80.Defense mission
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天上から伸びる管に繋がれ、ヴィラン・イーヴル・ラフはもう何回目になるか理解らない不自由な朝を迎えていた。
シオンの乗るフローライト・ダンピールとの戦闘で、彼の右肺は大きく損傷した。それを人工の物に置き換え、彼は今もこうして生きながらえている。だが、その代償は、彼自身の行動の自由の大半を奪われるというものだった。ヴィランの右肺は、電源が内蔵されておらず外部からの電力供給で動く仕様だ。そして、その電力は彼が囚われている施設から供給されている。
つまり、天上から伸びる管は彼にとっての首輪のリードであり、同時に生命を永らえさせるための命綱でもあった。
ヴィランがこれまで行ってきたこと、そしてやろうとしたことの重大さを考えれば生きて収監されていること自体が奇跡とも言える。だが、ベッド以外ほとんど何も無い部屋で、外界から隔離されてただ生かされ続けることは、「死ぬ時は戦場で戦って死ぬ」というある種の矜持を持っていた彼にとって、この上無い屈辱だった。
「何か、御用ですか?」
もはや生きる気力もない顔を見せながら、ヴィランはこの何もない部屋に来訪した人間の存在を知覚する。
「ずいぶんな言い方だな」
エイブラハム・ユダ・ウィリアムズは、強化ガラス越しに見たくもない相手の顔を見据えた上でそう言い放った。制服の襟元には、情報部の所属を示すバッジが光っている。
「それはもう、このような場所で何ヶ月も何もさせてもらえなくては、気が滅入ってしまいますよ」
白い壁、白い天井、あるのはベッドとトイレ、そして自分をつなぐ管だけ。食事や着替えも、必要な時に支給される程度だ。そういった環境下に置かれたヴィランの不満は、エイブラハムも重々承知している。だが、この男に何らかの自由を与えればまたたく間にそこからすり抜けてしまうであろうことは目に見えていた。
ヴィランは同盟軍によって治療を受ける際、徹底的なボディチェックを受け、体内に発信器や通信機の類を埋め込んでいないことが確認されている。
しかし、それでもなおこの男はここから逃げ出し、何かをしでかすのではないかという不安がエイブラハムにはあった。情報部も一度この男に逃げられた反省からヴィランの所在を徹底的に秘匿。この施設を警護する部隊も、自分たちが何を守っているのか自覚させていない。
エイブラハムは椅子に座り、傍らに立つ記録係とともにヴィランの聴取を開始した。
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ニュー・サンディエゴ基地から三度輸送機を乗り継ぐこと四時間半、シオンとレンは窓一つない特別製の輸送機から降り立った。
雲ひとつない晴天の下で、二人は早速自分たちがこれから二日間、防衛を担う施設を一瞥する。
基地自体は大した規模ではなく、周囲を荒野に囲まれた辺境の小基地という印象が強い。だが、物々しい雰囲気を放つ施設の存在が、そこがただの基地ではないということを物語っていた。
「何だろう、あの建物」
レンの視線が、基地の中心に建てられた白亜の建造物に向く。
病院のようにも見えるが、それにしては規模が小さく、それでいて急造感が拭えない。だが、周囲の兵士からはなんの説明もなく、「機密ゆえに返答はできない」と即答される。恐らく彼らもあの建物がなんであるのか知らされていないのだろう。
シオンは今回の任務ではあの建物を優先的に守ればいいのだろうと察するが、レンは古巣が何か良からぬことを企んでいるのではないかと捉え、納得がいかない様子だった。とはいえ、部外者がやたらと首を突っ込むべきではない。高額な報酬には「口止め料」も含まれているのだとシオンにたしなめられ、レンは不承不承ながら持ち場に付くことにした。
二人はブリーフィングを行った後、格納庫でそれぞれの愛機のチェックを終えると、そのコクピットに収まり周辺警戒のために機体を起動させた。
まずは周囲の地形を確認するが、ここは周囲数十キロに渡ってなにもない荒野だ。基地を襲撃する者がいた場合、身を隠す場所はなく基地からの集中砲火が待っているだろうことは想像に難くなかった。
基地にはシオンたちと同じく報酬に釣られてやってきた傭兵の姿を何組か確認でき、基地外縁部を周回していた。
『新顔かい?』
シオンたちの姿を認めた傭兵の一人が、挨拶を送ってきた。
「ええ、まあ」
『驚いただろう。ここは本当に何もない辺鄙な場所だ。ここを狙ってくる敵が居るとするなら、それはあの白い建物を狙ってだろう』
そう言って、傭兵の機体が基地中央部の建造物を指差した。その認識は概ね一致しているのかとシオンは彼の言葉に頷く。
『とはいえ、同盟もその存在をひた隠しにしてる施設だ。ここを襲ってくる連中も、そう簡単にここを特定できやしないだろう。気楽に行こうや』
気前の良い傭兵は、その言葉とともに手を振って再び持ち場に戻っていった。確かに、見方を変えればこれほど楽な任務はないだろう。しかし、シオンはそういった姿勢に少なからぬ不安を覚えていた。
こちらが腑抜けきった時。それはすなわち、敵にとって襲撃を行う絶好のタイミングでもあるからだ。自分が「敵」の立場にあるなら、確実にそうするだろう。
「何も無ければいいんだけど、ね……」
シオンはその言葉とともに、小さくため息を吐いた。
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「あれはダンピール……シオンが来ていたのか」
ヴィランへの聴取を終え、相変わらず何の成果を上げることが出来ずに意気消沈していたエイブラハムは、基地の外縁部に陣取る見慣れた機体の姿に、その搭乗者の名前を口走る。
あれから半年。エイブラハムはシオンと顔を合わせることはなかった。どんな顔をして会えばいいのか理解らなかった、といった方が正しいだろう。何せ家族を、国を裏切った養父の本心とその死に様を自分が知ってしまっている。
幸い、レイモンド・ウェステンラの真実を知っているのはエイブラハムのみ。このことを自分が墓まで持っていけば、少なくともシオンの中にある「理想の養父」のイメージは傷つくことはないだろう。
いつまで口を紡いでいられるか理解らないのならば、いっそ顔を合わせなければいいと考え、彼は再びシオンの前から姿を消していた。
しかし、これはなんたる運命の悪戯か。エイブラハムは突きつけられた現実に、ただただ頭を抱えるしかなかった。
「せめて、ここに俺とヴィランがいることを悟られないようにしないとな」
そう言って、エイブラハムはヴィランを収監する隔離施設の奥へと姿を消す。
部隊の再編が終わるまで、あと二日。長い二日間になりそうだと、エイブラハムは胃に軽い痛みを感じた。
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「じゃあ、始めるとしようか……」
包帯で顔を隠した男は、ただ短くそうつぶやくと、コクピットの操縦桿を握った。右腕が簡素な義手に置き換えられ、もはや戦えるような状態ではなかったが、自分に楽しい夢を見せてくれた恩人を助け出すために、彼は自らが持つ全てを投げ売った。
そして、徹底して秘匿された「そこ」に、目的の人物がいることを突き止めると、ゆっくりと準備を進め、ようやく奪還作戦を実行に移すタイミングが訪れる。
「僕の可愛いベイビーたち、いざヴィランを助け出すために花火を打ち上げてくれ」
包帯の男……ボム・クラフターは、そう言って機体を起動させた。