルフが居た。


「まだ部屋に戻ってなかったんですね。」

「フィオナを待っていた。」


オルフが嬉しそうににこにこと笑うのを見ていると、フィオナもなんだか嬉しくなってくる。

オルフはフィオナを部屋の前まで送ってくれた。

部屋の前で立ち止まると、繋いでいた手をそのままに、両手を握る。


「今日は色々ありましたけれど、不安になっていませんか?」


フィオナが何を言われたのかわからなくて目をぱちぱちと瞬かせる。


「突然に兵に囲まれて、驚いたでしょう?」


夢を見ていたし、暫く前から様子を伺っていたから心構えは出来ていた。

ゼロスがいるのだからそう簡単に蹂躙されることはない。

それでも普段と違う高揚感の中に、不安がなかった訳ではなかった。

オルフの声は落ち着いて低く、心地よく響く。


「無理しないでくださいね、僕がいますから。」


それは、フィオナからすれば何の保証にもならない言葉。

オルフよりゼロスの方がずっと強くて頼りになるに決まっている。

それでも何よりも嬉しいと思ってしまうのだから、仕方がない。


「…ありがとう。」


フィオナがそう言うと、オルフは一際嬉しそうに微笑んだ。

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