10.国王陛下の訪問
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それは夕方のお茶の時間だった。
何もすることがなくて暇なので、ミルクをたっぷりと入れたお茶をとバターの香る焼き菓子をおいしく頂いていると、控えめに扉を叩く音がしてアキレウスが来客を告げた。
「フィオレンティーナ、いい子にしていたかい?」
満面の笑顔でリッカルドが入ってきた。
…物語に出てくるお父さんみたいだが、フィオナにとっての父親は遠くで偉そうに座っている人、である。
リッカルドは当然のようにフィオナの隣に腰を下ろした。
「やることがなくて退屈でした。」
うんざりした顔でそう言うと、リッカルドはおやおやと大袈裟に首を傾げて見せた。
「私のお姫様はご機嫌斜めだね?そう言うことなら明日はフィオレンティーナが気に入るような本を持ってこようか。どんな本がいいかな?」
「…魔法について書いてある本、ですかね。」
「それではおとぎ話を探してこよう。」
煽るように言ったが、リッカルドはフィオナの肩抱きながら、平然と取り違えた返事をする。
「さあ、お姫様の顔をよく見せてくれるね?」
そう言ったリッカルドの手がフィオナの顔を捕らえた。
間近で見るとやはり闇色の瞳に目がいってしまう。
にこにこと心底嬉しそうに笑っているのに、目だけが穴を穿ったように暗い闇色に澱んでいて、ゾッとする。
「ああ、今日も可愛らしい。私が贈った服もよく似合っていて綺麗だ。」
リッカルドは上機嫌で喋り続けるが、フィオナはゾッとするその目に捉えられて、無意識に身を捩った。
「…リッカルド兄様、久しぶりにお兄様に会えて嬉しかったです。」
フィオナとしてはほぼ知らない人だけれど。
全く意思を確認されないで連れてこられたけど。
リッカルドがにこにこと笑っている。
「私もだ。フィオレンティーナに会えて嬉しい。今が最高に幸せだよ。」
「そろそろ森の城に帰ろうと思います。」
努めて無表情にそう言ったが、リッカルドは眉ひとつ動かさずににこにこしている。
「森の事は心配しなくていい。フィオレンティーナがここにいるなら、森には近寄らないよ。」
ああ、やはりフィオナの言いたいことは分かっている。分かった上でこれなのだ。
それは脅しじゃないか?
「森の心配はしてないですよ、師匠は私が居なくても最強です。」
「それはすごい。でも私には隣国で作らせた魔道具があるからねえ。」
リッカルドの片方の手がフィオナの頬から離れた。
その手でフィオナの腕を掴むと指先でブレスレットをなぞるように触れる。
そうか、隣国の魔道具なのか。
全容が見えてきて少し安堵する。
隣国はゼロス様の国。あのゼロスが自分の故郷に遅れをとるなんてあり得ない。
「帰りたいんです。もうここは、私の居場所ではないので。」
リッカルドは少しだけ眉を寄せて悲しそうな顔をした。
「そんな悲しい事を言わないでくれ。この部屋は私のお姫様の為に作ったんだよ?…私はフィオレンティーナが居なくなったら寂しくて死んでしまう。」
寂しい?
それは違うように思う。
手に入れないと気が済まないとか、誰にも見せたくない触らせたくないとか、自分より執着されている者への嫉妬とか。
これだけ犠牲を払ったのだから諦めるわけにはいかない、とか。
それは、元は好意だったのかもしれない。
けれど今は変質しすぎてしまって、何か違うおぞましいものになってしまった。
「私はここに居場所がなかった。それは、あなたが奪ったんです。」
真剣な顔でリッカルドを見つめる。
少しでも自分の言葉が伝わるように、と祈るような思いで。
「そんな事はない、私はずっと見ていたよ。フィオレンティーナは楽しそうに王城の庭を散歩していた。時には王族の花園でお茶を飲んでいる時もあった。あの頃の私は、見ている事しか許されていなかった。」
リッカルドは決して手に入らない物に焦がれた、熱に浮かされたような顔でフィオナを見つめていた。
「けれど今は違う、この城の王は私だ。フィオレンティーナの居場所は、私が作ってあげる。だから何も心配しなくていいんだよ。」
晴れ晴れとした笑顔。
とても清々しいはずのそれは、ひどく禍々しいものになってしまっている。
それは、もう取り返しのつかないこと。
フィオナの婚約者達に手を下したのはリッカルドではないだろう。
王太子の彼にはたくさんの使える“手”があった。
けれど、一番最初。
フィオナが必死で看病した、仲良しのお兄様。
あの時のリッカルドはまだ10歳ほどだった。
…弟を手に掛けたのは、リッカルド本人だ。
「いりません。私のいる場所は私が決めます。」
リッカルドの闇色の瞳が小さくざわめいたようだった。
「私は、森に帰ります。」
きっぱりと言いきると、リッカルドの顔に反射的に怒りの炎が点った。
闇色の瞳が一際濃く揺らめく。
圧迫感を感じるほどのそれは、けれど一瞬の後には少し寂しそうな笑顔に刷り変わっていた。
「そうか、フィオレンティーナはもう無邪気な子供ではないんだね。」
その言葉はどういう意味なのか。
リッカルドの手が伸ばされて、フィオナの頬に触れる。
ゾッとして振りほどきたくなるのを堪えて、真っ直ぐにその瞳を見つめる。
「こんなに美しい、私のお姫様。」
うっとりと酔っているようなリッカルドの口から空恐ろしい言葉が連なって吐き出されてゆく。
「森で、誰かが…待っているのかな?」
リッカルドのもう片方の手がフィオナの肩を捕らえると、後ろへ強く押される。
「大丈夫だ。安心して、私のフィオレンティーナ。」
リッカルドの顔が近付いてくる。
父王にそっくりの、闇色の瞳の、その顔が。
「すべていなくなるよ。もう、誰にも渡さないから。」
――――ああ、無理だ。
―――――もうこれ以上、お兄様に私を捧げられない。
フィオナは背中をソファに預けたままで、両腕を持ち上げると、リッカルドの肩を強く押し返した。
そのまま練り続けた魔力を一気に解放する。
両腕のブレスレットが熱を発して、次の瞬間に嵌まっていた大きな魔石が粉々に弾けとんだ。
「うわっ?!」
その欠片を正面から叩きつけられたリッカルドが体を起こして両手で目を覆う。
フィオナの手首に残っていた銀の蔦はサラサラと粉になって、宙に消えた。
「壊そうと思えば、いつでも出来たんです。」
立ち上がったフィオナがソファの上のリッカルドを見下ろしていた。
「結構気に入ったので、円満に解決したら作り直そうかと思っていたんですけどね。」
許そうという事ではない。
そう簡単に許せる訳がない。
けれどもし、リッカルドが解放してくれたのなら。
…別な結末が、あったかもしれない。
顔を上げたリッカルドの瞳は闇色で、その目は額から流れた血に赤く染まっていた。
「どうして…」
リッカルドが呟く。
「どうして、私から逃げる?」
闇色の瞳は真っ暗な虚ろに何の感情も映さない。
リッカルドの体から闇色の魔力がじわじわと滲み出てきている。
「どうして、私の物にならない?」
酷く歪んで憤怒の異形となった顔の、その眼窩から赤い涙が、一筋流れる。
リッカルドの体は滲み出てきた闇の魔力にからめとられていた。
ひとつの塊のように真っ黒に塗りつぶされてゆく。
異様な魔力の揺らぎの中、フィオナは揺らぐことなく真っ直ぐに立っていた。
変わっていくリッカルドを、目を逸らすことなく見つめている。
「…リッカルド兄様。欲しいものが全て手に入るなんて、あり得ないんですよ。」
会うことのない長い長い間に、リッカルドの中にあるフィオレンティーナ姫はフィオナからどんどん離れていってしまった。
今では何ひとつ重ならない別人だ。
「無理をして道を遮れば、その先にあった筈の未来まで消えて失くなってしまう。」
「もしリッカルド兄様が手を下さないことを選んでいれば、私は兄様の側にあったでしょう。ふれ合うこともあったかもしれない。離れることがあっても、何度でも会うことが出来た。」
「先程もそうです。もし兄様が私を解放してくれていれば、私は再びここへ来ることもあったかもしれない。」
ここにずっと住むのは絶対に嫌だけど。
本当に無理だけど。
「…聞こえていますか?お兄様。」
もう、どうみても聞こえていないだろう。
分かっているけれど、最後だから言いたいことは言っておいた。
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