83.to be continued……
○
「まったく、ここに来て散々ふんだくってくれたな、お前ら……」
「当たり前でしょ。危険手当と口止め料は相手の負い目に漬け込んで増額を迫る。それが私たちが学んだ傭兵の生き方の一つよ」
傭兵として、軍人とは別の方向に逞しくなったレンとシオンを見やり、エイブラハムはやれやれといった態度で割り当てられた防衛予算をどう工面するか頭を悩ませた。
自分の財布が軽くなってしまったというわけではないのだが、やはり懐が寂しくなるというのは如何ともし難いものだと実感させられる。
「それで、もう行くんだな?」
「ええ、任務も終わったし。何より、あの日気がかりだったことの答えも、あっさり理解っちゃったからね」
「決着の瞬間の違和感、か……」
あの日……ヴィランの乗るクロウ・クルワッハと激戦を繰り広げた時のことだ。ワイバーンの甲板上で、シオンのフローライト・ダンピールと一進一退の攻防を繰り広げていたクロウ・クルワッハは、戦闘の終盤にその挙動を乱れさせた。シオンはその隙を突く形で勝利を収めることができたが、同時にその勝因が、ヴィランの負傷だけにあったとは思えないでいた。
正直な話、勝負が着く瞬間、シオンはヴィランに手加減されたと思っていた。だが、今回の対面でそうではないと判明し、シオンは安堵する。
今更あの男には実力で勝ちたかった、などと言うつもりはない。どちらかといえば、何故あそこで勝ち得たのかを検証し、己の実力を測る必要があった。
ヴィランは確かに強敵だった。だが、憎き仇敵に勝ったという結果に満足して鍛錬を怠り、自身の実力を読み間違えれば、それは戦場での死につながるかもしれない。
そんなことになっては、自分に関わりのある人たちに、申し訳が立たないだろう。
だからこそ、戦闘後の検証は、彼女にとって必要な儀式となっていた。そして、それが彼女が成長した秘訣にも繋がっている。
「ヴィランに何か言うことはあるか?」
「別に……でも、どうせなら身体を労りなさいとでも言っておいて」
「それはまた、この上ない皮肉に聞こえるな」
シオンの事伝に、エイブラハムが肩をすくめる。
戦闘狂が病床に伏し、戦わずに死す定めにあること。それが、ヴィランにとってどれだけ屈辱的なことか、シオンは直感的に理解していた。
「それで、お前ら今度はどこに行くつもりだ?」
「さて、ね?」
シオンはエイブラハムに短く別れの挨拶を告げると、愛機を載せた輸送機に急ぐ。
そして、シオンたちを乗せた輸送機と入れ替わる形で、エイブラハムは基地の警護を担う防衛部隊の着任を見届けた。
○
それから数日後のことだった。ヴィラン・イーヴル・ラフがシオンの事伝に背くように、この世を去ったのは。
環太平洋同盟軍情報部はヴィランの死後、彼から生前に引き出した情報を元に、ドルネクロネ以前の彼の行動のトレースを本格的に推し進めた。
その情報収集の手段の中には、遺伝子情報からヴィランの出身を探る方策もとられたが、その果てに得られたのは、彼が半世紀前に壊滅した国の少数民族の出身だったという情報だった。
その少数民族は隕石災害によって「全滅」が確認されており、それは見方によってはヴィランがその少数民族の生き残り、あるいは子孫であることを示す証左でもあった。とはいえ、帰るべき国を失った人間が難民となったのは想像に難くなく、その足取りを追うことは困難を極めた。
恐らくヴィランは難民キャンプで出生すら届けられないまま生まれたのだろうが、それが果たしてヴィランの行動にどのような影響を及ぼしたのか、今となっては永遠に闇の中だ。
ただ一つ確かなのは、彼が闘争を是とし、それに悦楽を求めていたという事実のみだった。
○
ヴィランの死によって、世界を包む混乱が終息していく訳が無いということは、関係者たちは重々承知していた。
ヴィランの手から離れた紛争の大半は、先が見えぬ泥試合の様相を呈することになり、国際的な調停が難しくなることも多々あった。ドルネクロネのように休戦協定を結ばせられる方が、むしろ奇跡と思えるくらいだ。
そういった泥沼の紛争をどう処理するかという方策を練る中で、同盟軍はドルネクロネでの諸紛争で身柄を確保されたある情報部将校のレポートに目をつけた。
戦争による経済活動。
ヴィランによって受けた損失を、ヴィランの起こした戦争によって取り戻すという、レポートの最初の一行に書かれていたその一文は、軍上層部としてはとても魅力的な物に見えていたのかもしれない。
しかし、戦争で経済が発展したとして、それを維持するためには戦争を続けなければならないというジレンマが存在する。故に、同盟としてはそれを実行できずに二の足を踏んでいた。
だが、そこに考えを及ばせていた勢力は、環太平洋同盟軍だけではなかった。
環太平洋同盟と隣接するアジア共栄圏でも、そのレポートに書かれていた方策を実行しようとする気配があった。
否。同盟よりも早く、そして広範にヴィランの手が及んでいたアジア共栄圏だからこそ、その損失を取り戻そうという「焦り」に駆られていたのだろう。そして、その焦りが国家間に軋轢を生み出し、また新しい戦争を引き起こすのだ。
ヴィランは戦争を「目的」としていたが、それは大きなうねりの中では次の流れを生み出すための切っ掛け……つまりは「過程」に過ぎない。
そうやって、過程を積み重ねていくことで目的に向かうことで、人は歴史を紡いでいくのだ。
○
シオン・ウェステンラは、自身の歩んできた道程の記憶のまどろみから覚醒すると、鉄の巨人の胸中……自らの愛機たるダンピールのコクピットの中で目を覚ました。
不安定な姿勢での就寝だったこともあり首に軽い痛みを感じるが、軽く手で擦る程度で済ませ、現在時刻を確認した。作戦開始五分前。ちょうどよいタイミングで起床できたと考え、シオンは思考を切り替える。
ヴィランの死後暫くして、アジア共栄圏に不審な動きがあるという噂がどこからともなく流れ始め、それを裏付けるように共栄圏が抱える諸紛争に変化が生じ始めていた。同盟側もそこに政治的、軍事的な「力学」が影響を与えているのではないか、と推測しており、注視を続けている。
その真相は今のところは闇の中だが、少なくともそこに仕組まれた紛争があることは間違いなかった。なればこそ、シオンたちが取るべき行動は一つ。そこに赴き、情報を集めることに他ならない。
こういった場所に正規軍が殴り込めば、外交問題に発展するであろうことは間違いないだろうが、傭兵であればそういった紛争に向かうのは容易い。
『シオン、起きた?』
「一応、ね。休めるときに休むのも、パイロットの仕事だもの」
レンとの何気のない会話の後、彼女たちを乗せた輸送機が目標地点に到達したとの知らせが入る。それを合図にシオンは慣れた手付きで、だが決して気を抜かずに機体のシステムを立ち上げ、作戦の内容の記された資料ファイルをチェックする。
チェック終了と同時に、格納庫の減圧が開始され、ハッチが開放。シオンとレンの機体は揃って後方から射出され、雲海の中へと消えていく。
空には、かつて地上に招かれなかった幾百もの小惑星が帯となって浮かんでいた。
了