105話:プロローグ~進路~
新章突入です。そして……最終章です。
十一月中旬。
随分と肌寒くなり、そろそろマフラーが必要かと思い始める季節。
外は既に日が暮れて真っ暗になっているにも関わらず、俺たちは未だ教室に残っていた。
『ヨリ、ここの問四の解説が、分からないんだけど』
『そこは、didn’tがあるから動詞の原形しか入らないだろ? だから……』
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「なあ総司、ここの数学の問題教えてくれ」
「答えはいとをかしだ」
「あれ、俺数学って言ったよな?」
そう、受験勉強だ。
十一月に入ったあたりから、塾通いの宮本と細井を除く四人で勉強している。
「みんな頑張って。あ、クッキー焼いてきたから、よかったら食べてね~」
ちなみに、秋本も参加している。
就職組の中でも実家就職という最強の進路を選択した秋本は、受験勉強はおろか就職活動すら必要ない。
そんな彼女も、総司に付き合って毎日い残り勉強会に参加している。
「んじゃ、ちょっと休憩にするか」
「さんせい」
総司は腹立たしいことに頭がよく、塾には通っていない。
「結局伊織は、アメリカの大学受けることにしたのか」
総司は秋本が持ってきたクッキーをつまみながら、俺に尋ねる。
「大学つっても、予備役将校訓練課程だけどな。ほぼ士官学校だよ」
そう、俺はもともと海軍志願の予定だったが、大学に通いながら士官を目指す道を選ぶことにした。
オリバーさんや、アンジーと話し合った結果だ。
俺としては現場勤務がよかったのだが、まわりの心配を考えるとやはり士官という選択肢が有力になる。
「どうしても現場がいいのなら、軍人になってから俺が降格させてやる」とオリバーさんには笑って言われてしまった。
「アメリカの大学って、試験難しいの?」
秋本の問いに、俺もクッキーに手を伸ばしながら応えた。
「いや、むしろ科目が少ないぶん楽だぞ。アメリカ留学にはSATとかTOEFLのスコアを提出するから、今やってるのはそれの勉強だな」
と言っても、俺は既に十分なスコアを持っている。
一月にスコアとともに願書を提出するため、十二月にダメ押しでもう一度テストを受けようと思ってはいるが、ほとんどはチーナの勉強の手伝いがメインだ。
「そもそもアメリカの大学って、試験のスコアはそんなに重要じゃないんだ。高校の成績だったり、課外活動の内容が一番ウエイトが高い」
「なるほど。それだったら、伊織くんは超有利だね」
俺の高校の成績はそこそこいい。英語に限っては、大体の定期試験で一番を取っている。
課外活動やボランティアに至っても、米軍基地で通訳の手伝いをしているのはかなりのアドバンテージだ。
油断するわけじゃないが、よっぽどのことがない限り受かると思っている。
「総司の方は、どうなんだよ」
「まあまあだ」
「そういや、何で推薦で受けなかったんだよ。お前の成績だったら、そこそこ選択の幅があったろ」
「俺が面接通ると思ってんのかよ」
「……納得はするけど、悲しい自己評価だな」
確かに、初対面の人間は総司から不良然とした印象を受けるだろう。
実際中身は良品かと言われれば否なのだが、素行だけなら割と一般人ではある。
損な性質ではあるのだが、まあ自業自得だろう。
「チーナちゃんも英語と数学ばかりやってるってことは、アメリカの大学に行くんだね」
ふいに、秋本がチーナに顔を向けた。
「いや、わたしは、その……えと……」
急に話をふられたチーナは、口に残ったクッキーをこくんと飲み込む。
「わたしは……」
呼吸を整え、言葉を続けるチーナに、全員の視線が集まる。
「わたしは、基地内の、大学に……行くつもり」
◆
『はあ~、疲れた……』
勉強会を終えて帰り道。
バス停に向かう道を歩きながら、軽く伸びをする。
『数学ばかり勉強するのはしんどいな……』
『それだと、英語は疲れないみたいに聞こえるけど……』
『語学は楽しいだろ、普通に……』
『もう……ヨリは外国語バカなんだから』
バカとはなんだ、むしろ成績はいい方だぞ……っとツッコみたくなったが、前方の暗がりから歩いてきた男性がチーナにぶつかりそうになったので、俺の方に軽く引き寄せる。
『ほら、危ないぞ』
『あ、ごめん。見てなかった』
すれ違った人は栗色の綺麗な髪に目を引かれたのか、少し振り返り気味に離れていった。
安全を確認してから、俺はチーナの方から手を離す。
しかし彼女はその流れのまま、おもむろに俺の腕を軽く抱き、そのまま歩き出した。
いつもの俺をからかう雰囲気とは少し違う、どこか物憂げな感じ。
そもそも、今ぶつかりそうになった時も少しぼーっとしていた気がする。
それが気になって、俺はチーナに声をかけた。
『どうした? チーナ』
『ううん、何でもないよ』
バス停の前にはちょうどバスが停まっており、そのまま俺たちは乗り込む。
後ろの方の座席を選んで座ると、俺はもう一度チーナに聞いてみることにした。
『さっきから、ちょっとぼーっとしてないか? なんか考え事か?』
『えっと……うん』
歯切れの悪い返事。
あまり問い詰めても悪いかと思ったが、やはり気になる。
『悩みがあるなら、話してくれよ』
俺はもう少しだけ、押してみることにした。
するとチーナは、ぽつりと言葉を漏らした
『悩みってほどじゃないんだけど……さっきの話で、ね』
『うん?』
『ヨリが、アメリカに行くって話』
ああ、その話か……。
俺は続きを促すように、うんと頷く。
『一年後にはもう、会えないんだなって思って』
アメリカの大学は、九月から年度始まり。
今は十一月半ば。
つまり十か月後には、俺はアメリカで過ごしていることになる。
『心配すんなよ。ちょくちょく帰ってくるからさ』
『それは無理だよ。往復するのに、時間もお金もかかるし』
確かに。
時期がよくても、アメリカと日本を往復するなら、十万ではくだらない。
連休のたびに帰ってくる、なんてことは現実問題難しいだろう。
せいぜいが長期休みくらいだろうか。
『ヨリがアメリカに行くのを、止めたいわけじゃないんだよ。夢だったことは知ってるから。でも、大学を卒業して軍には行っちゃったら、もう、日本には帰ってこれないかも……』
『……』
『それは少し……寂しいなって』
そう言って、窓の外に目をそらすチーナ。
そんな彼女を見て、俺は愛おしさと同時に、申し訳なさと、情けなさを感じた。
『そう……だな……』
だから俺は、心からの同意を、心臓を締め付けられる思いで吐き出すのが精一杯だった。
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